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厄介な場所

「……とりあえず、奥の部屋へどうぞ。姫幸先輩」

 営業開始時刻きっかりに依頼を携えてやってきたのは、他ならぬ(こう)()()(さき)先輩だった。先輩はもうすでに暑さに耐えられないのか、白いノースリーブのブラウスにショートパンツ、足元はサンダルと非常に涼やかな格好をしている。いつもは長い髪をお団子にくくっており、その姿はまるで小学生のようだ。……本人にはこんなこと、口が裂けても言えないけれども。

「悪いわねぇ。じゃ、遠慮なく」

 とはいえ、依頼人は依頼人。一先ず話を聞くため、彼女を奥に促す。それと同時に、まだ下に降りていなかった伊紀さんに、姫幸先輩の分の飲み物を頼む。

「伊紀さん、珈琲をもう一杯」

「あ、大丈夫よ。もう頼んできたから」

 けれども、それには及ばなかったようだ。相変わらず抜け目がない。

「では、用意できましたらお持ちします」

 軽くお辞儀をして、伊紀さんは一旦去って行った。それを確認し、鍵を閉めてから、僕も自分の分のカップを持って移動する。僕以外は皆、すでに応接間のソファに腰掛けていた。

 ちなみに。通常、依頼人から話を聞く時は、僕としーちゃん、あるいは綾野としーちゃんというように、必ず男女一名ずつで応じるようにしている。このご時世、何がトラブルに繋がるか分からないからだ。念の為、防犯カメラもこっそりと取り付けてはあるが、こいつを何かに利用したことはまだない。今のところは直接の知り合いか、または彼らから紹介された人しか、まだ訪れていないからかもしれない。

 そんな訳で、事務所の人間が三人そろって話を聞くことはまずないのだが、姫幸先輩のようなお得意様かつ長年の知り合いは例外で、雑談交じりに近況報告も兼ねて、こうしてお茶会をするのだった。

「姫さん、今度はどんな厄介事持って来たんですかー」

 ……その為、お客様に対するものとは程遠い発言も、こうして飛び出すのである。

「あら、しーちゃん。私にそんな口聞いていいと思ってるの」

「やーだなぁ。冗談ですよぉ。じょ・う・だ・ん」

 しーちゃんも情報屋だからか、姫幸先輩とは旧知の仲らしい。おそらく、彼女の情報源の一部は姫幸先輩なのではないかと、僕はひそかに疑っている。

「まぁ、廣野さんのもってくる依頼が面倒ごとなのは否定できないっす」

「昤文くんも、なかなか手厳しいわね。確かに、今回もちょっぴり面倒だけど」

 綾野は別に昔からの知り合いではないのだが、なんでも共通の友人がいるらしく、出会ってから間もなく打ち解けている。いやはや、世間は狭い。

「でもだからこそ、一番信頼する探偵に頼むんじゃない。ねー、潤ちゃん」

 さらっと依頼内容に言及し、その後に調子の良いことを言う先輩。どうでもいいが、未だに事あるごとに抱き付いてくるのは、是非止めていただきたいものだ。首に絡んできた先輩をべりっとはがし、ソファに座らせてから、僕は先程から気になっていたことについて問い質す。

「……ところで、先輩」

「ん、なぁに」

「鍵は、どうされたんですか」

「何を今更」

「ですよね……」

 いくらカフェのすぐ上の階に位置しているからと言って、仮にもここは探偵事務所なのだ。防犯上やプライバシーの観点から、鍵くらいかけてある。それも、念には念を入れ、まずは下の階の階段に通じる扉の前、そして階段を上がり、事務所に続く扉、この二カ所にそれぞれだ。まぁ前者に関しては、カフェのオーナーである宝生夫妻には鍵を渡してあるが、後者に関しては僕しか持っていないはずなのである。しかも、カードキーで開くタイプの電子錠と、シリンダー錠の二つをかけてあるのだが……。

「っていうか、カフェの中から来た方が、怪しまれなくていいのよ。知景くんにも会えるしねー。イケメンは世界の宝だわ」

 理屈は分かるが、そう簡単に突破されてしまうと、こちらとしては不安になってくる。

「あと、知景に会いたいだけなら、本当に止めてくださいね……」

「はいはい。っていうか、防犯系統を私に任せたんだから、当然っちゃ当然じゃない?」

「それもそうですね……」

 何を隠そう、姫幸先輩も僕の独り立ちを応援してくれた一人である。彼女は先に僕の友人と、表向きは防犯サービス会社、裏では情報屋として活躍しており、事務所を設立する際に一役買って出てくれた。今でもこうして、定期的に依頼を持ってきてくれるので、お世話になりっぱなしなのである。

 もっとも、所員二名がこぼしていたように、先輩の依頼は一筋縄ではいかないものが多いので、そういう意味ではきちんとギブアンドテイクが成立しているのかもしれないが。

「で、依頼というのは」

「ちょっとちょっと、僕を忘れないでよ」

「鈴笠!?」

「遅かったわね」

「姫幸さんったら、僕に後始末任せて行っちゃうんだから」

「修行よ、修行」

 ……奇しくも先ほど鍵をかけたはずの、カフェから通じる方の扉から遅れて登場したインテリ眼鏡系男子が、僕の友人の(すず)(かさ)(らい)()である。彼は元々パソコンに強く、今では姫幸先輩の片腕として仕事をしているらしい。とは聞いていたが、まさかこいつまで、電子もアナログも突破できるようになっていたとは……。今後、鍵の付け替えを真面目に検討しようと、僕はこっそり心に誓う。

 コンコン

「お待たせしました。アイスコーヒーです」

 二人分のアイスコーヒーが届いたところで、僕たちはようやく本題に入った。


「今回の依頼人は、実は私のクライアントでもあるのよ」

 姫幸先輩は予想通りに、こう切り出した。

「まぁ、そうでしょうね」

「……一応聞いてあげるけど、どうして分かるの」

 僕が全く動じずに、肯定したからだろう。半分負け惜しみのように尋ねられたので、せめて誠意を見せようと即答する。

「姫幸先輩が全く焦っていないから」

「うっ」

「あと、そこから緊急性を要するものでもないということが分かります」

 姫幸先輩はとても渋い顔をしながら、アイスコーヒーに手を伸ばす。自分はそんなに分かりやすいかとでも言いたげだ。しかし、彼女ももういい大人である。グラスを置き、先を促した。

「続けて」

「依頼内容に関してはさっぱりですが、でも前みたいに危険を伴うものではないですよね」

「そうだけど」

「だって鈴笠をわざわざ一緒に連れてきているんですから」

 彼女は職業柄、そしてその顔の広さから、度々危険な目にあっている。もう十年以上も前の話になるが、姫幸先輩はネット世界では“火喰い栗鼠”と呼ばれ、その筋の方々とやり合っていたのだとか。しかし、だからこそ先輩は、パートナーである彼に危険が及ぶようなことは絶対にしない。そういう人だ。

「べ、別に、今回は来也君の実戦練習を兼ねて来ただけで」

 これには少し動揺したのか、顔が赤くなっている。照れ隠しにストローであぶくを立てながら、ごにょごにょと反論しているようだ。その姿があまりにも可愛らしかったので、さりげなく二人分のアイスコーヒーを頼んでいたことについては、黙っておいてあげよう。全く。いい年して、素直じゃないんだから。

 鈴笠を含めた全員から、にやにやと生温かい目で見られていることが恥ずかしかったのか、姫幸先輩は強引に話を進める。

「ま、まぁ流石潤ちゃんよね。おおむね正解よ。今回の依頼は、危険はない……わ」

「どうしてそこでどもるんですか」

「依頼自体はそんなに難しくはないと思うわ。ある贈り物の差出人を突き止めてほしいのよ」

 成程。確かにそれだけならば、そこまで時間は取らないだろう。数日の聞き込みと張り込みだけでなんとかなりそうだ。

「ということは、厄介なのは、人ですか」

 例えば、有名人や著名人など、良い意味でも悪い意味でも目立つ人物というのは、調査対象も広く、また通常よりも隠密行動を取らざるを得ないので、手間がかかるのだ。姫幸先輩は多方面に顔が利くので、てっきりそういう依頼かと思ったのだが、

「半分正解」

僕もまだまだ、修行が足りないらしい。さて、残りの半分とは何なのか。

「依頼人もだけど、その場所が厄介なのよ」

「場所、ですか」

 面倒な場所とは一体。他の皆も不思議に思ったのか、

「まさか、警察署に届いた物とか言わないですよね」

「それとも政治家の別邸とか」

等と、ありえなさそうな選択肢を口にする。

「いえ。そういうところじゃないわ」

 流石に違うらしく、僕はほっと胸をなで下ろすが、

「でも、ある意味じゃそれよりも大変かもしれない」

という言葉によって、再びどきりとする。姫幸先輩にここまで言わせる“大変な場所”とは、どこなんだろう。

 一同が固唾を飲んで見守る中、彼女は今回の依頼の肝とも言える、重要な言葉を口にした。

「依頼人はとある財閥の令嬢。彼女に届く奇妙な贈り物について、調べてほしいの。男子禁制の秘密の花園、選ばれしお嬢様しか通うことを許されない、女子高にね」

 確かにそれは、探偵事務所発足以来、最も厄介な場所だった。


「……今回の依頼は、なかったことに」

「出来る訳ないじゃない。前金もらっちゃったし」

「デスヨネー」

 姫幸先輩が依頼を持ってくる時には大抵、もう後戻りが出来なくなっている。今回のようなデリケートな件なら尚更だ。しかも、それが財閥の令嬢だなんて……。

「なかなかに極まってますね」

「そうなのよ」

 うんうんと、その場の過半数が腕を組んで頷く中、

「あのー」

しーちゃんが、お気楽な声を上げた。

「どうして、女子高が面倒なんですか」

「……お前は女だから、分からないだろうな」

 女子高といえば、その可憐な響きとは裏腹に、男性であるというだけでなじられいじめられはぶかれる、魔界である。加えて、超お嬢様学校となれば、そのセキュリティは跳ね上がる。捜査のためだからと言って、駆け出しの探偵に過ぎない僕が易々と入れる場所ではないのだ。

「それに、学校って保守的で内向的だから、部外者ってとても入りこみづらい場所なんだよ」

「なるほど」

 これがまだ学生の身分であったならば、あるいはこの中の誰かの出身校であれば、話は通りやすかったかもしれない。けれども、縁もゆかりもない場所で調査するとなると、例え他の施設であっても、苦戦を強いられることになる。……どうしたものか。

「でも、受けるにしても潤。どうするんだ? まさか晨一人に行かせるわけにはいかないだろう」

「そうなんだよね」

 もはや引き受けるほかに選択肢はないと悟ったのだろう綾野だが、なかなかに痛いところを突いてくる。これがうちの事務所の欠点でもあるのだが、何分人員が圧倒的に足りないのだ。しかも、女性はしーちゃんのみ。何かあった時に、彼女だけでは対応しきれない部分も多いだろう。そう思い、無駄とは分かりつつも、持ち込んだ本人に確認を取る。

「姫幸先輩は」

「ごめん。他の仕事が立て込んでいてね」

 ……まぁ、そうでなければ、僕のところに話を振らないだろう。しかし、彼女が自分で調べに行かない理由は、他にもあったようで、

「あと、私あの学校行きたくない」

ときっぱり言い放った。

「どうして」

「ちょっと、面倒な人がいるのよ……」

 姫幸先輩をして、面倒な人とはどんな人物なのか。気になりはしたが、いずれその人とは関わり合いになる予感がしたので、今は言及するのを止めておく。

 話が少しそれてしまったが、目下の問題は捜査員の確保である。

「ということは、奥の手を使うしか……」

 実行に移したくはないが、とうとう抜き差しならない事情の、致し方ない事態が来てしまったようである。勘の鋭い女性陣は、青ざめた顔をして言う。

「所長、まさか」

「潤ちゃん、それは止めた方が」

 そして視線は、一人の青年に注がれる。

「ん? なんで俺に注目が」

 僕は彼の肩に手をかけ、こう言った。

「……綾野。悪いがまた君に女装してもらうしか」

「どうしてそうなった!?」

 この展開を読めないような綾野でもないだろうに。僕のボケと本気の間をいく発言を、彼は鵜呑みにしたようだ。珍しく、わたわたと分かりやすいほどに慌てている。

 とくれば、乗らざるを得ないのが僕の周りの人々である。

「だって、昔ならともかく、今の潤ちゃんじゃ流石に厳しいものがあるもん」

「うっ」

 ……背が伸びて良かった、と思う瞬間である。

「その点、綾野君なら小さいし、ちょっと目つきの悪さを直して、声色を調節すればなんとかなるね」

「いや」

 ちなみに、僕は170 cmを軽く超えているが、綾野はぎりぎり160 cmに届くか届かないかくらいの身長だ。加えて、彼は線が細く、肩幅もそこまである方ではない。女装にはうってつけなのだ。

「また昤先輩の女装姿が見れるんですねー。たのしみー」

「いやいや」

「なんなら、こちらで合成音声でも用意しようか。そのぐらいならちょちょいのちょいよ」

「いやいやいや」

「じゃあ、(なつ)()先輩にでも頼みますか?」

「それだけは勘弁して……」

「とまぁ、冗談はさておき」

 あんまり綾野をいじめても可哀想だし、姫幸先輩も忙しい人なので、この辺で止めておく。いずれにせよ、僕らがとるべき道は一つなのだ。

「とりあえず、依頼人に会ってみよう。話はそれからだ」

「そう来なくっちゃ。もうアポイントはとってあるの。行きましょう」

 ごちそうさま、とアイスコーヒーを飲み干し、ソファからひょいっと飛び降りると、そのまま颯爽と彼女は出て行ってしまった。こちらの都合などお構いなしだ。もっとも、その手際の良さはほれぼれとするものだったし、鈴笠は慣れているのか、ご丁寧に代金を置いてから彼女に続いて行ってしまったけれど。

 さて、いつまでもぼやぼやしてはいられない。僕らもついていかなければ。

「しーちゃん、すぐ支度して。追いかけるよ。綾野は留守番よろしくね」

『あいさー』

 こうして僕はまた一つ、新たな依頼を抱え込んだのであった。


今回の話で依頼の全貌まで明らかにする予定でしたが、何故か長くなってしまいました。どうしてこうなった。

とりあえず姫幸をたくさん書くことができて楽しかったです。


次話は依頼人のお嬢様の登場と、潤の女子高潜入編、になるはずです。お楽しみに?

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