プロローグ ~Muguet~
ようやく、Seasonsを再び始めようと思います。
どうか皆様、よろしくお願いいたします。
では、本シリーズ主人公、参道潤とヒロインの一人である塚田花音の出会いから、物語を始めます。
僕はずっと、君の影を想い続けていた。
木枯らしがいつの間にか冬の気配を連れてきた、とある晴れた日の昼下がり。僕は見晴らしの良い小高い丘に、墓参りに来ていた。
彼女が天に旅立ってから、もう幾年もの時が流れていた。それにもかかわらず、僕は毎月、ここに来ている。暑い日も、寒い日も。雨の日も風の日も。欠かした事は、一度も無かった。
僕は当然のように成人になり、大人として今を生きている。
彼女の時間は止まったままで、永遠に中学生のままなのに。
無機質な石が所狭しと立ち並んでいるからか、ここに来る度にそんな感傷に浸ってしまう。墓は、その人が生きた証、事実だと僕は思っている。一つ一つに魂が宿り、だからこそいつまでも綺麗にあってほしいと、雑巾で丁寧に磨き上げる。バケツに汲んできた水は、その冷たさの分だけ、清められていく感じがした。
その途中、ふと、そういえば彼女と知り合ったのはこんな季節ではなかったか、と思い出した。今更、と思われるかもしれないけれど。折角だから、僕――参道潤と彼女――塚田花音との出逢いの話を、してみよう。
*
あの日、澄み渡る晴天の下。僕は公園のベンチに座って、絵本を読んでいた。それも、わざわざ木の下の、陰になっている所を選んで。遊び盛り、はしゃぎたい盛りの、幼稚園生にもかかわらず。
そう、この頃の僕は――いや、今でも割と、そうなのかもしれないが――周りの物や人に一切興味が無かったのである。ただ、本だけは好きだった。読んでいる間は、物語の中に入って、鬼を退治したり、お姫様を助けたり、好きな事が出来るから。
こんな僕を心配して、両親は事あるごとに適当な理由をつけ出掛けるのだが、僕は本を持っていく事を忘れなかった。そのうちに、外での読書も気分が良いものだと感じ、時折自主的に公園に来るようになったのである。誰かに強制されるよりは、はるかにましだったからかもしれない。
しかしそんな僕でも、彼女の存在には気が付いてしまった。やかましい音で集中力が途切れた時に頭を上げたら、公園内をぐるぐるとくまなく歩き回る、同い年ぐらいの女の子の姿が目に入ったのである。その後も何度も、彼女はうろうろと困ったような顔で何かを探していた。それでも、気にはかかったけれども、僕から声をかける事はしなかった。おそらく、厄介事に関わりたくなかったからだろう。
だが、そんな僕でも、無視出来ない時は勿論ある。例えば、
「ねぇ」
そう、こうやって声をかけられれば誰だって、顔を上げてしまう。
「かのんのゴム、しらない?」
そして、今にも泣き出しそうな声で、瞳を潤ませて言われてしまえば、答えざるをえない。生憎、僕はそこまで薄情な人間ではなかった。
「ゴム?」
「あのね、これとおんなじやつ」
少しかがんでよく見えるようにしてから、彼女は自分の頭を指差す。そこには、真っ赤な丸いボンボンがついていた。元々はおそらく、母親が結ってやったものだろう。耳よりやや高い位置にきゅっと結ばれており、彼女によく似合っている。それだけに、片方しかない髪留めには確かに違和感があった。
「ふむ」
もう少し事情を聞いてみよう、と僕は本をぱたんと閉じて膝の上に置く。どうやら、そうした事で、少し落ち着きを取り戻したようだ。目をこすってから、彼女は説明を続ける。
「たんけんしてたらね、どこかにおとしちゃったみたいなの」
探検、という言葉に多少の引っ掛かりを覚えたものの、そこは関係無いはずなので僕は先を促した。今なら分かるが、おそらく僕はそういうごっこ遊びをやった事が無かったから、いまいちピンとこなかったのだと思う。
「どこにいってたの?」
「んーとね、このこうえんと、そのまえにはやおやさんとか、さかなやさんとか、おみせがいっぱいあるところと……」
指を折りながら、必死で記憶を回想し、彼女は次々とこの付近の場所を挙げていく。この年の子どもが出歩くにはやや広範囲ではあったが、全て聞いた事があり、道も良く知っている所だった。
「でも、ぜんぶさがしたけど、なかったんだ……」
他の場所は通り過ぎるだけだったが、この公園では片っ端から遊具で遊び回ったので、ここを重点的に探していた。そして、彼女が遊んでいた時からここにいたらしい僕に話しかけた、という訳である。もしかしたら、落とした所を見ていたかもしれない、と期待したようだ。
「そう……。でもごめんね、ぼくもみてないや」
心苦しかったが、嘘はつけないので正直に告げると、途端に肩を落とし、
「そっかぁ……」
しょんぼりとしながら立ち去ろうとする。その後ろ姿が、あまりにも可哀相になって、僕は自分から提案した。
「もういっかい、いってみよう」
「でも」
「だいじょうぶ。こんどはぼくも、いっしょにいくから」
そう言って立ち上がると、彼女は顔を少し輝かせた。やっぱり、女の子は笑顔の方が可愛い。まだ見つかった訳でもないのに、その表情を見ただけで僕も嬉しくなった。
「よし、じゃあいこうか」
「そのまえに」
すると、彼女は再び表情を硬くして、僕の正面に立ちふさがった。まるで、さも重要な事を言うのを忘れていた、というように尋ねる。
「おなまえは?」
「え?」
「かのんは、つかだかのん、っていうんだよ」
そういえば、彼女は最初から自分の名前を言っている。それに対し、僕が“僕”しか言わないから、気にかかったのだろう。確かに、名前も知らない相手と行動を共にするのは、あまり気の進むものではなかった。この頃はまだ、偽名を名乗るなどという知恵はなかったので、というかあったら怖いので、
「ぼくは……じゅん。さんどう、じゅん」
普通に名乗る。しかし、この頃から自分の名前を教える時に詰まるのは、もはや癖のようなものだった。
「じゃあ、じゅんちゃんってよんでいい?」
「えー」
女の子からちゃん付けされるのは、男としての僕のプライドが許さなかった。が、
「いーい?」
顔をのぞきこまれ、上目づかいに言われてしまえば、承諾するしかない。
「……いいよ」
最終的には僕が折れて、彼女は満面の笑みを浮かべた。
そういう訳で、僕がリードする形で、捜索と相成ったのだが。
「ちょ、ちょっとまってよ、かのんちゃん」
「もう、おとこのこのくせに、だらしないわね!」
実際はちょっと歩き回っただけで、僕の方が先にばててしまった。これが、インドア派とアウトドア派の違いだろうか。いや、まだ幼稚園生だったし、基礎体力はそこまで変わらないはず、なのだが。まぁ花音は昔から運動神経抜群だったから、という事にしておこう。
「ほら、いくよ!」
道の真ん中でしゃがみこむほどへばってしまったからか、彼女は僕の手をつかんでぐいぐいと進んでいく。
「え、ちょ、ちょっとお!」
いきなり女の子に手を握られてひっぱられ、照れてしまった僕は、それ以上何も言えなくなってしまった。
その後、花音が訪れた場所を、まだ道に不慣れらしい彼女に代わって、僕が順番に行けるように道案内しつつ、全てを見て回った。商店街にいた人には聞き込みをしてみたし、途中で交番にも寄って情報収集を試みる。
「ないね……」
だが、結局有力な手がかりも得られないまま、最初に僕らが出会った公園にこうして戻ってきた、という訳であった。
「まだわかんないよ……がんばろ」
歩き疲れたので、ベンチに腰掛けながらそう言う僕も、どうしたらいいのか途方に暮れていた。夕暮れが近付いて段々寒くなり、それも一層、気分を沈ませる。
「焼き芋、食べないかい?」
そんな時、すっとほくほくの温かい焼き芋を差し出す手があった。毎日のように落ち葉掃きをしている、近所では有名なお掃除おじいさんである。
「わーい、ありがとう!」
こうやっていただいたのはこれが初めてだったが、どうやら落ち葉を集め終わった後は、皆に焼き芋をふるまっていたようだ。まだ焚き火についてうるさく言われなかった時代でもあったからだろう。その証拠に、周りには新聞紙にくるまれたお芋を持っている人が他にもいた。
「ほっほっほ、沢山お食べ」
おじいさんが笑う横で、僕らは夢中になって焼き芋をほおばる。あったかくて甘くて優しくて、僕らは少し元気になった。
それもつかの間、遠くから何かが近付く気配があった。真っ黒で、嘴がとがっていて、カーカーうるさいし、子どもでなくても恐ろしいものである。大方、焼き芋の気配を探し当ててきたのだろう。
「おじいちゃん、こわいよう」
「大丈夫じゃよ。動物は、火を怖がるからね」
事実、奴等は上から見ているだけで、此方には近寄ってこなかった。
「そうか、わかった」
しかし僕は恐がるよりも先に、思いついた事があった。
彼女の髪ゴムは、丸くてピカピカしていた。それと、この秋晴れである。さぞかし、日の光に照らされ、輝いて見えた事だろう。さすれば、彼らがそんな魅力的な物を見逃すはずがない。
先程から頭上を飛び交っていた、鴉達が。
鴉には、気に入った光り物を自分の巣に持ち帰ってしまう習性がある。大方、花音がどこかに落としたゴムを、拾って持っていってしまったのだろう。もしかしたら、頭上からずっと機会を狙っていたのかもしれない。
「だから、ここにあるはずだよ」
ようやく辿り着いた先は、鴉の巣があるという公園からほど近い雑木林である。僕の推理を聞いたおじいさんが場所を知っていたので、連れてきてもらったのだ。
「よーし」
すると、ここにあると分かるや否や、なんと花音があろう事か、木を登り始めようとしたのである。確かに、この頃から彼女の身体能力には目を見張るものがあったが、それにしても木のてっぺんにある巣を目指すには、あまりにも危険過ぎた。
「か、かのんちゃん!?」
あまりにも予想外の出来事に、僕がおろおろとしていると、
「待った」
助け船を出してくれたのは、ここまで一緒に来てくれたおじいさんだった。
「ここは、じいちゃんに任せときなさい」
すでに足元から一メートルぐらいまでは登ってしまった花音に声を掛けると、木から優しく下ろし、竹箒を構えた。
「はーい、じゃあじいちゃんの後ろにいてね」
そして、危なくないように僕らを下がらせると、おじいさんは巣を目がけ、箒を発射する。
「とりゃ」
見事なフォームで投げられた箒は一直線に飛んでいき、こつん、と巣の下の枝を見事にとらえた。そして、ずささささ、という音を立てて、上から巣が落ちてきた。
「ほい、と」
それを、俊敏な動作で受け止め、しかも役目を終えた箒もしっかりとキャッチした。
『おおー!』
「おじいちゃん、すごーい」
僕らは思わず、本来の目的も忘れて手を叩いた。
「さーて、探し物は、これかな?」
がさごそと中を漁り、取り出した手のひらには真っ赤な丸いボンボンが握られていた。
「あったぁ!」
「よかったのう」
おじいさんは手先も器用で、花音の髪にひょいひょい、と結えつけてくれた。頭の上の二つの髪飾りが、ようやく居場所を得たようにゆらゆらと嬉しそうに跳ねていた。
「ありがとう、おじいちゃん!」
「じゃあ、気をつけて帰るんだよー」
これからまだ掃除をしなければいけないところがあるからと、雑木林の外で親切なおじいさんとは別れた。
『はーい』
僕らはさようなら、とお礼をこめて、その姿が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。
おじいさんを見送ってから、花音はこちらをくるりと向き、
「じゅんちゃんも、ほんとうにありがとう!」
はじめるような笑顔で、僕の手を握ってぶんぶんと振り回した。
「ぼくはそんな、おじいちゃんのおかげだよ」
振り回されつつ、照れながら応じる。実際、僕のした事と言ったら、ちょっとだけ考えを膨らませただけだったのだから。あれは推理とも呼べない、ただの憶測だ。それに、鴉の巣の場所を知っていたのはおじいさんだし、直接取ってくれたのもそうだ。だから、感謝を言う相手は僕ではない。
「ううん。じゅんちゃんがいなかったら、きっとみつからなかったもん」
しかし、そんな僕に彼女は真剣な目で、こう言うのである。花音にとっては、同い年である僕が場所を言い当てたのがすごい事だったのだろうか。その時は、分からなかったけれど。
でも、彼女の次の言葉は、とても印象的だった。僕の心の中に、未だに残るほど。
「じゅんちゃんは、めいたんていさんだね!」
「めいたんてい?」
それは、本を沢山読んでいた僕でも、初めて聞く単語だった。それでも、何故だかその言葉は温かくて格好良い、そんな響きを持っている。
「しらないの? みんなをしあわせにするひとのことだよ!」
「そうなんだ……」
まるで、僕のおかげでそうなれたんだ、と言わんばかりに、花音はにこにこと無邪気に笑っていた。
ここで終わっていれば、僕も格好がつけられるというものであるが、この話にはこんな情けない続きがあるのだ。
「そういえばじゅんちゃん」
「なあに?」
道が分からないという花音を送りがてら、帰り道。彼女がふと思い出したように、こう切り出した。
「ほんはどうしたの?」
「あ……」
ゴムを探すのに夢中になっていた僕は、最初に読んでいた本をどこかに置き忘れてしまったのだ。
「じゃあ、こんどはじゅんちゃんのほんを、かのんがさがしたげるね!」
おそらく、ベンチの上に置き忘れたのではないかとは思ったものの、あえて僕は何も言わなかった。花音とずっと、一緒に捜査していたかったからかもしれない。
そうやって日が暮れるまで、僕らは遊び回っていた。つないだ手は、離さないまま。
*
その後、実はこの街に彼女が引っ越して来たのがその日で、しかも家が隣だという事を知る事になる。これを神の悪戯ととるか、ご都合主義ととるかは読者の方にお任せしよう。
「じゃあ、そろそろ行くな。またね、花音」
ひとしきり回想し終わると、僕は紙袋の中の花束を取り出す。花が好きだった彼女の為に、その季節に一番美しいものをいつも持参しているのだ。みずみずしく光るそれは、甘く爽やかな香りがする。両脇の花瓶に綺麗に活けると、僕は墓に背を向けて帰路へと足を進めた。
供えた小さな白い花は歌うように揺れていて、まるで花音が僕に囁きかけているようにも感じられた。
思えば、あの時から僕は、彼女の事が好きだったのだろう。僕を外の世界に連れ出してくれた、興味を持たせてくれた、そして何より、僕が探偵を目指すきっかけをくれた花音の事が。
だからずっと、僕は彼女の後ろ姿を見続けていた。あの小さくて、でも凛々しく、頼もしい姿を。女の子に格好良い、なんて言ったら、もしかしたら失礼なのかもしれないと思って、直接伝えた事は無かったけれど。でも、その背中に憧れて、追いかけてきたのは事実だ。まさか、こんな形で追い付いて、そして追い越してしまう事になるなんて、思いもしなかったけれど。
あまりにも近くにいすぎて、あまりにも多くの時を過ごしてしまって、気持ちを告げる事こそ叶わなかった、僕の想い。
しかしこの淡く儚く散った初恋は、僕の胸の中で温かくきらめき続けているのであった。
このお話は以前、オフ会の際に作成したものです。よって、すでに読んだことのある方も少なからずいらっしゃるとは思いますが、ご容赦ください。
さて、前作「Seasons」から長い月日が経ち、書き始めた当時は高校生、完結した時には大学生だった作者は、現在大学院生です。どこまで書けるか分かりませんが、一生懸命書き続けます。