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(六)

 着流しに着替えた凄雀は、住職の待つ奥へ通された。

 ずぶ濡れのスーツは、老夫人に取り上げられた形だった。彼が母親に言い勝てないのと同じで、辞する間も与えられずのことだった。

「まずは、一献」

 卓に対座して、凄雀は住職の酌を受けた。

 次の間は住職の書斎らしく、雑然とした机と座椅子が置かれている。こちらは客間だが、装飾はいたって質素。

 贅沢な屋敷の造りだけが寺の往時を忍ばせ、今の世には珍しいと言える、扱う人の奢らぬ心情が伝わってくる。

 ゆっくりと杯を干した凄雀に、険しい顔をやわらかくして住職は料理を勧めた。老夫人を『婆』と呼び捨てるが、凄雀同様、勝てたためしはないようだ。

 遠慮なく箸をつけた料理が、そうだと語っている。

 うまいと褒める言葉は、住職にならい胸にしまった。

「ほお。あれは……、龍ですな」

 目を細くして住職はうなった。池に面した障子戸は開け放たれていた。そこから、霊園がわずかに望める。

 墓地は真の闇と、雨に閉ざされていた。しかし、住職の目には、ほの明るく立ち昇る『気』が映る。

「そう見えますか」

 闇を横切る者の察しはついている。

 凄雀は、驚嘆する住職を真っ直ぐ眺めながら言った。

「したが、まだ若い。幼いとさえいえる龍ですな」

「ご住職はずいぶんな法力をお持ちな様子だ。

 それを見込んで、頼みがあります」

 長身が身軽に動き、座布団を外し正座した。

「さて。この年寄りで勤まるようなことならば、よろしいが」

「住職以外に適任はおりません」

 静かに、凄雀は頭を下げた。

 住職のそらとぼけたポーズは、狼狽にすり替わった。しばらく、口にするのもためらいながら。

「……そこまで言われるのは、何やら落ち着きませんな。

 あなたは、龍をはるかに越えた方でありましょう?」

 遠回しの辞退を、伏したままのぴんと伸ばした背筋が跳ね返す。

「郷にいっては郷に従うもの。……時の摂理を越えた干渉は、その策を滅ぼしもします……」

 ここまで説かれて、住職は剃り上げた頭を傾げた。

 いくら傾けても、承知する以外の良策は浮かばないのに、子坊主の真似をしてしまう。

「ご案じなされることはありません。ご住職の出番は、最後の詰めと決めています」

 頭を上げ、ニヤリと笑う凄雀。

 逃れられないと悟り、住職はぽんと膝を打った。

「この老体、なんなりとお使い下され」



 墓標は『輝』。

 墓は墓であって、それ以外の何物でもない。

 騎道は当たり前のことに気落ちしながら、久瀬光輝の墓前に立ち尽くしていた。

 自分を龍と指す噂も、凄雀の画策も知らないまま、引き返そうとしていた。が、光輝の墓の裏手、わざと背中合わせに配置したような墓石に、気を引かれた。

 暗闇は苦にはならない騎道の目に、赤い色彩が見えた気がしたのだ。

 近付いて目を凝らす。それは、朱で塗られた文字。

 通常、墓石の裏には葬られた者の氏名と享年、没日が記される。ここには、一行のみ。それも。

「……どうして…………!?」

 つぶやく声が掠れていた。

 目を疑ったまま、光輝の墓ともう一つを見比べた。二つは同じ形、まったく背中合わせ。まるで、寄り添うように。

 離れないと、冥府でも誓い合ったかのように。

 朱塗りの氏名は、藤井沙織。朱は、墓の主がまだ生存していることを示している。

 ……自分が近く、無くなることを予期しているのか?

 先ほど、沙織は騎道に叫んだ。殺せ、と。

『望むところだ。血の呪縛を絶ちなさい!』

 死を望んでいた……。

 ならばなぜ、隣り合わせて建てない? どうして、藤井家に所縁の深い、慈円寺を選んだ?

 この謎も、光輝の死に繋がるのだろうか……。

 途方に暮れる。誰か一人が行動を起こす度、つながらない謎が増えてゆく。血の呪縛とは何だ……?

「……光輝……。知っていたわけ……?

 その上で全部、僕に押し付けた?」

 情けない溜め息を叱り飛ばすかのように、雷光が閃いた。

 一瞬、明るくなった辺りで、あまりにも広く立派な参道が白く浮かび上がる。

 沙織の墓の脇を抜け、騎道は参道を見渡した。

 両脇を固めて、同じ形の墓碑が列を成している。

 沙織の墓は一番端に当たる。転々と遡ると、墓は少しずつ古びてゆく。その先。参道の正面に、見事な自然石の一面だけを磨いた、御影石の墓碑が屹立している。

「……ここに……」

 出会った衝撃と同時に、騎道は強い悲しみと寂しさを覚えた。ここには、そんな虚しい感情だけが染み付いている。

 そうさせたのは……。

 悔いている暇はない。騎道は、彼女たちの墓碑に背を向けた。

 すべてが、御鷹姫へと巡り付く。

『血の呪縛』の意味も、彼女が解いてくれるのだろう。



「御鷹姫に連なる墓碑には、奇妙な符号がありますね」

 凄雀が切り出す話題に、住職は、承知の上と顔色を変えもしなかった。御鷹姫を語るには、避けて通れない事実が女たちの墓にはある。

「すべて女性、揃えたように享年27歳。

 没した時代も比べれば、興味は尽きないように思えます」

 こくりと、煮付けを口に放って、住職は認めた。

「その上、藤井家の菩提寺と同じ場所に眠るというのも、道理は通らない」

「さよう。藤井家は、三百年ほど前、この地に没した沙紀(さき)姫を祖としております。

 沙紀姫は、さる公家のご出身。第六代藩主羽島はしま隆都(たかひろ)様のご正室候補として、京よりお出になった方でした。

 隆都様の事実上の正室。唯一の側室であった御鷹姫にとっては、憎い恋敵。御鷹姫が狂死する因となったと、後々にも噂されるお方です。

 あの連なる墓碑は、すべて、藤井家に所縁のある方々が眠っておいでです。

 先ほど、お会いになった藤井のご長女も、いずれは……」

「御鷹姫の呪縛に屈すると?」

 老僧は、身動ぎもなくはらりと、涙の滴を落下させた。

 三百年以上、連綿と続く呪いは、罪深く哀れだった。



「……あ……、椎野さん……?」

『佐倉』の表札を確かめてから、玄関先の引き戸を引いたはずだった。現れたのは、ハイネックのセーターにジーンズというリラックスした姿の椎野鈴子。

 クラスメイトなのだが、騎道は立場が弱い。椎野の親友である佐倉千秋を、なりゆきとはいえ騎道は危険に巻き込んでしまった。警戒されるのは、当然のことだった。

 ほけらっと硬直した騎道を、椎野は更に追い詰めるクールな視線で見下した。ほとんど、あつかましいセールスマン扱い……。蛇に睨まれた蛙だ。

 ドカカカッと雪崩込んできて、椎野の鉄の視線を粉砕してくれたのは、幼女二人に少女一人。勢いづいて椎野に抱きつきながら、興味津々でお客を眺めた……。

「おわっ。また男が来た」

「おねーちゃんって、モテるの?」

「目つきの悪いキリンよりは、ましね」

 ……今度は、檻の中の珍しい動物扱い……。

「ちあきー。あんたのお客。私はこっちのサルどもを、お風呂に入れてあげるから。交替」

 ほらほらっサル、と、口では言うものの、見事になついているメスの子ザルたちは、おとなしく連行されてゆく。

 ショートカットで服も男っぽい椎野の背中が、どうしても彼女たちの兄貴分に見えることは、否定できなかった。

「騎道さん?」

 奥から姿を現した佐倉は、ほんのり頬を上気させていた。

 かすかに漂う、入浴剤の香り。と、子供たちの絶叫……。

「……ごめんなさい。でも、気にしないで。妹たち、おフロが嫌だから逃げ回ってるだけなんです」

「思ってた通り、楽しくて賑やかなお家だね」

 子供たちを見る椎野の視線の優しさを、騎道は始めてみた気がしていた。この家だけでなく、あんな表情がもっと開放されるといいと、騎道はチラリと考えた。

 案外、犬猿の仲である彩子とも、気持ちが通じるかもしれない。二人とも、どこか似通っているのだから。



 佐倉家は、大家族でにぎやかな母屋と、隣り合った工場、その工場を挟んだ離れの三つに棟が別れている。

 佐倉の案内で、再び雨の中をくぐり、騎道は離れに向かった。騎道には意外なくらい、早い展開だった。気がせいて、明日佐倉に会えばいいだけなのに、自宅を訪ねてしまっていた。それが、今夜にも彼と対面できるとは。

 離れの軒先に辿り着き、騎道は佐倉を引き止めた。

「佐倉さん。ごめん……」

「気にしないで下さい。おじは、お客様は大歓迎なんですよ。特に、自分の研究を聞きに来てくれる人は」

「あ……、そうじゃなくて……、それもあるけど……。こんな時間だしね」

 決して、初対面の人を訪問する時間ではない。

「君を危険な目に遭わせたことを、ちゃんと謝りたかったんだ」

 くすりと、佐倉は笑った。

「鈴ちゃんが、騎道さんと話しをさせてくれかったですものね。でも、わたしは全然、気ににしてません。鈴ちゃんだって怒ってないんですよ。ほんとです」

 騎道は、ほっと肩を下した。

 少し、恥ずかしそうに、佐倉は続けた。

「あれから、自分が強くなったような気がするんです」

「佐倉さんは、前から強かったよ。

 それで、田崎君とは話しをした?」

 内気な頃の彼女そのものに、佐倉はうつむいた。

「……毎日、お見舞いにきてくれて。優しい人です」

 それだけ言って、佐倉は玄関を開け、奥へ上がっていった。一途な田崎の片想いは、成就したらしい。強くなったと佐倉に感じさせた理由の一端は彼が握っているはずだ。



 離れに住まう人物は、佐倉のおじであり、この街の歴史研究家の一人だった。

 和室の居間に招かれて、騎道は自分の思い違いに目を丸くした。

「ようこそ、騎道さん。姪から武勇伝は聞かれています。

 耳にタコができるほどにね」

 にこやかに笑って騎道を迎えたのは若い男だった。清潔なブルーのシャツに、几帳面な折り目のある黒いズボン。色白の細面は、理知的な黒い瞳を引き立てている。

 30代前半。渋い半てんなどを羽織って、気取る様子もないので、さらに若く見える。

「私が春日です。若輩者で、驚きましたか?」

 すみませんと、素直に認め、騎道は春日と向かいあった。

 コーヒーを差し出した佐倉の目も笑っている。見比べれば、二人は兄妹でも通る。春日の、年の離れた長姉が佐倉の母親である。物静かな顔立ちが似るのも当然だった。

「地方史研究家と名乗っていても、調査のほどとんは私の父が行ったもので、私はアウトプットの役割を務めているだけなんです。

 父は自分の頭に知識を詰め込むことに生き甲斐をもっていた人でした。発表するとか、それで稼ぐといった賢さもなくて、姪の祖父の理解がなければ、もっと早くに志し半ばで亡くなっていたでしょう」

 春日恭一。彼は、騎道が思い付ける限りでは、その知識をもっとも信頼できる史家だった。生憎、彩子の言った史料館は、この時間では閉館している。騎道は、できれば一刻も早く、すべてを知りたかった。

 彼は、自分には時間的な猶予はないと、悟っていた。



 落涙する住職を穏やかに見守りながら、凄雀は杯を置いた。

「……これは、醜態をお見せした……」

 袖で拭うのを待って、凄雀は住職の杯を満たした。

「御鷹姫の呪縛は、彼女の死から現代まで、続いているというわけですね」

 住職はうなずいた。

「それは、途絶えているはずの彼女の血に由来する。

 その血の中で時折、先祖返りとも呼ばれる、突然変異をよぶ可能性もなくはないでしょう。

 たとえば、御鷹姫とまったく同じ容姿、もしくは一部を似通わせた女性が生まれることも」

 目を上げて、住職は杯を卓に置いた。

 長い時間の物語を、話さなければならなかった。




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