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(五)

 うつむいたまま山門を出て、彩子はほおっと息をついた。

 音を立て始めた雨音に顔を上げる。鞄が重い。あたりは真っ暗で、ぽつりぽつりと距離を置いた街灯だけが明るかった。

「騎道を、追いかけなくちゃ……」

 どこに行ったのか、見当もつかなくて途方に暮れる。

 傘を開いて、左右を見比べると。

 15メートルほど先の板塀から、人影が体を起こした。

 駆け寄ると、騎道はびっしょりと濡れた前髪を払い、肩をすくめた。レンズを伝う雨粒のせいで、泣き笑いの顔に見えるのが、吹き出してしまいそうだ。

「ごめん。彩子さんに、嫌な思いをさせて」

「何言ってるの? 自分で連れてきたんじゃない。

 うまくクッション代わりができたでしょ?」

 まだ、騎道は戸惑う目をしている。彩子は、鞄と傘を横柄な態度で差し出した。

 苦笑した騎道は、傘を差し「助かりました」と、折り目正しく頭を下げた。

「彩子さんに、あの人は何か言いませんでしたか?

 君を、傷つけるようなことを……」

 彩子は首を振った。

「なーんにも」

「……。彼は、僕のことを極度の依存症だと信じてるんだ。

 いつまでも子供扱いされるけど、僕だって変わってきた。

 今の僕を、信じてほしいのに」

「あの人、自分が世界の中心みたいな顔をしてるんだから、騎道が反抗するのは当然よ。今までガマンしてきた方が不思議だわ」

「……彼は、そういう人だから」

 呟く騎道に、恨みがましさはかけらもなかった。

 送ると促す声に、彩子はうなずき、二人は雨の中を歩き出した。

「考えていたよりも、立派なお寺だった」

「そうね。この街では、一番じゃないかしら」

「沙織さんはどうしてここを選んだんだろう」

 その件では彩子は即答できた。よく知られたことである。

「藤井家の菩提寺だからじゃないかな。藤井家は代々信仰心が厚くて有名なのよ」

「それならば、なおのこと妙だな。沙織さんは、家と決別しようとしていたんです。光輝を選んだことによってね。

 ここでなくて、他を選ぶのが自然なのに……。!」

 寺院の板塀がとぎれかかる頃、騎道は体を堅くし、足を止めた。前方の、雨が作る白い靄を見透かし、鞄を抱えた左手で彩子を引き止めた。

「……どうしたの……?」

 騎道は、警戒心をあらわにしている。緊張で張り詰めた横顔は、危険で美しい獣のようで、彼の端正さを高める。

「いや……。ごめん、錯覚だった……」

 自分のささやかな失態を、彼は恥じた。

「ほんとに……? 見たんじゃないの? 幽霊を……?」

 やや、本気で青くなっている彩子を、騎道は驚いて見た。

「このあたり、出るのよ。御鷹姫の幽霊が。

 ちょうど、今の時期。慈円寺には、彼女のお墓もあるの」

 御鷹姫の名前に、騎道はさらに瞳を大きくした。

 騎道の驚愕はそこまでで、真顔になって思案する。

「さっきから彩子さんが変に女の子らしいのはそのせいですか。いいチャンスだったから、もっと怖がらせればよかったかな」

 などと言う……。

「幽霊の正体見たり……」

 と、てくてくと歩を進めて、騎道は指差した。

 追いかけた彩子は、幽霊のあでやかさに目を見張った。

「……これ、さざんかの花ね……。きれい」

 庭から大きく広がった枝が、人の背丈ほどになっていた。

 闇の中に浮かぶ白い花弁は、たおやかに咲き誇っている。

「彩子さん。今の時期に幽霊が出るって、どういうことですか?」

「もう……、あたしを怖がらせて何が楽しいのよっっ」

 そういうつもりはありませんって……、と騎道はニコニコしてる。あー、もうっ。おとぼけナイトっ!

「詳しく知りたかったら、田崎君に聞いてよ。彼、オカルト研究同好会だから、よーく知ってるはずよ。

 他には、秦野(はたの)山の中腹に歴史資料館があるからっ」

 とにかく、彩子はこのあたりを離れたくて、先を急いだ。

 気のせいだろうけど、誰かの冷たい視線を感じる。

「ああ、今朝、教室に来てましたね。目撃者がどうとか?」

 後を追い掛ける騎道は、のんびりしている。

「桜川通りが頻繁に目撃されるからって、あそこを通学路にしている生徒に協力を頼んでるの」

 さすがに、幽霊との対面を喜んで引き受ける者はいなかった。逆に、自分が張り込みをしろと言い返されて、田崎は「勿論」と涼しい顔で答えた。

「あの通りって、真っ直ぐ学園に向かってる?」

「そう。慈円寺から学園の裏にある社までの間を、行ったりきたりしているっていう話しよ。

 丁度、11月半ばに学園に辿り着くことになってるって」

「そうして、鎮魂祭を?」

「ええ。その後は、御鷹姫は絶対に現れないの」

 姿を完全に消すけれど、また季節が巡ると彼女は彷徨い出す。哀れな繰り返し。同じ女性としては、気の重い話しでいたたまれない歴史だ。

「鎮魂祭は何時?」

「毎年11月15日と決まっているんだけど。今年は学園祭と重なるから日程をずらしてもらったの」

 見覚えのある教会の前に来て、彩子は足を緩めた。

「白楼会との調整役は彩子さんの仕事でしたね」

「無理だと思ってたけど、あざみ姫と顧問の篠屋教頭があつさり同意してくれて助かったわ。

 一番の難関だと覚悟してたのよ。二日も早まったんだもの。幹部は早すぎて鎮魂の意味をなさないんじゃないかって、言ってたけど。……そういうものなのかな?」

「藤井さんに異論がければいいんじゃないかな。そっちの方面にも詳しい人だろうから」

 騎道は気にかけるでもなく、そう言った。

「ん……。でも、日をずらしたら祭りの意味がないなんて言われると心配だな。……何か起きそう」

「らしくないな。そういうのって、迷信でしょ?」

「笑わないでよ。御鷹姫って怖い人なんだから」

「どんなふうに?」

「…………。うまく言えないな。

 それに夜に話す気になれない……」

 口をつぐんだ彩子は、ちょっと顔をしかめた。

 ほんの少しだけ、右足首に痛みが走った。歩く度、筋がったような感覚で、気になる程度だが。

「彩子さんを怖がらせるくらいなら、本当に怖い人なんだ。

 ……かわいそうだね。いつまでも、生者の世界に未練を残しているなんて」

「……生者の世界……」

 騎道の言葉を、彩子が繰り返した。

「帰してあげられないんだね、鎮魂祭でも。死者が在るべき楽園に」

 彩子は、騎道に向けた視線を、そっと逸らした。

 楽園とつぶやいた騎道が、遠のいたような気がした。引き止めようと、咄嗟に考えた自分に気付いて、彩子は唇を引き閉じた。

 よく、わからない……。

 かなり近くに居て、他の人間が知らない騎道の顔を見てきたつもりなのに、まだ騎道には計れない部分がある。

「彩子さん、夕ご飯の買い物はいいんですか? ついでだから、寄っていく?」

 こんなふうに騎道は、彩子に近付いてもくるけれど。

 ガードは堅い。

「ううん。今日はいいの」

 二人は、飛鷹家ご用達のスーパーマーケットの前を素通りする。

 彩子は、右足が重くなりはじめていて、戸惑っていた。

 騎道に知られると、きっと……肩くらいは貸すと言い張るだろうから、言えなかった。

『彼氏ができた』などという根も葉もない噂が、隣近所に広まるのは防ぎたいのだ。一年半前の事件で、もう十分、話しの種は提供してきたのだから。

「明日、三橋の残念会をしようよ」

 自宅が見える路地に来て、彩子は思いきって切り出した。

「だから、かならず学園に来て」

 彩子は騎道の足を止めさせた。

 目を丸くした騎道は、彩子以上に真剣な表情で返した。

「心配ないよ。僕はどこにも行かないから。

 ……タフだな、彩子さんは。学園祭の準備で忙しいんでしょう? 連城さんの代理で大任なのに」

「大丈夫。完璧に仕上げて学園祭を成功させて、学園長代行を見返してやらなきゃ、気がすまない気分なの」

 騎道はまいったと笑いだす。彩子も、ジョークで言ったけど、本気になりそうな自分がおかしかった。

「そういう所、大好きだな」

 彩子の笑みが凍った。くるりと傘を回し、歩き出す。

「……。私は、騎道の冗談みたいな、今の態度が嫌い」

 耳を疑う……。本気じゃないのに……。

 騎道はすっと、隣に並んだ。

「……フラレたかな?」

「そう」

 そっけなさに、冷たさも加えて答える彩子。

「彩子さんに近付く男は、みんなふられるのかな……」

 独り言だから、彩子は無視をした。

「約束した張本人の光輝が破ったんだから、あれはなかったことにするよ。……もう、決めた」

 彩子は前を向いたまま、騎道を怒鳴りつけた。

「! なんのことよ……!」

 ズキンと、強い痛みが彩子をよろめかせた。

 一瞬、息が詰まるほどで、気付いたら騎道が腕を取って彩子を支えていた。顔を上げ目をあわせて、わかった。

 騎道はすでに気が付いていた……。

「あの事件が何なのか、何が起きているのかを近いうちに話すよ。やっと、わかってきたから。知っている限りを。

 ……僕自身のことも、聞いてもらう」

「話したくないことなら、いいわよ……」

 怒り出しそうだったのに、騎道の目を見ていると、別の感情が波立ってくる。『すき』だなんて言って混乱させて、けれども、騎道は真剣で……。戸惑う、わけもなく。

「そこから話さないと、うまく説明できないから」

 仕方ないんだ。そんな苦笑を作ると、騎道は静かに彩子を一人で立たせた。

「また、明日」

 心配する素振りのない騎道。促され、彩子は不安な気持ちをこらえた。そろそろと右足を引きながら家に向かった。

 事実、自宅に入ると、痛みは嘘のように消えていた。

 玄関に座り込み、彩子は長く溜め息をついた。誰かに対してでも、何かに向けたわけでなく。



「……いろんな手を考える人だな……。

 何百年も生きていると、そうなるものなのかな」

 彩子を見送って、一人苦々しく思う騎道。

 白いさざんかの影に、彼女が佇んでいたことは事実だった。ただの脅しのつもりか、すっと闇に溶けていったが。

 彩子の姿が消えると、辺りを見回し人気のないことを確かめた。鞄を傘をもつ手に抱え直し、空いた右手を眉間に触れさせた。瞬間的に、右手が白く輝く。

 同時に、騎道が眺める一軒の住居。飛鷹家の敷地を隙なく囲んでいた青い薄火が、その炎を力強く燃え立たせてみせた。この炎は騎道にしか見えない。

 一昨日の夜に、騎道が巡らせた結界である。

 破られていないことを確かめて、騎道は立ち去った。

 この内部に居るかぎり、彩子は悪意の影響を受けることはない。




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