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彼が彼女に惚れるまで

作者: 葉月

『君のことが好きだ!』


そう素直に言える人はこの世界にどれだけいるだろう。俺には無理だ、絶対無理だ。頭はそこそこいい。クラスでも中の上ぐらいでスポーツもそこそこできる。ちなみにサッカー部に入っている。そんなわけで友達は多い方だ。まぁその辺にいる普通のなんの変鉄もないただの男、母親には『あんたって可もなく不可もないわよね』なんて笑顔で言われてしまう様なごくごく普通の一般的高校生の俺ですが。

この度、『好きな人』ができました。


『好きな人』とは同じクラスの橘さん。

特にモテているってほどではない普通の女の子だ。

背中にかかる黒髪は綺麗なストレートで、普段はそのままおろしていたり二つに縛っていたりピンで上にあげていたり。バリエーションは様々だ。体育の時などは一つに縛り尻尾の様に揺らしている。背は高くもなく低くもなく、背の順では真ん中らへんにいつもいる。


そんな彼女を好きになったのはある昼休みの事だった。先生に頼まれた俺はプリントを持っていた。両手で必死に抱えるほどの量のプリントだ。それを持ちながら長い渡り廊下を必死に必死に歩いていた。


「なんで俺一人なんだよ、ととっ」


ずり落ちそうになったプリントを抱え直し、文句を溢しながら歩いていた俺だったが、その時。回りに誰もいないのを図ったかのように突風が吹いた。当然持っていたプリントは大半飛ばされていく。


「・・・俺一人で拾うのか」

悲しいかな、飛ばされたプリントは自分で拾うしかなかった。


で・・・

誰かが通りかかって手伝ってくれるでもなく、橘さんが俺を見かけて『大丈夫?私も手伝うネ』なんて拾うのを手伝ってくれてその優しさと気遣いにフォーリンラブ!なんてベタな展開はもちろんなく。一人黙々とプリントを拾った俺だった。


プリントを無事拾い終えた俺は『プリントは家庭科室へ持っていけ』という先生の伝令で家庭科室へと向かっていたわけだが。そこでサッカー部の友人、高橋と出会った。


「大量だなー田中」


俺の名前は田中である。


「先生に頼まれてなー。一人に持たせる量じゃねーだろと思わねぇ?」


高橋とはクラスは違うがサッカー部で知り合いすぐに意気投合してよく遊びに行った。家に遊びに言った事もあるし高橋が遊びに来た事もある。今ではサッカー部の中で一番気のあう友達になっている。


「じゃ、頑張れよ田中」


そう言って俺の肩を叩き走り出した高橋に『手伝ってくれねーのかよ』と当然叫ぶ俺だったが、高橋は『用事があるんだよ』といって逃げていった。こーいう奴だ、高橋は。


大量のプリントを持って家庭科室へ向かう俺を見て、『大変そーだな』『田中、落とすなよー』『何のプリントだ?』『頑張れよ田中』などの声はかけてくれるのだが、誰も手伝おうとはしてくれない。そんな状況の中、向こうから橘さんがやって来る。

「重そうだネ、大丈夫?」

「大丈夫じゃねーよ、手が痺れそうだ」


弱音を吐く俺。


「家庭科室まで後少しだから、まっ頑張れ」


笑顔で手を降り通りすぎた橘さんに『結局誰も手伝ってくれないのかー』と肩を落として歩いていると後ろから手が伸びてくる。


「しょうがないから手伝ってあげる」


そう言い俺の持っていたプリントを3分の1ほど持って軽く振り向き笑った橘さんは、小走りに家庭科室へと向かっていった。その笑顔と優しさと照れた様に走り出した彼女にフォーリンラブ!


なんて事は勿論だがなかった。


橘さんは俺に声をかけることもなく、俺もこの時はまだ好きになっていなかったので特に橘さんを気にする事もなく、二人はすれ違ったのである。


プリントをまた落とすことなく無事家庭科室へ着いた俺は、教壇にプリントを置きそのまま少し休憩する。窓をあけて外を見ると先程会った高橋が友達らと一緒に元気に走り回っていた。『用事がある』そう言った高橋の用事は友達と外で遊ぶ事、だったのだ。そんなトコだろうと思ってはいたが。


薄情な友達を暫く観察して、ふと目線をそらすとそこには猫と遊んでいる橘さんが見えた。猫は子猫なのだろうか、まだ小さく見える灰色の猫で橘さんの手には猫じゃらしだろう物が握られている。猫は『ニャーニャー』と鳴いて必死に猫じゃらしを捕まえようとしている。橘さんは猫じゃらしが捕まらない様右に振り左に振り、時には上にあげたりして猫をからかっている。


猫と楽しそうに戯れる橘さんを見てドキッと心打たれる事は、言うまでもなくなかった。ただ『あーあ、あんな所で猫と遊んじゃって。見つかったら叱られるぞー』

そう思っただけの俺だった。


窓を締め、家庭科室を出た俺は自分の教室に戻るため廊下を歩いていた。あの先生のせいで貴重な昼休みがあと10分もないではないか、そんな事を思っていた時後ろから『田中君』と声をかけられた。


振り返るとそこには、今はまだ好きになってはいないがこれから好きになるクラスメイトの女の子、橘さんがいた。先程まで猫と遊んでたのに瞬間移動でもしたのか?この時はそんなことを思ったりもした。


「何、橘さん」

「先生が呼んでた、職員室に来いって」


それだけ言うと用は済んだといった感じで『じゃ』と言って離れて行った。普通のクラスメイトならこんなもんだ。


俺は、またあの先生何か押し付ける気かと嫌気がさしたが、無視するわけにもいかず職員室に向かい、見事先生に厄介事を押し付けられる事になってしまった。


職員室での厄介事を終える頃には昼休みなど後2分もなかった。先生に文句をいい駄賃がわりに奢ってもらったジュースを飲みながら教室へ向かう。その途中、前を歩く橘さんを見かけた。同じクラスなのだから当たり前だが。今日はよく橘さんを見かけるなぁと俺はこの時思ったものだ。橘さんは友達と楽しそうに話しながら歩いていたが、後ろにいた俺の飲んでいたジュースを見て、今日はツインテールに縛っていた黒髪を揺らしながらこっちに走って来た。


『それ、すごく美味しいよねっ』と指差し、走ったからだろう乱れた髪を直しながら満面の笑みで言った。


ドキッ、とした。


俺は動けずに喋る事もできずにただ立ち止まってしまった。


俺の飲んでいたジュース『オレンジちゃん』を指差し美味しいよねと言って笑った彼女。満面の微笑みで、自分だけを見て笑った彼女。それだけ言うとまた友達の元へ走って戻った彼女。

俺はきっとその時から彼女、橘さんの事が気になって気になって仕方がなかったのだろう。


そう、彼女にドキッとしたこの時から。



『彼女の自分だけに向けられる満面の微笑み』




ではなく、彼女の持っていた『一冊の本』にドキッとしたその時から。

彼女の持っていた本。それは彼の母親が趣味で書いて『売れるはずがないよ』と周りに言われたが母親の独断のもと出した本だったからだ。



彼は動けなかった。

なぜあんな物が俺のクラスメイトの手にっ!


それが彼が彼女、橘さんを初めて気にし出した経緯である。


その後、彼は母親が書いた本『何これ珍妙記』なる物をなぜ橘さんが持っているのか、どこで手に入れたのか、なぜ読んでいるのか、など気になりつつも聞けない状況にいながら日々を過ごしていくうちに


いつからだろう。


彼女の声が、意識していなくても耳に入ってくる様になった。


彼女の顔が、前は普通に見られたのに、話しかけられても直視できない事があった。


彼女の姿を、今どこにいて何をしているのだろうと考えている自分がいることに気付いた。


彼女の笑顔で、どーしようもなく『抱き締めたい』と思ってしまう自分がいることに気付いた。


気付いた時には、『只のクラスメイト』から『ちょっと気になるクラスメイト』、そして『凄く気になるクラスメイト』へと彼の心は変わっていった。



そして、それが『恋する好きなクラスメイト』になるのに、時間はそうかからなかった。


好きになるきっかけは母親が書いた『一冊の本』だった。

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