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オタクに優しいギャルは、俺がオタクを辞めたら降臨した

作者: ひとえ
掲載日:2026/06/12


「オタクに優しいギャル、育てるわ」


「何、急に」


 立野健吾(たつのけんご)の漏らした言葉に、前の席の小池江美(こいけえみ)が振り返る。


 ざぁざぁと雨音の響く、六月の蒸し暑い教室。


 授業そっちのけで考えていた妄想を、健吾はチャイムが鳴り終えると同時に吐き出した。


「期待して高校入ったのに、オタクに優しいギャルなんかどこにもいないじゃん」


「そんなの、二次元にしかいないに決まってるでしょ」


 呆れ顔の江美が、中指で眼鏡を持ち上げる。


「しかも育てるって、意味わかんない」


「それはだな」


 健吾がキラキラと目を輝かせる。


「オタクに優しいギャルってのは、オタクに優しい女の子とギャルが合わさったものだろ?」


 つまりだ、と健吾は得意気に自身の顎を指で挟む。


「オタクに優しい女の子、すなわち俺に優しい女の子をギャルに育てれば、この世にオタクに優しいギャルが降臨するのだよ」


「バカじゃないの。ちょっと真剣に聞いて損したわ」


 前を向こうとする江美を、「待ってくれよ」と健吾が引き留める。


「今年一の神アニメ、『オタクに恋するギャル』の(れい)ちゃん! 小池も見てただろ。俺も零ちゃんに「勉強教えてあげるね」って言われてぇんだよ」


 健吾はすがりつくような瞳で江美を見つめる。江美は周囲を気にするようにきょろきょろと辺りを見回した。


「わかったからあんまし大きい声出すな」


 江美は口元を隠すように手を添え、「今はアニメ好きなの内緒にしてるって言ったでしょ」と釘を刺す。


 健吾と江美は同じ中学校からの知り合いで、アニメや漫画の趣味が合うことから意気投合して仲良くなった。帰りに公園に寄って、日が暮れるまで語り合ったりするほどに。


 ただ、高校に入学してからの江美は、クラスでのヒエラルキーを意識してかオタク趣味を隠すようになった。


「まぁ、立野の好きにすれば。その、あんたに優しい女の子ってのが、ギャルになってくれるといいね」


 素っ気なく言う江美に対し、健吾はきょとんと目を丸くする。


「いやいや、俺と仲良い女の子って小池だけだから」


「えっ?」


「なってくれるよな? ギャルに」


「はぁっ!?」


 漏れ出した驚きの声を抑え込むように、江美は自身の口に手を当てる。そしてまた、クラスメイトの様子を(うかが)うように首を左右に振った。肩にかかる彼女の黒髪が、静かに揺れる。


 休み時間に入った教室内は、雑談に花を咲かせる生徒の声で賑わっていた。誰もこちらを気にしてはいない。


 江美は胸に手を置き、安堵したように息を吐く。


「もう六月だよ。今更私が何の脈絡もなくギャルになったら意味わかんないでしょ」


「ダメなのかよ」


「女子にはいろいろあんの」


 首を傾ける健吾に、江美は後頭部をかきながら小さく唸った。


「あっ、そうだ」


 少しして、何か思いついたように江美が言う。彼女が窓側後方の席を見やり、健吾はその視線をなぞった。

 クラスで目立つ男女五人が、はしゃぐように話をしている。


 江美は視線を健吾へと戻し、ニヤリと口角を吊り上げた。


「オタクに優しいギャルがいいんでしょ。なら、素直にギャルに優しくしてもらったらいいじゃん」


 健吾は苦笑いしながら、もう一度五人組を見た。一人座った女子を中心に他の生徒が集まっている。


 あの女子に優しくしてもらえと江美は言っているのだろうと、健吾はすぐに理解した。


 斎藤梓(さいとうあずさ)


 頭髪検査をぎりぎり通過できる茶色い髪。着崩した夏服と短めのスカート。


 入学初日、健吾だけでなく誰もが思ったことだろう。


 ギャルがいると。


 江美の言うことは理解できる。確かに、梓と仲良くなって優しくしてもらえるようになったら健吾の願いは叶う。


 けれど健吾は梓と数えるほどしか話をしたことはない。


 思い切って、「数学の課題って、いつまでに提出だっけ」と聞いたことがある。「明後日だったよ」と梓は眩い笑顔で答えてくれた。話をしたとカウントするのも微妙な事務的な会話。


 梓は優しかった。でも健吾の求める優しさはもっと別のところにある。


「どうしてもギャルになってくれないのか?」


「どうしてもよ。そもそも、自分の願いなんだから、自分で行動して叶えなさいよ」


 江美の言葉にハッとした。そもそもが図々しい願いなのに、自分から何もしないなんてのはさすがに虫がよすぎる。


 江美がピシッと健吾の腹部を指差した。


「まずはそのお腹をなんとかすることね。人と仲良くなるのに第一印象は大事よ」


 健吾は苦笑しながら大きくなった腹部をさする。夜遅くまでアニメを見ながら菓子を食べていたせいだ。ギャルに優しくしてもらいたいなら、その隣に立っても恥ずかしくない男になるべきだろう。


「わかったよ。俺、斎藤さんと仲良くなってみせるから」


「やるだけやってみなさいな」


 健吾の宣言に、江美はやれやれといった様子で両手を広げた。




♢♢♢



 梓と仲良くなると決めてから三か月が経った。


 廊下の窓越しに見える中庭の木。緑一色だった葉が少しずつ黄色を帯び始めている。その近くでブルーシートを敷き、たくさんの生徒が色とりどりの空き缶を並べていた。もうすぐ文化祭だ。


 彼らはモザイクアートを作っているのだろうか。まだ完成にはほど遠いが、恐らくあれは、春のクールにやっていた深夜アニメ、『にゃんこザムライ』のにゃい(ろう)だ。健吾はそのアニメを、毎週欠かさずリアルタイムで視聴していた。


 そこから目を離した時、たくましくなった自身の姿がぼんやりと窓に映る。健吾は思わず足を止めた。


 健吾はひたすらに自分を磨いた。全ては梓と仲良くなるためだ。


 筋骨隆々の男性がサムネの動画をタッチし、見よう見まねで始めた筋トレ。


 画面の中の男に励まされながら二週間が経過したころには、安価なトレーニング道具を買ってみたり、食事にも気を使うようになっていた。


 健吾は窓に向かって両腕と腹にぎゅっと力を入れる。服の上からでは見えないが、かなり腹筋が浮き出るようになってきた。


 体だけじゃなく、髪も眉も服装も、見えるところは全て作り込んだ。話のネタになるだろうと、興味のなかったアイドルや、配信者の動画を見るようにもした。勉強やアニメを見る時間すらもおしんで。


 その結果が――


「何してんの、そんなところでぼーっとして」


 梓が背後から回り込み、後ろ手を組んで健吾を見上げる。


「なんでもないよ。ちょっとにゃい郎が気になって」


 梓が窓を開けて下を覗く。「うわっ、すごーい!」と、漠然とした感想を中庭に響かせると、再び健吾に向き直った。


「てかにゃい郎って何? 健吾ってそんなアニメとか詳しいキャラだっけ?」


 楽しそうに笑いながら、梓は健吾の肩を軽く叩く。その質問に、健吾は一瞬固まった。


「俺は何でも知ってるんだよ」


 明るく取り繕い、健吾はフンと鼻から息を吐く。彼女は「テストの点数は悪いのにね」とふざけた調子で言う。


 自分を磨き、日に日に生まれ変わっていく姿を見る度に自信が湧いた。

 勢いのまま梓に話しかけると、まるで小学校の頃みたいに自然と友達になれた。


 それから健吾は学校生活のほとんどを、梓を中心としたグループと共に過ごしている。


 『梓と仲良くなる』という当初の目標は達成できたのだが。


「健吾、髪にゴミついてるよ」


 言いながら梓が手を伸ばす。小さな(ほこり)をつまんで戻ってくると、ぱっとそれを廊下の隅へやった。


「ごめん、ちょっと髪崩しちゃったかも」


 顔の前で手を合わせ、梓が上目遣いで健吾を見上げる。だぼっとした襟ぐりからのぞく浮き出た鎖骨。


「大丈夫、ありがとう」


 健吾は美容師に教えられた通りにセットした前髪を軽く整え、静かにほほ笑んだ。


「早く教室戻ろ、次体育じゃん」


「そうだったな」


 梓は優しい、そしてギャルだ。


 けれど、駈け出した梓を健吾はすぐに追いかけなかった。


 自分の焦がれた存在が、目の前にいるというのに。




♢♢♢



 放課後の教室。一通のメッセージが届いていたことに健吾は気づく。


『いつもの公園で待ってるから』


 なんの装飾もされてない文章の送り主は江美だった。


 スマホから顔を上げ、健吾は辺りを見回す。が、江美の姿はどこにもない。


 席替えをして距離が離れてから、彼女とはほとんど会話をしなくなっていた。


「健吾もカラオケ行くでしょ」


 窓際にいる梓が手を振って呼びかける。


「ごめん。今日は予定があって」


 スマホをポケットにしまい、健吾は手を挙げて謝る。「えーっ」と残念がる梓を横目に見ながら、教室を飛び出した。


 なぜか無性に江美に会いたかった。




♢♢♢



「意外と早かったね」


 青色のベンチに座っていた江美が振り返る。


 中学生の頃、よく二人でアニメや漫画の話をした人けのない公園。

 遊具はブランコだけしかなく、塗装のはがれた座席を夕日がオレンジ色に染めている。


 健吾は息を整えつつ、江美の隣へ座った。


「なんか久しぶりだね」


 こちらを覗く江美が眼鏡の奥でにっこりと両目を細める。


「一年以上、会ってなかったような気がする」


 釣られるように健吾が笑い、「それわかる」と江美はしみじみ返した。


「まぁ見違えたよね、本当に」


 江美が足元からなぞるように健吾の体を見る。


「宣言したからな、梓と仲良くなるって」


「あずさ、ねぇ?」


 膝の上に置いたスクールバッグに被さり、江美はジロリと健吾を見上げた。

 なんだかこっ恥ずかしくなり、健吾は目をそらす。


「で、どうなのよ? オタクに優しいギャルがこの世に降臨したのを見て」


 江美は姿勢を戻し、黒髪を耳の奥へと押しやる。彼女の横顔は、どこか哀愁を漂わせるものだった。


 健吾は指を絡めた自身の両手へと視線を落とす。


「よくわからないんだけど、梓はオタクに優しいギャルとは違う気がするんだよ」


 慌てて「梓はいい子なんだけど」と、健吾は訂正した。江美が呆れたようにため息をつく。


「なんで違うと思うのか、私わかるよ」


 確信めいた江美の表情に、健吾は息を呑んだ。


 江美はピンと指を立て口を開く。


「立野がオタクじゃなくなってるからだよ」


「そんなわけ……」


「じゃあ、今季のアニメのおすすめ言ってみ」


「今季は……」


 言葉に詰まった。中学生の頃は江美が少し引いてしまうほどに語れたのに。


 今は何も出てこない。


「もうほとんどアニメ見てないんでしょ」


 江美の言う通りだった。

 夜更かしは筋トレの効果を下げるということで、深夜アニメは当分見ていない。


 健吾は自身を磨くために、大好きだったはずの趣味を捨てていた。

 

「立野、クラスで全然楽しそうに笑えてないよ」


 心配そうに江美が眉を垂らす。


「そんなわけ……」


 健吾は頬に手を添える。出かかった否定の言葉は、喉を通りこさなかった。


「立野が探してたオタクに優しいギャルってのはね、ありのままのあなたを受け入れてくれるギャルのことをいうのよ」


 自分の目標を必死に追いかけるあまり、健吾は大事なものを見失っていたことに気づく。

 オタクに優しいギャルを求めるために、自分がオタクを止めるというのは本末転倒だったのだ。


 梓が優しくしてくれていたのは、本当の健吾に対してではなかった。


「ああ…… わかったよ。今まで何やってたんだろうな、俺」


「健康的な体になったのはいいことじゃん」


 下を向く健吾の肩を、江美が優しく叩いた。そして彼女は「よしっ」と気合いを入れるように呟く。


「ちょっと向こう向いててくれる。私がいいって言うまで」


「えっ?」


 江美が顔をぎゅっと押してくる。なされるがまま、健吾は反対側を向いた。なぜか彼女の手は少し熱を持っていた。


 西日が眩しくて、健吾は目を細める。背後でスクールバッグのファスナーが開く音がした。がさごそと、江美が中身を漁っている気配がする。


 落ち込んでる自分に何かプレゼントでもしてくれるのだろうか。なんて妄想を広げていたが、まだ江美からの合図はない。


 数分は経っただろうか。


 まだなのかと催促しようとした時だった。


「いいよ、こっち向いて……」


 よそよそしい声に戸惑いつつも、健吾はゆっくりと振り返る。


「小池、お前……」


 そこにいたのは、眼鏡を外し、普段は真っすぐ下ろした髪をハーフアップにした女の子。


「……どうかな?」


 そう言って恥ずかしそうに視線を外すと、後頭部でくるりとまとめられた髪が現れる。目をよく見ると、瞳を強調するように黒のアイラインが引かれていた。


「『オタクに恋するギャル』の(れい)ちゃんじゃん!」


 興奮した健吾がぐっと顔を寄せる。「近い、近い」と江美は両手を顔の前に出しながら少し身を引いた。


 完璧に同じというわけではないけれど、健吾にはちゃんと理解することができた。

 何より、江美が俺のために嫌がっていたギャルの格好をしてくれているのが嬉しかった。


「ちょっとは元気出た?」


 江美がニッと白い歯をみせる。


「もしかして、そのために俺を呼んだのか……?」


「まぁ、そんなとこ。……この格好は今だけだからね」


 照れを隠すように、江美は組んだ両手を上に持ち上げ伸びをする。


「立野が変わるように焚きつけたの私だから。それに、前みたいにまたここでアニメの話したいなって。――ちょっと寂しかったし」


 顔を伏せながら、江美は「ズクシ」と効果音をつけて健吾の肩を小突いた。


「俺も! 今日からまた見るようにするよ。てか、見逃したの夜更かししてでも全部見返す」


「そうしてくれると嬉しいけど、この間のテストの点、悪かったんでしょ?」


 嗜虐的な視線を向けられ、健吾は苦々しい笑みを浮かべた。「もう」と江美はクスリと笑うと、頬杖を突いて健吾の顔を見上げる。


「勉強教えてあげるね」


 健吾が恋焦がれたキャラクターと江美の姿が重なる。


 オタクに優しいギャルは目の前にいた。


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