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皆既  作者: 月代杏
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5:人体模型に花束を 生物準備室の噂

 ──午前三時三十分。

 生物準備室の人体模型を組み立てる。

 そうしたら、会いたい人に会えるんだ。

 あなたが心から会いたいと願っている人に。


 そんな噂話に、縋るしかなかった。


「へええ、そりゃあ興味深い!」


 響いた声はカラッと晴れた晴天。だけど鼓膜を震わせるのはびゅうびゅうと吹き荒れる風の音。締め切られたカーテンの向こうは、どうやら大荒れの嵐らしい。

 ぼうとそんなことを考えていたせいだろう。黙り込んでしまっていたわたしに、彼女はしまった、なんて言いたげに口を押さえる。


「おっと、すまない。馬鹿にしているように見えたかな。今のは本当の本当に本心からの言葉だよ。いやなに、心の底からその事象を興味深いと思ってしまってね」


 ──それが本当なら、僕も是非試してみたいところだ。


 呟かれた声は隙間風。きっとその声は、誰にも聞かれず消えていく。聞き取れたわたしの中だって、あっという間に通り過ぎていったから。


「さて、詳しく話を聞かせてくれるかな」


 こくりと頷いて口を開く。

 でも、何のために話すのだろう。

 呪いも何も、怖がる必要なんてないのに。今更全部、もう何にも関係ないのに。



 どうしても、会いたい人がいた。

 誰にも優しくしてもらえなかった自分に優しくしてくれた。そばに居させてくれた。色んな話をしてくれた。

 ずっと今が続けばいいって願うほど、嬉しくて、楽しくて、幸せで。

 ……だけど、その人はお家の事情で引っ越してしまった。どこか遠く、とてもじゃないけど行けないところに。

 また会おうね、って。

 約束してくれたけど、その話はもう何年も前のこと。いまさらその約束が果たされるなんて、とてもじゃないけど思えなかった。

 それに、疲れてたんだ。

 その人にどうしても会いたいって。今すぐじゃなくちゃ嫌だって思ってしまうくらいに。会えないならもう、死んだっていいやって思うくらいに、疲れてた。


 ──ねえ、こんな話、知ってる?


 そんな時に、生物準備室の人体模型の噂を聞いた。


 ──午前三時三十分。

 生物室の人体模型を組み立てる。

 そうしたら、会いたい人に会えるんだって。

 組み立てた人が、心から会いたいと願っている人に!


 それがたとえ信憑性のない噂話だったのだとしても、誰かの気まぐれで作り上げられたお話だったのだとしても、わたしはもうそれに縋るしかなかった。

 そのくらい追い詰められていたことだけは、どうかわかってほしい。馬鹿な女だって、頭が悪すぎるって、笑ってくれて構わないから。

 午前三時三十分。

 噂話の通りに、わたしは人体模型を組み立てた。暗闇の中に立ちつくしていた、空っぽの身体。一つ一つ臓器を入れていって、一番最後に心臓を。

 入れて、異変が起きた。

 嵌め込んだ心臓は硬いプラスチックだったはず。なのに、ばくばくと音を鳴らして大きく脈打ち始めたのだ。鼓動が部屋に響くたび、つるつるの偽物だったはずのそれが、ぬらりとした赤黒い本物みたいになっていく。

 どくん。血液が血管を走っていく。

 どくん。肺がゆっくりと膨らんで、萎んでを繰り返す。

 どくん。ぺったりと平面的だった肌が、柔らかそうな曲線を得ていく。

 奇跡が起きたと思った。

 奇妙で奇怪で不気味な光景。よくある学校の怪談話。陳腐なそれは、きっとバッドエンド。なのに心は春のよう。噂話は本物だった。出鱈目みたいな現実が、ほんとのほんとに目の前に。

 気がつけば、丸出しの臓器が全て皮膚の下に隠されてしまっていた。子供のおもちゃみたいな頭部も、あの人そのものに。

 これで、これでようやく約束が。

 そう、思ったのに。


「……え?」


 そんな笑顔、知らない。

 薄い唇が裂けていく。剥き出しの歯は銀メッキ。開かれた口から漏れ聞こえる笑い声は下手くそなバイオリンみたい。

 ぎょろりと動いた瞳が、青白く薄い膜に覆われた。


「ひっ」


 逃げたい。逃げなくちゃ。なのに身体は少しも思い通りになってはくれない。逸らしたい笑顔から目が逸らせない。見たくない景色は消えてくれない。息を吸いたいのに酸素が取り込めない。はくはくと動かす口からは声が出ない。引き攣った喉は何の音も出してはくれない。

 目の前のその人、違う、人体模型、でもない、これは何、わからない。わからないソレの手が、ゆっくりとわたしに近づいてくる。わたしの首に触れようと。わたしの首を、締めようと。


「──っ、ちが、う」


 そう。そうだ。違う。

 あの人はそんな顔で笑わない。

 あの人は、誰かを殺すような人じゃない、絶対に──!


「ちがう、ちがうちがう、ちがう!」


 首を掴もうとするその手を払い落とした。握りたかったはずのその手を振り払った。その勢いのまま、思い切りソレの顔面を殴った。

 ──あの人と、目が合った気がした。

 記憶の中と同じ、あの人と。


「──っ、は、っ、は──」


 ごろごろとこぼれ落ちた臓腑が、ごとりごとりと硬い音を立てて床にぶつかる。そこに命は感じられず、肺も腸も、心臓も、全てがただのプラスチックの塊に戻っていた。

 目の前のソレはもう動かない。

 ただ、よくある人体模型の顔がわたしを見ていた。



「……そうかい」


 窓を揺さぶるほどであった強風は、話し終わる頃にはすっかり止んでいた。日はもうとうに沈んだのだろう。夜の空気を迎えた部屋の中、目の前の彼女はその空気に溶けてしまいそうな声を出した。


「悪霊の類だったか。少しは期待、したんだけどね」


 ふうと吐き出された息は紫煙のよう。もちろん煙草なんて吸っていないのだけど、この少女であれば吸っていてもおかしくない気がした。どこからどう見たって、未成年なのにね。


「ああ、すまない、なんでもないよ。気にしないで。うん。まさかそんな話が本当にあるわけがないからね。はは、いや、僕もまだまだ修行が足りないみたいだ」


 早口でそう言って、女生徒はからからと笑ってみせる。泣きたい時は泣くべきだけど、きっとこの子は笑うことしかできないんだろう。可哀想だと、こっそり同情してみたり。もしかしたらこの子にも、会いたい人がいるのかもって、そんな親近感と一緒に。


「さて、相談内容はこの人体模型の影響についてだったね。それについては大丈夫だよ。君は何にも憑かれてないし、呪われてもいない。安心して家に帰るといい」


 ああでも、と。肉付きの良い手が彼女の頬を支える。じ、と。深い夜へと沈んだ瞳が、真っ直ぐに私を見据えた。


「一つ助言があるとしたら、電車はやめておいた方がいい」


 その目には、何が見えているんだろう。

 もしも何でも見えるのなら、わたしのこの先も全部わかってるんだろうか。

 そうだったのなら、何もかもを教えてくれればいいのに。


「……それから」


 頬を撫でていた手がシワまみれのシャツへと向かう。胸元のポケットからひょいと取り出されたのは真白な封筒。受け取って開いてみれば、中には何枚かの紙が入れられていた。

 助言だけじゃなくて遺書を書くものまでくれるなんて、この人はきっと優しい人なんだろう。会いたい人に会えるといいね、と言いそうになって口を閉じた。そんなこと言ったら、嫌味みたい。

 でも、やっぱり言いたくなってしまった。

 だって。


「もしもまだ諦められないって思えるなら、その手紙を使うといい。相手の住所は不要さ。名前と、そうだなぁ……伝えたいことを書いて、枕の下に入れておきなよ。三日以内には、君に残っている唯一の願い事が叶う」


 だって、自分が使うべき何かをわたしに譲ってくれたのだから。

 あなたはいいの、って、思わず訊いてしまう。

 少女はゆるゆると首を振って、僕のはもうどうしたって叶わないからさ、なんて小さな声で教えてくれた。内緒話でもするように。


「それじゃあね。君により良い明日が来ることを願っているよ」


 さようなら、と手を振ったこの少女とは、きっと校舎の中ですれ違う。だからまたねって言いたかったけど、やっぱり何にも言えなかった。

 それでも心の中では口にした。

 ──あなたにも、より良い明日が来ますように。

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