9:神様の言う通りに それはあなたの選択か
「今日は夕方から雨が降る。傘を持って行きなさい」
ぽつりと、そう、耳元で声が聞こえたような気がした。気のせいだと流しても良かった。テレビの天気予報は一日中晴れだと言っているし、何よりそんな謎の声に従うなんて馬鹿げている。
けれどどうにも気になって、僕は折りたたみ傘を片手に出掛けていった。
夕方。帰宅時間になって突然大雨が降り出した。朝聞こえた声の通りだ。傘を持ってきていなければ、濡れながら帰らなければならなかっただろう。
──その日から、毎日のように声は僕に語りかけた。
「そこのコンビニでパンを買って行きなさい。今日は売店では何も買えない」
パンを買った上で昼休みに売店を覗いてみたが、その日は入荷した商品が少なかったらしくあっという間に売り切れてしまっていた。
「教室の窓を閉めておきなさい」
言われた通り、自分の席の近くだけではなく教室に設置された窓全てを閉じて授業を受けた。授業が始まって数分後、大きな音を立てて鳩が窓にぶつかってベランダに落ちた。鳩はあまりにも勢いよくぶつかったせいか、授業後に先生が見た時にはもう死んでいた。
「今日は別の道から帰った方がいい」
大人しく、違う道から家に帰った。帰宅後、母からいつも使う道で事故があったらしいと聞いた。小学生の男の子が車に撥ねられたそうだ。
もしいつもの道から帰っていたら……その時は俺が撥ねられたのだろうか。わからない。だけどどうにもそんな予感がして──その直後、いつもの声が耳元で聞こえた。
「今日は部屋から出ちゃいけない。鍵を閉めて過ごしなさい」
即座に、俺は今日はもう寝ると母に伝えて自室に向かいはじめる。母は不思議そうな顔をしていたが、体調が良くないから、と適当な理由をつけて誤魔化した。
自室にこもって、三時間ほど経った頃だろうか。夜になって、暗くなって、父も帰ってきていて。
突然、居間から叫び声が聞こえた。
何事かと扉を開けそうになって立ち止まる。今日は部屋から出ちゃいけないと、鍵を閉めて過ごせと言われたじゃないか。
どうしたものかと悩んでいると、足音が自室に近づいてきた。ガチャリと、ドアノブが動かされる。鍵は閉まっているためドアが開けられることはない。ガチャガチャと、何度もドアノブを動かす音が聞こえる。怖くなって、俺は布団をかぶって目を瞑って、扉の向こうにいる誰かが立ち去るのをじっと待っていた。
気がつけば、いつのまにやら朝になってしまっていて、陽の光が窓から差し込んでいる。
起き上がって、鍵を外してそっと部屋の外に出る。家の中はやけに静かで気味が悪い。両親はまだ寝ているのかと部屋から一歩外に出たところで、ざり、と、何かを踏んでしまったことに気がついた。下を向けば、何やら赤い足跡がそこに、それはもう乾いてしまった赤黒い血の跡で。
──居間には血塗れになった両親が、もう動かなくなった両親が倒れていた。
俺が、俺があの時外に出ていれば、でもあの時出ていたらきっと俺もこうなって、殺されていて。だから俺は悪くなくて。どうして。俺はただ、あの声の言う通りにしただけで。
「──高校に行きなさい。そこで話を聞いてもらうんだ」
ぽつりと、耳元で声が聞こえたような気がした。
◇
ははあ、それでこちらにいらっしゃったと。従わなければその時は自分が死ぬかもしれない。ええ、その考えは間違っていない。間違ってはいないが、そうですね、もう遅いかと。
……何が、って。そうだなあ。選択肢を選んで攻略していくゲームがありますよね? 最後には何かしらのエンディングに辿り着く、あれ。要するにあなたはあなたの人生というその選択式のゲームの選択肢を他の誰かに誘導されてしまった。そうしておそらく、もうエンディングがどうなるのかまで決まってしまったところまで来ている、というわけですよ。
──手遅れ、というやつです。
ここに来た後でも来る前でも構いません。例の声は聞こえましたか? 特に聞こえていない? まあそれよりも、今後あなたが無事に過ごせるかどうかを心配した方がよさそうだ。
しかし……残念なことに、時を戻す道具なんざ僕らは持っていない。時を戻すお呪いも、ないわけじゃないがあれは正確には違うものですからね、ないと言った方が正しいか。
……ん、聞こえましたか。それで、声はなんて?
「今日はもう帰って、残りの一日を家で過ごしなさい」
はあ、殺人事件が起きたばかり、犯人も見つかっていない家に帰れ、ですか。僕はおすすめしませんよ。そんなことをして無事でいられるとは思えない。
どうあれ選択するのはあなたです。あなたはあなたの人生を生きるべきだ。選択権を他の誰かに委ねるべきではないし、その声の通りに動くべきではなかった。
声を聞かずに済むようにするくらいはできますが、どうしますか? ええ、わかりました、ではこちらの耳栓をどうぞ。
ひとまず5000円でお貸しします。
はい、確かに。
それではお気をつけて。どうかあなた自身の選択がなされますように。
◇
「それで、彼はどうすると思います?」
どうもこうもないだろうと言葉を返してやる。ああいう人間の末路なんざ、大昔から決まってやがる。
「はあ、そうですか。ええ、僕もそうだと思いますよ。一度そうした方がいいと学習してしまったのにそれに抗うなんてこと、そう簡単にできることじゃありませんからね」
そう。一度正しいと信じたものを、一度正解だと信じてしまったものを手放すことなんて簡単なことじゃない。人はそれに簡単に縋ってしまう。
人間は大昔から今に至るまで、ずっと弱いままの生物なのだから。
「さて、無事にあの耳栓が回収できるといいんですけどねえ。あ、部長が取りに行ってくださいますか。それはありがたい。……それにしても、未来予知なんて能力が自分に発現したとでも思ったんですかねえ。はは、馬鹿だなあ。確かに最初は比較的具体的な予報を受け取っていたみたいですけど、最終的にはこうするべき、としか言われなくなっている。そんなのは予知でもなんでもない。ただゴールに向かって誘導されているだけだ。そのゴールが、自分の望むものかもわからないままでね」
哀れだなぁ、なんてため息混じりに吐く彼女とて、己の望むゴールに辿り着けるかはわからない。
誰も、自分の望む結末にたどり着く方法など知らない。知らないことを知らないままで、楽な方へと流れて行ったのが今日の彼であった。
「さて、彼に明日が来るかどうか、それはもう誰にもわからないことになってしまいましたね。ま、そんなの彼だけじゃないか。自分に明日が来るかどうかなんて誰にもわからないことでしたね」
からりと乾いた声でそう言って、浅倉は窓の外へと目をやる。今日の予報は雨。けれど外には、黄金色の夕焼けが広がっていた。




