61.
いつも通りの朝が来た。
休日の朝は図書館で読書をするのだけれど、今日は午後からフランツさんとデートだ。
迎えに来るのは十三時――お昼を食べたすぐあと。となると、午前中に準備をしておかないと。
朝食を食べながら、アイリスに尋ねてみる。
「アイリスは、デートって何を目的とするものか知ってる?」
カラン、とアイリスがカトラリーを手から取り落とした。
「どうしちゃったんですか、ヴィルマさん! あなたの口から『デート』なんて単語が出るなんて!」
「え? いや今日の午後から、フランツさんとデートすることになったんだけど、目的がわからなくてさ」
ガクッとアイリスが脱力し、お爺ちゃんが楽しそうにカカカと笑った。
「こまけぇこたぁ気にせず、観劇を楽しんで来い!
あの腰の引けた男なら、お前に手を出すこともねぇだろう!」
私は呆れながらお爺ちゃんを見つめる。
「手を出すって……フランツさんは七歳も年上なんだけど?
二十三歳からしたら、十六歳なんて妹みたいなものでしょう?」
アイリスがカトラリーを拾いながらぽつりと呟く。
「妹とデートする人はレアだと思います……」
「じゃあ、何が目的で私とデートなんてするのよ。私は何をしたらいいの?」
お爺ちゃんがため息をついて私に告げる。
「お前にデートはまだ早い。
だからデートだと考えず、目の前にあるものを見て、聞いて、感じて来い。
それで思ったことを素直に口に出せ。
そうすりゃ、フランツの野郎も満足するだろうさ」
そんなんでいいの? そっか……。
食事が終わるとお爺ちゃんとアイリスは後片付けをしに台所に向かった。
私はクローゼットを眺めながら、今日の服をどうしようかと悩み始めた。
****
「お昼ですよー……って、何をしてるんですか、ヴィルマさん」
部屋に入ってきたアイリスに、私は振り返って尋ねる。
「着て行く服をどうしようかなって考えてたんだけど、決まらなくて」
とはいえ、私の服のレパートリーはチュニックとそれに合わせたスカートだけ。
シンプルなデザインのものばかりだから、どれを選んでも一緒ともいう。
だけどどれを選んでも『なんだか違う気がする』と思ってしまい、決めることが出来なかった。
アイリスが困ったように笑いながら、私の肩を叩いた。
「お気持ちは理解しますが、先に昼食を済ませてしまいましょう。
午後から迎えが来るのでしょう?」
私は頷いて、ダイニングテーブルに着いた。
結局、いつも通り。カーキ色のチュニックとスカートに、ケープを合わせてしまった。
姿見の前で確認するけど、なんだか不安で着替えたくなる。
だけどそろそろフランツさんが来てしまうので、もうこれに決めるしかない。
「ねぇアイリス、変じゃないかなぁ?」
「大丈夫ですよ、いつも通りで可愛らしいです」
信用! できない! その言葉!
私ががっくりうなだれていると、宿舎の呼び鈴が鳴った――時計を見ると、十三時だ。
私は諦めて、アイリスに「行ってくるね」と伝え、階段を降りた。
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宿舎のドアを開けると、フランツさんが戸惑うように微笑んでいた。
いつもの栗皮色の髪の毛は柔らかく風に揺れていて、青い瞳は期待に満ちて見える。
シンプルな白いシャツの上からブルーのジャケットを羽織り、黒いトラウザーズを合わせていた。
腰のベルトには銀のチェーンが見えており、それがポケットの中の懐中時計にでも繋がってるみたいだ。
「すまない、早すぎたかな」
私は首を横に振って応える。
「時間丁度ですし、大丈夫ですよ」
フランツさんの後ろには、大人しい服装の女性が控えている。この人が侍女、かな。
たぶんこの服が、侍女のお仕着せなんだろう。
……でも男爵家って、そんなに侍女が居るものなのかな?
「フランツさん、家に侍女って何人雇ってるんですか?」
「うちの侍女かい? 十人ぐらいだったと思うけど……まぁ、小さい家だからね」
「その中の一人を連れてきて、大丈夫だったんですか?」
フランツさんがフッと穏やかに笑った。
「彼女は私の身の回りの世話を担当してくれている。
私と一緒に行動するなら、大して仕事の邪魔にはならないさ」
へー、そういうものなのか。
フランツさんが肘を差し出してきたので、私はそれを見つめながら告げる。
「えーと……今日は別に、重たいドレスを着てる訳じゃないんですけど」
「そう言わず、エスコートされて欲しい」
まぁ、それでフランツさんが満足するなら。
私はフランツさんの肘に手を乗せて、形だけほんのりエスコートされつつ、馬車まで案内された。
先に馬車に乗りこんだフランツさんが手を差し出してくれたので、その手を取って馬車に乗りこむ。
侍女が続いて乗りこんできて、ドアが閉められ、やがて馬車が走り出した。
学院の敷地から劇場に向かう馬車の中で、私はおずおずとフランツさんに告げる。
「私の服、変じゃないですか?」
フランツさんが嬉しそうに微笑んで応える。
「いつも通り、可愛らしい服装だよ」
だから! その! 『いつも通り』が信用ならない!
私は小さく息をついて告げる。
「もういいです」
フランツさんの侍女がクスクスと笑みをこぼしていた。
「フランツ様、もう少し気の利いたお言葉を口になさった方がよろしいかと」
フランツさんは困ったように眉をひそめた。
「そうか? 褒めたつもりだったんだが、褒めきれてなかったのか?」
「まだまだ精進が足りませんね。ご研鑽あそばしてください」
私は小首を傾げながら、二人の会話を聞いていた。
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劇場の前は、馬車が順番待ちをしているようだった。
主人を下ろした馬車が走り去り、その後ろの馬車が劇場の前に移動し、また主人を降ろす――大人気だ。
フランツさんが私に告げる。
「このままだと午後の公演に間に合わないかもしれない。
ここで降りて、歩いて劇場に行こう」
私が頷くと侍女がドアを開け先に降りた。
フランツさんが続き、差し伸べてくれた手を取って私も馬車を降りる。
再び差し出された肘に手を乗せ、私たちはゆっくりと劇場に向かって歩きだした。
劇場に辿り着き、中に入ると赤い絨毯が敷き詰められ、高い天井からは大きなシャンデリアがぶら下がっていた。
フランツさんにエスコートされながら劇場の中を、人の流れに乗って歩いて行く。
開いているドアの中は座席が並んでいるのが見えて、どうやらそこで観劇するみたいだ。
ドアの中は壮観な眺めだった。座席座席座席――どんだけ座席が並んでるんだろう?
フランツさんと一緒に入ってきた場所はどうやら、二階席のようだった。
一階席は来場客の服装からして、平民が使う席のようだ。
……ということは、ここは貴族が使う席? 私が居ていいのかな?
促されて座席に座ると、私の左右をフランツさんと侍女が挟んだ。
座席の間はゆったりと空いていて、顔を寄せれば話ができるぐらいの距離だ。
侍女が「これをどうぞ」と渡してくれたのは、眼鏡のような道具。
「これは何?」
「オペラグラスです。ここからですと、ステージが遠くて見えにくいので」
――肝心の劇が見えにくい席に! なんでわざわざ座るのかな?!
貴族の価値観を理解できないまま、侍女から使い方を教わった。
ざわつく劇場内の明かりが落ちて行き、場内にアナウンスの声が響く。
「まもなく開演です。座席にお座りになって、お待ちください」
立っていた来場客たちが慌てて席に駆け込んで座っていく姿が薄っすら見える。
やがて明かりが落ち切って、ステージの幕が開いた――




