2.
午後三時――宣言した通りぴったりにヴォルフガングさんが現れた。
「やあヴィルヘルミーナ、写本はもう受け取れるかな」
私は笑顔で「ええ、もちろんですよ」と応え、カウンターの下から依頼された魔導書の写本を取り出し、彼に手渡した。
簡易装丁だけど、中身はばっちり正確に写されている。
再び中身に目を通して確認しているヴォルフガングさんに、私は尋ねる。
「あのー……どうしてヴォルフガングさんは防魔眼鏡を付けずに魔導書を読めるんですか?
危なくないんですか? 普通、魔導具で目を護りますよね?」
彼はページをめくりながら、文面を目で追いつつ私に応える。
「ああ、そのことかい? 私は術式で防護しているからね。
短時間なら、別に防魔眼鏡は必要ないんだよ」
ほー、魔導士って便利だなぁ。
私はお父さんが形見に遺した眼鏡がないと、魔導書なんて読めないのに。
満足そうに一息ついたヴォルフガングさんが本を閉じ、私に笑顔を向けた。
「術式を使えると言う事は、ヴィルヘルミーナは相応の魔力を持っているはずだ。
なのになぜ、魔導学院に通っていないんだい?」
「あー、十二歳の魔力測定のことですか?
なんか、私の番になると計器が壊れちゃったのか、まったく数値が出なかったんです。
その時の検査官が『これなら五等級でいいだろう』って言ったので、私は公式記録で五等級なんですよ」
魔力は五等級から順番に一等級まで強さのランクがある。
魔導学院に通うには最低でも三等級の魔力が必要だ。
そして平民で三等級の魔力なんて、滅多に持ってる人は居ない。
計器が反応しなかったのだから五等級の『魔力無し』と判断されたのも、仕方ないと言えば仕方ない。
ヴォルフガングさんは顎に手を置いて考え始めた。
「ふむ……興味深い話だね。
気になる点はあるが、事情は理解したよ。
それより、君の新しい働き口について話を付けてきた。
これから私と一緒に、面接に行こうじゃないか」
「これからですか?! 随分と急な話ですね……」
ヴォルフガングさんがニッと私に微笑んで告げる。
「善は急げというだろう? 先方も丁度、人手不足で困っているらしい。
君の写本の話をしたら、『是非面接したい』と言ってきた。
あとは質疑応答で君の人格面を査定すれば、結果が出るだろう」
人格かぁ……そんな面接が必要な働き口なの?
大通りにある、王都第一図書館とかかな。あそこって、蔵書がここの十倍じゃ効かないくらいあるんだよねぇ。
え、そんな大きなところで働けるの? ほんとに?
私は喜びと不安がないまぜになりながら、ヴォルフガングさんに背中を押され、彼の乗ってきた馬車に乗りこんだ。
****
走り出した馬車の中で、私はヴォルフガングさんに告げる。
「あのー、サシャに言われたんですけど、エーヴェンシュヴァルツ伯爵って呼んだ方がいいんでしょうか」
ヴォルフガングさんがクスリと笑みをこぼした。
「そんなことを気にしてるのかい?
私のフルネームはヴォルフガング・フォン・シュターケンカステルだ。
エーヴェンシュヴァルツ伯爵は領主としての爵位だね。
私個人としても、まだ呼ばれ慣れていないから、爵位よりはファーストネームで呼ばれる方が嬉しい。
そんな理由なんだが、納得できないかい?」
「えっと……ヴォルフガングさんが嬉しいなら、そうお呼びしますが」
彼がニコリと微笑んで頷いた。
「では今まで通り呼んでくれたまえ。
生徒たちからも『ヴォルフガング先生』と呼ばれているからね。
君が気にする事でもないよ」
「――先生?! どういうことですか?!」
ヴォルフガングさんが楽しそうに微笑んだ。
「おや? 言ってなかったかな?
私は王立魔導学院で教鞭を執っている。教授職だね。
生徒たちに魔導を教えながら、自分の研究を進める日々さ。
――この写本も、今の研究に必要なんだよ」
うわ、王立魔導学院の教授とか、エリート中のエリートじゃないの?!
そりゃあ貴族様だし、偉いのは間違いないけど……。
なんだか緊張してきたな。
そわそわと窓の外に目をやると、丁度王都第一図書館の前を通り過ぎるところだった。
……あれ? 大きな働き口って、ここじゃないの?
私はおずおずとヴォルフガングさんに尋ねる。
「あのー、働き口って、どこなんですか? てっきり王都第一図書館あたりかと思ってたんですが」
ここ以外で大きな図書館なんて、他にあったかなぁ?
ヴォルフガングさんはニヤニヤと笑みを浮かべ私を見つめた。
「なに、すぐにわかるさ。大人しく座って待っていなさい」
どうやら教えてくれるつもりがないらしい。
うーん、意地悪をする人には見えないんだけど、私を驚かせようってこと?
私は不安が大きくなり、これから自分がどこに連れて行かれるのかと思案しながら、馬車の外を窓から眺めていた。
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馬車はやがて、大きな建物の敷地に入っていった。
兵士たちが警護する門はとても立派で、馬車が二台行き交えるほどの広さがある。
門から出てくる私と同年代の男女は、同じような白い服装をしていた――これって、制服?!
「まさか、ここって魔導学院ですか?!」
ヴォルフガングさんがニヤリと笑った。
「――ご名答。よくわかったね」
「なんで魔導学院が、新しい働き口なんですか?!
ここは王侯貴族の子供たちが通う場所ですよ?!
教職員だって、平民は居ないはずです!」
すぐに馬車が止まると、ヴォルフガングさんが私に手を差し出した。
「ならば君が、平民の教職員第一号になるんじゃないかな。
――さぁ、足元に気を付けて。ゆっくり降りるんだ」
ドアを外から従僕が開け、私はヴォルフガングさんの手を借りながら、ゆっくりと馬車を降りた。
――大きいなぁ、魔導学院!
白亜の校舎は五階建てで、様々な施設があるように見える。
もう生徒はほとんど帰ってしまっているけれど、まだ残っている生徒たちが興味深そうに私を眺めていた。
「さぁこっちだ。ついておいで」
ゆっくりと歩きだすヴォルフガングさんの背中を、私は慌てて追いかけて行った。
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ヴォルフガングさんが向かったのは、校舎から少し離れた場所にある建物だった。
校舎に負けず劣らず迫力のある三階建ての建物が、私の前にそびえたっている。
「どうしたんだい? こっちだよ」
ヴォルフガングさんの声に我に返り、再び彼の背中を追っていく。
「あの、ここってなんの施設なんですか?!」
「司書の君が働くんだ。もちろん図書館さ」
――噂に聞く、王立魔導学院の大図書館?!
一説では、宮廷図書館に匹敵する蔵書を誇るとも言われる、王都屈指の大図書館だ。
私は口から魂が抜け出そうになりながらも、なんとかヴォルフガングさんについて行った。
入り口の衛兵たちにヴォルフガングさんが手を挙げると、衛兵たちが敬礼をして応えていく。
その後ろについて行く私に、衛兵たちは怪訝な眼差しを寄越してきた。
だけど呼び止められないのは、ヴォルフガングさんが連れてるから……なのかな。
大図書館の中に入ると、中では数人の生徒たちが魔導書を読んでいるようだった。
「君はこっちだよ」
静かに告げるヴォルフガングさんは、司書が居るカウンターに向かって歩きだす。
私はなるだけ静かに歩きながら、カウンターへと向かっていった。
カウンターでは、艶やかな金髪を後ろに束ねた若い女性が待っていた。
「ヴォルフガング様、そちらが件の司書さんかしら。
随分と小さな子なのね。ちゃんと成人してるの?」
私はムッとなりながら女性に応える。
「ヴィルヘルミーナ・シュライバー、今年で十六歳です。
ちゃんと成人してますよ」
女性が楽しそうに口元を押さえ、クスクスと笑みをこぼしながら私に応える。
「あらあら、ごめんなさいね。
ちょっと背が低いから十三歳くらいかと思って。
――私はディララ・ゾフィー・オットー子爵夫人よ。ここの司書長を務めているわ。
あなたが優秀な司書だと聞いて、是非スカウトしたいと思ってるの」
私は戸惑いながら応える。
「えっと……私は平民で、王都の第五図書館の司書見習いで、十六歳なんですけど、こんな場所で本当に働けるんですか?」
ディララさんがニコリと柔らかく微笑んで私に告げる。
「それは、これから面接をしてから決めるわ。
私が『司書として問題がない』と判断すれば、必ず人事部を口説き落としてあげる。
今回はヴォルフガング様の後押しもあるから、そこは心配しなくて大丈夫よ」
どちらかというと、『務まるのか』って方が不安なんだけど……。
だって、王都屈指の大図書館だよ?! 街角の小さな図書館じゃないんだよ?!
私が不安に思っているのがわかったのか、ヴォルフガングさんが優しく背中をさすってくれた。
彼が私に優しい笑顔を向けて告げる。
「不安に思う必要はないさ。
オットー子爵夫人の質問に、素直に応えればいい。
心にやましいことがなければ、難しいことじゃないはずだ」
「そりゃ、そんなものはないですけど……」
私はヴォルフガングさんに背中を押され、司書室に向かうディララさんの後を追った。