ミラクルビバレッジ
その男は濃いめの髭を蓄え、それを顎の下で結んでいた。髭に潜むキラリと光るアクセサリーが、男の不気味さと地位を際立たせる。
そして、大男が両手に何かを握りしめていることに気がつく。
円筒型で、側面には何やら持ち手のようなものが頼りなくくっついている。
最初に思い浮かんだのは、奇妙なことに、あれはコップだ、という事実ではなく、あれはドーナツとトポロジー的に同じ形だ、という事実であった。
「あんたぁさ、これでも飲み」
僕はかぶりついた。
男にではない。コップにである。
ここの気温と乾燥で喉が内側からしっかり参っていた。それに明日のない僕にとって、コップを満たしている黄色い奇妙な液体がなんなのかはどうでもいいことだった。市場にいたときは、直接身体に害はなさそうな臭いにあらがってここまで来たのだが、脱水症状で死にかけの僕にはその生せいの機構は働かなかったようだ。たった、十数時間ほど命が延びるだけだというのに。よだれを垂らしながら生せいにしがみついている自分を笑い、不思議に思う他なかった。
本当はもっと生きてみたいのかもしれない。死が怖いのかもしれない。それとも生物としての僕のDNAが、死という特異点を避けているのかもしれない。僕にはまだ分からなかった。
案外いけるじゃあないか。
それを黄色い奇妙な液体とよぶのを辞めて、ミラクルビバレッジとでも名付けようか。自分の細胞が宴を挙げ始めたのを主人の僕は感じ取れた。少なくとも、生きることに対して肉体は積極的であるらしい。
僕はその大男に感謝の意を示した。大男は屈託のない笑顔を僕に向け、もう一杯のおかわりを持ってきてくれると言う。
自分の周りにも意識を向けられる余裕が出てきたので、意識の範囲を拡張してみる。
僕はそれまで気がつかなかった。子供達が僕の側で群れていたのだ。ざっと20人程だった。すぐさま僕は、自分の体臭がきつくないかどうかの確認に走る。だがしかし、市場で曲がった鼻はまだ治っていないようなので、諦めざるを得なかった。代わりに子供達に聞いた。
僕、臭くないかな? って。
大男が戻ってきた。今度はどうも意地汚い犯罪者のようには見えなかった。髭が特徴的な天使にしか見えないのだ。見た目がみすぼらしいとみんな僕に言うけれど、案外見た目というのは受け取る方に問題があったりするのではないか、と思えた。
そして今回も天使が両手で持ってきた、ミラクルビバレッジ。
奇跡の飲み物
奇跡というのは、こんな貧乏そうな村で人々の命をつないでいるこの飲み物に対して言っている。そして、僕に何らかの奇跡をもたらしてくれ、という期待も込めて。
それにしても、初めてだった。子供達に、君のにおいがするぅ、と言われたのは。子供はよくおかしなことを言うけれど、考えさせられる要素を含んでいることが多々ある。
初めは、君のにおいってなんだよ、とか思ったけど、こういうことなのかもしれない。
人には、においがある。腐った卵のにおい、酸っぱい肉のにおい、新緑のにおい、蜂蜜のにおい、紅葉した葉のにおい、そして、ミルクのにおい。いろいろなにおいがあるけれど、強引に3つに分けてしまおうとする人がほとんどではないだろうか。
良いにおい、無臭、そして、不快なにおい。
だけど、そんなに単純ではない。本当は、自分には自分だけの匂いがするはずなのだ。
個性。
人の数だけにおいがある。体調の数だけにおいがある。嗅ぐ人の数だけにおいは変わる。それを3つに分けてしまうのは浅はかな行為だ。本当に人間に想像力があるのならば、100億種類のにおいを言葉でなくて良いから形容してほしい。頭の中で。少なくとも、そういう心構えを持ってほしい。そういう最低限の想像力がある人が、目の前で遭遇した新しい人のにおいを「君のにおい」と定義するのだろう。
この村の想像力は、まだ失われていない。
その時、僕は強めに「君のにおい」を感じた。食欲を湧かす、生せいの累積を感じさせるにおいだ。愛を受けた植物だけが出し得る甘いかおりは、それを口に含まずとも舌に乗ってきた。そしてすぐ、それは食事を知らせるにおいだと気がついた。
僕は時計を見た。12時34分だった。お昼の時間か、と思ったが、外が柑子こうじ色に染まり、それを終えようとしていた。更に遠くの方は、ほの暗い。改めて髭の長い天使に時間を確認する。
「19時過ぎだ。そろそろ晩ご飯ださ。一緒に食べてくか?」
あぁそうか、と思う。7時間くらいの時差が有るのだ。しかし食事のタイミング的にはちょうど良い時差だなと思った。
そして、空腹で珍しくおなかが鳴った。だからというわけではない。一緒に食べたい、と言ったのは。
僕は誰かと一緒にご飯を食べる、というのは中学校の給食以来だった。医者のお父さんは次の日の朝になっても帰ってこないことがたくさんあるし、社長をしているお母さんは23時くらいに帰ってくるが、既に食事を済ませてしまっている。たまに関係者とのディナーをすっぽかしてくれるときもあるが、家に帰っても一緒には食事をとらない。僕がご飯を食べているときは、お母さんはデスクにいたり読書をしたりすることが多かったのだ。仕事だからしょうが無いけど、僕もたまには誰かと話しながら、共感してもらいながら食事をとりたいと思っている。数少ない友達にはよく「お前んちはお金持ちだからうらやましい」とか「親ガチャ成功しすぎだっての」とか、想像力の無いことを言われてきたが、僕は本当の意味で豊かではないのではないだろうか。
中学生にして、幸せってなんだろう、と何度考えたことだろう。子供達に幸せを考えさせてしまう世の中の罪は大きいと、今でも思っている。
だから僕は、一緒に食べたい、と口にした。今までの僕の経験や、胸くそ悪かったこと、少ないながらに興奮したことをついに、僕という領域の外に発信し、消化することが出来る。
そう考えたら、わくわくしてきやがる。