遠い村へ
オレンジ色から脱し、僕は僕になった。サァッと、感じたことのない風を感じ、どうやら目的の場所に到着したようだ、と安心する。
すると不意に足の裏が刺激され、岩や砂がありのまま地面に存在していることに気が付く。鬱金色うこんいろを細かく刻んだかのような砂が地を覆っており、時々照る太陽に反射して、白く発光している。空気に塵が混じり、呼吸するのも健康に悪そうだ。
そして現地の人たちだろうか。汚いものを見てしまったかのように目を細め、僕をこっそり見つめてくる。
僕は、村の市場を思わせるところに突っ立っていた。
ここでは、拳ほどはある木の実を中心に、風景に似合わず色彩豊かな作物や、逆にこうでなくちゃとおもわせるほど処理のされていないネズミのような小動物が、お祭りの屋台のようにぷらぷらぶら下げて売られている。そのエリアは、嗅ぐだけで何かの感染症にかかってしまいそうな血の臭いやなまい臭いで満ちていた。
皮膚さえ脱いでしまいたくなるような暑さのなかで、ふわふわしたズボンにセーターを着た人間がきょとんと立っているのが珍しいのだろう。現地の人たちが、声を掛けないわけがなかったのだ。
「君、この辺の人じゃないよね。さっき急に現れたけど、どうやってここに来たのさ?」
僕は、ハッとした。自分が今この環境に適していないのは、なにも服装だけではなかった。砂がひしめき合っている空間から突然、小指に楊枝を貼り付けたような奇妙な人間が現れたのだ。ただ急に現れたことに関しては、完全にこちらが悪い。僕も経験がないのだ。
ただ少なくとも僕は確立された教育を受けていたから、世界は多様性で成り立っている、ということは常識だった。疑いようもなく、世界のどこかには自分と大きく違う人たちが生きている、と信じることが出来ていたのだ。それが、今、事実であったことが確かめられただけ。僕を見つめる人たちの顔の作りが違っていて、身長も僕の1.5倍程あることに対して驚くことは少しも無い。
だが、この村人達にとったら、そうではない可能性が高いはずだ。
つまりは、表層的ダイバーシティは幻想である、と考えている人が多いのではなかろうか。彼らは歪いびつな教育を提供されているかもしれないし、そもそも教育を受けられる程の生活水準に達せていないかもしれない。市場で、病気が蔓延する可能性のある動物をそのまま売ったり、よく見てみれば商品に値段が付いていないのだから、そういう可能性だってありうる。医学、経済やらを分かっているようには見えない。病気の恐ろしさ、お金の大切さを、彼らは知らないのだ。
僕は、歩いた。とりあえず、この臭いの束縛から解放されたかった。それに、注目を浴びるのは好きくない。さっき声をかけてくれた人に返事をするのを忘れてしまったが、そんなことはどうでも良いかのように、もっと健康的な所に向かって歩いていく。
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10キロほど歩いたところで、足裏の感覚が変わった。指の間隙を埋めようとする泥が心地良い。最近降った雨のせいだろう。すごく湿っていたから、熱を帯びた足裏から疲れが奪い去られていく感覚を楽しんだ。
更に、10分ほど歩くと、芥子からし色の家が見えてきた。40軒、いや60軒くらいある。
村に違いない。
歩いてきたときに見た風景が殺伐としていたことから察するに、この村はなかなか大きい方に属するな、と思った。
特徴的なのは、家の配置だった。まず、40軒くらいが大きな円形に並んでおり、その内側を今度は30軒くらいが円形に並ぶ。そして円の中心には大きな広場のようなスペースがあり、そこに一つだけ、家が20~25軒程入る大きさの建物がそびえていた。ここから見るだけでもなかなか存在感がある。村の大半を中心が占めていた。
僕は、その広場付近まで歩いて行った。そこに行けば、飲み物くらいは手に入るだろうと思ったのだ。喉は渇きを訴えている。
近くで見ると家の様子がよく分かる。その辺の土を固めて作ったレンガのような物で建築されている。そのたたずまいは、そこそこに大きな石を5つ投げれば崩れてしまいそうなものだったが、実際崩れてしまっている家も散見された。
家の周りには、わずかながらではあるが木が植わっていた。自然のものであったらこんなに奇妙な配置で生えてくることはないだろう。そのなかにはひとりぼっちで根を下ろしているものもあった。
そして僕は人生20年ちょっとを通して、集合としての木しか目にしたことがないなと思い至る。
僕のマンション付近には、並木がある。これがなかなかに壮大で、観賞目的で来る人も多いらしい。しかし僕はその並木に魅了されたことなんて無い。おんなじような木を数十本集めて、等間隔になるように人間が植える。整然に並べられていることだけを見てくれ、それを植えた人間を褒め称えてくれ、という主張を感じてならない。
そこが綺麗と言う人もいるだろうが、僕にとったらもってのほか。
まず偶然が織りなすありのままから発せられる「趣」が感じられない。人の介入があからさますぎて、そこにしみじみとした感情の持ちようがなかった。
だが、今見ている木には、悔しいことに、それが人工的であろうがなかろうが、枯渇していた心に安心と安らぎをもたらす、言葉で形容しがたい何かがあった。
広場に着いた。脚が限界に近い。こんな距離を歩いたのは久々だった。
そこには子供達が集まっていた。数人がどこかで見たことのあるような、それでいて不思議な遊びをしていた。子供たちは大きく声を張り上げ、喜んでいる者もいたし、絶叫している者もいた。カジノにはまった欲深き男達を想像した。
ただ正直、その時の僕の視界には飲み物をもらえる未来しか見えていない。どんな遊びをやっているかなんてどうでもよかった。
僕は子供達の集団に声を掛けた。何か飲み物有ればいただきたい、と。子供達は、こちらを大きな目で見つめた後、間髪入れず僕を中心部の建物に案内してくれた。抵抗なく案内してくれたけど、僕が不審者だったらどうするのだろうか。
僕は子供を拉致するかもしれない。村に火を放つかもしれない。
やはり教育がしっかりしていないのだろうか。まず僕の身元を洗うのが、自分たちの村を守る為の得策ではないのか。それとも、僕を油断させた後に洗いざらい身元を明かしてもらうつもりなのかもしれない。
だが、改めて建物を見てみると、やはり存在感がある。ここが村のお尻にあたる部分なのだなと思う。高さはそれほどないが、人々の生活の中心になっているだけあって、いろいろな思いや色があたりを飛び交っている。木で建築されている分、住民の思いを守れるだけの丈夫さは備えていそうだった。
僕は子供たちに大きなテーブルまで案内された。これがとても大きい。この村の住民の4分の1が座れそうなテーブルだ。そしてそれが他に5つある。テーブルは大分傷んではいるが、一体どんな使用用途があるというのだ。たまに使うだけでは到底こんな状態になりそうにもないのだ。
僕は「座ってて」と言われたので、それに従うことにした。2,3分待っていると、昭和の厨房を思わせる空間から1人の人間が出てきた。
ちょっとばかしゾクリとせずにはいられなかった。どうやらさっきの子供達ではないようだ。30歳ぐらいの大男が、奥の空間から出てきた。まるで地獄から帰還したばかりの犯罪者のような容貌だった、と思ってしまったことは、こっそりと心に潜めることにしよう。