第九話 おかえりなさいのポトフ①
午後七時を回る頃、アリスが帰ってきた。
店の奥に来て、深々頭を下げる。
「ありがとう、歩さん。会いに行けてよかったよ。これ、タクシー代の残った分。使った分はバイト代出てから返します」
「おかえりなさいアリスちゃん。それはあげるって言ったでしょ。それより夕飯作ったから、食べていきなさいな」
春も終わり頃とはいえ、夜はまだ冷える。外気で冷えたアリスの顔は青くなっている。
この部屋はストーブで暖まっているとはいえ、下がった体温はそんなにすぐには上がらない。
歩はキッチン隣にある私室からストールを一枚取ってきて、アリスの肩にかける。
ベトナムの藍染めで、黒に近い深い色味のものだ。アリスによく似合っている。
「なにからなにまで、すみません……」
「こういうときはありがとうって言って素直に受け取っておけばいいの。アリスちゃん、ポトフは好きかしら。初斗に聞いたら、蒸し鶏くらいならお肉をとっても大丈夫って言っていたから、使ってみたの」
ポトフに使ったのは玉ねぎ、にんじん、キャベツ、ジャガイモ。少しでも食べやすいよう、小さめにカットしている。トマトベースで煮込んだから、全体的に赤みがかっている。
「……ありがと。いい香り」
「そうでしょ。味見もバッチリだから、食べましょ」
深めのスープ皿に盛り付けて、ジンジャーティーを添える。
「おいしい。お肉を食べるなんて、どれくらいぶりだろ……」
「そんなに久しぶりなの?」
「七年くらい、かな」
逆算すると中学生。異様なほど痩せている原因はそれだ。食事をほぼ口にしなくなったのは、中学の時から。
「お姉ちゃん、中二の時からモデルやってて……、あたしはそのころ太ってたから、クラスのみんなにデブスって馬鹿にされてた」
「そのお年頃なら、気になっちゃうわよね」
「お父さんもお母さんも、お姉ちゃんみたいになれってうるさくて」
モデルの妹のくせにデブだ、と笑われる上に、親までが理解者になってくれなかった。
どれだけ悲しくて寂しいことだろう、歩は泣きたくなる。
アリスがこれまで自分の家族について語らないようにしていたのもうなずける。
いい記憶がないから。愛されていると感じなかったから。
そんな過去を自分から話してくれたのは、少しは歩を信頼してくれたと受け取っていいのだろう。
「アリスちゃんはどんなアリスちゃんでもいいからね。今のままでも、ぽっちゃりさんでもかわいいと思うわ」
「そんなことを言うの、歩さんくらいだよ。あ、このお茶、ちょっと辛いけどおいしい」
だいぶアリスの顔色がよくなってきた。帰ってきたばかりのときのように震えてはいない。
「それはジンジャーティー。ショウガが原料のお茶よ。今日のものにはハチミツをひとさじ足しているの」
「こんな味なんだね」
アリスは興味深げに、ひとくちずつ味わう。
「食べ終わったら家まで送るわ。もう遅いからね」
「そんな、悪いです」
「ほらほら、素直に受け取っておけばいいって言ったでしょ」
「……はい」
ポトフの具材はお好きなものをどうぞ。根菜系がおすすめ。
意外とカブが美味しいですよ〜。
本日後半も投稿します。