〜第24〜 兄の記憶
事の顛末を知った兄は、自分の妹が想像以上に危険な状態であった事に青ざめ、背筋を凍らせる。
「そうか、なるほどな」
‥‥‥つまり杏奈は、彼女に見逃されたんだな。
危ない‥‥極めて危険だ。
これ以上、僕の妹を優蘭に近づけてはいけない!
そこで兄は深いため息を吐く。
しかし、このことを杏奈にどう説明したものか。危ないからこれ以上優蘭に近寄るな、と説得するにも、二人の関係に首を突っ込むには僕は部外者過ぎる。何でダメなの!?と言われた時の回答が思い浮かばない。少しでも説得力を高めるためには‥‥。
‥‥致し方ない。
僕の正体を明かそう。
兄は意を決して、魔人の目を妹に見せる事で自分の正体を明かした。杏奈はその目を見て、私に睨まれた時のトラウマが蘇ったらしく、あからさまに縮み上がり小さく悲鳴を上げる。
「‥‥‥‥ひっ!」
兄は妹がオーバーリアクション気味に驚いたので、早く鎮めようと慌てて杏奈を抱きしめ、優しく頭を撫でて落ち着かせた。
「ごめんな、もっと早く言っておけば良かった」
兄は半分とはいえ魔人。
だが杏奈の脅威ではない。
ただ、守りたい。
すると、兄の思いが届いたのか、杏奈の体から少しずつ力が抜けていく。
‥‥‥‥もう大丈夫だろう。
そう感じた兄は、杏奈の目を真っ直ぐ見て話した。普通の攻撃では傷一つ付かない魔人のこと、今は天使と悪魔という感情の制御ができずに所構わず暴れ回り、戦いを仕掛ける危険な魔人たちの戦争中であること。そしてそんな天使と悪魔に属さない第三者という第三勢力がいて、そこに兄と優蘭が含まれていること、そして最後に‥‥。
「今日杏奈は優蘭に殺されていても、おかしくは無かったんだ」
「‥‥‥‥え?」
一通りの話を聞き終え、挙げ句の果てに殺されていてもおかしくは無かった、などと言われた杏奈は驚愕の事実に目を見開き、顔色を真っ青にして言葉を失った。それもそうだろう。彼女の近くにいる事が如何に危険なことか、自覚して貰うために兄は言葉を重ねる。
「今回は怖い目に遭っただけで特に何もされなかった。優蘭にとって今回は杏奈に日頃の仕返しが出来る良いチャンスだったはずだ。でもしなかった。これは見逃してくれた事に他ならない。人間の手を骨が折れない程度に押さえたり、威圧したり、話を聞いた範囲内で考えても第三者としか考えられない」
魔人である僕がここまで言えば流石に理解してくれるだろう。正直に思った事だが、杏奈は優蘭に対して少し執着が強過ぎると思う。実際にこの目で見た事はないが、あまり目立つタイプでもなさそうな彼女に、杏奈は一体何を感じたのだろうか。
そんなことを考えつつ杏奈の方をチラリと見ると、予想外な事に杏奈の表情は般若の如く怒りで震えていた。
お、おい、杏奈‥‥‥‥?
まさか、この話を聞いても、まだ優蘭のイジメはやめないつもりか??
そう少し驚いたところで、杏奈が僕を軽く睨み上げた。
「‥‥お兄ちゃんは私の味方?」
「当たり前じゃないか、僕は一生杏奈の味方だよ」
即答した。
この話だって、杏奈に傷ついて欲しくないからしたのだ。守りたいんだ、この僕の天使を。
すると杏奈は、鼻に皺を寄せて言葉を続けた。
「私、優蘭に怖い目に遭わされたのよ?私が可哀想だとは思わないの?」
あぁ、僕の妹が怒っている。
しかしこの表情にはおねだりも感じさせる。
ここはとにかく杏奈の気持ちに寄り添った答えを返さねば。
「もちろん、命まで取らなかった事に感謝こそすれど、可愛い妹を怖がらせた事は許せないよ」
お兄ちゃんは味方だよ!
さぁ、僕に言ってごらんっ!
「お兄ちゃん、優蘭を殺して」
なっ‥‥‥‥。
物凄くストレートな要求が飛んできて一瞬驚いてしまった。優蘭を殺す、出来なくはないだろう。この天悪戦争は遅かれ早かれ第三者同士の殺し合いに進展する。杏奈はそうなる前に優蘭を殺してしまえ、と言っているのだ。
だがしかし、それはかなり成功率の低いものである。親にバレないよう、天使と悪魔に邪魔されながら天使と悪魔よりも強い、かもしれない第三者を殺す。僕とてまだ進化の真っ只中だ。相手の戦い方次第で何とでもなってしまう。僕の方が格上でも、今の僕では確実に殺せる確証はない。
‥‥‥‥今回ばかりは首を縦には振れない。
「確かに、いずれ対峙するかも知れない第三者である彼女が油断している今のうちに、先手を取るのは良い案かも知れない」
「だったら‥‥‥‥」
「でも駄目だよ。‥‥杏奈、今回だけは駄目だ」
思った通りの回答では無かったのだろう。
杏奈が目を吊り上げ、勢いよく立ち上がりヒステリックな声を上げた。
「どうして!?私は‥‥‥‥」
兄はコップが落ちて割れた事にも驚かず、冷静に殺しに向かえない理由を述べた。戦うにも天使と悪魔に戦闘を邪魔される可能性が高く、タイミングが悪いこと。自分自身もまだ確実に勝てるという保証が出来ないこと。
「杏奈の我儘を聞いてやれなくて済まない。でも、僕は杏奈に怪我して欲しくないんだ。だから、出来れば時がくるまで、優蘭に近づくのはやめてくれないか?」
兄の話を静かに聞いていた杏奈は、半分納得がいかないような微妙な表情をしていたが、兄の心配する気持ちが伝わったのか、最終的に彼女はゆっくり頷いた。
「今の天使と悪魔の戦いが終わるのは‥‥‥おそらく五年後。杏奈が十七歳になった頃だと予想してる。だから、それまでの辛抱だ」
‥‥‥‥なるほど。
兄からストップを掛けられていたのか。
そう理解した私は、突然杏奈が近寄って来なくなった謎が解けた。
霧がかかる。
あれから時は飛んで兄二十一歳、杏奈十七歳。
立派な大人へと成長し、銀城家を継ぐ継がないの話が出始めた頃、二人は両親の知らない所でとある計画を進めていた。それは異世界移住計画、そして異世界の生物、物品をこちらの世界で売り、それを資金源として新たなビジネスを立ち上げること。
私は兄のパソコンの画面を覗き込んだ。
ん、これは‥‥‥‥。
異世界動物園?
ファンタジー水族館!?
あ、ちょっと楽し‥‥‥‥いや駄目だろ!
そして最後の項目に「異世界征服計画」と書かれていた。
多少興味深い事は書かれているが、これは間違いなく良くないことだ。後にスピリットさんから聞いた話では、異世界の生物、物品をこちらに連れてくる事は重罪であり、世界のバランスを崩しかねない大変危険な行為なのだとか。
‥‥‥‥密猟、密輸、ダメ絶対!
そんな罪深い計画の話を終えた二人は、続いて優蘭を殺す際の段取りを話し合い始める。兄が捲ったノートには今の兄が使えるスキルや能力、主に私が散々悩まされた「台風の目」を用いた戦闘における連携を話し合っていた。
「優蘭ってどんな子だ?どんな戦い方をすると思う?」
「影が異常に薄くて、死んだ魚の目をしていて、いつも何を考えているのか分からなかったわね。でも、少なくとも最初の一発は私達の感知できる様な攻撃はしないと思うわ。スナイパーみたいに遠くから狙って来るかも」
「そうか、僕とは正反対だな。そうなると僕の「台風の目」をもうちょっと‥‥」
そう言えば、あの時彼らは「一刻も早く鍵を手に入れたいんだ」と言ってたが、今の二人からは特に焦っている様子がない。一体何を焦っていたのだろう?私が抱いた一つの疑問、なぜ二人は急いでいたのか。その答えは霧がかかり場面が変わった事で判明した。
ある日の夜、兄は父親の部屋に呼ばれ、席についた兄に父親がペラリと一枚の写真を見せる。綺麗な女性が映った写真だ。
「お前の婚約者となる方だ」
「は‥‥?」
「一週間後、この子と見合いをしてもらうので、くれぐれも機嫌を損ねない様にしなさい」
「し、しかし父様、僕は結婚など‥‥」
「決定事項だ。口答えする暇があったら当日の贈り物でも考えておけ!」
その日、兄は突然今まで一度も会った事もないような女性と、結婚する事が決定してしまったのだ。
突如、将来が決定されてしまった兄は自室に続く廊下を静かに進む。表情は真顔で特に分かりやすい変化は無いが、彼の記憶を見ている私には手に取るように分かる。内心はこれまでにない程に荒れ狂い、それと共に強い焦燥感に苛まれている。
‥‥‥‥この時代に見た事もない女と見合いだって?
ふざけるな、僕には杏奈さえいれば良いんだ。
その晩兄は妹の部屋を訪れると、父親から婚約話を持ち掛けられたこと、兄本人には結婚願望など微塵もない事を話した。話を聞いた彼女は、特に大きなリアクションはせず静かに聞いていたが、話が進むに連れてその表情は徐々に険しいものへと変わっていく。
「僕が今まで考えていた計画にはまだ時間が必要だ、それから、それから‥‥」
兄があの憎き父親から離れて暮らしていける様コツコツ進めていた計画。それが結婚してしまったら全てが水の泡になってしまう。それだけは何とか回避したい兄は、必死に頭を抱えて唸る。
「お兄ちゃん、良い事思いついたわ」
そんな兄の様子を見ていた杏奈が兄の両手を柔らかく握ると、天使の様に穏やかに微笑みながら衝撃的な提案をした。
「もう、お父様とお母様をやってしまいましょう。私お兄ちゃんのそんな苦しそうな顔見たくないわ。お父様やその婚約者が邪魔なら、消してしまえば良いじゃない」
「そ、それは」
「今思い返してみても、やっぱりお父様には良い思い出なんて一つも無いのよ。死んでも悲しくないわ。あ、お兄ちゃんが嫌なら私がやってあげましょうか?」
両親の殺害、確かにあの人らが死んだ所で悲しくなる事はないだろう。実際、勉強と虐待ばかりの毎日で何か僕たちが喜ぶ様な事をしてもらった記憶は無い。しかし、自分の妹からこの様な過激な意見が出て来るとは思わなかった。
「杏奈は本当にそこまで出来るのか‥‥?人を殺す、しかも自分の親を殺すだなんて、本気でできる人はそうそういない」
兄は魔人として自分が強くなる為、そしてストレス発散の為に、夜な夜な天使と悪魔達を殺して来た。しかし、それは何の縁もない他人相手だから出来ることで、兄本人も流石に両親を手にかける事は考えていなかった。
「出来るわよ。だって、お父様は元々私たちの事を人間扱いしなかったじゃない。大人に成長して後々自分の手駒として使う為のただの道具に過ぎない。それなら、私たちは人間としてそれに争う。それくらいしたってバチは当たらないと思うの」
そこまで聞いた兄は顎に手を添えて考えた。
両親の殺害、それに抵抗が無いと言えば嘘になるが、それを実行したなら杏奈と僕は自由になれる。両親の殺害で警察が僕らを捕まえようとしても、この魔人戦争で勝つことが出来たなら、それもしばらくは国外逃亡ならぬ異世界に逃亡する事もできるだろう。
こうして一つ一つ利点を並べてみると、確かに僕らにとってはかなり都合の良い状況になる事が分かる。
「‥‥‥‥そうだな、悪くない案かも知れない」
そして各々の準備を終えたその夜、二人は自らの両親と、それを目撃してしまった運の悪い者達を殺し、家の裏庭に埋めた。これを見た私は、信じられない光景を見て何も言葉が出なかった。
霧がかかる。
自らの両親とその他を殺害した翌日、いつにも増して静かで辺りに血生臭い匂いが漂う家を放棄した二人は、生活の場をあのホテルに移す。もうこの二人は、異世界で暮らす事を前提に動き始めたのだ。ホテルの一室で向かい合って話す二人は、今後の流れを確認していく。その話の中で、私の家に直接足を運んで戦いを申し込む事も決まった。
「え、直接行くの?」
「優蘭もバカでないなら気付いているはずだ。もう僕と彼女しか残ってない事くらい。手紙を書いて送るのも面倒だし、これが一番手っ取り早いんだよ」
杏奈は基本兄の考えた計画や予定を聞くだけだったが、兄の話が一通り終わった所で今度は杏奈が口を開く。
「お兄ちゃん、私もお兄ちゃんと一緒に闘いたい。私を魔人にして!」
「え!?」
それを聞いた兄は目を見開く。当然、兄は首を縦には振らずにそのまま難色を示した。沢山の眷属達を作って来た私とは違い、体一つで勝ち進んで来た彼は眷属関係の仕組みにはあまり詳しくなかったのだ。
兄は考え、そしてとある存在に小声で質問をした。
「‥‥‥‥おいスピリット、どう思う?」
‥‥スピリットさん?
私以外にもスピリットさんと話が出来る人がいたのか。それとも、魔人全員にそういう存在がいたのだろうか?私が少し驚いて考えていると、彼のスピリットさんは何だかダルそうな声を響かせ、少し投げやりにも思える回答を返す。
(‥‥‥眷属にでもすれば良いのではありませんか?)
「おい、真面目に考えているのか?重要なことを聞いているんだぞ」
(ハッキリ言って私は、杏奈さんを眷属にする事には賛成致しかねます。人間の眷属化は前例が少ないですから。まぁ、試しにやってみるのも良いかもしれません。方法は血を少量と、純力を少量。もしかしたら、それすらも要らないかもしれません)
「そんな簡単にやってしまって良いのか?怪しい‥‥でもそうか、出来なくはないのか」
私のスピリットさんと違って、随分とザックリで穴だらけの説明だ。これだけでは能力を正しく使う事が出来ずに困る事になる。実際の所、杏奈は悪魔になってしまっていたし、頭の良いスピリットさんならこのような結果となる事くらい分かっていそうなものだが。
それでも、「出来なくなはい」と兄が口に出して呟いたのを杏奈は聞いていたので、兄を見るその期待の目はより一層輝きを増す。可愛い妹のそんな眼差しを受け思考が鈍った兄は深く考える事をやめ、その場で杏奈を眷属としたのだった。
あぁ‥‥。
アホだ、バカだ。
それで良いのかお兄さん!
あとは、あの時兄と杏奈が話してくれたのと同じ様な展開だった。私は、家に私が不在の間に起こった出来事に目を逸らす事もできず、胸が張り裂ける思いのまま、見ることしか出来ない。一瞬だけ、しかしこの世の何よりも残酷だった光景はあっという間に霧に飲まれて見えなくなり、気付けばそこはあの戦場。目の前に居るのは血塗れ、しかし背筋を伸ばして堂々と鮮血の左目でこちらを睨み付ける私。
「台風の目」の中心にいる兄は絶えず攻撃を放つが、それは悉く当たらない。内心焦りを感じる兄は、自分のために、自分の背にいる妹の為に、輝かしい未来の為にその力を放ち続ける。
風のバリアごしに映る私は、深傷を負っているとは思えないような不規則な動きで走り飛び続け、気を抜くといつの間にか兄の懐に入ってくる。しかし近接戦も出来る兄はそれを冷静に回避し、バリアの外に放り出す。もう少し頭が切れる相手かと思いきや、攻撃を躱しては飛び込んで来て、それを弾いての繰り返し。そんなワンパターンな動きしか出来ない私を見て、兄は僅かにその口角を上げた。
しかし、そんな単純な戦いだと思っていた時間も終わりへと向かう。
突如動きを変えた私に驚き、気が付けば兄は妹を奪われ傷つけられている。それによって怒り狂った兄は私の首を刎ね飛ばし、勝利を確信したかに思えた彼は、弱点の無い私を殺せない絶望に苛まれながら、気付けば血を垂れ流しながら跪ずき、遂には自らの体内から突き出た鋭利な物体にコアを破壊され、兄はその命を落とした。
「ん‥‥?」
何かおかしい。
兄の記憶は全て見切ったようで、辺り一面真っ暗になり何も見えなくなった。通常なら他人の記憶が終わると、眠りから目覚めるはずなのだが、今回は記憶を見終わっても夢の中にいるままだ。
これは、夢。
それが分かっていてもこんな真っ暗な空間にずっと浮いてるままでは流石に不安の気持ちが湧いてくる。このまま目覚めないなんて事になったらどーしよ。
そんな風に思いつつ辺りを見回すと、突如周囲に大小バラバラな大きさのシャボン玉、あるいはビー玉の様な球が私を取り囲み、その無数の球はすぐに、とある場所に向かって一列に整列した。
『『こちらに向かって進め』』
このタイミングで一列に並んだ球の道標。もはやこれ以外に意味はないだろう。私は素直に示された方向に向かって飛んだ。どれだけのスピードで、どれだけの時間が経ったのか分からない。ただ、この並んだ球の先に何かあるのは間違いない。そして暫く真っ直ぐ飛び続けていると、前方に淡く光る何かが見えた。
「‥‥あれか」
ずっと続いていた球がここで終わっている。ここが最後尾であり目的地の様だ。
「なにこれ」
ここにあるのは今まで見た球よりも一回り大きい玉虫色の球体。この球が一体なんだと言うのか、と思いつつ私が右手でその球に触れた次の刹那、球に白い亀裂が走り、砕けると、球の破片は球体から新たな形となって右手に収まってきた。
「これって‥‥」
次の瞬間、私は目を覚ました。




