〜第19〜 暗転
お母さんに力強く背中を押され歩き出した私は、先日受けた大学受験の合否の結果を確認しに向かう。気分的に非常に足は重く感じるが、お母さんが入試当日に貸してくれたマフラーを今日も貸してくれたおかげで、かろうじて止まらずに進んでいる。このお母さんのマフラーは、大切に使い込まれていて少し年季を感じさせるが、不思議な事に肌に触れると心がポカポカしてくるのだ。
‥‥合格してると良いんだけど。
歩みは止まらないが、頭の中は入試の合否の事でいっぱいだ。どうしても落ちた時の嫌なイメージばかりを繰り返してしまう。
そもそも普通の人と同じ人生を送れるかどうかね‥‥。
相変わらず私を煽る風は肌を突き刺すような冷たさで、この寒さを理由にサボりたい気持ちが湧いてくる。横断歩道を渡り、駅に着いたら自分が乗る電車を待ち、電車に乗って少し歩いて、乗り換えたらあっという間に大学の目の前だ。
予定より少し早めに到着したが、それでも既にたくさんの受験者が今か今かと緊張した面持ちで時間を待っていた。友達同士でワイワイとお互いの緊張をほぐし合う者、私のように一人壁にもたれかかってじっとしている者。この中の誰かが落ち、誰かが合格する。きっと今日の合否が将来の夢に大きく影響する様な人もいるはず。そういう人は合格して幸せな人生を送れば良いと思う。
‥‥私はどうかな?
私の場合、将来の夢とか目標は特にない。
ただ、心配ばかりかけていたお母さんに、この大学に合格することで少しでも安心して欲しくて挑んだのだ。そしてこの大学をしっかり卒業して、良い就職先に勤めて、お金が貯まったら女で一つで育ててくれたお母さんに沖縄旅行をプレゼントして、美味しい物を食べさせてやるのだ。
そんなことをしばらく考えていると、遂に発表の時間になる。
時間と共に沢山の受験番号が印刷された大きな紙数枚が壁に張り出され、それと共に一斉にその壁に群がる受験者達。私もそれに混ざって小走りで壁に駆け寄ると、張り出された数字を順番に凝視していった。
‥‥‥私の番号、番号はっ!?
まだ見つからない。
少しずつ、ゆっくりと視線を下に滑らせていく。視線が一番下になったら次は隣の列へ。未だ壁を凝視する私の視界の端で、自分の番号を見つけたのか嬉しさのあまり泣き出す者、不合格になったことを確信して己の顔から表情を消す者。
はしゃぐ声、泣く声、励ます声、色々な感情が渦巻き始めた頃、私の視線は一点でピタリと止まった。
「‥‥‥‥あった」
うそ、うっそぉ!?
ほんと‥‥?
半信半疑の私は、今見たものが見間違いでは無いか、自分の手に持っている番号の書かれた紙と、壁に張り出された紙に何度も目を往復させる。
間違えていない。
「ご、合格だっ!やったぁああ!!」
先程まで寒くて冷えていた体が、嬉しさのあまり興奮して一気に暑くなる。今まで頑張ってきた甲斐があった。これはお母さんに良い知らせができそうだ。
お母さん、なんて言うかな?
お祝いに美味しいものとか作ってくれたりするのかな?
こんなに気分が高揚するのはいつぶりだろうか?思えば、何か目標を立てて取り組んで見事達成するのは今回が初めてだった気がする。先程まで受験に落ちた後の不安と寒さに震えていたこともすっかり忘れて、スキップをする様な軽い足取りで、私は会場を後にした。
「さぁて、早くお家に帰ろ‥‥おや?」
何とも運悪く、帰宅で乗る予定だった鉄道は私の知らぬ間に人身事故が起こっていたようで、長時間に渡り運行が停止していた。自宅に帰れるのは夕方になってしまいそうだ。早くお母さんに会いたかったのでこの遅延にはガッカリしたが、こればっかりは私が何とかできる問題でもない。
私は基本的に普通の人間と同じ生き方をしたいので、特に練習や非常事態でもなければ基本飛ばない。それに加えて、今日はもう急ぎの用事は済んで後は家に帰るだけなので、二時間程度なら待っていても支障はない。
‥‥すぐに教えちゃうよりは少し時間経ってから発表!ってのも何だかワクワクするしね。
「‥‥‥‥お、やっと帰れる」
大体二時間経った頃、ようやく電車の運行が再開した。ほとんど日は落ち、空は今にも月が見えなくなるほどに厚い雲が夜空を覆い隠そうとしている。この頃になると、私の上がっていたテンションもすっかり冷め切ってしまい、太陽も沈んだので、気分だけでなく周囲の気温も全体的に冷え込んできた。
‥‥‥雪が降りそうな匂いがする。
私がそう思った通り、自宅の最寄駅に着いた頃にはチラチラと細かい雪がゆっくりと舞い降りてきていた。
‥‥早くお母さんに会いたい。
ここまでくればもう後は足を動かすだけだ。
私は小走りで自宅まで向かう。
少し進み、自宅まであと少しの所でどこからか漂って来た冷たい血の匂いが私の嗅覚を刺激した。この辺りで誰かが血を流しているらしい。だが構わず自宅まで足を進める。しかし、何故か不思議なことにその血の匂いは自宅に走れば走るほど濃くなっていく。私は何か嫌なものを感じた。
さらに足を進め階段を駆け上がり、そこの角を曲がると視界の端に自宅のアパートが映る。すると不快なことにその血の匂いと共に馴染み深い匂いも混じり始める。
「‥‥お母さん?」
お母さんの匂い、冷たい血の匂い。
ここまで分かった所で、何かを察して血の気が引いた私は更に足に力を入れて走った。
そして、ついに自宅の前に到着。
ところが、どういう訳か見慣れた家はどこか不気味で、相変わらず冷たい血の匂いが辺りに漂っている。ぱっと見正面から見た限りでは、特におかしな点はない様に思える。でもおかしい。静かすぎる。
扉の前に立つと尚、血の匂いはより濃くなる。
怪我‥‥‥いや。
大怪我で済んでくれたらまだ良い。
嘘、冗談だと言って‥‥‥!
私は扉のノブを握ると、ガチャっと手前に開く。
‥‥‥‥鍵は掛かっていなかった。
扉が開き、家の中を見た次の瞬間、全身に鳥肌が立った。
「おかぁ、さん‥‥‥?」
屋内は外気よりも冷え切っているかの様に、とても冷たい。そして私の視線の先には一人の人間の亡骸。
私は、すぐさま部屋の中央に横たわっている骸のそばに駆け寄る。死後硬直が始まりつつあるお母さんの全身を見れば、何かがガラスの破片が当たったような細かい切り傷が無数に刻まれており、凄惨にも左腕は肘から切り落とされている。そばに転がる手には携帯電話が握られていた。
身の危険を感じ、助けを求めるべく電話をかけようとした所でやられてしまったのだろう。視線を入り口に戻すと、ドアチェーンが強引に引きちぎられている。無理やりこじ開けられ、窓から逃げようとした所で捕まってしまったのか。
‥‥‥‥なんで?
体の中で力が激しく荒れ始める。
‥‥‥‥どうしてこんなことに??
何だか周りがガタガタと軋み始めたが、そんなこと気にしてられる精神状態ではない。
『‥‥なんで私じゃなくてお母さんが死ぬんだぁあっ』
(優蘭様、今ここであなたが暴発してしまったら、この建物が保ちません!!)
荒れ狂う純力が放出寸前まで膨れ上がっていく。この貯まった力を一気に放てれば、どれほど楽か。
(この家はお母様との思い出が詰まっているのでしょう?今その力を放てば、手掛かりもろとも無くなってしまいます!探すのですっ!)
今にも爆発しそうな私の脳内でキンキンと声を張り上げたスピリットさんのおかげで、一旦呼吸することを思い出す。酸欠で意識を失いかけていたらしい。
「はぁ、はぁ‥‥探す?」
怒りで頭空っぽ状態の私にはスピリットさんが何を言っているのか瞬時に理解できなかった。
(優蘭様にも見えるでしょう?切り落とされたお母様の腕をよくご覧下さい)
私はスピリットさんに言われるがまま、そばに転がっているお母さんの腕に目を向ける。感情が荒れていた時は気付けなかったが、確かに目を細めてよく見ると、薄っすらと何かオーラの様なものが切断面に付着している。
「‥‥‥‥なに、これ?」
そっとその腕を持ち上げて見てみるが、そのオーラに対して私は嫌悪感を覚えるだけだ。
‥‥誰だ。
誰がこんな酷い事をした?
(優蘭様はこの痕跡を見て、何を感じましたか?)
「‥‥‥‥物凄く、不愉快極まりない」
(不快感を覚えたのですね。ならば、これは間違い無く魔人による犯行でしょう。ただの人間がやったのならばこの様な痕跡は残りませんから)
「なんだと‥‥?」
それを聞いた私は目を見開いた。
魔人‥‥?
今生き残っている魔人と言えば、私を除いてあと一人しか居ない。以前『千里眼』で覗いたとき、余裕そうな顔で優雅に本片手に茶を啜っていたあの男だ。‥‥しかし何故だ?あれからは特に何事もなく、私を探して殺しに来る様子も無かったのに、なぜ今になって動き出した?そして、なぜ先に私本人ではなく、無関係のお母さんが襲われなければならなかったのか?
‥‥‥‥私は一体どこで間違えたのだろうか。
私は、常に目立たないよう静かに行動することを心掛け、そうする事で他の魔人達の注目を集めない様にしていた。ジャック目掛けて矢を放った時も、攻撃の最終着地点はこのアパートに当たらないよう少し軌道をずらしたりもして、そして私が人との関わりを最小限にする事でこの家を、お母さんを巻き込まないように、守っているつもりだった。
‥‥‥しかし、結果はこれだ。
一番意識して守っていたはずのお母さんは無惨に殺され、残ったのは私一人だけ。私の精神を安定させてくれる最も重要な支柱。それが、消えてしまった。酷すぎて、情けなくて、涙すら出ない。
私は絶望で全身に篭っていた力が抜けて脱力した。
(‥‥優蘭様、お母様のお身体をこのままにはしておけません。ひとまず、今は出来る事から進めましょう)
荒ぶっていた純力が収まったからなのか、私がその場にへたり込んで何もしなくなったからなのか、それを見かねたスピリットさんが静かな声を響かせた。
そこからの流れは朧げにしか覚えていない。
警察を呼んだらパトカーが来て、お母さんの遺体は検視のためにどこかに運ばれていって、殺人事件として色々調べるために、他にも沢山の車と人がココにやって来て、私は第一次発見者として色々質問攻めにされて。
いろいろな事が一度に嵐の様に行われて、状況説明を終えて解放されたのはそれから数時間後。すっかり夜も更けて、地面には薄く雪が積もり始めていた。景色は何の色も無い、真っ白。
警察の人から「現場では当分の間鑑識が調査を行なっていて入れませんので、暫くはホテルに泊まる事をお勧めします」と言われたので、とぼとぼと近くのホテルに向かって歩き出す‥‥しかし、途中で私は足を止める。
‥‥このままホテルに行ってどうするんだ。
お母さんがあんな風に殺されて、それで私は何もしないまま寝て終わりにするのか?‥‥ダメだ。
絶望して、ただ脱力していた私の体に、怒りで再び力が戻って来た。
そうだ、今この力を使わないでいつ使うんだ!
カラス君の記憶を通して顔は覚えている。お母さんの左腕に付着していた敵の純力オーラも覚えている。ならば『千里眼』をフル活用して即刻見つけ出してやるまでだ。
私は両眼を閉じると『千里眼』で犯人の位置特定を試みる。しかし、どういう訳かいつまで経っても奴は見つからない。おかしい。吹雪で視界が悪くなっているにしても、ここまで何の反応も得られないとなると、何かしらの妨害を受けている可能性を視野に入れた方が良いだろう。
私の目だけでは足りないか。
だったら‥‥!
これからやる事を決めた私は「認識阻害」をオンにすると、いつもの河川敷に向かって翼をはためかせた。あそこでやっておかなければならない用事ができたのだ。
空中では雪が氷のように硬く感じるが「痛覚無感」のお陰で顔や手に当たるのもお構いなし。ただひたすらに目的を達成するべく吹雪の中を駆け、到着した頃には雪は踝まで積もっていた。雪が積もって来たからか、人の姿は無い。
私は深く息を吸うと、この吹雪の中でも動物達に聞こえる様に大きく声を張り上げた。
「みんな!来いっ!!」
程なくして、静かな空間に鳥の羽ばたく音がいくつか近付いてきた。今は冬真っ盛りで冬眠していて出てこない動物達もいるせいか、この場に来てくれたのは殆ど鳥達だった。ハトが約十羽、カラスが約二十羽。種類は少ないが、これだけいれば十分だ。
みんなを代表して前に進み出たのは、私の家の近くによくいて、ついでに以前怪しい人物がいると記憶を見せに来てくれた例のカラス君と、この辺り一帯の主になったトビ君だった。
「主サマ、コんな夜に呼び出すとは、珍しいデすネ」
「‥‥こんな寒い日に来てくれてありがとう。今日は君達に大事な頼みがあって来たんだ」
私の全てだったお母さんが死んでしまった以上、今の私には生きる理由が無い。だがしかし、お母さんみたいな無害、無関係の人を好んで殺すなど正気の沙汰じゃない。殺しておいた方が‥‥いや、どんな理由があろうとも、大切なお母さんを殺した奴だけは、何としてでも殺さねば気が済まないではないか。
奴だけは殺す。
そのためだけに、今できる全力を注ぐ。
「カラス君、きみは前に怪しい奴がいるって知らせてくれたよね?今もあの人間の顔と形は覚えてる?」
こう尋ねると、カラス君は誇らしげにカカっと鳴いた。
「はい、主様がキライな人間は、我ラにとってもキライなのデ」
「そうなんだ、じゃあ他の子達も知ってるのかな?」
「モチロンです。我ラは、縄張りは別でモ、敵は同じデス」
「そうか、それなら話は早い」
私は一部敵の見た目に関しての説明が省けた事で一つ頷く。それからは、カラス君達に今回の頼み事の説明をしていった。
通常ならば、『千里眼』で覗くだけで大抵のものは捜索することが可能なのだが、どういう訳か今回は私の『千里眼』を持ってしても対象の姿、ましてや魔人特有の純力すら捉える事が出来なかった。私よりも格下の魔人であれば、私の『千里眼』を弾く事は叶わないが、現に相手はこうして『千里眼』を弾けるように何か対策をしている。
出来ないなら諦めるか?
‥‥とんでもない。
『千里眼』で捜索が出来ないのであれば、次にする事は人海戦術ならぬ野鳥海戦術に切り替えるだけだ。
『千里眼』は、例えるなら定点カメラの様なもので、パッパと視界を切り替える事で広範囲を見る。ただ、今回やるのはその更に一段上のドローン式、つまりカメラそのものを縦横無尽に飛ばし散らす事で、更に捜索精度と範囲を広げるのだ。そして、その範囲は鳥から鳥へ伝言ゲームの様に指示が伝染して行くので、世界中の鳥達が対象を探すためだけに動き回ってくれる様になる。
かなりの広範囲を飛び回れる鳥達には、あちこち敵を捜索してもらい、見事対象を見つける事が出来たら、即念話で報告してもらう。
必要な説明箇所を話し終えた私は、最後に言った。
「こんな都合の良い時だけ頼って申し訳ない。でも私一人の眼だけじゃ足りないんだ。奴を直接この手で倒すまで、私は諦められない。だからお願い!力を貸して下さいっ!」
鳥達は、私からこんな必死にお願いされるとは思ってなかったらしく、後ろで待機している子達にも動揺が走った。そんな私に言葉を返してくれたのはトビ君。
「主サマ、ソの様にお願いしなくトも、我ラはアナタに忠誠を誓っテいまス。主サマからの頼みなラ、我ラは喜んデ協力させテもらいまス」
「み、みんな‥‥ありがとう!」
なんていい子達や‥‥。
こんな天気の悪い日でも私の呼びかけに答えて来てくれて、今度は命令にも近い依頼まで喜んで引き受けてくれた。そんな健気な彼らの姿に涙腺が少し緩んだが、とりあえずこれがクリア出来たら後は見つかるのを待つだけだ。そんなに時間もかからずに見つけ出すことが出来る事を信じよう。
私が腕を横に振って「頼んだよ!みんな!」と声を上げると、それを合図に鳥達は四方八方、散り散りになって吹雪の中へと消えて行く。そして、私は今にも飛び立ちそうなトビ君を呼び止めた。
「トビ君、ちょっと待って!」
「主サマ、なンでしょう?」
「君には他の子達とは違う、特別任務を任せたい」
そう言って、私は上着の胸ポケットから小さな巾着袋を取り出すと、トビ君の首に掛けた。
「この袋の中には、何よりも大事な物が入ってる。これを持って何処かに逃げ隠れて欲しい。そして、これを私が回収するその時まで、決して私に近付かない事。いいね?」
「そんな事で良いのデスか?」
「これ以上ないくらい重要な事だよ」
私が真面目な顔でそういうと、頼もしく頷いたトビ君は、飛んで吹雪の中に消えていった。




