〜間話〜 母として(前編
〜母視点〜
こんにちは、優蘭の母です。
優蘭は周りの子と違って何を考えているのか分からない子だった。そう思い始めたのはあの子が幼稚園の頃。私が知っているこのくらいの年頃の子は、自分と同じ年頃の子達との仲間意識が芽生え、お友達とおままごとやヒーローごっこ、お絵描きなんかをして時間を過ごす。当然我が娘優蘭もそんな風に過ごしているものとばかり思っていた。
ところがある日、お迎えの時間になりいつものようにあの子を迎えに行ったとある日、その日の優蘭はどう言う訳か傷だらけになって帰って来たのだ。
驚いて先生に何があったのか話を聞くと、この子は毎日誰とも遊ぶ事なくずっと一人でツバメの巣を眺めていたらしい。単独行動をする子など珍しくはないが、今日は数人の子供達が鳥の巣に石を投げた。そしてそれを目撃した優蘭はその子達に止めるよう注意をした。
しかし相手の子達は止める様子がなく、ここからどうするのかと思いきや、優蘭はお部屋から絵本数冊を抱えて持って来ると子供達の背後に立ち、それをいきなり男の子の後頭部目掛けて振り下ろしたのだとか。
様子を見守っていた先生はその行動に目玉が飛び出る程に驚いたと言う。幸いにも絵本の平たい面が当たったのと、絵本数冊の重さを扱いきれず半ばバランスを崩し勢いが半減していたため、男の子に大きな怪我はなかったが、本気の一撃がまともに直撃していたらどうなっていた事か。結果、奇襲に失敗した優蘭は男の子達からの反撃を受けてこの有様。
私はこの話を聞いて背筋が凍る思いだった。
これは帰ったら強く叱らなくてはならない。
家に帰宅すると、私は早速優蘭に説教を開始した。しかしどうにも反省の色が見えてこない。何かおかしいと思った私は、ひとまず冷静になってなぜ本で殴ろうと思ったのか話を聞く。
「だって鳥さんいなくなったら、周りに咲いてるお花も枯れちゃうよ」
鳥と花に一体何の関係があるのか疑問に思ったが、そういえばこの子はよくテレビで生き物の番組を見ていたのを思い出した。きっとその番組で食物連鎖の話でも聞いたのだろう。驚いたことに、優蘭はこの歳で食物連鎖を理解していたのだ。鳥が花壇に寄ってくる虫を食べる。虫が少ないので花壇の花は虫に荒らされる事なく綺麗に咲く。この子は鳥を守る事で花壇の花も守ろうとしたらしい。
全てを理解した私にもう優蘭を叱る事はできなかった。しかしこの子のやり方には容赦がない。一歩間違えれば命に関わる。正義の心でやった事なので全否定はせず「他のやり方を考えろ」と強めに注意するに留めた。
時は進み、優蘭は小学生になった。
相変わらずポケーっとしているが、生き物に対してはとても穏やかな表情になる。あの子は学校で飼っている金魚やウサギ小屋の世話などを進んでやっているらしい。やりたい事があるのは良いことだ。先生や他の子達に迷惑をかけていないのなら、このまま見守ろう。
ある日、優蘭が四年生になった頃、友達が出来たと言って嬉しそうな顔で帰ってきた。この子にとって初めて友達と呼べる存在。私とてこの知らせを聞いた時は嬉しかった。このまま平和に行けば良かったのだが、しかしそうは問屋が卸さない。優蘭がある日を境に軽い怪我をして帰ってくるようになったのだ。よく見てみると体のあちこちに小さなアザ、擦り傷。普段私と話す時は小さく笑ったり楽しそうに話をしてくれたりするのだが、ここ最近は心なしか暗い表情をしている。
これは何かあったに違いない。
そう確信した私は、本人に話を聞いた。
優蘭には面倒臭いと言わんばかりの顔をされたが、何でも一つ買ってあげる、と言ったら大人しく話してくれた。聞けば思った通り嫌がらせを受けているらしい。いじめられるようになったきっかけはあるのかと聞いても、特に思い当たる事はないと言う。
私の可愛い娘がいじめを受けている!
ならば私がやることは決まっている。
学校に問い合わせる!
そう思い電話を掴むと優蘭に止められてしまった。この子は慌てて話を続ける。優蘭曰くリーダー格の女の子は出会った当初、リコーダーの練習に付き合ってくれたり生き物の世話をしていると褒めてくれたりと優しく接してくれていたらしい。だからいきなり攻撃的になったのには何か理由があるはず。それに加えて、今はまだ優蘭の事を慰めてくれる子もいる。だからまだ私の力を借りる必要はない、と言った。
私の子は思った以上に心身共に強い子だったらしい。確かに、表情は少し悲しそうに見えるがまだ目は死んでいない。ふむ、我が子本人が言うのであれば、もう少し見守ってあげても良いのかもしれない。
そう、その時の私は判断した。
しかし、私は後にこの判断を後悔することになる。
その日、突然私は学校から呼び出された。
何事かと様々な不安が募る中、学校に到着した私はとある一室に案内される。部屋に入ると、担任の先生と生活指導担当の先生、相手の親と思わしき女性とそんな女性から睨まれたまま女性の向かい側に座っている優蘭。
この状況、考えなくても分かる。
優蘭が相手の子を怪我させた。
この子の親である私を視認した女性が鋭い視線を私に向けてくる。視線を向けられた私はゾッとして一瞬怯んでしまったが、こんな状況で取り乱す訳にはいかない。落ち着かなければ、まずは状況把握だ。私はすぐに謝罪の言葉を述べると、優蘭の顔を覗き込んだ。表情は無い。前と違う点として、目に光がなくなっている。人は目に光がなくなるだけでここまで怖くなるものなのか。
我が子の代わり様に驚いたのも束の間。
相手の親が今にも襲い掛かってきそうなヒステリックな声を発した。
「その子に椅子で頭を殴られたの。頭から血が出るほどの大怪我よ、どうしてくれるの!」
どうやらこの場に怪我を負った子がいないのは、すぐ病院に搬送されたかららしい。搬送される程ともなれば、怪我の具合が軽くないのは容易に想像ができる。ここは何度でも謝罪の言葉を述べるべきだ。相手のこの様子を見るに多分この子、まだ謝ってなさそう。私は優蘭にも頭を下げ、謝罪を述べる様に促す。
しかし、この子は嫌そうに目を細めた。
怒っているのだろうか?しかしどんな理由があろうともここでは相手に怪我を負わせた優蘭はまず一番に謝罪しなければならない。それにこの子が他者に攻撃したのは二度目だ。ここで私が折れる訳にはいかない。私は優蘭の両肩に手を置くと目を見て説得を試みる。
「優蘭はなぜ、動物達に向けるその優しさを他のお友達には向けないの?何か嫌な事があったら動物達にもその力を振うの?」
それを言った瞬間私の目から涙がこぼれ落ちる。そんな私の顔を見て、優蘭は怒りから困惑と哀情の混ざった表情に変わった。この子は一度考える様に目を閉じると、相手の女性に向き合い深々と頭を下げる。
「ごめん‥‥なさい」
相手はあまり納得してなさそうだったが、ひとまずこの子が頭を下げた事でほんの少しだけ女性の怒りは治ったようだ。ここからは女の子の治療費やその他の大人の話し合い。その間、優蘭は視線を落としたまま静かに座っていた。それにしても、私の顔を見た時の優蘭は、幼稚園の時とは明らかに反応が違った。少しはこの子の心に響くものはあっただろうか?こればっかりは私でも、あの子の考えている事を読み取る事はできなかった。
話し合いが終わり帰路に着けたのは夕方だった。家に帰る途中今までずっと黙っていた優蘭が消え入りそうな声で「ごめんなさい」と私に呟く。
「私じゃなくて、相手の子に謝りなさい」
こう返すと、優蘭は迷惑かけるつもりはなかったと呟く。そんなことは言われずもがな分かっている。こんな事やりたくてやったのではないという事も。我が子のストレス管理もできないなんて私は母親失格だ。私は何も出来なかった自らの無能さに泣いた。
この子はいつも何を考えているのか分からない。しかしその行動の一つ一つには大小なりとも必ず何か理由が存在する。きっと何かあるはずだ。この様な事を繰り返さぬよう私はもっとこの子とコミニュケーションをする機会を作った方が良いだろう。
あれから少しして、突然優蘭はゲームが欲しいと言い出した。あまりに突然だったので目を丸くしたが、そう言えば以前私はこの子になんでも一つ買ってあげると言った事を思い出した。前に交わした約束なので買ってあげるのは薮坂では無いが、生き物が好きで他の事には無関心だったこの子にしては珍しいチョイスだ。聞けば何かストレス発散できる物が欲しいらしい。ちなみに、話を少しずつ聞いていくうちに、女の子に怪我をさせた理由も判明した。
なんと怪我をさせた女の子は、以前この子が友達と言っていた子だったのだ。そんな大切なお友達は陰で優蘭の悪口を言っており、それに気が付いた優蘭は裏切られた怒りから、気が付いたら椅子を振り下ろしていたらしい。
確かに、慰めてくれる存在があったからこそ日々のイジメに耐える事が出来ていたのに、そのストッパー役が実は敵とグルだったなんて事になれば、優蘭が日々溜め込んでいた怒りが爆発するのは必然だったと言えよう。大人ならまだしも優蘭はまだ子供。感情の押さえ方が分からなくて当然だ。私はこの子の気持ちに気付いてあげられなかった。親として情けない。
結局この子が選んだ物は、出てくる敵を銃などの武器を使ってバッタバッタとなぎ倒していくアクションゲームだった。ちょっと物騒で子供の教育としてどうなのかと疑問に思ったが、約束は約束。罪滅ぼしとして何も言わずに買ってあげたのだった。
あれから数年、あの子は部屋に篭こもりがちになった。生き物の世話の為学校にはきちんと登校する辺り、あの子の真面目さは窺えるが、この状況はよくない。優蘭の体のアザは消えてはまた出来てを繰り返し、学校でのイジメは止まっていない様だ。ずっとあの子が痛い目に遭っているなんて良い訳がない。
私は優蘭に何度も転校を提案するが、その度に「卒業まで我慢すればいいだけ。手続きする時間が無駄」と言われ、この提案はことごとく却下されている。毎回私と話す時、何も心配しなくて良い、と穏やかな顔をしてくれるが、こんなの絶対辛いに決まっている。何か、他に私に出来ることはないだろうか?
考えた結果、優蘭と沢山話す時間を作る事にした。私はこの子の親なのに分からない事が多すぎるのだ。一日一回は必ず声をかけ、週に一回必ずお茶を飲みながら近況を聞く。重要なのはこの子と向き合う事。もっと理解しなくては。この子は、ただ他者と交流するより動物と一人の時間を大切にしているだけだ。難しい事は何もない。
優蘭は無事小学校を卒業し、中学生になった。
変化があったのはこの頃だ。
残念な事に、めでたく中学の入学式を迎えたその翌日優蘭はびしょ濡れになって帰ってきた。明らかに顔色が悪い。何やら川に落ちたなどと下手な嘘をついているが、そんなものはスルーだ。そうすると考えられる事は一つ。
「また良くない子が居るのね?」
あの一件からこれまで優蘭と沢山話をした事で距離は縮み、優蘭もまた少し笑ってくれる様になった。やっとここまで戻ったのに、また三年間苦しみに耐えなくてはならないなんて、そんな事許されるはずがない。同じ過ちは繰り返さない。私はあの子に内緒で転校手続きの書類をそろえた。
しかし、私の考えている事とは裏腹に優蘭はある日を境にどんどん調子が良くなってきた。顔色は良くなり身体中の傷やアザも綺麗に消えた。眼鏡は外し、体も痩せてきて、猫背気味だった姿勢は背筋を伸ばして凛とした雰囲気に大変身。
一体あの子に何があったというのか。
まるで魔法にでもかかったみたいだ。
明らかな大変身に私は困惑して目を瞬いた。日々の辛い出来事を全く感じさせない、まさに私が目指し望んでいたあの子の姿がここにある。‥‥とりあえず話を聞いた方が良さそうね。私はすぐに優蘭を呼び出した。
「最近調子良さそうじゃない、私に何か隠してない?」
ここ最近この子は体調が良くなっただけでなく、前より頻繁に外出する様にもなっている。優蘭はお散歩と言って出掛けて行くが、ただのお散歩にしては着て行く服がジャージや体操着などの動きやすい服ばかりで、しかも帰ってきた時いつも清々しい顔で服を砂や泥まみれにして帰って来るのだ。
スポーツ少年とかであれば、服を砂まみれにしても特に不思議は無いが、この子はそんなスポーツを楽しむタイプではない。
最近スポーツの楽しさを知って始めたとか‥‥?
いや、相変わらず優蘭から聞く話は生き物やゲームの話ばかりだ。突然スポーツに目覚めたとは考えにくい。私が問いを投げると、優蘭は片目を瞑って少し視線を下げた後、スッといつもの表情に直して「ちょっと体鍛えようかなって」と言った。
ほぉ、この子にしては珍しい事を始めたのね、とも思ったが私はこの子の癖を見逃さない。優蘭が片目を瞑って少し視線を下げるのは、何かを考えている時の癖だ。多分この話、嘘をついたか何か大切な事を一部切り取って話をしているかのどちらかだ。
出来れば何も考えないで本当の事を話して欲しかったのだが、この子の身体に変化があったのは事実。鍛え始めたのは本当の話なのだろう。他にも何かある様だが、そこまで細かくは追求しないでおく。これ以上しつこく聞き出そうとしても、恐らくうまいこと誤魔化されてしまう。それに、私としてはこうして隣に来て話をしてくれただけでも収穫はあるのだ。
今話しをしている優蘭は背筋が伸びて姿勢が良くなり顔が明るく見える。目には光が戻り、堂々として見える。以前はこうして話を持ち掛けても「心配しないで」の一言だけで、部屋に篭って顔を見せてくれない時すらあったが、その時と比べたら全てでなくともこうして私の目を見て話をしてくれて、一緒の時間を過ごしてくれている。
あの暗い日々を知っている私にとって、この状況がどれほど嬉しい事か。あの子が何を始めようと、元気でいるのが一番だ。私は優蘭のこの様子を見て、転校はもう必要ないと判断した。それからと言うもの、優蘭が怪我やアザを作って帰ってくる事は二度となかった。もちろん、あの子が誰かを傷つけるなんてトラブルもなく、私が望んでいた何事もない幸せな日々が戻ってきたのだった。
今日も今日とて私は家で家事をしたりTVを見たりして過ごしているが、世の中は少々物騒になってきている様だ。TVから得た情報では、その原因はなんと危険な「魔人」によるものだとかなんとか。PCで検索してみると、その魔人が魔法のような不思議な力を使って街中を暴れ回る動画が何個もヒットした。
‥‥なんなの、魔人って。
この映像だってCGではないの?
しかし、ただのCGなら真面目なニュース番組で取り上げられる事もない。もしかして本当にこんな事が起こっているの?私はなんだか胸騒ぎを覚えた。
そんな嫌な感覚が消えないまま数年経った。
この時優蘭は高校生。相変わらずあの子はポケーっとしているが毎日楽しそうだ。そんなある日、優蘭は少し離れた都会へ買い物に出掛けた。たまには気分転換に遠出がしたいらしい。あの子にゲームを与えてから、生き物以外にも多少興味が湧いたようで最近では漫画やアニメにも手を出し始めた。私的には日々優蘭とのお喋りでの話題が増えていくので嬉しいくらいだ。
「行ってらっしゃぁーい」
いつもの様に私は玄関先まで優蘭を送り、いつもの日常に戻る。しかしあの子はそうではなかった。優蘭が出掛けてから数時間後、TVをつけたまま家事をしているとTVから最悪の速報中継が流れて来た。なんとあの子が向かった現場で例の魔人が暴れ回り、死傷者を出す大混乱に陥ったと言うのだ。映像からでもビルや地面が割れて土埃が舞っている様子が見て取れる。現場は壮絶な状況、なぜあの子ばかりがこんな目に会うのか。
私はすぐに優蘭の携帯に電話を掛けた。
が、繋がらない。きっと巻き込まれたに違いない。
どうしよう、すぐに行って助けに行く?
ダメだ。恐らく現場はパニック状態。行くと言っても時間が掛かるし、沢山の人の中からあの子一人を見つける事が難しいだろう。
「待つしか‥‥ない」
非常に心配だ、無事でいて欲しい。あの子が帰ってくるまで、わたしは生きた心地がしなかった。しかし、そんな風に心配すること数時間、日は落ち辺りが暗くなった頃、優蘭は帰ってきた。
「ただいまぁ」
ガチャっと扉が開く音に気が付き、急いで優蘭を出迎えに向かう。
「優蘭、大丈夫!?」
見たところ服が少し粉っぽい。恐らく粉塵を浴びたのだろう。その他は特に目立った傷はなく、特に何も問題なさそうだ。
「全く、戦う場所を考えろっての」
何やら溜息を吐きながら不満顔で文句を言っている。パニックになって心が傷ついていたりもしてなさそうだ。優蘭のこの様子なら心配いらないだろう。しかし‥‥。
「心配で何度も電話掛けたのよ、返事の一つや二つ欲しかったわ」
私がどれだけ心配したと思っているのか、ケロッとしているこの子を見たら少しくらい文句を言いたくなってしまった。
「え、連絡してくれてたの?」
やれやれ、気づいてすらいなかったよこの子。
私は思わず、いつもと変わらぬ安心と相変わらずのポケーっと加減に呆れを含んだ長い溜息を吐く。そんな私に優蘭は小さく苦笑し、手に持っていた紙袋をスッと差し出した。
ん?これは‥‥。
私は中身を見て目を見開いた。
なぜなら、中には私の好物である半透明な水ようかんが詰められていたから。
「これ、大変なことになる前に買ってこれたよ。前に食べたがってたでしょ?これでも食べて元気出して」
誰のせいだと思ってるの?とツッコみたくなったが、あの状況でこのお菓子を持って帰ってこれた事に驚いた。
‥‥意外と余裕だったのね。
しかし、前に私がこのお菓子を食べてみたいと軽く呟いただけのつもりが、この子はそれをちゃんと覚えていて、今日ついでに買ってきてくれたのだ。こんな物、あの状況では逃げる時邪魔になる。その辺にほっぽり出して逃げれば良かったのに、わざわざ持って帰ってきてくれた。これは素直に嬉しい。
こういう何気ない気遣いが、なんとも優蘭らしい。
「ふふっ」
無意識に口角が上がっていた。
全く、この子には驚かされる事ばかりだ。
私は、このお菓子に免じて許してやる事にしたのだった。




