収束的ノーサイド8・終
…
「小鳥、あいつには謝れたりもしましたよ。真面目そうにね。僕はこれでも、人生で一度も女性に謝罪をされないという記録を保持していたのに、それも台無しですよ」
「あら、それはごめんなさい」
ぐむ。
「いえ、良いのですけれど、良いのですけれど。先に聞かせて下さいよ。流石に、あなたの関与の全てを考慮しても、分からない所がありますから」
出されたティーカップの淵を僕は少し触れる。何か、真剣そうに彼女をみる事は忍びなかった。立ち位置的に、後光が指している様なのもマストなのだろうが、そう以上に、真剣、これで向かう事は万死に値するほどの大罪であるように自己解釈されている様な感覚だった。
「はい、どうぞ。事件は終わったのですから、これは全て、日常会話。日常会話なのだから、禁句など存在しないですから。お気に召すままにどうぞ聞きになさってください」
そう言って、茶を啜る。
「では、お言葉に甘えて」
「一応、聞いておく事ですけれど、人身売買の件、その中でも10年前のそれなのですけれど、御手洗団子ちゃんの師匠に当たる人物が消えてしまったのですが、その関連が気になりまして」
掘り返した人身売買の話をこともなげに、軽々と僕は口から漏らす。
「ふん、優しいですね。事件の中で、そんな事まで、気にしていたんですね。一度は茶番までした相手なのに」
「茶番までしたからですよ。もし、それが考えている内で最悪の結果なら、僕にも責任が生まれますから」
「責任ですか。ふ、だとしたらどうすると?」
「どうしますかね。まぁ、どうとでもしますかね」
何のこともない、安い男の安い挑発的な言葉だったけれど、年の功に救われたというか、若気の至りと看做されたか、さっと笑んで話は進む。
「ふん、彼女の師匠。二本柳葉桜ですか。彼女は優秀な人でしたからね。しかし、それでいて二本柳の本家の嫌われ者」
「……あの人は、人身売買に遭ったわけではないですよ。安心して下さい」
それを聞いて、ふっと、力が抜ける。前傾姿勢は変わらないけれど、腕にかける力がカケラほど抜けた。
「彼女は、本家に呼び戻されたのです。嫌われ者でも、疎まれ者でも、本家は本家ですからね。血筋は争えないですから。必要だったのです」
「『伝説の殺人事件』。二本柳グループの一部は人身売買計画に一枚噛んでいましたから、ダメージは少なく無かったのです」
「その為に、呼び戻されたと言うだけですか?」
「言うだけです。それだけ、本当に」
更に力を抜いた。浮いていた腰を、ぐっと椅子にもたれさせて、血が流れるのが、手にまで伝わるほどだった。
「本当に嬉しそうにしますね。偽りのない安堵と言った表情。今回の事件を解決に導いた探偵とは思えませんね」
「それに何より……あの男を殺した人間には」
「あの男を殺した。誰の事ですかね。僕程度が人を殺すなんて出来もしないじゃないですか。自分を殺す事も出来ないのに」
「それに、名々夜さんも、そう言う言い方に当てはまるんじゃないですか?黒鬼殺しさん」
「そこまで絡んでいるのが見えているとは、やれやれ探偵役としてはやり過ぎですね。私のお話がまるで違ってきてしまう」
「あなたの物語構成。やれやれ、してやられましたね。始まりの10年前からまんまと」
「10年前。あなたが初めにやった事は、カストリ雑誌への情報提供からです。目的は、人身売買の計画を破綻させる事ですかね」
僕の質問に、口角をほんの少し上げると、返答。
「えぇ、そうですよ。情報提供。まぁ、あれは解決策ではなく、確認ですけれどね。規模も、人員も分かりかねてましたから。小さな火事という餌を蒔いただけ。えびで鯛を釣った形ですよ」
「では、本命は後の『弱座の伝説』だったと。ふん、人身売買作戦は消滅、裏の繋がりも断絶と完璧ですね。本当に」
「完璧では無かったですけれどね。実際、再燃してしまいましたし、被害者が出てしまった」
「それも見越して、鉄黒錠鉄鍵にコネクションを作ったのでしょう?失敗というより、成功しても続く、悪のそれを理解して」
「悪のそれね」と、同じ言葉を銀色作家は繰り返す。
「私は、鉄黒錠鉄鍵という人間を作家という役割としては大いに認めていましたよ。悪というより、善の徒としてさえ見ていました」
「だからですか、だからあなたはただ咎める事はしなかった。あくまで、交渉の体を取って」
「そうです。これは私と、鉄黒錠鉄鍵の賭け事なのですよ。全てを賭けた、賭け事」
「全てとは?」
「全てとは、簡単に財産ですよ。所持金の全て、保有する株、土地、現金、電子マネー、ありとあらゆる個人が所有する全て」
全て。彼女は全てと言った。嘘偽りないと言った風に、力を抜いて、遊びしていたと説明する様に。
「けれど、まぁ財産を賭け皿に置いたのはこちらからの提案で、そもそも向こうはお金に執着する様な小さな男では無かったですけれどね。何と言っても、一騎当千の黒鬼ですからね」
「あの人が欲する物は、シナリオが自分なら通りに進む事でしたから、勝利の時点で、自己の望みも叶う物だったのです。それほどに、『弱座切落の伝説』を憎んでいたと言って良い」
「なるほど、そしてあなたはその賭け事の条件として、弱座をこの場所に優待する事を約束した。昔の、10年前の寂れたコネクション活かして」
「そうですよ。もちろん、内容を弱座切落、本人に伝えたりはしていないですし、そもそも私の事も、彼女は知りません。私はただ鉄黒錠鉄鍵から貰った招待状を送っただけですから」
「依頼があったタイミングに見合った物を、2枚の招待状を僕と弱座切落に1枚ずつ。そりゃ、ここまでの人目の無い旅館なんて他にない」
僕は少々呆れ笑いを口に含ませながら、言葉を発し続ける。
「しかしそれではやはり足りないですよね。小鳥の分はどうするんです。あいつの分が足りない」
「ふん、足りないならば、作れば良い。複製したんですよ。かの鉄黒錠鉄鍵の作った黒い招待状。一万円札よりも、よっぽど高度に作られたまさに芸術作品ですけれど、現物を見せられれば模倣は可能。そう言った人材はこちらには何人か居るので」
「そのせいで、混乱した化けたボディーガードが僕の事を弱座だと思っていた為に、狂乱だったんですから。いや、あれは怖かったですよ」
「混乱していたなら良かったです。あなたを一人呼んで。探偵役もやってもらって」
「自殺計画。上手く使われた物ですね。しかも、僕の計画は失敗。残念ながら、生きてしまっている」
「死なれては困りますからね。お話のために、あなたには生きてもらわなくては」
「僕などではなく、あなたが探偵をすれば良かったのに」
「あのボディーガードが付いているのにですか?彼はただの鉄黒錠鉄鍵の成り変わりでは無いのですよ。それだけではなく、第一の立ち位置は私の監視役です」
「なるほど、あなたは確かに無理ですね。では、彼女なら大丈夫だったんじゃないですか?」
「彼女。ふん、あなたはそれも気づいていましたか」
現実は、知らない方が良いことと、知った方が良いことがあるという。およそ、これは気づかない方が良かった方。自分のこの経験を、人の繋がりを喜ぶというのなら、無視する方が良かった。
だが、確かめずにはいられない。
「いや、流石に人を疑う事がマニュアルの僕だって、あいつを初めから疑っていた訳じゃ無いのですよ。無理がある設定『とっておき』だって、初めは名前のキャラ的から伝書鳩とか考えたんですよ」
「ただ、流石に無理がありますよ。『とっておき』。大学生、宿木小鳥」
「ふん、良い働きっぷりでしたよ。全く、私の元にあなたを辿り着かせてしまう所以外は」
「トランシーバー。片方を無くしてしまったなどと、彼女は言っていたが、違いますよね。ずっと、あなたが持っていたんですよね。そして、それを用いて、『とっておき』を行った。3回のルールを作って、伝聞した言葉を相手に書き写させるのみ。ふん、なるほど簡単だ」
「そんな風に、彼女と私を一括りにしないで下さい。彼女は、何も知らなかった。知っている人間を招待する事は、ルール違反ですからね。ただ、連絡をとっていただけですよ。聞かれた質問に3つまで答えるという条件で。そして、見事にあなたは解き明かす事に成功した」
一心に、褒める様な視線を真っ直ぐにこちらに送る。気持ちが悪いほどに、薄い印象を受ける眼差し。
「名々夜さん、あなたは一体何なのです?」
「何か。ふん、ただの一族ですよ。ただの一つの」
「教えてくれる訳はないですか。それ以上の事は」
そう言うと、僕は席を後にする。ずっと椅子を引いて、右足から引き抜く。
「ではあなたは何なのです、浮向さん?」
「何って。ただのしがない男ですよ」
「ふん、しがない男ですか。長石詩流、弱座切落を果たし状で引き合わせるなどと言う事までしていて」
「さぁ、何のことでしょうね。長石詩流と弱座切落、その決着は僕の知らない所ですよ」
僕は、ペコリと頭を下げると、ぐるっと半周して体を返す。ノブを下す。
「一つ、噂を聞きました」
その銀色作家の声に僕は止まる。
「噂。根も葉もない、私の情報網でやっと少しかかる程度の噂。聞くところによると、ある極秘の国営研究所から、一人の関係者が逃げ出したと。その研究所ではどうやら、『不死身の研究』をしていたとか」
「……『不死身』。いえいえいえ、僕には全くファンタジーの言葉に感じますね。現実に語るべきそれではない。特に語る意味もない」
そう、最後に言うと、僕は外へ出た。
外へ出ると、見た顔がある。ここへ来てから、2番目に、正確には人形を含めて良いのなら3番目に出会った少女がいた。
「何だよ。目の前に立ち塞がって、もしかして、僕の首でも刎ねてくれるのかい?」
そう、軽口。
「いやいや、金にならん事はせんよ。お前じゃろ。先の200万をサルベージの金銭に置き換えたのは」
「そうだった。僕は、今、一文無しなのだった。これじゃあ、いくら伝説でも僕は殺せまい」
「ふん、何とでも言え。今回に関してはお前の手柄は大きいからの。少々の失礼には目を瞑ってやる」
「して、お前、京介。お前はどうするんじゃ」
「どうって、また新しい殺し屋でも探すかね。自殺は死ぬ為にするんだから、生きたくない為にしてるんじゃ無いからね」
「よく分からん言い草じゃな。まぁ、また困った時は、呼べよ。殺人だろうと、殺害だろうと、絶命だろうと、致死だろうと、自殺だろうと。金さえ払えばワシは請け負ってやるからの」
「これは嬉しいな。伝説様から直々とは、また贅沢だな」
「人生の最後じゃ、贅沢ぐらいして見せろ」
「じゃあな、殺し屋」
「ではな、自殺志願者」
またどこかで、とは二人とも続けなかった。また、会う可能性を先の働き者のように残す程、僕らは不自由では無いので。
僕は歩き出す。長い長い、赤い廊下を抜けて、鉄黒錠鉄鍵部屋から陽が差し込む玄関広間。
2枚の絵が開扉よりの通された陽の光によって、昼になっても、向き合っている様に見える。
通り過ぎて、靴脱ぎに降りる。ボロの靴をコンコンと床に打ち付けて、上をふと向き、息を吸う。吐いて、進む。僕はガラスの扉を生きて潜った。
『この紀行には、理由がある……終』




