対処的サイドバイサイド14
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あいも変わらずの、恐ろしいまでの切り傷が、裂傷痕が、火傷痕が、弾倉が散りばめられる隆々の肉体に懐かしさは昨日のデジャヴなのか分からないけれど、見慣れるものでは無い。
見るだけで、ヒリヒリする。
「また、お風呂でバッタリ。そういえば、思い返せば、あなたと初めて会ったのもこの場所でしたかね。その時は、風呂で泳いでいましたが」
「風呂で泳いでいた事は内緒にしていて下さいよ。どこぞの大学生に食いつかれちゃ、面倒なので」
この問答に、ボディーガードは小さく笑う。一つ、並んだ鏡の前に座り込むと、蛇口を捻り、風呂桶の中に熱湯を貯める。
僕は先陣を切って、湯船に侵入する。冷えた体に、ピリピリと熱が昇る。
「偶然。そんな言い方をしたましたが、そうでも無いですよね。自分達と言うのは、およそ決められたような動きをして、同タイミングで入っているに過ぎないのですから」
「ふん、そうです」と、小さく返す。
湯に入ると脳が膨らみ、考えることが難しくなる、返答の言葉が頭に浮かぶまでに至らなかったのだと認識する程度考える。
「湯が準備されれば入らなければいけない程に、自分達は、共に良い汗をかきましたから」
ザバーっと一つの水塊を頭の上から、被り込む。頭を振る。短い髪を持ち上げる。
「そういえば、進捗のほどはどうですか、推理の程は?」
「まぁ、そうですね、もう少しですかね」
「ほう、もう少しですか。それはなかなかの朗報ですね」
朗報。誰かしらが、犯人としてこんな僕のような素人に、見ず知らずの罪で祭り上げられるかも知れないのに、という無粋な勘ぐりはしていないのだろう。どこまでも真っ直ぐなボディーガードはおよそ、僕の答えを信じ切ってくれている表情をする。
「自分も、あなたが自由行動を許した段階で、もしやと思う所があったのですがね。自由行動を許すとはつまり、その人物の無実が確約されたようなものですしね」
「そうでも無いですよ。僕は怪しいと思っても、犯人だと思っても、他人を殺さないと判断出来れば、野に放ちます。満腹の獅子は態々狩りはしないので」
「これはまた優しい意見ですね。自分達のような守る側には忌避すべき意見とも言えますが」
「しかし、探偵役がそう言うならば、安心安全で暮らす事にしましょう。結末を待ちながら、長々と」
「安心してくださいよ。長々となんて、悠々と構えなくても大丈夫ですよ。もう少しですから」
「もう少し、そう、具体的にはたったの一晩ですから」
ピクッと、ボディーガードの肩が揺れたように、僕の目には見えた。泡の立つ頭部を磨く両の手が少しばかりゆっくりになる。
次に見るときには、そんなことは何も無かったように、ゴシゴシとクールな背中を向ける。
「一晩ですか。一晩で見切りがついていると、その速さはまるで本物の探偵みたいだ」
「そうでも無いですよ」
「弱座切落。あの伝説の殺し屋が犯人という事では無いという事なのですよね」
「少なくとも、今の所は」
「少なくとも、今の所はそうですね。弱座切落、あの伝説の殺し屋の手際を軽んじる訳でもなく、もちろん、贔屓目に見ているって訳でもないですよ」
「僕の大好きな平等って奴です」
バサっと風呂桶から水を落として、頭の泡を流し落とす。流れる動作に、石鹸を泡立てる。
「平等。あなたと自分の認識は本当に平等に、正しく、同じで、近似であるのでしょうか」
「自分は恐ろしいですよ。守る力が、及ばない可能性のある事象がどこまでも」
「弱座を肥大化させすぎるのは良くは無いと僕は思いますけれど、動機さえあれば人は人を殺しますし、辛ければ人は死にますし、幸せであれば人は生きますよ」
「瞬間的バラバラでも?」
「はい、瞬間的バラバラもです」
ボディーガードはザバっと体についた石鹸の泡を流す。一つの桶に入った一杯の水の内で大きな傷だらけの体を隅から隅まで、洗い流す。
「自分は、昔はボディーガードをしていませんでした。これはその名残です」
「水が貴重なその環境においては、シャワーを使って入るなんて事はままならないですし、月に数度の風呂にしても、桶二杯が限度なんですよ。たった二杯。その内で、体を全て洗わ無ければなりませんでした」
話しながら、腕の傷をチリチリと掻くような仕草をするボディーガードは横顔をだけこちらに向ける。
「あぁ、いえ。過去の話をぶり返して凄い奴だとか、可哀想な奴だとかそう言った形容をされたい訳では無いのですよ、決して」
「つまりはそういう事だと言いたいのです。不可解への動機という事です」
「何故、この人は水をこれほどに丁寧に使うのか、と僕が疑問視した答えですか。動機、動機」
「そうです。瞬間的バラバラ。それほどまでに手の込んだ、面倒な、時間のかかる、労力も使う、殺害方法。動機、それをも埋め合わせる動機。ふん、興味深いですね」
「良かったら、教えてもらえますか?」
その言葉には、こちらに目を向けて、表情を添えて会話した。体を洗っていたのだから、体を洗い終えたのだから、当たり前なのだが、コミュニケーションとして。
「オフレコで頼みますよ。誰かさんに聞かれると拙い方に進んでしまうかもしれない」
「言いませんよ。依頼主に誓って」
依頼主に誓われても、僕としては困るのだけれど、信用の一つにもならないのだけれど、しかしてボディーガードにとっては神様とそれが同等という一種の重すぎる告白だったのかもしれないけれど、スルー。
「動機、それはおよそ『とても親しい人物の人身売買』だと思われますね」
「ほう、それはまた禍々しい」
スタッと、言葉を発しながら、ボディーガードは立ち上がり、しとしとと浴槽に歩みを近づける。
「これ程の重さの動機なら、ともすればあるでしょう?」
「そうですね。確かに、それほどがあれば」
湯張りされた浴槽の中に、新たに大きな体躯が場所を確保せんと、侵入する。
「……と、お先に僕は上がらせてもらいます。のぼせてしまっては明日に備える事が出来ないので」
「ふん、そうですか。自分だけに早々のネタバレがあっても面白く無いものですからね。明日を待ちますか」
「そうしてください。無事に明日を迎えて下さいよ」
そう、最後に大男に発して、僕は引き戸を開けて、湯気の中を後にする……ところで背中に声が当てられる。
「浮向さん、もし無事に帰る事が出来たら、マラソン、行きましょうね。絶対に」
「……そうですね。もし、両方ともが運悪く生きていれば42.195kmでも、走ってやりますよ」
颯爽と笑顔で言って一歩を進むと、僕はすりガラスの引き戸を閉めた。




