対処的サイドバイサイド10
…
雨降りの外へ出てみると、見ていた景色の粒が本当に頬を蒸らすのがわかる。
多少、今朝よりは弱まっているのは見て取れるのだが、弱座を濡らした証拠の雨と同様の冷たさなのだと、グッと思う。
痛々しくぶつかってくる様である。
「えと、では先ほど切り取ってしまった。話の続きをしましょう。舟があればどうとか」
舟があれば、つまりは水上さえ乗り切れば、地上を渡ることは可能だったとそう言った所までだったか。
「私見ですけれど、舟を隠す事は難しいと思いますよ。私はそう思います。把握している限りでは」
意味深な言葉で女将は会話を始める。
「把握している限りですか?」
「もちろん、何故私が、カエラさんと、団子さんを雇っているかを考えれば分かる事ですけれど、役割分担がその目的ですから。全ての把握は出来ませんよ」
「例えば、どこがあげられますか?」
「ふん、彼らの自室とかはあるでしょうね。雇い主といえど、コンプライアンスは守りますから」
「それか、他を挙げるとすれば……調理場とか」
「調理場といえば、団子ちゃんが言っていたのですが、女将さん。料理が上手と聞きましたけれど、入らないのですか、調理場には?」
少しばかりへたっと笑みをこぼす女将。口元に手を添えて、すらっと口を動かす。
「完全任命。料理は任せていますから、と言っても配膳時に料理は受け取りますから、厨房が完全に目視不可という訳では無いですけれど」
「食材の仕入れは行っているらしいですよね、他には、調理器具とかその他諸々も。団子ちゃんが目利きが素晴らしいと絶賛していましたよ」
「それほどでも無いですよ。私は事実、仕入れのみ。搬入は業者の方と、団子さん自身でやった方が、何がどこにあるのか分かり易いですから」
「役割として、求められる物はお客様の為にも、料理人の為にも尽くす事が求められます、そこを行うまでです」
謙虚な意見。互い立て合いの関係。宇宙空間に年単位の共同生活と言わずとも、ここだって、陸の孤島。それなりのコミュニケーションでは成り立つ物ではなかろう。その為の必要条件か。
「と、そろそろこの辺りにしましょうか」
そう、女将の言葉に、僕とボディーガードは足を止める。
辺りを正確に記述する事は難しいが、河童ヶ池を囲む森の入り口付近。
廃棄物繋がりと言うことでは無いだろうが、そんな不吉な意味合いは無いだろうが、昨日運んだ端材置き場の近くの場所、そこを示される。
「すみません、ゴミ置き場の近くなのは、私の不手際というか、スコップなどの道具が近くにあるので。それに持ち運ぶには大きい物で」
レンガを積んで壁を形成する廃棄物置き場に立てかけてある数本のスコップを指差す。
近くには、台車とか、鋤、鍬、バケツ、などの道具が置かれている。
「畑作りなどもしていたんですか?」
「旧旅館の名残ですよ。今はもう誰も使っていません。けれど、このような際が起きてしまって使う場が巡ってくるのは良かったです。道具たちも本望だと思いますよ」そう言った。
「さぁ、浮向さん。自分達は、やり始めましょうか。土堀りを早めに終わらせて、帰らないと、正直心配ですから。あの殺人鬼がふと気を起こさないか不安です」
廃棄物置き場に近づいて、スコップを持ち出すと、それを僕の前に突き出して、言う。
「そうですね。早めに、早めに、終わらせましょうか」僕は答える。
……
雨降りのおかげで、緩み切った土には、スコップが思いの外、深くに突き刺さり一回の作業で効率よく、土を吐き出す。
それに何より、この筋骨隆々のボディーガードの仕事の早いことと言ったら無い。手際よく、乳酸の溜まった腕を振るう僕とは、決して動きのキレが違う。
「流石に、すごいですね。ボディーガードのなんたるなんて知りませんけれど」
「浮向さんは運動はしないんですか?」
倍のスピードを維持しながら土はに空中を舞わせて、質問する。
「めっきり無いですね。学生時代は好きだったんですけどね。ほら、運動って、子供にとっては遊びの延長でも、大人にとっては健康の延長になるじゃ無いですか」
「健康が大事とは思いますけれど、辛いとそう思い始めると続くものでは無いと言いますか」
「運動の難しい所ですね。自分などや、運動の選手などは必要だからする以上の理由が無いですからね。まぁ、実際資本として体を残すというのは、長期的に見れば良いことでしょうけれど、短期ではささやかな変化ですから」
フォローに回られてしまった、僕が後ろ向きなばっかりに。残す体も、残さないつもりの僕としては、この手の話は嘘でしか話せないから申し訳ないけれど。
運動はテストステロンの影響で、心理的にどうとか、けれどうつ病の人は咄嗟に運動してはいけないとか、色々ある。
色々あるが、でもおよそ、この目の前にいる例を見ると、案外運動も悪く無いんじゃ無いかと思う。 滴る汗が眩しいぜ!
「それなら、ああ!マラソンとか、どうですか?他の競技と違って決まり切った練習の場所も無いですし、装備一式も貸しますよ。なんならハマれば返却も構わないので!」
うわ、良い人だ。良い人すぎる。
さっき『滴る汗が眩しいぜ』なんて言って、いや雨と見分け付かないだろうがって自分につっこもうとした事を謝ります、茶化そうとしてすみません。
「確かに良いですね、マラソン。体力はあるに越した事は無い気がしますし」
ふぅっと言って、汗をひと拭い。
「では、近々予定されている国内のマラソン大会を調べますよ。ビギナーのコースがあるなら、あの大会とかかな……」
「仕事早いですね」
「そりゃ、マラソンは自己との対決ですけれど、それは大会の話です。練習の仲間は一人でも多く居た方が嬉しいですから」
土をいらいながも爽やかさが、ずっと変わらない。初対面の印象も、がっしりとしたクール系をイメージしていたが、喋り出すと、その反対が出てくるんだよ、この人。
「と、そろそろ良いんじゃ無いでしょうかね。深さもこれだけあれば、雨風で、地表に登ってということもないでしょう」
1メートルと50センチ位は掘ったか。およそ、その三分の一も土を出してない僕からすると、数字の割にはその達成感を味わう事は無い。
「……えっと、女将さんはと」
ぐるり、ぐるりと首を回して、ボディーガードは女将さんを探す。そういえば、どこに行っているのか。
しかし、探すと簡便にその姿を視界に捉える事ができる。何かを運んでいる、そんなシルエット。
「女将さん」
少しばかり声を張って発声。聞こえない様で、そのまま直進を続ける。
「女将さーん!」
2度目の挑戦。先ほどよりは大きく、大きく発声。その甲斐あってか、1度目は無視されたのか、後ろ向きな僕には判断しかねるが、結果として聞こえたらしく、こちらを振り向いた。
「はいはい、すみません。場所を離れてしまって、最重要を任せているのに」
「いえ、大丈夫ですけれど、穴の深さをチェックしてもらいたくて、これぐらいであれば十分ですかね」
この問いに、即座にうんうんと首を振って女将は肯定。大袈裟であるのは、それほどまでに感謝をしているという事だろうが、細く白い首が取れそうで心配になる。
許可も得た事で、次にはすぐ埋葬の手順となる。掘った穴にシーツで包んだ形の鉄黒錠鉄鍵をそのまま放り込んだ。投げ入れた訳では無いけれど、そっとではあったけれど、決して元の形に並べたりなどという丁寧さは無かった。
上から、土を戻してお仕舞い。
棺桶の中で死体が息を吹き返して、窒息死などというホラー映画の可能性を微量も含まない。バラバラ死体。
誰が何とも、言わずに、手を合わせる。静かに、じっと、かの作家の全盛期の姿を頭に思い浮かべていた。
全員がそれぞれ、彼への思い出を想起していただろうが、想像はそれまでにする。
「さぁ、では帰りましょうか」
レインコートから、はみ出る切長の目がこちらに差し込む様に届く。
足は、そっと180°回転。左から、右と動かし始めた。




