幻想的オキサイド
35
殺し屋は悠々闊歩し、広間からさっさと姿を消した。
最重要の容疑者、疑わしい少女。
その一人の背を誰も目でさえ追いかけることすらなかった。
追いかけなかった。
これは、およそ少女の跡に恐怖するとか、置いて行かれたとか、そう言った類のものでは無いのだろう。
女将がいつか言ったか、ここに訪れる者は『大きい』と、『巨大』なのだと。
つまり、これがその一部なのだと思われる。
只者は僕だけか。
「さてはて、どうしよっか。どうしてしまうのが良いのかね。分からんね?」
大手を振って大袈裟そうに、分からないアピールをする小鳥が場を動かした。
「すみません、良いでしょうか?私、先ほどまで気を失っていましたから、少しばかり分かっていないのですけれど。『弱座』という名について知らないのですけれど、何なのですか、それは。その名が彼女が犯人ということは無いという事に関連が?」
「…いえ、逆です。全くの反対ですよ。自分も、ボディーガードなどという仕事柄、聞かないはずもなく、どこからともなく聞こえるような、畏怖する伝説です」
「伝説の殺し屋です。10年前の悪事殺しの伝説。本物中の本物です」
そう、ボディーガードは少女を説明した。
「なるほど、確かに大きいと感じる訳ですね。であれば、我々はその伝説に閉じ込められた。拉致されたという事ですかね?」
拉致とも言い難いし、監禁とも言い難い、軟禁と呼べば正しいのか、ちゃんと辞書で調べてくるんだった、こんな機会に巡るなら。
予想できるはずのない無茶に僕らは巡り合っていることを改めて認識する。
部屋占拠宣言。
実際、閉じ込められているのは物理的にも、精神的にも、少女であるはずであるのに、僕らは一つも逃げることを考えられていない。
「自分の意見を述べるなら、出ることがままならないという意味なら、そうでしょうね。自分たちは閉じ込められているのでしょう。そして同時に理解せねばならないのは、一人の代わりを殺人の犯人を擁立するということ」
「少し待って欲しいっす。代わりに擁立って、犯人は本当に弱座切落で間違いないってことっすか?」
「それはもちろん、この状況ではあり得ないでしょう?」
あり得ない殺人。
伝説なら容易にそれが説明できそうなところは、天才には努力が無いと思われるような、無言の押し付けを感じる。
しかし、押し付ける以上に選択がないのも事実だが。
「詩流、落ち着きなさい。あなたの意見も分かりますが、その決めつけは幾分か早いのでは無いですか」
「皆さんもそうではありませんか。考えなければいけない事。ほら、例えば、少女は正しい答えを知っているという仮定が挙げられます」
「ん、どういうことっすか?」
「いえ、例えば少女は犯人を知っていると仮定すると、犯人に擁立した人間の成否が問われる可能性が生まれる。もし、間違った人なら、どうなるか。そのような仮定ですよ。もちろん、その場合、何故少女は犯人を暴露しないのかという話にもなります」
この発言は皆を引き締める。
博打を打つことはできないということだ。
最も、人柱という意味で、人の命で賭けをすると、そのような言葉を発しようものなら、モラルのカケラも無いわけで、犯人の擁立を推し進める事になる。
その場合の被擁立者は僕になるオマケ付きで。
「じゃあ、犯人探しをする人を先に擁立した方が良いんすかね。それとも、皆んなで動いたりします?」
「あたし的には、もし本当に少女が犯人では無いとしても、少女が犯人だとしても、皆んなで動く事は危ないとそう思うけれど、もし犯人がこの中に居ないなら、共に行動する事は変な諍いを生む事になるだろうし、もし犯人がこの中に居るなら、更なる殺人が起きるという事もあり得る」
「殺人事件で一番避けなければいけない事は、連続殺人になる事なんだよ。今、一人のままに終わらせなくちゃ」
なるほどねー、と小鳥の言葉にカエラちゃんは分かったような、分かってないようなアクションを取る。
「ここの主人である私としては、皆さんの無事こそを最優先したいので、出来ることなら、皆殺しはもちろん、死人が増える事は絶対に避けたいとそう思います。お客様たちには、無事に帰っていただかないといけません」
「私もどう意見っす。女将の意見と、働き者の意見は同じっす。ここで働く限りはそういうスタンスでやるのがベストと思うっすから。団子ちゃんも同じ意見っすよね?」
女将に続く、働き者の問いかけに料理人はコクリと頷く。
人前に慣れていないような性分は、語りから少し感じ取られたから、声を出すのは控えたいように見える。
「なるほど、なるほどイイ感じかな。どうかな、あたしと従業員たちはそのような意見だけれど、名々夜さんとボディーガードさんはバッチリかい?それでオッケーかい?」
「私は構いません。詩流も同じく、私と同じ意見であるはずです、私のボディーガードなので」
言葉無く、大男は頷く。
「京介君も大丈夫だよね?」
あぁ、と小さく同意。
「よしじゃあ、これで誰一人の反意無くで決めた訳だけれど、まぁ、もちろん全員が一人っきりっていうのは不味いのは承知としているよ。承知した上で、まずは落ち着くために、リーダーとは言うまでも、船頭は一人立つべきだとは思うよ、あたしは」
良くまとめる大学生。
集団行動を取らなくても、リーダーは立てる。
と言うより、真犯人の発見という形ならば、探偵役を選出すると言うのが正しいか。
「ここばかりは、あたしとしてもしっかりと決めたいところだよ。だって、もしかすると、ここに居る全員の命を背負う事になるんだからね」
小鳥はそれこそ、死刑宣告のように冷たく説明した。
その冷淡が、誰もを、その意見の重みを理解させることに成功していた。
間違ってはいけないのだ。
もちろん擁立する真犯人も、そして探偵役も、絶対に二つに一つも余裕はない。
二者択一では無く、完全正答が求められる。
ともすれば、探偵役に真犯人を抜擢しかねないのだから。
「彼ならどうですか?」
そう、銀色作家はふと言った。
…彼、彼。
およそ、男性に当てられる三人称人代名詞のそれなのだろうけれど、誰だろう。
彼とは、誰だろう。
右、左。
左、右。
詩流さんでは無いよな、ボディーガードに少しばかり他人行儀か?
男、男、男、男がいないな。
見ようと、見回ろうといない。
「あれ、おかしいですね。もしかして、僕とか言いませんよね?」
「そのまさかかもだろうね。君なのだろうね。京介君」
とぼける僕に対して、小鳥は容赦無く、確認を厚塗りした。




