心血的シーサイド3
32
ガラガラガラガラ…
朝、所変わらず、あいも変わらず、僕と大学生のじゃれ合いの終盤より。
ガラガラと音が廊下から響く。
鉄製の端の部分が見えてから、カラカラと、タイヤの泥除け(なのかはハッキリしないけれど)が混ざる。
クローシュ。
その白い反射の跡が、目に入ったタイミングで、その運び手が誰なのかはおおよそ理解できた。
「あら、お二人さん。おはようございます」
働き者退場の後、すぐさまに、広間へ新たな人。入場したのは白い女将である。
「揃い踏みで、昨晩の楽しい時間をまたと思い出しますね。ねぇ、浮向さん」
こくりと首を傾ける。
「えぇ、こちらこそ、昨晩は付き合ってもらってありがとうございました。良い話を聞かせていただきました」
この言葉に、女将はふるふると小首を回す。
「あれはお礼ですから。先に手伝いを頂いたのは、こちらですから。話をするくらいのことは、朝飯前ですよ」
至って謙虚に、女将らしい態度から、今日も始まる。
そういえば、と女将が切り返し。
「そういえば、昨晩はよく眠れましたか?一晩、今もですけれど。ほら、雨が降り続いているでしょう。屋根も厚くなければ、消音設備もないですから、うるさくなかったですか?」
「いえ、十分に深く寝れましたよ」
「それなら良かった」とオーバーアクションにも、女将は胸を撫で下ろす。
僕などの為に、撫で下ろす胸があって申し訳ないけれど、心配をおかけして申し訳ないけれど。
嘘では無いから、しっかりと熟睡を、ばっちりノンレム睡眠だったから、他に言いようもなかった。
「宿木さんも、よく眠れましたか?」
飛んで、小鳥。
「いや、あたし寝てないの。一睡もしてないの、常時一睡も断ってたの」
「あぁ、なるほど。オールをなさったんですね。それなら、良かったです。楽しい夜を過ごせてもらえたようで」
「並んで、つかぬことをお聞きしますけれど、昨晩、カエラさんと一緒にこの広間にずっといらっしゃいました?」
「いたけれど、何かあったかな。五月蠅かったりしたかな?」
「いえいえ、五月蠅かったということは無いのですけれど、カエラさんも居たので、大丈夫であったと信頼していますから、気にしていませんが」
「ただ、カエラさんが楽しそうにしていましたから。何故だろうと思いまして」
そう、女将は言う。
どこか憂いを帯びる。
「いえ、やはり一晩を一人っきりで越えると言うのは、身体的にも、精神的にも参りますから。一従業員の体調も、もちろん心身共に気を遣うのは雇い主の義務であります。ですから、その場に誰か人が居てくれていたというのは私としても喜ばしいのです」
心からの溢れる愉楽が、女将の底から湧き出ているのがわかる。従業員の一人。ただそれだけの、自由自在と安寧に、安心しているのだと予想できる。
「女将さんも、今晩あるなら、今晩一人で明かすと言うのなら、あたしが、このあたしが一緒に居てあげてもいいよ。あたしは誰と話すのも好きだし」
「ふふふ、それはいい考えですけれど、ダメですよ。私を甘やかし過ぎるのは、良くないです。甘えたくなってしまうタチですから」
「甘えてください、このあたしに。良いですよ、あたしは女性なら、幼女から、老女まで幅広く受け付けてますから。女将さんなんて、余裕綽々でストライクゾーンだぜ」
「あら、逞しい方…」
って、若干いい感じになっているところに、僕がぽっつりと空気な状況に、腹立たしくとは少しばかりも思いもしないのだけれど、居づらさに腹がキリキリする。
なんか、恥ずかしいし。
「女将さん。それ位にしておきましょう。これ以上、小鳥をノリに乗らせると大変厄介な目に合うかもしれないので」
スッと、女性の間に入り込む男。
百合の間に挟まる男、僕。
「大変な目って何よ。あたしが何するってのさ、あたしがしようとしてるのは、ただの変態な目にあってもらうだけなのに」
変態な目って言ってるじゃ無いか。
確信犯じゃ無いか。
「『確信犯』とは、また誤用されやすい言葉を引き合いに出すね。あれは、悪いことを確信して犯罪するのではなく、犯罪を良いことと確信してする事なんだよ!もし前者を言いたいなら、『故意犯』と言います」
へぇ、知らなかった。
たまに出る、博識小鳥さんだが、キャラ的には、そこが玉に瑕だが。
「……まぁ、確信犯でも、故意犯でも良いのだけれど、罪を犯す一歩手前であることを、意識してもらえれば良いのだけれど」
「大丈夫。あたし、実は大泥棒の末裔だから。ルパンの一族だから、ルパン5世だから」
「奴はとんでもないものを盗んでいきました…あなたの心です。って言われる奴だから。これがまさに『恋犯』なんちゃってね」
「それはただの『恋泥棒』と言うのだろうけれど。新しい造語を作るなよ。その立ち位置はもう埋まってる」
「確信犯だって、故意犯の立ち位置奪ってるんだから、可能性は無きにしも非ずだよ。いつか、恋犯だって来たる時代が来るやもしれないよ。虎視眈々と狙います。これぞ、まさに『故意泥棒』ってね」
…
「ところで、女将さんはどうしてここへ寄りに?まさかとは思いますけれど、この確信犯と話に来るのがメインイベントなわけでは無いのでしょう?」
「はい、そうですよ。予想される通りに、わたしはここへ暇を上手く利用しようとそう考えているのではありません」
金属製の配膳ワゴンに寄ると、言葉を続ける。
「これが、今の仕事、役割です。まさに、見てのそのまま配膳ですよ。部屋から、出たく無いと言う方は少なくありませんから、そのような場合はこのワゴンで配膳します。今朝は、今先ほど寄った百白引さんと、残りの鉄黒錠さんですね」
そのようなサービスがあったなんて今のいままで知らなかったけれど、所望する御歴々を並べると、僕風情がオーダーして良いサービスを余裕で越えそうなので、結果オーライ。
無知の勝ちだ。
「朝食、昼食、夕食、夜食。大食い寄りである、鉄黒錠さんへは日に4度の配膳を致しますが。このような場合は例外ですから」
「例外というと、缶詰ですか…」
缶詰といっても、食料の意味では無い。
執筆作業で部屋に篭る意の缶詰である。
「そう、缶詰。内側に閂を備えられては、外からは何も出来ませんので、配膳に来てはノックして、返答なければ、ただ帰ると言う作業になってしまいます」
「今朝も、その賭けという訳ですか」
「賭けというと、言葉が少々、暗澹としていますけれど。そうなりますね、こちらの介入の難易度では…」
そう言うと、ガラガラとワゴンを壁側に沿うように、手で引き寄せて、配置する。
白い手が、クローシュをさわりと撫でた。
ガチャコン。
その時だった、その時、何かしらが音を立てて、地面に落ちたのがわかった。
そういった音だったし、音は小さくとも、鮮明に聞こえた。
「あら、噂をすれば。どうやら、内側の閂が抜けたようです。では、浮向さん、宿木さん。一度ばかり、席を外させていただきます」
さようなら、と最後につけると、クローシュを手に持ち、一人、黒扉のノブを捻った。
押し開ける姿が、やけにゆるりと感じられた。
何か嫌な予感がしたから、その瞬間を、何枚も、何度も、視覚に切り取って意識したのかもしれない。
そのすぐ後だった。
暗闇に侵入する女将の後ろ姿が、びくついた。
数瞬後。
空気を切り裂ける、キリキリとした女の叫び声。容赦なく、響き渡らんその声は、廊下を反射して、僕の耳を劈く。
その痛みを震える内耳に抱えながら、僕と小鳥は途端、飛び出すようにソファから近辺へと移動する。
小鳥は頽れる女将の方を優先して、近くに寄るのが、傍目に見えた。
このおかげもあって、気にかけず僕は、その第二発見者とあいなった。
血の海。
水の海。
バラバラ死体。
頭、首、胸、手、足。
五体不満足。
幾つかの輪切りに切り落とされた、死体がそこにあった。
鉄黒錠鉄鍵。
黒鬼の死体である。




