終身的ベッドサイド9
30
そう言えばの話をしよう。
僕は、先ほどまで玄関広間で話をしていた訳だが、今しがた、夜闇の照らす部屋に入っている。
椅子に三角座りする少女を月が暗く映す。
「電気つけろよ、切落」
その言葉にどこか、フワリとする反応の殺し屋。
透明なガラスのように、言葉が透ける。
外の景色のどこを見ているのか、河童でもいるまいに。
「切落?」
…
シカト。全てのコミュニケーションツール、つまりの会話を、会話だけを、その始まりを、無視として失敗した僕は、しどろもどろ。
静かになって、はっとなって。
広い空間に、椅子と少女と僕があるだけのように、静まり返る。
…
「…聞きたかったんじゃ、お前はさ。本当に殺されたいと思っておるのかの」
ふっと発される。
「今日一日。一日という人生における長くもなく、深い意味のない一日という幅でお前を、淡々と過ごす、送るお前を見た。見てきた」
一呼吸を挟む。
呼吸、ひんやりと喉が割れていくのを僕はまた一度、接着させる。
「どう見えたんだ?」
「…どうと言っても、大事なのは結論じゃろう。重ね重ね、ワシはお前が死にたいと思っているようには思わなかった」
「簡単にはそうじゃ。お前は生きることに前向きとまでは言わずとも、死にたいと思っているほどでは無いと思うがの」
ひんやりとした空気の暗闇で笑う。
姿は見えないが、華奢な形が笑う。
「ふっ、見る目が無いな切落。僕は死にたいよ、およそ多分そうなんだ」
ぽつと、外が鳴った。
夜から雨が降ると、行きのラジオで言っていたか。
朝まで降るらしい、今は始まり出しで弱い。
「見る目が無いか、確かにそうじゃな。そう言われれば、そうかも知れない。ワシは死にたいなどと人生において思ったこともなければ、考えたこともない。およそ、二極の別じゃ」
「じゃが、生きたい奴は五万と見てきた。お前は堂々と語るわりには、そう感じないほどに薄弱じゃ、生きようとも死のうとも」
「気になるの、京介、何がある?」
その質問に、半身がこちらに向く。
目が合った、逸らした。
こういう所が厄介だった。
一目見た時、一太刀を打たれるあの瞬前から、こいつの目が嫌だ。
純粋に、いい奴の目をしてこちらを見ている。自分が悪いことをしているように感じる。
およそ、とても身に染みて良い奴だ。
何がある?か。
こと、この殺し屋には少しばかり話してもいいのかも知れない。
「切落、お前は運命って奴を信じるか?」
俗っぽい。
言葉足らず、甚だしい質問を僕はした。
「何じゃ、占いか何かでも始めるつもりか?」
「光辻の、三辻占いの様にはいかないさ。単に僕は運命ってやつの話をしているだけだ。ゲームの紹介じゃなく、ゲーム自体の話をしようと言っているんだ」
「楽しいゲームではなく、ゲームの歴史を」
「運命、考えたこともないが。内実もよく知らんな。まぁ、簡潔に人の為すことの決まりきったもの、流れかの」
「まぁ、大体はそうだ。その結論で、扱いで間違っていない」
「しかし、正すなら、僕らは『役』って呼んでた。僕らというか、もうあれだけれど」
無様な結果の、今のちょっとばかりの後悔の公開を、つまりはこれを懺悔というのかも知れない。告解。神にではなく、聖職者にではなく、殺し屋に僕らしく。
「人生は『役』、『タイミング』、『結果』しか無い。何がどの時点でどうするか。それだけっていう考え方だ」
「それらは何をどうしようとも変わらない。誰かが代わりに宿題をやってくれることもなければ、誰がどうしようとするタイミングは元より決まっていて、宿題が終わる結果は見えている、なんて言う、馬鹿げた考え方」
次第、次第に雨足は増す。
無警戒に開いたままでいる窓から、ペトリコールが鼻を肥ゆる。
「馬鹿げた考え方じゃ。大筋が、人生の大筋が決まっておると、ふん、つまらない。ある訳が無いだろうそのような結論が、結果が」
「僕もそう思ってたんだぜ。でもやっぱり否定し切れない自分が居るのも確かなんだ。なぁ、少し聞かせてくれないか。一つだけ、聞きたい」
「なぜお前は僕を一太刀で斬り払わなかった。一太刀で、初めて僕たちの出会ったタイミング。あのタイミングで、何故お前は僕を切り落とさなかった?」
湖の衝撃音が、のそりと強まる。
軋む屋根の音が、揺れる木製船の甲板を思わせる。月の光だけが、直線的に姿を変えないでいる。
「それはお前から、金を受け取っていなかったからじゃ。そうじゃったろう」
「そうだったが、そんな物は後から幾らでも僕から剥げば良かった」
「ワシは盗人じゃ無い。決まりが悪いじゃろう」
「違うね。お前は、僕を切るつもりだった。殺すつもりだった。お前ほどじゃなかろうと、僕にだって目がある、見る目がある。あれを見間違えることはない。本物を。だから分かる、お前はその上で失敗した。一太刀を、峰打ちに変えた」
山間部は異常な雨を拾う。
コンクリートの外壁では考えられないほどに、鈍く打ちつける雨音に、絶え間なく僕の耳は興奮を覚えはじめる。
「お前は金を切れなかったんだ。それこそが依頼料だったから、バックの収納の一つに入れられた札束の感触がお前を揺るがせた。違うのか?」
「…そうじゃ、そうじゃった。忘れておった。そんなこともあったの」
ざっくりと対して、かけられた水に簡単に切り返す。
「僕はただ何故か。あの時、ATMの向かいにいる時に、ふとそこへと札束を突っ込んだ。こと自然だった。盾をと思ってなんてない。何の意図もなく、何の意思もなく、何の思惑なく、僕はその行動を行った。人生なんてそんなものの連続だ。どうしようもない、変えられないものばかりで構成されている。絶対に殺せない役回りが僕にやって来ている。タイミングがここじゃ無いとそう言うみたいに、こと自然に」
「…ふん、こと自然に入れた札束がお前の命を救ったと言いたいのか。ふん、札束に救われた男か、面白いな、馬鹿馬鹿しい」
「茶化すなよ。もしもの話をしてるんだ」
「もしもの話…じゃ」
雨が途端聞こえなくなる。
水玉を突き抜ける月光が雲を潜り抜けて、強く少女を照らした。
「もしもの話。それはつまり、ワシがそのお前の運命とやらに則って、このタイミングというものに絶対的に抗えず、一度失ったチャンスと同様に、殺すことができない結果を出してしまうとそう言いたいのかよ」
「あぁ、そうだ」
端的に、諦めがましく、慎ましく。
「ふん、言っとれ」
「若者は若者らしく、若々しい意見を言っとれ。やっても出来ないは、やらない奴じゃ。やったら出来るも同じこと。ここで宣言してやる。ワシはやる。明日、人を殺す。京介、お前がどう思うかは知らんが、ちゃんと殺してやる。お前が死なんなど知らん。依頼の限りワシが殺すだけじゃ」
「よく見とれよ、よく見惚れよ」
「伝説を。破天荒の伝説を。無欠の無血の伝説を。ワシは弱座切落じゃ」
月光はスポットライトになって、少女を包み込む。逆光で顔は見えないけれど、満面に自信満々に堂々と言いやがる。
カッコよく、カッコつけて言い放つ。
やっぱり嫌な奴だ。
今朝方、一度失敗した奴の元気の振る舞いじゃ無いんだよ。
「格好つけるなよ。格好良いから」
「馬鹿言え、格好がワシに付いてくるんじゃ」
「明日、約束だぜ」
「約束じゃ。なら、指切りでもするか」
「悩ましいがよしておく。別にお前が今日、風呂に入っていないから避けているという訳ではないが…」
「何じゃよ。匂うってことは無いじゃろう」
スンスンと自分の匂いを嗅ぐその姿は、まさに子供のそれだ。服を伸ばしたらダメだと言うのに。
「足の裏が汚れてる。ほら、数時間前、ただ無駄に僕の後頭部を詰った足の裏が。シャワーでもいいから。明日には入れよ」
「ふん、遺言に聞いといてやるかの」
それはもう少し大きなことを聞いて欲しかったが、まぁそれで良い。
満足してやるよ。
「明日じゃ。明日ちゃんと綺麗さっぱりしてやる」
「ふ、楽しみに待ってるさ」
そう最後に言葉を交わして、今日を終えた。




