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外科的クロルジアゼポキサイド8

夕陽の熱が頬を焼く。

人よりも特段汗をかきにくい体質で良かったとこの時初めて思った。

熱のこもりやすいこの体が、秘匿にこれほど向いているとは思わなかった。


「流石と言いましょうか、運動をなさっていた経験のある方は見た目から余裕ですね。汗ひとつかかないで、いえいえ私なんかは…」

こんな事まで言われる。

彼女は対して、荷物を渡してなお、汗を拭いながら、また汗を流す。

日は確かに強い。


いやいや、しかし本当に良かったよ。

変な心配をかけるのは御法度だしね。


「けれどね、浮向さん。途中で止まりたくなったら、言ってくださいね」


「え!休みたそうでした?」

御法度が途端破られたか?

そんなことを言わないでくれ、何か察されたかと思ってしまう。

直感とか言う胡散臭い従業員に、心の声に会話する大学生、殺し屋、察し良すぎる奴らでちょっと腹一杯なんでして。


「いえいえ、私も別にこの荷物を一度に運んだりはしないんですよ。何度か休憩を挟んだりするものですから」

「それに特別、今回は重いですから、休みは必要かと思いまして」

「たとえ、男の人とは言えど、スポーツマンといえど」

そう、丁寧に心配してくれる料理人の立ち居振る舞い。

流れる様な細心が彼女を包む様である。


「大丈夫、止まらないけれど、心配はないけれど。そうだな、一つ話をしてくれないか。歩くだけじゃ、気が入り過ぎるから」


「確かに歩く時は退屈ですから。良いですよ…どうぞ」

並列に歩く料理人の顔は見えないが、話好きではあるであろう彼女は言葉に表情を少し乗せて返す。


「ではでは、僕から話をさせてもらいますけれど、一つね、疑問に思っていたことがあるんだ。疑問視していたことがあるんだ」

聞いて良いかい?と16の料理人に対して、いかにも対等であるが伝わる様に話す。


「はい、何でしょう?」


「聞きたいこと。団子ちゃん、君はここの、この旅館とはどう言った関係なんだい?」

直接的に迂遠。

聞きたいことはもう少し根深いのだが、不覚に行くには深すぎる。

重ねて、直接的に迂遠。


「関係ですか?」


「そう関係。少し不躾だけれど、君の年齢を他人から、つまりは従業員の彼女から聞いたのだけれど」


「若過ぎますか?」


「いや、若過ぎるというから静止を呈するわけではないのだけれど、若過ぎるほどに君がしっかりしているとそう思ってね」

「大の大人としてはその一端でも見えれば、教えてもらい、目に見えれば、安心こそすれ、理解は出来るとそう思っているんだよ」

ふと、この言葉に一間が開く。

須臾の間、彼女は少し息を吸い込んだ。

そして、吐く。


「いえいえ、なるほど。あなたは全く全く良い人なのでしょう」

「いえいえ、でも普通らしくも無いと、あえて私は形容しつつ、あなたを普通の優しい人として、扱うことにしましょう」


「私はね…」

「武者なんですよ」

そう、料理人は言い放つ。


「武者。武士ではなくて武者なんです」

「私は武者修行中の身なのですよ」

武士ではない、料理人である。

武芸を身に付けたい訳ではなく、料理芸を身に付けたいのである。

およそ、その強調だ。


「武者修行。そう自分の中で自分の行為を名づけ始めたのはもう数年も前になります。わたしが活動自体を始めたのは、実家の旅館で働き詰めになっていた時でした」

実家の旅館。

それである、僕の疑問、彼女、女将との違い、所作の細々の違い。

元々は別の出身だったということらしい。


「実家の旅館で、私はどちらかと言えば、今のカエラちゃんの様な働き方をしていました。言われずとも、自分の仕事を見つけて、終われば、また次また次と。無くならない仕事に追われていました」

「旅館自体は繁盛していましたから、経済的には良かったとは思いますけれど、私はそれよりも掃除や、接待、配膳、よりももっと興味のあるものがありました」

「今では身近にあってあり余るもの、それが料理です」

一間ここで、料理人は自分に残る粗熱をとるように一呼吸する。

ふっと、吸い吐く。


「料理長。有名なので知っているかも知れませんが、名前はニ本柳(にほんやなぎ)葉桜はざくらと言います」

知っている名がある。

二本柳。独自創作料理の本家。

下の名の『葉桜』には聞き覚えが無いが、その苗字を当てられており、料理人という二つの要素が並ぶだけで、末恐ろしい。


『全ての料理を極めた人』とか、どこかの結果的な三号雑誌がその苗字を過激に取り上げていたか。誇張された内容だったのかも知れないが、それなりに気の入ったものだった様に記憶する。


「私は、その葉桜さんの料理がとても好きだった。シンプルさを追求し、その中で自分らしさを研磨するその背中こそが美しかったんです。私の理想像なのです」

にんまりと小さく笑う、子供らしく。


「私は彼女の料理に入れ込んでいました。朝から晩まで、時間が空けば、彼女のところへ出向いて、調理の姿を、方法を、観察していました」

「今にしてみれば、ストーカー、料理方法の泥棒の様な無理矢理だったかも知れません。邪魔だと思われていたかも」

「でも、そこは彼女の大人らしさと言うか、私の子供っぽさが相まって、日々平穏だったんですよ」

「平和に、平穏に、平然に、料理だけで私たちの関係がありました」


……

「…でもある日、葉桜さんは旅館から、追放されたのです」

ことは、言葉と急落する。

突破した声が、途端にどこか寂しさを纏っていく、いつもの料理人に姿を着る。


「追放されてしまった。理由などは知りません。いくら旅館の直系の血筋といえど、手に入れられる情報なんて限られ過ぎていましたから」

「その時が切欠でしょうね。落胆から発生する、苦々しい消失感が当時の私の中で爆発しました」

当時の料理人。

若過ぎると思えてしまう、彼女の今の年齢。だとするならば、その当時はもちろんもっと、グッと若いはずである。


「いえいえ、若いと言うほどでも無いですよ。うちの旅館では働き始めは3歳を終える時ですから、もともとの始まりが極めて早いと言うか」

「その追放が起こったのは、そうですね。私が6歳だった頃でしょうか」

6歳。

義務教育を捨てて、料理を学びに旅立つ少女。


「6歳。私はそれから、様々な旅館を転々としました。山の上から、絶海の孤島、海の底まで、ありとあらゆる旅館という旅館を巡り巡りました。働き、働き詰めました。学び、学び続けました」

「ここで、料亭、つまりの料理屋を選ばないのは、私の考え方の固執でしょうか、変わらない自分の弱さと言いますか。いえいえ、恥ずかしいばかりです」


「そして今、あなたはここにいる訳だね。団子ちゃん」


「そうです。だから、私はここにいる。ここをちゃんと破るために」

なるほど、武者だ。

大人の、およそありし日の見た尊敬の料理人の外装を身につけた鎧武者。

御手洗団子。

武者修行、道場破り。

生粋の料理人である。

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