外科的クロルジアゼポキサイド4
…
見渡す限りの銀色。
そこに踏み込もうとそう思ったのは、若気の至りであろうと思う。
相手の老練だからこそ、そこに付け入る隙と、余裕への甘えを許されようと思ってしまう。
「あなたはどうなのですか?」
「兄弟姉妹構成」
その質問に、少し銀色が微笑む。
「いえ、すみません、笑ってしまいました。馬鹿らしかったわけではないですよ本当に。恥を忍んで言うならば、そう初々しい気持ちになったんです。この歳になると、家族構成を聞かれることはあっても、兄弟姉妹の構成を聞かれることは極端に減ってしまうので」
「しかし、パーソナリティの紹介といのは、やはり恥ずかしいものですね。人のそれに入り込んであれですけれど…あ、そうです!当てて下さいよ、私がそうした様に。私が兄弟姉妹の何番目か」
兄弟姉妹構成の当て合い。
兄っぽい、弟っぽい、姉っぽい、妹っぽい。
この直感から得られる情報だけで出来る、およそ原始的な他人のパーソナリティに接し合い、信頼を与え合う遊びである。
当てることには、大きな意味はない。
自分の情報と、他人の情報が同じだけ、相手に伝わることに意味がある。
「およそ…」
「いえ、それではつまらないですよ。当てづっぽうでやるには些か良いゲームが過ぎますから。時間を開けませんか。あなたが応え、答えるまでの時間を設けませんか?」
若々しく、母親の様な抱擁性と、楽観性を孕みながら、冷静にゲームの詳細を削り出そうとする。
「そうですね。分かるのは年の功と先ほど言いましたが、流石に年月が経ちすぎるのも良くないでしょうし。次また会った時にしませんか?別の場所で、別の時にまた会う可能性、それを私は楽しみに待つことにします」
「あなたが良く私を観察できることを期待しながら」
「いえ、しかしそれでは…」
それでは、その先を述べることは出来ない、表現出来ない、口に出せないパーソナリティである。
「急がないことですよ。一番大事なことは」
テーブルを人差し指で示す。
若者の様に、不躾に。
「ほら、食べてください。話すこと、聞くことにハマり込んでしまうと、物事を蔑ろにしてしまいがちです。愚痴、不安、嫌悪、怠慢、恐怖、楽観的、悲観、悲劇、喜劇、大抵、話は何かの後につくものですがね」
「物事を蔑ろにしてしまった結果。話すことを辞められず、そしてまた物事を蔑ろにする」
「であれば、そう、目の前の一杯の紅茶と、パンくらいの飲み頃、食べ頃位は堪能してください。逃さないようにして下さい。静かに何も語らずに」
銀色作家はそう言って、一度会話を切る。
紅茶で口内と、喉を潤しながら、落ちる銀と黒の髪を耳に掛け直す。
その手元には食べ頃のクロワッサンは無い。
皿も何も置かれていない。
下を見れば、僕のクロワッサンがある。
2つ。
正確に言えば、一つと、一切れほど。
紅茶は3分の2ほどがいまだカップに揺れる。
僕と作家はできる限りの音を抑える。
殺し屋だけが発する、パンをちぎる音。
サクサクサクという耳心地のいい音が、その部屋に広がっているのが良く分かる。
分かると言えば、クロワッサンの焼き加減の絶妙さもその音からヒリヒリと伝わる。
パンを食べ、紅茶で流す時もさえ、その音で涎がジンワリと口内に染み渡る。
紅茶の熱で溶ける、クロワッサンの表面の砂糖が口に惜しい。
しかし、ストレートティーに溶け出す砂糖こそがその役割を最大限活かしており、飲むことも辞められない。
美味しい。
シンプルだけれど美味しいこの感じは、かの料理人と同じ様な卓越を感じる。
料理経験はいかほどなのですか?
と美味しさのあまり声を出したくなるけれど、彼女の言葉の手前、褒めることさえ憚られる。
悔しい、美味しい。
伝えたい。
最後のクロワッサンの一切れまでを、紅茶で流し込み、舌を払拭する。
ぷはー!
「…バランスが悪いですね」
銀色作家は一人そう呟いたので、僕は感謝のタイミングも、美味を伝える瞬間も失ってしまった。
狙ったのかは定かではないが、その言葉に答えるにして、少なくとも、感想も感謝も不適切であった。
だから、その言葉に対する的確な答えを新たに作り返す。
「何がですか?」
と返す。
「バランス。あなたと私の情報量の差ですよ。あなたは二つ公開し、私は一つしか公開していないのです」
公開した情報量のバランスが悪いと作家は言った。
兄弟構成…しか僕はおよそ公開していないはずだけれど。
それに作家の情報だって、何も公開されていない。
「遅くなっても一つは手に入る情報は手に入れている様なものでしょう。だから、兄弟構成は予約済みということで」
「であれば、もう一つ。僕は何かをあなたに公開しましたか?心当たりが無いのですけれど」
作家がクスリと笑う。
「そうですね。あなたは確かに公開していないとそういう風に思っている様子でしたから」
「何を公開したか。それはあなたが何故、弱座切落と一緒に行動を共にし、ここへ来ているのか。そのことを私には知られたく無いという事実ですよ」
ものは言いよう。
確かに僕は、そのことに対し、言いあぐねるどころか、自分の口でその事を強く言及してしまった。
追求を控えたかったという意図もあったが、それを伝えたからこそ、それを知っているというのもまた事実なのである。
そんな情報なんの役にも立たないだろうけれど。
「そんなことはありませんよ。好き嫌いは大事ですよ。これは単純な左右、二択とは違う。左が嫌いだから右を選ぶのと、右の気がするから右を選ぶのとでは意味合いが変わってきます」
「あなたが言いたくなかったのと、あなたがただ言わなかったかとは決して言葉の意味が違いますから、そう例えばあなたがそれを深入りされたくないのであろうと、私に伝わっている様にです」
……
「なるほど、言っていることは分かりました。そちらが良いなら、こちらとしても避けていただけるなら、そのバランスとやらにバランスボールに乗っても良いです」
「話が早くて助かります。それでは質問して下さい」
もちろん、バランスというのは、ここで言うバランスというのは、僕が質問をすると言うところまでに限られる。
質問をされた、しかし答えなかった僕。
そして質問をされて、どう答えるのか分からない作家なのである。
答えずとも別に何も変わらない。
バランスなどこの世には無いのと同じなのである。
しかし、それを僕と作家は求めている。
ルールは壊さない様に、手番は守らなくてはならないだけ。
「あなたは何故、ここへ来たのですか?」
僕が答えることが出来なかった質問を行った。
嬉しそうにその質問を作家は受け取る。
「私がここへ来た理由は、伝えられません」
「というのは、つまらないので。ちゃんと伝えます」
「簡潔に、私が作家だからですよ。作品を作るためなら、このような所へと足を運ぶことも厭わないですから」
「鉄黒錠先生がいらっしゃるからですか?」
作家同士の邂逅。
それこそが何の理由もなく、ミラクルで無いことは察しのつく所であったが聞いた。
「あなたは鉄黒錠先生の作品が好きな様ですね。ふん、良い趣味をしています。私も好きですよ。先ほどの質問、もちろんイエスです。彼が居るからこそ、私もまたこの場に居ると言えます」
「これはオマケの返答ではなく、ここへ来た理由の付け足しです」
バランスは崩れません。
そう言って、言葉を切った。
バスケットの中を空にした殺し屋は、随分と満足そうにしている。
「そろそろ、良い時間ですね。話終わりに、食べ終わり。楽しかったですよ。若い人との会話は新たに思うところが多くて、タメになります」
「ではまた、会うべきタイミングで、また会いましょう。それまで、私がどういった人かは観察してみて下さい」
「それでは…さようなら」
流れる様な別れの挨拶に、部屋から追い出される様な風を感じた。
パタン、カチャリと、扉を閉じる。




