外科的クロルジアゼポキサイド3
…
「娘が、殺し屋であり、その名が伝説の弱座切落である場合の気持ちを答えよ」
国語のテストで出てくりゃ、相当答えに窮する問題である。事実、僕はこの事実に窮した、汲々した。
「難しく考えさせてしまいましたね。申し訳ありません」
「気にしないで下さいとは言いませんが、気を緩めてくださいとは言います」
気を緩める。
それは出来ない。
ただでさえ、僕の嘘が一つバレている状況であり、手札を一枚を見せながらポーカーをしているようなものだ。
降りたいが、ゲームから降りてしまいたいが、正三角形が邪魔をする。
「緩めるお手伝いをしましょう」
「実は私、あなたが弱座切落の父親でないことは分かっています」
「嘘をつく理由は謎ですが、彼女のことは少し知っているのでね。あぁ、面識があるという訳ではないですけれどね」
「名前は有名ですから」
「伝説、人斬り、鎌鼬、首飾り、斬首人。何故そう呼ばれるのか理由がまた面白い二つ名達」
それほどまでに簡単に手の内を晒す。
嘘がバレて動揺している僕のことをまるで意味のないことのように冷静で、単調。
「…僕は父親では無いです。その通りです」
「だからと言って、それを知られているからと言って、関係を話すわけにはいきませんが」
「先ほどの質問にも答えかねます。僕はやはり何者でも無いので」
「何者でも無い人間なんて居ませんよ。何者でもなければ、それは人間ではありませんから」
「あなたがどうあれ、ここへ来たのですから、その理由を、余裕を持っていいんです」
「慰めでは無く、自戒として」
冷たい声だった。
絶対零度、氷点下でも凍てつくあの感覚を吹き飛ばすほどの冷気を、何も動かない瞬間を見た。
熱量がない。
それでいて、本気で聡明な意見を述べる。
必ず偽りなく、言葉に一片も違いない。
改めて、知っていたのだ。
知らぬが仏などと言ったが、この女性作家は知っていて、この少女が殺し屋で、その上で、自分のスペースにそれを侵入させることを容易に見逃したのである。
見逃したどころか、招き入れたのである。
「しかし、弱座切落ですか。一昔前の英雄をよく呼び出せたものですね」
綺麗な、まさに妖艶さを持ったその口角の上昇は一度の緊張を解きほぐすには十分だった。
内容こそ、発狂モノの、絶叫モノだが、彼女はただ世間話でもするようにそう切り返す。
薄らと。
こと自然にそれだけの人間に見える。
およそこの人は、目の前の男が自殺しようとしていても、首に紐をかけていても、手首に刃を向けていても、およそ変わらずこのモノトーンで話すことが出来るのであると思う。
楽である。
話すのが楽だ。
およそ止めないだろうから、楽だ。
およそ泣かないだろうから、楽だ。
およそ叫ばないだろうから、楽だ。
およそ嘆かないだろうから、楽だ。
およそ恨まないだろうから、楽だ。
およそ笑わないだろうから、楽だ。
およそ逃げないだろうから、楽だ。
およそ諭さないだろうから、楽だ。
およそ喜ばないだろうから、楽だ。
およそ動じないだろうから、楽だ。
およそ覚えないだろうから、楽だ。
およそ忘れないだろうから、楽だ。
およそ怒らないだろうから、楽だ。
およそ知らないだろうから、楽だ。
およそ揺れないだろうから、楽だ。
白黒つけない。
かと言って灰では無い、この女性は銀色である。
「つと、私の質問としての体をとって、あなたの話をしましょう」
「僕の話ですか?」
「そうです。あなたの話です」
「あなたの面白い話」
「あなたは、ネズミと猫が追いかけあう、カートゥーンアニメをご覧になられたことはありますか?」
ふと、そんな他愛のない質問を銀色作家は始める。
その質問に対して、僕はイエスと答えた。
「あの作品は面白い。明らかな過ぎた暴力をアニメーションという形をとることで和ますことに成功している名作です」
「あなたはどうです、好きですか?」
この質問に対して、僕はイエスと答える。
「ふん、そうですか。好き…ですか」
「以外とは言えませんが、どちらとも言えないような不可思議さがあなたの価値でもあります。大人らしくないと言えばおおよそ正しいでしょうが」
「およそ、あなたは年上の兄弟がいらっしゃいますね。当てに行くと、兄が居ますね。一人」
……………………………
「はい、居ます」
……
「どうしてです?」
「どうして分かったんです?」
捲し立てる。
「いえ、ただの思考ゲームですよ。かの有名な猫とネズミのカートゥーンアニメは見る人によって楽しめる人と楽しめない人に分かれるモノなんですよ、私見ですけれど」
「かのアニメーション、やってやり返してのドタバタ喧嘩劇、スラップスティックと言えますか。しかし、あれはよく見ると平等にやり合っている訳では無いのですよ。明らかにネズミの勝利に向かって描かれることが多いように感じます」
「どうですか?」
かつて、太古の昔の自分の記憶が蘇るようである。見せられるようというか、魅せられたようであるというか、口火に記憶が着火する。
やられる猫と、やるネズミが見える。
「アニメーションであれ、小説であれ、実写映画であれ、ドラマであれ、何事にも人は自分とキャラクターとの感情移入が発生します。入り込む。それこそが物語の楽しみ方ですから」
「その感情移入先の話です。先ほどから申しているカートゥーンアニメ。兄弟姉妹の内、年長の時代が長ければ長いほど、その人物は猫に視点を置き。対して、下である認識を持つ人間はネズミに感情移入するモノです」
「リベンジ物、小さい者が大きい者に革命的に勝利するアニメーション。楽しめる者はおよそ上に障壁を持っている者です。高い高い壁を感じている者です。それを打ち砕きたいと思っている者です」
「逆に、上もまた負けたくないですから、そのアニメーションを心から楽しむことが出来ないということです」
「だからこそ、僕には兄がいると」
「いや、しかしそれだけでは、情報としては家族構成までは、兄弟構成まではわからないはずです」
「そうです。分かりません。これは経験則。カートゥーンアニメも十中に八九もありません。あなたの話し方、態度、そう言ったモノで測り、予想しただけですよ。年の功です」
年の功。
再び聞く言葉である。
これはまた違う年の功である。
鉄黒錠、黒い作家とはまた違うそれである。
「まぁ、こう言ってしまうと、種がある手品のようですが、やっていることは占い師、ペテン師と同じですよ。先ほどの猫とネズミも勝手で小さな統計の結果で個人的な主観から出た証明のない本当に似た嘘ですから」
「視点は多岐に渡ります。アニメにも感情移入が分かれるように、そうだから視点によって落ち着ついた人であるとか、自分は駄目である如何なんてものはただの経験から発生する、押し付けられた特性であるということであるのです」
「そこに優劣なんてそもそも求めるべきではない。雄弁は銀とは言いますが、金とて語ら無いだけではなれないんです。本当の意味で褒められる沈黙なんて弔いの場くらいですから」
自分の額面だけで捉えないこと、それを話しているのであると思う。
それを心に留めようと、思えるだけの迫力がそこにはあった。けれど、どれだけ見ようと、銀色は額面通り銀色にしか見えなかった。




