外科的クロルジアゼポキサイド2
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年齢詐欺。
サバを読むと言う言葉があるが。
これは魚屋がサバを纏めて売る時に、わざとその数字より多くのサバを詰めて売ることに先んずるところであるようである。
こと、この旅館内には跋扈する、年齢詐称という問題。
問題というか、問題として取り上げているのは、およそ、いや間違いなく僕だけだけれど、問題も問題である。
時が止まっているかのように若々しく見えすぎる女将。
まるで幾たびの苦境の乗り越え悟った様子で笑い話す小間使い。
大人としての自分を作り上げて一人前として振る舞おうとし成功する料理人。
小さく大きい殺し屋。
その種類あれど、何かに見間違えれど、外れることはあっても、それは初めての経験であった。
年齢の予想が立てられない。
若くも、老いても見える。
ただ芯の強さは若さにも、老いにもチラチラと見えるのである。
百白引名々夜。
二人目の作家。
無名作家。
役職重複。
…
パンを分けてもらいにきました。
食糧寄付の団体に向かうように、こんな鮮やかに自分のことを説明できれば良いのだけれど。
もちろん、それは出来ないわけで。
自作の電気トースターを試して、パンを焼いていたらしい女性に対面としては、極めて誠実に、極めて普遍に、普通に、挨拶をするという形を取った。
流石というか、聞くところによれば、土地を侵すことすら難しいと呼ばれるこの建物、旅館・不知雪に入り込み宿泊をしている人間である。
僕と違い、正式に初めから認められている人である。
流石と言うべきか。どうぞと、僕たちを簡単に招くのだった。
もし僕らが吸血鬼だったとすれば(切落には強く否定された)侵入への実に簡単な契約を交わしたことになるのだろうけれど。
度胸あるよ、入室したのは吸血鬼でなく、殺人鬼だと言うのだから。
知らぬが仏という奴だ。まぁ、こいつの、切落の場合は知ってても仏になるだろうけれど。
丸い大きなテーブル。
中華の食事台のようなサイズ感だけれど、材質が西洋風の浅黒い木材を用いており、その上には白いテーブルクロスが引かれる。
その中央奥にある窓からの逆光を小さく受けながら、紅茶を嗜む女性が一人。
女性作家との初対面。
「どうぞ、そちらにお座りになってください」
二つの同じデザイン。
中央より、ほぼ同じ角度、同じ距離に配置され、極めて正三角形として配せれるそれに僕たちは促された。
同じだった、左、右。
全く区別のないその二つ。
悩んでしまう、永久的に、恒久的に。
ドカッと。
その殺し屋の、その動きがなければ、前述する様に、無様に、不様になっていただろう。
正式に呼ばれた一人、こちら側にもいた。
弱座切落。
直線に、ただ直線に、およそ自分が入る時に右側に、僕が左側にいたから、ただそれだけの理由でかの殺し屋は右側の椅子を選んだ。
そして、座った。
「さぁ、あなたも座ってください。招いて座ることさえさせないなんて、お客様には申し訳ありませんから」
優しい声だ。
お客様と言いながら、私のためにと言われたような気がした。
私のために、あなたが動くように、あなたが思うべきなのだと思わされた気がした。それでいて、自然的に自分が動くことは自分の所為だとそう思うようである。
「はい、座ります」
座ると同時に、女性作家は動き出し、僕の手元に自分のと揃いのカップに紅茶を注ぐ。
僕だけに注ぐ。
「お嬢さんは何を飲みますか?」
そっと、そう先に一言挟み込む。
「白ワ…」
「生憎、白ワインは持ち合わせが無いんですよ。シュトーレンもともかく、ドイツ産のなんてありません」
切落の明らかに間違った受け答えに、正確に女性作家は言葉を返す。
「聞こえてましたか?先ほどの会話」
「そうですね。扉の前であれほどに喋る声が聞こえるとなると、聞かない方が難しいですから。壁に耳ありなどは比喩ですけれど、そもそも部屋には耳があるものですからね」
「それとパンにもありますからね」
綺麗な返し。
こちらの思惑は先に、先々に先方にバレていたようである。
恥ずかしいばかりだが、顔からまさに火が出るようであったが、これはそれほどまでに悪い状況でもなかった。
パンの入手、これだけが僕らの絶対的なミッションであって、失敗はその人のパンが欲しいという卑しさが露見することではなく、パンが入手できないことにこそあるからだ。
怪我の功名である。
「シュトーレンでも、食パンでもないけれど、今回はクロワッサンを焼いてみたんですよ」
「味付けも甘めにしてあります」
そんなところまで聞かれていたとは、いささか恥ずかしいさが積もる。
甘党二人組、老婦人のいや、もっと若いかもしれない年齢不詳の女性に甘甘と扱われる。
「それで何を飲みます?」
改めて、切落には何を飲むか聞き直す。
切落は意外にもアッサリと紅茶を選択した。
紅茶を切落に注いだあと。
僕には、ティーカップと揃い柄の皿にクロワッサンを二つ。
切落の前には、同じ皿に二つのクロワッサン、近くに残りのパンが入ったらラタンバスケットを置いた。
ご飯でもなく。
いただきますと言ったりの決まり文句も無く、流れるままに殺し屋は食べ始めた。
僕も、紅茶を飲む。
エチケット、マナー。
カップの取手には指を入れない。
小指を上げない。
えっと、ソーサーの扱いはどうだったろうか。
「京介さん」
「はい!」
突然の声かけに、突然に言葉を返す。
「気になさらずに、マナーは大事ですけれど、気にしすぎるのでは折角の楽しみが、美味しさが感じられません。緊張で感覚器官が鈍るのはこちらとしても本意では無いので」
と言われてもですね。
横のそいつの食べ方が。上品じゃなさすぎるそれが、僕へと影響しているのです。
がっつく訳では無いけれど、マナーはほとんど踏み倒していくようなその少女。
喉がツバを押し通す。
美味そうに食いやがる。
そう思っても、マナーを捨てきれないしがない青年である。
マナーは守らないと決めることもまた難しいものなのだ。
「京介さん。彼女との、その少女とはどのような関係なのですか?」
あぁ、それはそうか。
どんな人であれ、この二人の関係を気にしない人は居ない。
危なすぎるのである。主に僕だけだが。
「父と娘ですよ。親子なんです」
先ほど、決めた関係を大っぴらに嘯く。
「へぇ、なるほど。お若いのに色々お有りですね。皆そうでしょうが、私も息子がいます、それと娘も。」
「二人ですか。お幾つなのですか?」
「上は高校生、下も高校生です」
「高校生、もうしっかりなされてるのでしょうね」
「いえ、どうでしょうか。娘はともかくとして、やはり男、息子は気になりますけれどね」
「それよりも、自分の子が高校生の歳にもになると思いますが、今の時期は子供は可愛いでしょう。可愛がれるうちに行うに限りますよ」
「男は恥ずかしがりますし、女は世代ズレが生じますから、常にコミュニケーションを取ることが肝要です」
なるほど、これが本当の親の言葉であるように感じる。
偽物としては、こう言った言葉を、生きた言葉をパクって行かなければいけない、生きていけない、メモメモ。
「でも、それにしても、どうでしょう」
「何がです?」
呑気に何がですなどと答えた。
次の答えを知っているなら、もっと締めなければならない場所だった。
作家は続ける。
「いえ、娘が、伝説の殺し屋・弱座切落であると名乗るのはどのような気持ちかと思いまして」
言葉に、首が60°曲がり、殺し屋を視界にとらえる。
聞いちゃいない、ただクロワッサンに夢中になっていた。
ここからは、しがない男と女性作家だけの話である。




