開放的インサイド7
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大学生から、一歩赤い絨毯に落ちる。
音のない足を、踏みしめて、僕の前の真っ赤なソファに座り込む。選手交代。
「京介、儂は腹が減っておる」
弱座切落。存在未確定の人斬り河童とは違って、正真正銘の伝説。伝説の殺し屋である。
そして、僕の介錯人でもある。
「京介、腹が減っておると言っておる」
「僕だけの血なら何なりと」
シャツのボタンを外して、首筋を差し出す。最高限、今およそ自分が献上できるもので最上である。
「馬鹿者、噛み切るぞ」
「えっ、牙を突き立てて血を飲むんじゃ無いのか?毛細管現象じゃないのか?」
あれおかしい、ニンニクなんてここ数年食べていないし、銀製品なんて持っていないはずだが。
「何というか、一つ言うが、言わせてもらうが、儂はドラキュラじゃないんじゃ。その白い首筋を見ても、性欲はともかくとして、食欲どころか、殺傷衝動が起こるんじゃ。首を刎ねたくなる」
とんだ殺し屋、伝説の殺し屋。
ちなみに、僕はまだこれを、本物と見做しているわけではない。パチモンとは言わずとも、成金って感じだ。自称殺し屋。
先に知っていてもらいたいのが、熟知してもらいたいのは決して馬鹿にしている訳ではないということだ。
そう思うのも、パチモンだと思うのも、仕方のないことで、清々しいまでの純粋で、疑いも憂いもなく言うからだ。
冗談だと、思えるほどに簡単に。『殺す』と、小学生が言うように、小学生みたいな容姿で言うからだ。
「別にあと1分でもそのままのつもりなら、失血で死ねるが、それで良いのか?死に方はそれでOKか?」
良い訳がなかった。すっと、すぐさま1分ギリギリまで焦らそうなんて、頭によぎらないほどのスピードで、第一ボタンまで止めた。
ついでに手首のボタンも確認した。よし、閉まってるね。
「なんじゃ、つまらん奴じゃのう。一度やってみるのも面白かろうに」
自分の死因の話。全く笑い話ではないが、無関係でもないのが玉に瑕だ。こんな状況で、面白いとでも言えなきゃ、その舞台への登壇は、断頭台への登場は早いってことか。
へへへ。
「何笑っておるんじゃ、良いことでもあったか?良いな、儂も笑うかの」
クックック、カッカッカッカ。
馬鹿だった。けれど、本当に死のうとしてる奴と、本当に殺そうという奴が笑い合う、およそ欲望のバランスとしては満たされた最高の空間であったと思う。
その証拠にこの時ほど、前向きである瞬間は数年来だ。
「良い話みたいに締めるなよ、京介。良いのは、利益を被るのは儂とお前だけなんだから」
「よく考えろよ、京介」
「……あ、そうだ。お前、切落、お腹が空いているって言ってたよな。この僕、ちゃんと頭を働かせて、気を利かせて持ってきてやったぜ」
無理にそう切り替えして、前置きして、内側の胸ポケットから先ほど握ってもらったおむすびを取り出す。
「気が利くの。朝昼と抜いて来ている、腹の空いている儂からすればそれは生命線、そのものみたいな物じゃ」
生命線とまで呼ばれる塩むすび。これほどの高待遇を受けているおむすびがこの世界に幾つあるかなんて事を考える。
感謝されたおむすびと言えば、ネズミの巣に転がり込んだおむすびがあるな。お礼はご馳走に、打ち出の小槌だった。貰ったところで、お爺さんとお婆さんのように、僕には育児欲求は無いので、子供を出してもらったりしないけれど。
さて、お返し何くれるかな。はい、どーぞ。
「腹は減っている。じゃが、いらん」
ん?なんて言った?要らないと言ったか?
「いらないと言っておるんじゃ。その綺麗な水と、燦々と照る日差しで育った新潟米と会津磐梯山で取られた山塩から作ったおむすびをさっさとしまえ」
めちゃくちゃ詳しく語るじゃ無いか。新潟の米ってことを僕は知らなかったし、そもそも会津磐梯山って会津のどこにあるんだ?
「驚くなかれじゃ。匂いを嗅ぐだけで土の成分が分かるって輩も多くいるんじゃ。それを思えば、見ただけで米と、塩の出生を知ることだって容易いことじゃ」
土の成分が匂いで分かるからと言って、その判別スキルはもちろん容易いことでは無いと思うのだが、このイレギュラーを我々の想像範囲に収めようというのがそもそもの間違い。
「いやいや、受け取れよ。別に本気で願い出ようと、打ち出の小槌をなんて思ってないんだから。ただより安いもんだぜ」
「そういうことじゃ無いんじゃ。おむすびがどうとか、京介がそのお礼に何を、打ち出の小槌、ご馳走なんて考えていたかどうかなんて事は関係ないんじゃ」
ご馳走までは言っていないはずだけれど。切落と言い、小鳥と言い最近の女性は心でも読めるのがスタンダードなのか。
そうだとするなら、それが搭載されていない男子に「言われないと分からない」と激するのはちょっと酷だぜ。
それも相まって、この少女が何故断るのか分からない。
しかしだ、当てないと「言われないと分からない男子」として、代表として名を馳せてしまうことになる。
分からずとも、答えないことはない。
「分かった。あれだ、中の具材が気に入らなかったんだろう。おにぎりと言えば、具材が如何とかがすごく大事だからな、極々重要事項だからな」
「タラコか、昆布か、シャケ、いや王道で梅干しか、何だって取りに行ってやるよ。だから、ほら言ってみろよ」
「おにぎりの具で一番好きなものは、シーチキンじゃけれど。おい、待て待て、玄関に行って靴を履こうとするな」
服を引っ張るなチビスケ。お前は僕の持って帰って来たシーチキンを食ってれば良いんだよ。
「シーチキンが一番好きじゃとは言ったが、どこに取りに行くつもりなんじゃ」
「オホーツク海にでも行って、釣ってきてやるぜ。マグロの一本釣りってやつを見せてやるぜ」
妙なテンション。無理にでも、おにぎりを食わせんとする化け物が誕生していた、僕だった。
「おいおいおいおいおい、待てよおい、京介。止まれ止まれ、ちょっと待て、ちゃんと説明を聞くんじゃ」
「儂は京介の持って来たおむすびをいらんと言った訳じゃが、その理由は具材が入っていないからとか、入っている具材が何かなどと言うところに関するところではないのじゃ」
「儂は京介がいくら、シーチキンを取ってこようと、そのマグロが最高級だろうと、マヨネーズが豆の木の金の卵から作られようと食べん」
「何だって、そんなにおむすびを食べる事を拒否しているんだ」
「儂は今…」
何か言葉が続きそうであったが、それは続く運命になかった。
話手繰る瞬間、ヒョイと白い小さな物体は横にスライドした。その華麗な横移動に目を奪われ、その死角の視覚から現れた、再起するもう一人の化け物に気が付かなかった。
爆発。突撃するハープーン。
大学生・宿木小鳥。その一直線は思い届かず、僕の鳩尾を抉り込んだ。




