開放的インサイド5
21
寝てはいないんだけれど。
意識は表面の裏を走るだけだった。ぼんやりと聞こえる女の声に、ふわりふわりと脳が刺激をソフトに受け取る。
ソフトボールキャッチ。会話のキャッチボール。キャッチャーはボールを投げ返す。
「そろそろ、河童の話をしないか?」
僕はついに切り出してしまった。
なけなしの勇気だった。分からないかもしれない、伝わらないかもしれないが、勇気だった。
「あぁ、そうだね。長々と話しすぎたかな。もう流石に諦めざるを得ないかな」
言いながら、廊下を右に左に矯めつ眇めつ。
「何か待ってるのか?」
先ほどまでの話(無駄話)に何か意味を言い出したかった。
無駄すぎる時間の使い方は振り返った時に、辛くなったりするんだよ意味があると言ってくれ。
「待ってるよ。待ってる」
「あたしも無駄遣いというか、出来る限りまとめて、やってしまいたかったからね」
「何を?」
「だから、話だよ。河童の話と無駄話」
「ちなみに『無駄話は女子の特権、話を聞くのは男子の愛情表現』ってね!」
つまり、こいつは無駄話だと分かって話していた訳だ。男子はそれを聞くのが常套ということで。
男子の愛情表現って、後に続くのはおよそ、『自慢話は男子の特権、話を聞くのは女子のアキレス腱』ってか。聞かせて、切れたら関係は致命傷だぜ。
「無駄話は終わったんだろう、つまり秋足カエラとのお話フェイズは終わった訳だろう?」
「じゃあ、やっぱり何を待ってるのか分からない」
「そうだよ、無駄話フェイズ終了。ここからが正真正銘、河童の新情報だよ」
「君が鉄黒錠鉄鍵と話をする。そのタイミングのほんの少し前、出てきたのさ。その扉から」
「何してたって訳じゃ無いよ。クローシュ片手に、かの部屋に料理を届けて、出てきた所だったんだね」
「件の綺麗な綺麗な女将だよ」
綺麗な綺麗な女将、そうまるで頭一つ飛び抜けた美しいクラスメイトを揶揄するように女は言う。
「待っていたんだけれどね。彼女この廊下を一度も通らないじゃない。話の間、無駄話の間、約何時間かな。分からないけれど」
「忙しいって言って、ちょっと話していっちゃったんだよね」
「それでさっきの一部始って訳だ。最後まで、終わりまで聞けなかったってことか」
「ご名答、ご明察、正解だよーん」
人差し指と親指で輪っかを作る。Oll Kollectってか。
「分かった。君の行動に納得した。では、改めてだ。妖怪伝説、その一部始、聞かせてくれ」
「いーね。乗ってきてるね。ヤル気だね!」
「京介君のそう言うトコ、好きだぜ」
指でピストルを作り、こちらに向ける。
「あたしが女将に聞いた話、かの河童伝説の話だけれど、どうやらこの話、本当にこの地に残る伝説らしい」
「ここで先輩の創作ではなく、あたしの妄想でもなく、確かにあったことが確認されたわけよ」
この大学生、自分の妄想である可能性も考慮に入れていたのか、それすらも割り切れていなかったのか。そんなあやふやに僕は人生の半日を費やしていたとなると、なかなかリスキーな時間だったと今になって思う。
「伝承の存在。ここまででも、十分に、十全に価値ある情報なのだけれど。まさか、その話も知ってるって言うんだよ」
「そもそもの話をすると、あの女将、もちろんこの建物の管理人な訳じゃん。パトロンがいようと、後援者が後援しようと、それは揺るがない」
「一族の血ってものが絡んでくるから厄介な話だけれど、つまり素封家では無いけれど、代々の家柄ではあるってことなのよ」
「そうすると、嫌でも情報というか、管理者としてではなく、住民としてその伝承を承らない訳にはいかない訳だよ」
住民としての伝承、言い伝え、聞かざるを得ない情報というのは、土地、空間、人間で必ず存在する。
有名どころで言えば、夜口笛を吹いたら蛇が来るとか、黒猫が横切ると不幸に遭う、鏡が割れると縁起が悪いだとか、そう言った事実では無いけれど、知らざるを得ないことはおよそいくらでもある。それが、妖怪伝説の地なら、すべからく、妖怪の話を知り得る可能性に影響すると彼女は言っているのだ。
「いや、盲点だったんだよ。というより、盲目だったのか、見る目がないというより、見かけなかったんだけどさ。ほら、あの女将。今もそうだけれど、いつでも何かしてるじゃん?」
何かと言われれば、それは仕事であるのだろう。見えない、見ないを連呼する大学生ももちろん、女将が透明人間であるっていう話をしているわけではないけれど。
確かに見ない、これも妖怪、いや七不思議かな。七不思議の一つ、見えない女将って。その答えが働き者でしたって、どれだけピースフルな解釈なんだ。
「かの秋足カエラを雇って、仕事をこなせるくらいだぜ。仕事を見つけるのも上手いだろうし、それこそ、代々のお家柄って奴じゃないのか?」
「働き者のお家柄」
「テキパキだよね。カッコいいよね。綺麗で仕事も出来てって最強じゃん」
「だからこそかな、話もなかなか順序良く、効率良く話しちゃって。正直に言えば、その話ぶりを聞いたから、自分で話すのもなーっと思った節もありまして」
「しかしね。待ってても、仕方がないからね。仕事があるからね。不肖、あたしが話しますよ」
こうしてやっと、伝説の一部が語られ始めた。
口振りは、変わらず大学生のものである。




