開放的インサイド
19
片や、作家だと男は言った。もう片や、しがない男だと言った。
奇妙なまでの不釣合い。見事なまでの不十分。
決して、このような機会でもなければ、およそどれだけ僕の人生の転機に、それぞれに、反目した展開が待ち受けようとも、この状況だけは正当には生み出せまい。
およそ、蝶が羽ばたくことで、それがサイクロンになろうことがあろうと。たった釘一本が欠けてしまうことで、国がうち滅びることがあろうと。
マンツーマン、テータテート。僕と、作家鉄黒錠鉄鍵が二人きりで、話を設けることの出来る場所が生まれる事はない。断ずることができる。
それほどまでなのだ。この状況とは。
「今日はお会いできて光栄です。鉄黒錠先生」
先ほどの、ノックをしなかった手前であったので、始まりだし、ことの会話のスタートダッシュはこちらから切り出した。
「あぁ、若人よ。ワシも、君のような人間に出会う事が出来て光栄だよ」
「決して、そう、垂れたような態度を取るべきでは無い。然るに、時間をもって、身をもって朽ち果てるがその果ての全てになりかねない」
嗄れた喉の調子が、その言の内密に重なり合い、重さを数段にも押し上げるようにする。遅々として進まんと思われた音が、到着し耳を震わす。
光栄だと言ったか。僕と会えて光栄だと。
このお方はなんと懐の大きいお方なんだ。もしかすると、もしかすれば、僕はこのような腹心を見透かすような大業の徒である人に仕えるべきだったのでは無いかと、錯覚する。
そもそも、僕は召使いでなければ、執事でも、バトラーでも無い。
実に耳障りのいい言葉。いやに警戒する。警戒という言葉は鈍すぎれども、注意くらいが正しい。
初対面、気をつけねば。もちろん、客として失礼は禁物だからだ。
「『垂れたようにするな』というのは、僕のような一人間には難しい問題です。媚びてなんぼとは思ってはいないですけれど、垂れる稲穂には憧れる普通の僕ですから」
「ふん、面白い男だな。言い訳がましく、性格はねちっこさが抜け切らない、愚鈍で小賢しく、そして、野心が感じられない。つまらない、鬱陶しい奴だ。だからなんだと言えるのが、唯一ワシが歳を取って良かったと思う事だが」
「鬱陶しくても、良い。そのような性格の有無を気にしなくとも良い、年の功という奴だ」
その巨人は年の功という言葉をそういう風に使って表現する。
悟って気にならなくなるのが、年の功。考え方自体は間違えてはいないはずであり、分かるような気もしつつ、その粗暴な素封家に真っ当の頷きを送る事が出来ない、凶作の男だった。
「いえ、年の功と話されましたが、年月の経験、そもそもの時代の経過、その間に書かれた書籍の数々。僕も多く拝見させていただいた事があります」
「まさに、鬼作の数々、奇策の奇作、開作の怪作といったばかりで」
言ったところで、危うい橋を自分が渡っている可能性について頭がよぎった。もし、ともすればその言動が、いわゆる擬似的にごますりにしか聞こえない言葉が、嫌な人間だとするならば。
そっと、合わない目を見やる。ベッドに横たわり、常に上を向き続け、口だけを動かし続ける鬼の表情に、その機微の一つ一つを丁寧に拾う。
およそ、僕の頼りない経験上、怒っているという風ではない。それどころか、嬉しそうでさえ見受けられた。
「若人。君が本を読み、またそれを話すような者だとは思っても見なかったが、そうだな人は見かけや、イメージとは非なるものである事は確然たるということか」
「もっと話してくれて、構わない。ワシは君を知らないのであろうことを再認した。君を知るために、話をしてくれ、君が知るように、ワシが知るために」
不平等であったことはことの話しの初めの始まりの始まりだしに書いたばかりである。この対談はあまりに不公平である。
僕は彼を知り、彼は僕を知らなさすぎる。権力などの存在格差の前に、そんな些細な平等がスッポリと頭から抜けていたことを認識させられた。
「そうですね。では、僕の初めて読んだ、先生の作品は『陥落城』でした」
「あるひっそりと没落してしまった、武家の一家が手放した、というより、遺した唯一の遺産、城、通称『陥落城』。山奥に誰にも使われずにある廃城を少年が見つけ、友人と共に占領し、時代の荒波に飲まれながら、城と仲間を守りながら、新たな国を創り上げていく。友情と、別れを中心にして書かれたお話で、読んでいて、子供心に好奇が膨れあがる感情のあったことは今でも、ありありと記憶しています」
「他に記憶に強く残っているものとすれば、『絶戦の狼煙』でしょうか。たったの一戦。巨大でもない、名も残らないこのたった一戦についてを遅々として語りながらも、双方にある利害と、人々の暗躍、思いのぶつかり合い、闘うということへの本当の意味でのグロテスクさと言いますか。一から十、法螺笛の音の怪音から、鉄の乱打の音の消えるまでが惜しみなく、書かれ続けて、飽きることなんてまるでない、展開し続ける人生のようなお話だと、感動を覚えました」
「次に出てくるのが、あれですね。ギャグの強いもので言うなら『銀河討伐戦記』とかも良かったですし、『日昇り月翳る国』とかはもっと複雑で重々しい雰囲気がクセになるお話ですし、『山葵大名』とか、貧乏大名の成り上がり喜劇の面白いの何のって…」
いけない。話しすぎている。
興が乗るとすぐ、舌が回り始めて、静止を完全に放棄してしまう。悪い癖である。
「ヴヴン、失礼。最後に致しますと、やはり、鉄黒錠先生の最新作、『介錯人シリーズ』の二作目、『天首馘の介錯』、あれは外せません。介錯人、天首馘の首斬りとしての生き様と精神描写が繊細に書かれたお話です。次回作への伏線も残されて、ファンにも期待が、しかし…」
言葉が詰まる。詰まった自分の姿を見て、大男は言葉を発する。
「しかし、それ以降何も書かなくなったとそう言いたいのだろう、若人よ」
「いや、気にするな。それは正しくあることだ。倫理的ではないと言ってはおくが、それでも君が気にすることでは決して無い」
悲壮感が、ベットの淵から黒々と這い出てくるのが見える。五本の指を持って、引き摺るように、這い出るのである。
横たえるその姿が、あまりにも劇らしく見えるほどに、まさに悲劇的だった。
「ワシは書けなくなったのではない、書かなくなったのだ。新たに目的を、最後の約束を果たすためにな」
それが、パトロンになった意味なのである。そう言いたげで、書かないことに許しを乞うているようにも感じた。
訂正。彼の場合は、その状態でさえも、許すことを脅すように僕は感じた。
凶作は頭を下げなかった。
「君について、よく分かった。好きな作品から性格の傾向を予想すると言うのか、年寄りの楽しみの一つだ」
嗜好を話すその声はとても退屈そうな風を帯びている。のんびりとした堕落である。
「ワシは水だ」
言は突然だった。
「ワシの腹には、水が溜まっておるんだ」
そう、テリトリーへの侵入を男に鬼は少しばかり許した。




