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楽観的スーサイド

・登場人物紹介


浮向うわむき 京介きょうすけ

志願者


弱座よわりざ 切落きりお

殺人鬼


鉄黒錠てつこくじょう 鉄鍵てっけん 

作家


不知雪しらゆき 朝餉あさげ

女将


秋足あきたし カエラ

小間使い


御手洗みたらし 団子だんご

料理人


百白引ももしらびき 名々夜(ななや)

作家


永石ながいし 詩流しながし

ボディガード


宿木とまりぎ 小鳥ことり

旅行客



 一千万台。ただの数字の羅列なはずなのに僕はそれを見て高揚していた。通帳の残高はついにそれほどまでに積もり重なっている。

 通帳を左手に持って、ATMに咥えさせる。ガシャンと音を上げると、それを僕からひっとらえるように素早く口を閉める。


 液晶の画面にはお金の引き出しを促すまでの動きが分かりやすく提示される。それに流されるように操作すると、ガシャっと機械が動き出し、そこに束を吐き出す。ATMの一度での引き出し額には限界がある。

注意を理解しつつ、幾度かの手続きも行い。僕は今日、目標の金額を引き出した。

『現金をお取りください』

「すみません」


 黒いリュックが僕に対してもたれかかってくる。操作がある程度の終わりを迎えてくると、そんな些細な重量でさえ過敏に感じるようになる。現金は緑の光の明滅を受けながら、退屈そうに僕を待つ。耐え切れず、札束をガッと掴んだ。リュックを拾う。

『通帳またはカードをお取りください』

「あぁ、すみません」


 ATMにさえ急かされて、僕は拾い上げたリュックのチャックをバタバタと開ける。ジーっと2割ほど開けた所で、開いた穴に親指を入れ込んで口を無理矢理に開かせる。キュルキュルキュルキュルと音を立ててリュックは開いた。

 中を手で弄る。衣類やら数枚と最低限の日用品だけが詰め込まれたリュックの大口は探し物をするにはやや苦労するところがある。僕は服のボタンやら、ズボンの金具やらに皮膚をほんの少々擦りながら有耶無耶の中を動く。


『ピーピーピーピー』

警告音が鳴る。ハッとして、僕は先に通帳を抜く。


『お忘れ物の無いよう、お気をつけてお帰りください』

「ありがとうございます」僕は言葉を返す。ATMに急かされて、頭が冷えた僕は今回のお金は別の封筒に分けて入れておいて後で合わせれば良いと得心する。


 丁寧にATMの横にある封筒を一枚だけ引き抜くと、その中に今回の札束を滑り込ませる。


 僕は現金を封筒に入れて、リュックサックの1番メインの収納スペースでは無く、もう一段小さいスペースを開けて、突っ込んだ。なんと無く、別の場所に分けて置いておきたかった。


 ATM内の電気は心なしか暗く、本当にこの小さな箱だけを照らせるだけの光量を用意しているように感じる。そんな所で現金を受け取り尚且つ、金額が大きいものだから入れ終えた所で、変な影が顔に落ちた。いつもより動きの悪い利き手でゆっくりとリュックを閉めていく。閉まったところで僕はふっと息をついた。


 なんと無く、今回はやれそうな気がした。僕はこのお金で自分を殺す。


1

自分のお金を使って自分を殺す。つまり、なんとも無い自殺なのだけれど、無い頭を絞って出した妙案であった。

「失礼します」


 カラカラと音をあげてハメ込みガラスの引き戸は開く。戸締りレールの軽やかさに勤めている人の丁寧な仕事ぶりが伺える。


旅館・白雪

 今回の、最終回のこの旅館こそが僕の計画の舞台である。

 玄関先から暗いケヤキの衝立に隠れた奥まで続く赤い絨毯が旅館とマッチする。

「おはようございます。ようよう、この様な山奥までおいでくださいました。わたしは女将の不知雪しらゆき 朝餉あさげと申します。」


 僕の開けた引き戸の音に駆けつけた女性がさっと挨拶する。返す言葉に「おはようございます、よろしくお願いします。」


 漆黒の着物に乗った白い肌に艶やかな髪が上から流れる。僕などと言う客人に対する無駄のない所作の一つ一つが美しさを叩く。クスッと淡赤の紅は笑った。

「古臭くて、陰気で黒い着物は嫌になるでしょう」

決まり文句の様に、自分の姿を前の女性は卑下して言った。


「いや、いやいや、全然、お綺麗で。そう黒がこそ映える様なそんな。お綺麗です。」

 あれ、僕はこれほど口下手だったかな。久しぶりの女性との対面に言葉が出ない。口は選ぶ言葉を吟味し、最終的につまらない答えに帰る。


「あらあら、若い方なのにお上手ですこと。ありがとうございます。」

 慇懃の感謝の態度に、恥ずかしさで弱く火照った僕は熱を優しく拭われる。

 彼女をまた見れば、クスッと紅を弛ます。


「お客様の様な精悍なお顔付きの方なら、さぞ良いお相手がいらっしゃるのでしょうから、そう耳心地の良い言葉をやたらと並べるものではありませんよ。嫉妬されてしまいます。」


「こちらこそ、嬉しく面映いですが、残念ながら僕にはそのような方はいませんよ。」

 まるっきり?

 まるっきりです。と、恥ずかしげもなく僕は返答する。


「あらあら、そうなのですか?私はてっきり、、、」

 何か口に出る小言を抑える様に「いえ、なんでも。」と彼女は言葉を切る。一瞬の思案の表情を浮かべたかと思えば、次の振り返る時にはもうその名残は消え薄れる。

 顔をいくつも持って、それが全く双子のように似通って、そして決して異なったものであるような擬似体験をしている。


 考えを言葉に起こしている間隙に、流れる紅。紅が揺れている。


「申し訳ありません。お客様の様な方がいらっしゃるのが珍しくてつい、からかってしまいました。」


「珍しいですか?」


「はい、珍しいです。極めて。」

 頷く彼女の白い肌に朝日が光る。揺蕩う空気が朝日に当てられて、膨らみ心地よさが増していく。


「知る人ぞ知る場所であると私達共々はこの旅館のことを思っておりますし、実際来る方は奇抜というか、そう個性的な方ばかりなんですよ。」

「今日、この時にも泊まってらっしゃる方は何名かおります。」


 彼女の客への評価に僕は少し物怖じする。奇抜、個性的、あまり人への評価として褒められるそれでは無い様な気がするが、女将は好感の様を見せながら話を続ける。


「山荘の中でも一際隠れるこの宿で、出会う人はあなたも含めて、運命的であると言えます。であるならば、この様な機会です、話す機会は設けなくとも、またお食事の時にでもお会いになると思いますので、お客様同士で仲を深めるというのも一興でございます」


「それは楽しみです。」

 本当に思ったような気が僕はした。


 外履きを脱いで、赤い絨毯にのぼる。やわりとする感触に足の吸い付くのを感じる。

 黒い裾より覗くまっさらの足袋を、二歩三歩と滑らす彼女の導きのままに僕も二歩三歩進む。


 黄褐色のランプが廊下を照らす。部屋の間ごとにガラスの間が設えられてはいるが、廊下への光の入りはほのかである。


 すらりすらりと足袋と絨毯が擦れる。暖色の廊下に弱い曲線を引きながら、歩を進ませる。


「お客様、あぁ、浮向様はどうして白雪をお選びに?」

 お客様から苗字への呼び名変更。旅館内の他の客への配慮からだろうか。質問に同期して血の感じない白い首をコクリと横に傾ける。馬の尾のような細やかな髪が肩口を落ち隠す。  


 先ほども言いましたけれど、こんな辺鄙なところへ泊まりに来る方は珍しいのですよ。理由があるのでしょう?と、思いついたように彼女は質問する。


「自殺するのでね。ここが都合いいみたいで。」などと言えるのなら、良いのだけれど。

言いはしないよ。楽観的なのと、非常識なのはまるで違う。


「人が少ないところへ来たいと思いまして。」と無難に返す。何か悟られはしまいか、と言った後に考える。変に心配させる受け答えになってしまったか。


「なるほど、そういう方はいらっしゃいますよ。都会疲れというのでしょう?私の様に隠居で生涯を終える者には想像もつかない業務内容、人との関係で、頭が下がります。」

 ペコリと空に向かって、垂れる。僕だけではない、過去の人々にもそれを手向ける様である。


 枝垂しだれた頭髪が視線を動かして、帯の銀に焦点を引く。朝日のゆったりとした停止の感を否定し、袖の振れが時間の流れを感じさせる。


 しかし、また表情が切り替わり、黒々と着物の袖に凸も凹もはっきりとは見えない。さすれば、動きは思い過ごしか。宿は外界と切り離されて、時が止まっているのではないのか。

 そのような、思い過ごしを巡らす。右手首を捻り、盤に入る針を見る。やはり、変わらない1秒を刻んでいる。


 止まっているのは、この建物では無いだろうと。それもまた、思い過ごす。


「お客様のお部屋は、湖に面した側の7号室になります。お連れ様はお先に入られております。」

 ではごゆっくり。そういうと、踵を返して、浮遊するように抵抗なく彼女は去っていく。


「お連れ様ねぇ…」

 癖のないストレートな髪をカリカリと掻きむしる。何か騙している様で忍びない。

 実際、隠し事だらけなのだけれど、迷惑はかからないはずだよ。迷惑をかけない事を念頭に僕は計画し、ここまで来たのだ。


 リュックを後ろ手で弄る様にして、紙束の存在感触を確かめる。クシャッと、数ミリ封筒の折れ曲がりが音を上げる。


 僕の身勝手で、迷惑をかけない自殺方法。


 僕個人の殺人を依頼する。これが僕の結論だった。


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