アーシャと青い石
しんしんと雪降る北国の夜。アーシャが住んでいる家の中も、今夜は暗く冷え切っていました。雪祭りの飾りを作るのに忙しくしていたアーシャは、暖炉に薪を加えるのを、うっかり忘れてしまっていたのです。
今年の雪祭りは人手が少ないらしく、アーシャの両親も街に出て、祭りの準備を手伝うことになりました。ですから、モミの木の森にある、この小さなお家には、アーシャだけが一人残されて、お留守番をしていたのです。
アーシャは、薪を取ってこようと家の外に出ました。するとそこで、雪積もる地面のまんなかに、何か光るものを発見しました。
「何かしら?」
アーシャは、光るものを拾いあげます。近くで見ると、それは小さな石であることがわかりました。ビー玉のように丸く、深い青色をした、とてもきれいな石です。
「雪祭りの飾りに使うものかしら? でも、わたしが用意したのは赤いビーズよ。だからきっと、他の誰かが落としたものなのね」
アーシャは、青い石の持ち主を探しに、森へ出かけていきました。
アーシャが最初に出会ったのは、白いイタチでした。イタチは、地面に掘った穴の中に住んでいます。今はその巣穴の周りを、葉っぱや木の実で飾りつけているところでした。
「こんばんは、あなたも雪祭りの飾りつけをしているのね。青い石を落とさなかった?」
「いいや、ぼくはヒイラギを飾っているけれど、ごらんのとおり、この実は赤いんだ。ぼくの持ち物じゃないね」
アーシャは困って、首をかしげました。
「じゃあ、誰のものかしら?」
「ぼくにいい案がある。その丸っこい形は、たぶんトナカイの鼻さ。あの野郎はいつも、ふくれた鼻先をひくひくいわせているのさ。いまごろ、鼻がなくて泣いているに違いない」
アーシャとイタチは、トナカイの家に行ってみることにしました。
トナカイは、雪をしのげる木の下で、横になって休んでいました。しかし、ひっきりなしに鼻水を垂らしていて、息苦しくて眠れないようです。
「こんばんは、トナカイさん。この青いの、あなたの鼻じゃないかと思って持ってきたのだけど……」
「なんだい、こんばんは。この寒いなかわざわざ来てくれたところ申し訳ないが、おれの鼻はちゃあんとくっついているよ。ほら、鼻をずびずびすすっているだろう。鼻があるから、鼻をすすれるんだからね」
「あれ、本当だ。ごめんよ、ぼくがまちがっていたみたいだ」
「いいのよ、トナカイさんの鼻が落ちていなくてよかったわ」
アーシャは、トナカイの鼻を見つめました。彼の鼻は、冷たい空気にかじかんで、赤くなってしまっていました。たしかに丸っこいけれど、青い石には似ても似つきません。アーシャは自分のマフラーを取って、トナカイの鼻をおおってあげました。
「あなた、鼻が冷えているから鼻水が垂れるのよ。このマフラーを使って」
「いいのか? おい、いいんだな? とてもあったかいぞ、返してやれないかもしれない」
「それなら、プレゼントするわよ。このまま冷えきってしまうと、本当に鼻が取れてしまいそうだもの」
トナカイは、アーシャに何度もお礼を言いました。それから、マフラーの代わりに、何かお返しをしたいと言い始めました。
そこで、アーシャはトナカイに青い石を見せて言いました。
「じゃあ、トナカイさん。この石の持ち主に心あたりはないかしら?」
「ふむ、この大きさに、この形だな。おれは石にくわしくないが、うさぎの目玉に似ていると見える」
「そうなのね。なら、マフラーのお返しとして、うさぎさんのお家まで、乗せていってもらえない?」
「いいぞ」
トナカイの返事に、イタチが割り込んで言いました。
「だめだな、人間のきみ。マフラーなんていいものをあげたんだ、それだけじゃお返しにならないさ。トナカイ、お前はこの子を家まで送り届けるんだよ」
「もちろん、そうさせてもらおう」
アーシャとイタチは、トナカイの背中に乗りました。トナカイは、四本の太い足でずっしずっしと森を歩いて、うさぎの家までアーシャたちを連れていきました。
うさぎの家は、森の出口に立つ木の根元に、巣穴を作ってありました。うさぎは巣穴の中にいて、白い毛皮を丁寧にとかしています。アーシャが呼びかけると、ふり返って、巣穴から顔を出しました。
その顔には、真っ赤な可愛らしい目玉が、左右にしっかりついていました。
「こんばんは、うさぎさん。わたしたち、この青い石の持ち主を探しているの。あなたの目玉じゃないかと思って来てみたんだけど……」
「あらあら、残念。ごらんのとおりよ」
イタチがうさぎにたずねます。
「別のうさぎ仲間の目玉でもないかな?」
「ごめんなさいね、最近は雪のせいで仲間のうさぎにも会えていないのよ。だから、目玉をなくしたという話も聞いていないけれど……、でも、青い目の仲間はいなかったはずだわ」
「そうなんだね。いやあ、なかなか持ち主がみつからないなあ」
うさぎは、アーシャに、石をもっとよく見せてくれと頼みました。アーシャがうさぎに石を見せると、うさぎは、ひとつうなずいて言いました。
「これは、わたしたちうさぎの目玉ではないけれど、たしかに、誰かの目玉だと思うわ。見て、青い石の真ん中に、黒いぼってんがついているでしょう。目玉にはみんな、この黒いぼってんがあるものよ」
それじゃあ、いったい誰の目玉なのだろう? アーシャたちは、悩んで、困ってしまいました。
その時、森の外からアーシャたちに向かって、強い風が吹き込みました。トナカイが、アーシャとイタチ、うさぎを守るように立ちふさがります。おかげで、アーシャは吹き飛ばされずに済みましたが、ふと、ゴウゴウと吹く風に、何か別の音が混ざっているのに気づきました。
森に吹き込む風が止むと、アーシャはトナカイの前に出ました。そこはもう森の終わりで、目の前には吹雪に荒れた雪原が広がっています。雪が、アーシャの顔を殴りつけるように降っていて、凍りつくほど寒いのです。
トナカイがアーシャを呼び止めました。
「おい、危ないぞ」
しかし、アーシャは雪原の向こうを指さして言いました。
「ねえ、さっきの風に、誰かの泣き声が乗っていたわ。きっと、目玉をなくした人が向こうにいるのよ。それで、その泣き声を、風がここまで運んできたのよ」
「でも、きみ、見てごらんよ。森の外は、ひどい吹雪で、遠くなんか見えないじゃないか。あっちには行けないよ」
「そうかもしれないけれど、行かなければ目玉を届けられないわ」
イタチの助言に、アーシャは悔しくなって肩を落とします。そんなアーシャの様子を見て、トナカイが決意しました。
「わかった。おれが必ずお前を守って、吹雪の向こうにまで連れて行ってやろう。ほら、背中に乗ったら、このマフラーをおれの首にきつくまきつけて、しっかり握っておくんだ。それから、下を向いてぎゅっと目をつむっているんだぞ。そうすれば、お前は風に吹っ飛ばされずに、おれに乗っていられるさ」
「本当ね、トナカイさん。ありがとう!」
アーシャがトナカイの背中にまたがれば、イタチとうさぎも、アーシャに続いて乗ってきます。
「おいおい、心配だね。きみがマフラーを決して手放さないように、ぼくが手をおさえておいてあげるよ」
「わたしは、あなたのおなかをあたためておいてあげるわ。そのふところに入れてちょうだい」
こうして、アーシャたちは、青い石の持ち主に会いにいくため、吹雪の中にくり出しました。
アーシャは、トナカイに言われた通りにずっと目を閉じていました。イタチとうさぎのぬくもりを、手の甲とおなかに感じます。しかし、それ以外は、周りの音しかわかりません。どっちの方向に向かっているのかも、だんだんわからなくなっていきました。
おおおおん、おおおおん、と、誰かの泣き声が、遠くからとぎれとぎれに聞こえてきます。何度も何度も聞こえてきて、その声はどんどん近くなっていきました。ああ、きっと、目玉の外れたところがあまりに痛くて、ずっと泣いているんだわ。そして、その泣いている人のところまで、トナカイさんはまっすぐに連れていってくれている。
長い時間、トナカイは進み続けました。力強い体で、のしのし、のしのし歩き、やがて立ち止まりました。そこは、おおおおん、おおおおんと、大きな声がひびきわたる場所です。声は、アーシャたちの真上から聞こえてきているようでした。
トナカイが言いました。
「人間の子、目をつむったまま聞いてくれ。ここに、目玉をなくしたものがいるようだ。だけど、その相手は、どうやらおれたちよりもずっとずっと大きい」
「おい、そりゃまずいじゃないか。きっとこわい相手だぞ。きみ、どうやって目玉を届けるんだ」
イタチも、トナカイも、うさぎも、不安げにアーシャをふり返りました。しかし、アーシャに迷いはありませんでした。アーシャには、イタチたちがおかしな心配をしているように思えるのです。
「そんなの、決まっているわ。こわい人が、こんなに大きな声で泣くはずがないんだもの」
アーシャは、目を閉じたまま、大きく息を吸い込みました。そして、上に向かってさけびました。
「そこにいるの? 目玉をなくした人! わたし、青い石を拾ったのよ。この石が、あなたの目玉じゃないかしら?」
アーシャに答える声は、やっぱりアーシャの真上から聞こえてきました。その声は太鼓のように低くひびき、うさぎがあたためてくれているおなかさえ、ずっしりと重く感じるほどのものでした。
『誰だ、お前は。どうしてわたしの目玉を持っている』
「森の、家の前に落ちていたのよ。これ、あなたのものなのね?」
『森の中。ああ、そんなところにあったのか。そんな遠くから、お前はここまでやってきたのか』
声は、あたり一帯を、均等におさえつけていました。うさぎはこわくて、アーシャの服の中で震えあがっていました。イタチは、目を閉じて身をふるわせています。トナカイは、ポツリとつぶやきました。「これは、夜の声だ……」
『わたしの仕事は、ながれ星を降らすことだ。しかし、星とまちがえて、自分の目玉まで降らせてしまったのだ。かなしい。いたい。いたい。片目を落として顔にあいた穴を、両手がおさえつけて離さないのだ。離すといたくてしょうがないのだ。人間の子よ、わたしの目玉を上にかかげてくれ。わたしは体をのばして、この顔の穴に目玉を入れにいこう』
アーシャは、両手に青い石をのせて、腕をできるだけ上にのばしました。アーシャが言われたようにすると、急に気温が冷えていきました。アーシャの背中に、ぶわぶわと鳥肌が立ちます。アーシャの上に、何かの影が差しました。アーシャのてのひらに、冷たい何かがピトリとあたりました。アーシャの体が、ずしんと重くなりました。
『ああ、目が戻った。もう痛くないぞ』
その声と同時に、吹雪が止みました。アーシャは、このひどい雪は、夜が痛みに泣いていた涙だったのだとわかりました。アーシャは、おそるおそる目を開けました。
アーシャの真上には、満天の星が輝いていました。真っ黒い空を埋めつくさんばかりに、青く光る石たちが、雪原を見下ろしています。
アーシャたちがいるのは、雪に覆われた丘の上でした。トナカイは、丘を登ってきていたのです。アーシャは、夜空のすぐ近くにまで来ていたのです。
また、夜の声が聞こえました。
『ありがとう、人間の子。そして心やさしい動物たちよ。お礼に、お前たちの願いをかなえよう。さあ、仕事をしようではないか』
夜の言葉が終わると同時に、星々がまたたきをはげしくし、夜空を流れ始めました。青い光の石が、走って走って、アーシャたちを取り囲みます。その星々を見ていると、いよいよアーシャの体は、トナカイの背にすわっていられないほど重くなっていきました。
「わたしの、願いは……。ああ、さむい」
アーシャはついに、目を閉じてしまいました。
§
アーシャは、あたたかい部屋の中で目をさましました。窓の外から、明るい日の光が差し込んでいます。家の外にはモミの木の森が広がっていて、小鳥がちゅんちゅんと鳴いています。
アーシャは、あたりを見回しました。部屋の中には電気がついていて、暖炉にたくさんくべられた薪が、アーシャの体を温めてくれています。
ここは、アーシャの家の、アーシャの部屋でした。アーシャは、自分の部屋のベッドで、今まで寝ていたようなのです。
その時、アーシャの部屋のドアがガチャリと開けられました。
「アーシャ、起きたのね。おはよう」
「一人で留守番できて、えらかったね」
「お母さん、お父さん! どうしているの? 雪祭りの準備はどうしたの?」
アーシャの両親は、街に出ていて、しばらくかえってこないはずでした。それなのに、どうして家にいるのでしょう?
「昨日の夜に吹雪が止んで、人手が増えたんだ。祭りの道具を楽に運べるようになって、予定よりも早く準備が終えられるようになったんだよ。だから、お父さんたちだけ、先に家に帰してもらえることになったんだ。家に、アーシャを一人で残してきていたからね」
夜の目玉が戻って、泣くのをやめたからだわ。だから、吹雪が止んだのよ。アーシャはそう言おうとして、あれ? と首をかしげました。
これって、夢だったかしら? わたしは、自分の部屋でちゃんと寝ていたみたいだもの。
「アーシャ、どうかしたの?」
お母さんが、突然考えこんだアーシャに声をかけます。お母さんの心配そうな顔を見て、アーシャのモヤモヤとした気持ちは、ふっと吹き飛んでしまいました。アーシャは、お父さんとお母さんに、まとめて飛びつきました。
「なんでもないわ。あたたかくて、びっくりしただけよ」
アーシャの机には、雪祭りの飾りが、作りかけのまま残っていました。材料には、赤いビーズと、黒いぼってんのない青い石。
【おわり】