ポチ、美少女る
それから夏の間、ポチとの散歩はダンジョンと決まった。
意外な事に、動画で見たようなGやSと遭遇したことはなかった。
色とりどりのクリスタルがゴロゴロと転がっていて、つかみ取りし放題、古代コンビニ遺跡で換金し放題、といった感じだった。
ここが特別なダンジョンなのかは定かではないが、せっかくの戦闘準備は無駄になってしまった。
せっかく異世界アマゾンで地上の現役ドラゴン討伐部隊が使っているという防刃ジャケット(防御力:ドラゴンの爪も弾くらしい!)を購入したというのに。
防刃ジャケットなら、軽くて邪魔にならないし、胸の所に古代ギリシャ文字でΔΔΣΔ(DDSD、ドラゴン・ディフェンダー・スペシャル・デパートメント「ドラゴン防衛特殊機関」)なる白抜き文字が書かれているのが超カッコいいので、いつも身につけているのだけど。
「けど、まぁいいか。ポチとゆっくり散歩ができるし。なぁ、ポチ!」
ポチとの散歩中にモンスターが現れたら全力で逃げるつもりで、首輪のリードは短めに持っていた。
ちなみにポチさんは引っ張り癖があるので、首に負担がかからないハーネスにしてあげたいな、といつも思うのだが、ウチのおかん曰く、「しっかり躾ができる前にハーネスをつけると、いう事を聞かない子に育ってしまうわよ。……そう、ある日、我が家から出て行ったっきり戻ってこなくなった、お前のようにね」らしいので、あえて首輪にしておいた。
ちゃうねん、お盆は地元の有名なお祭りのお陰で何ヶ月も前から予約を取らないとバスに乗れないし、めんどいねん。正月は正月で寒いから家から出たくないねん。
ともあれ、今日も赤や紫の綺麗なクリスタルが落っこちているので、それを拾っていく。
俺のアパートの入り口は色とりどりのクリスタルが飾られ、梅田の繁華街みたいになっていた。本当に梅田の繁華街みたいになる前になんとかせなあかんとは思うとるんやけどどないしょかいな。
「さーて、今日はどんな異世界アイテムを買いまひょかー」
歩きながら、スマホの異世界アマゾンを検索して、めぼしいアイテムが売りに出されていないか調べていた。
DDSD装備をコンプリートしてみたくなったので、ジャケットの次は透明な防火プラスチック盾だ。お値段がピザ100枚分と高い。当面の目標だな。DDSDと書かれたチェーンソーも捨てがたい。
歩きスマホは、とっても危険な行為だというのは分かっているが、ついつい油断してしまった。
ふと、目の前に何かが立ちはだかっている気配がして、顔をあげると、そこには超巨大な爬虫類がいた。
おいでました、モンスターだ。
イモムシみたいな蛇腹の胴体に、尻尾はエッチなオモチャみたいなイボイボがついていた。ここでエッチなオモチャを連想してしまう俺もどうかしていると思うが、捕まったらタダじゃ済まないというのはどう見ても明らかだった。
トカゲ頭の上には冠みたいなトサカがついていて、色が真っ赤に変化していく。どうやら怒り心頭みたいだ。
ヤバいぞ、このダンジョン。
GやSどころじゃない。
Dだ。Dが出た。
「た、退却~ッ! うぎゃッ!」
どうやら、ポチさんはさっきからキャンキャン俺の足下で騒いでいたらしい、俺はそのリードが足に絡みついてしまって、すってんと転んでしまった。
なんとかポチさんを抱え上げたけれど、守るどころか逆に盾にする格好になってしまった。
Dは俺とポチさんの方を、値踏みするみたいにジロジロと見ている。動き出すまでタイムラグがあるっぽい。
スマホが津波警報みたいなチャイム音を立てて、見てみると、モンスター警報なるものが来ていた。
どうやらモンスターと遭遇した時は、そのステータスが自動的に表示されるのだ。
SLドラゴン
概要:超重量級のウロコに覆われたドラゴン。体内に蓄積された化石燃料を燃焼させることによって、水蒸気によるとんでもない力を発揮し、ようやく体を動かすことができる。
特徴:口から黒煙を吹き、トサカから火を噴くと、動き出す前兆。体の熱がピークに達すると、最高時速100キロで突進してくる。
女神のひと言:寝起きの時は逃げるチャンスよ!
寝起きって、ひょっとして今がその状態ということだろうか。
やがて、SLドラゴンは横に大きく裂けた口の端から、もうもうと黒煙を吐きはじめた。
トサカからチロチロと炎のようなものが吹き始め、ローストチキンにするととても食べきれないだろう大きな大腿二頭筋を膨らませながら、ずしん、ずしん、と足音をたてて、ゆっくりと体の位置を移動させはじめる。
しまった、せっかく眠っていた所にエンカウントしたのに、気づくのが遅すぎたんだ。やっぱり歩きスマホは危険だったんだ。
この狭いダンジョンで黒煙とか吐かれたら、弱い生き物はそれだけで窒息してしまいそうだ。
実際に、ダンジョンがびりびりと震えるぐらい大きな雄たけびまであげたものだから、マジで息が止まった。万事休す。
「おのれ、ご主人に向かって吠えるとは何事かッ!」
どこかから、凛とした声が聞こえてきた。
幻聴か、都合のいい幻聴なのか。その声の主は、どこにも見えない。
見ると、俺の腕の中にすっぽりと収まっていたポチが、牙をむいて、今まで見たこともない凶暴な顔をしてDを見ていた。
「下がれ、下郎ッ! ポチのご主人には、指一本ふれさせんッ!」
ポチは、なんだか全身がぼんやりと光輝いて見えた。どんなトリートメントを使ってもこんな光沢は出せないだろうといった輝き。
いままで聞いたこともない険しい声で言い放つや、俺の腕の中からするりと抜け出して、立った。
ポチの体が宇宙にぽっかり浮かぶ惑星になったみたいに、光は全身を激しく行き交っていた。
まるでポチの体を幾重にも走る交通網みたいに、光はあちこちでさまざまなクラクションを鳴り響かせている。
そして、ポチの体はその光によって運搬され、再構築されていった。
3倍から4倍くらい大きくなったポチは、にゅっと伸びてきた2本の足で立ち上がった。
どうやら服を着ているらしく、スカートの膨らみや両肩のパフ、腰についた大きなリボンのお陰で、余計に大きくなって見える。
華奢なポチのイメージをそのままに、胸はぺったんこ、足は細っこくて、折れてしまいそうだ。
「我が呼び声に応じて、出でよッ! 死語剣ッ!」
その左手には、黒塗りの十手みたいな形をした円月刀。
右手には、真っ赤な刀身を持った燃え盛る日本刀が握られていた。
「闇の魔剣『謀殺』、火の魔剣『燻殺』ッ! いまこそ、汝の主の前にその凶悪なる本能を、眼前、是、シメンッ!」
目はぱちん、と大きい。チワワの最大の特徴である、アニメキャラ並みの大きな目を持っている。
とんでもない美少女だった。オーラじみたものを全身から噴き出していた。なにこれ。なんなのこれ。
口を開いて、大きく息を吸うと、蒸気をぶしゅぶしゅ噴き上げて不機嫌そうなDに対して、並々ならぬ怒声を放った。
「せええええええばいいいいいいいいッ!」
ポチ、いや、ポチさまだったお方は、光の速さになってSLDに飛び込んでいった。あまりに速すぎて、俺の理解も置いてきぼりになっていた。
右手の燃える日本刀が、Dの分厚い鉄板みたいなウロコにぶつかると、ごーっという工場みたいな騒音を立て、ガスバーナーで焼き切るみたいに真っ二つにしてしまった。
左手の円月刀は、刀身がぐにゃりとゆがみ、まるで寄生虫のようにDの体に飛び込んでいくと、大きな体のあちこちを切り裂いて、元の剣の形に戻った。
あっという間に粉砕され、消滅するD。ダンジョンの見えない亡霊がその死を弔うように、どこからか数個のおひねりが投げ込まれ、ちゃりんちゃりんと音を鳴らした。どうやらクリスタルみたいだった。
そして謎の美少女は、両足を大きく開いて、ポチさんらしく無防備な開脚前転をしつつ、俺の方に戻ってきた。
Dから俺をかばうように、どんっと背中から俺の胸にぶつかってくる。
すっぽり包めそうなほど小柄な体。
ショートヘアがふわりと波打って、うなじから太陽の香りがした。
そうか、俺の知らない間に散歩して、いつの間にかこんなに強くなっていたんだな。
いや、強くなりすぎじゃね?
その衝撃で俺は背後に弾き飛ばされて壁にぶつかり、罠が作動。
天井から大きな岩が落ちてきて、頭の上にがこん、と直撃したのだった。超いてぇ。血とか出てないかな、これ。
「ご主人、大丈夫ですか、もう敵はいません! さあ、お散歩の続きをしましょう! ……ご主人? 血を流して倒れている場合ではありませんよ、お散歩です! お散歩! ご主人、お散歩! さあ、早く! お、さ、ん、ぽーッ!」
そしてその謎の美少女は、負傷して倒れている俺をゆさゆさ揺さぶり、散歩をせがんできた。
異様なまでに散歩が大好きなところは、ポチのままなのだった。