8.ふたり煌びやかな光の中へ
『本日未明、東京都〇〇区の路上で人気高校生モデル青柳拓斗さん17歳と、同じく人気女子高生モデルMARIEさん17歳がトラックに轢かれ、病院に運ばれました。この事故により、青柳拓斗さんは意識不明の重体、MARIEさんは頭に軽い怪我を負いましたが命に別状はないとのことです。二人は雑誌の撮影中だったらしく、警察が事故の原因を調べるとともに……』
雨が降っていた。
まるで莉英の心の中を映しているかのような悲しい雨だった。
今、目の前には意識を失っている青柳がいる。
目をつむったまま、安らかな寝息を立てている。
頭に包帯をまきつけた莉英は、ひと時も青柳のそばを離れようとはしなかった。
「青柳くん、ごめんね。ごめんね。お願いだから目を覚まして」
彼女は三日三晩、ほとんど眠らずに青柳の手をギュッと握り締めながら必死に祈っていた。
「神様、どうかどうかお願いです。青柳くんを救ってください」
莉英の両親、マネージャーの保奈美に事務所の関係者、カメラマンの森久保だけでなく、スタイリストやメイクアップアーティストなど多くのスタッフが見舞いに来て、代わる代わる莉英に休むよう説得するも、莉英は聞かなかった。
もともとは自分の責任だ。
倒れてしまっても構わないとすら思っていた。
莉英はただひたすら祈った。
◇◆◇
それから更に数日してからのことだった。
「……ん……」
「あ、青柳くん!!」
莉英はガバっと椅子から立ち上がって青柳の顔を覗き見る。
目を覚ました……! 目を覚ました……!! 目を覚ました……!!!!
ベッドに横たわったままの青柳に思わず抱きつく莉英。
「よがっだ! よがっだよお゛お゛ぉぉぉぉ!」
大号泣する彼女に、困惑の表情を浮かべる青柳。
(何だろう。この既視感。こんなことを前にも経験したような気がする……)
青柳はそう思いながら、乾いた口で問いかけた。
「……ここは……?」
「病院よ。私をかばってトラックに轢かれて、5日間も意識を失ってたんだから」
涙を拭いながら説明する莉英。
その頭に巻かれた包帯を見て、青柳は声を上げた。
「その包帯どうしたの?!」
「あ、これ? ちょっと頭の端っこを切っただけ。たいしたことないの。すぐに治るし、傷跡も残らないって……」
ホッと息をつく青柳に、莉英はまたポロポロと涙を零した。
「ごめんね青柳くん! 私のせいでまた入院だなんて! ほんとにごめんね!」
「この天井、見覚えがある……」
奇しくも青柳が寝かされていたベッドは莉英に殴られて入院した時のベッドと同じだった。
それに気づいた莉英がドキドキしながら尋ねる。
「まさか、また記憶がないなんて言わないわよね?」
「ふふ、まさか。それよりも松本さん、ダメじゃないか。女の子なんだからもっと気をつけないと」
「私のこと覚えてる?!」
「勿論だよ。それに」
青柳はおもむろに言った。
「全部思い出した」
「思い出した……?」
「僕自身のことも、僕が何故記憶をなくしたかも」
「あ、あのことも思い出しちゃったのね……」
「ああ、全部ね」
その青柳の言葉を聞いて、莉英はこの世の終わりのように悲愴な顔をした。
自分が無防備な青柳に顔面パンチを食らわせた結果、青柳は全ての記憶を失ったのだ。
今まで『命の恩人』として青柳に慕われてきたが、その信頼も失ってしまうだろう。
莉英は泣きそうになりながら俯き、両手で顔を覆った。
「松本さん」
「え……?」
青柳が点滴の針が刺さっているのも構わず左手で莉英の手首をぐいと掴み、莉英の体を寝ている自分の胸元へと強引に引き寄せた。
「あ、あお、青柳くん……」
「君がどれだけ僕に心を砕いて尽くしてくれていたかも覚えているよ。それに僕自身の君に対する気持ちも」
青柳は莉英を両腕で強く抱きしめながら、呟いた。
莉英の胸がドクドクと鳴る。体が硬直して動かない。
青柳の柔らかな髪の匂いを、温かい体温を、脈打つ鼓動を肌で感じる。
今、正に目の前に、青柳のやや細めた切なげなまなざしがある。
そのシチュに戸惑い、しかし青柳の胸の中ににじっとすっぽりおさまっている莉英の耳元で、青柳が更に囁いた。
「改めて言うよ。僕の気持ちを」
「青柳くん……」
「君のことが好きだ。ずっと……ずっと僕の側にいて欲しい」
その言葉に莉英は泣いた。
「心から愛してる」
「わ、私も。私も好き。大好き。心から愛してる」
「莉英ちゃん」
「青柳く、ん……」
それ以上、言葉にはならなかった。
二人は見つめ合うと、お互いにとって初めての甘い口づけを交わしていた。
◇◆◇
青柳は奇跡的に復活した。
すぐにも退院というわけにはいかなかったが、骨折もなく、数日入院すれば復帰できる状態だった。
その間、毎日欠かさず莉英が見舞いに訪れ、何くれとなく青柳の世話に明け暮れたのは言うまでもない。
頭のCT、全身のMRI検査も異常はなく、青柳は無事退院した。
そして、今日はあの事故以来初めて二人一緒の撮影の仕事が入っている。
その撮影の休憩中のこと。
「お疲れさま。はい、これ」
莉英が青柳に冷えたスパークリングウォーターのペットボトルを差し出した。
「ありがとう」
そう言って青柳はペットボトルを受け取ったが、蓋を開けようとしない。
「どうしたの? 青柳くん。それ、好きな銘柄じゃなかったっけ?」
「あ、そうだよ。ごめん」
そう言ったまま青柳はそのまま何か考えているようだったが、莉英に話しかけた。
「ねえ、君はこのまま『MARIE』を続けていくの?」
「え……? うん、ううん。私にはとても無理だと思うんだけど、成田さんがもう高校卒業まではびっしり仕事入れちゃってるって」
「僕も」
「青柳君は『スーパー高校生ファッションモデル』なんだから当然でしょ」
「その『高校生』の冠が取れた後も、この業界にいたいかどうかわからなくてね」
青柳は遠くを見つめた。
「あ、青柳くんは! モデルのお仕事続けた方がいいと思う」
「どうして?」
「だって、本当にすっごくかっこよくて。女の子に『夢』を与えてくれる存在だもん」
莉英は力説した。
「夢?」
「そう。青柳くんみたいな男の子が彼氏だったらな、とか、守ってくれたらな、とか、一緒にデートしたいなとか……」
「守ってあげるよ」
「え?」
「こうやって」
「え、え……???」
青柳はそっと莉英の手を握った。
ボン!と顔を赤らめる莉英。
「それに、今は僕が君の彼氏だろ?」
必殺の『王子様スマイル』で青柳は莉英に笑いかける。
その笑顔を見る度に、莉英は全身とろけてしまいそうになる。
「青柳君……だいすき……」
思わず呟いた莉英のその一言に青柳が更に囁く。
「僕も好きだよ、莉英ちゃん」
「青柳くん……」
見つめ合う二人の耳に「コホン」という咳払いが聞こえた。
「二人とも世界を作ってないで、仕事仕事!」
保奈美が背後から声をかける。
「「はい!」」
そうして二人は仲良く手を繋いで、温かく見守ってくれるスタッフ達が待つスタジオへと駆け出していった。
煌びやかなスポットライトが当たるステージ中央のその光の中へ───────
了
最後までお付き合いありがとうございました。