5.地味子、モデルになる
撮影は順調に終わり、莉英は青柳とともに保奈美の車で自宅まで送り届けてもらった。
時刻は夜の8時。
さすがに青柳を莉英一人に任せるのは(いろんな意味で)危ないので、青柳のマンションには保奈美が送り届けることになった。
その帰りの車の中で保奈美は莉英に言う。
「松本さん……いえ、莉英さんだったかしら。今日は無理やり連れまわしてごめんなさいね。モデルの代役まで引き受けてくれてありがとう。助かったわ」
「い、いえ」
お礼などまったく言いそうにない保奈美から「ありがとう」と言われて莉英は背筋が伸びた。
「あなた、バイトやクラブ活動は何かやってる?」
「いえ、何もやってません」
以前ファミレスでバイトをしていたが、オーダーは聞き間違えるわ皿は割るわでクビになったことは黙っていた。
「そう、何もやってないの」
声を弾ませる保奈美の姿に、嫌な予感が走る。
「だったらモデルの仕事してみない⁉」
「えええっ! わ、私が……?!」
「ええ。あなた、モデルとしていいモノ持ってるわ。あなたのナチュラルさ。この時代、貴重よ。私の言うとおりにしていたら拓斗同様、トップモデルになれるわよ」
「トップモデル?!」
「拓斗と一緒の仕事してみたくない?」
「そんな。青柳くんと一緒の仕事なんて、私にはとてもム……」
無理と言う莉英の言葉を保奈美は中途で遮った。
「莉英さん! これはチャンスよ。あなたは今日、冴えない『あひる』から美しい『白鳥』に生まれ変わったのよ。この仕事をしていたら、これからどんどん女の子として磨きがかかっていくわ。綺麗になりたくない?」
「綺麗に……?!」
「あなた、拓斗が好きなんでしょ」
「そ、それは」
保奈美には全てお見通しだ。
莉英なら自分の掌で転がせる。拓斗とのスキャンダルも自分の管理下なら防ぐことが出来るだろう。そんな思惑があった。
それに。拓斗が初めて興味を示した女の子だ。
拓斗の為にもこの二人の恋は大切に育んでやりたい。そんな親心もまた保奈美にはあった。
「大丈夫。私の言うとおりにやっていれば全て上手くいくわ。拓斗の為にも、あなたの為にも。それに記憶のない拓斗の為にあなたが一肌脱ぐつもりはない?」
「青柳くんの為……」
そう口説かれれば莉英に選択肢は一つしかなかった。
結局、莉英は保奈美の言葉にこくんと頷いた。
◇◆◇
「ねえねえ、今月号の『an-non』見た?」
「見た見た! MARIE、今月も可愛かったねー」
「あのピンクのフレアワンピ、私、通販で買っちゃった」
「あー、いいなあ。私、MARIEがしてたシルバーのバングルが欲しい~」
学校の教室で女子生徒が盛り上がっている。
『MARIE』とは、莉英のモデルネームだ。
周りにモデルをすることを知られたくないという莉英の要望を聞き、保奈美が考えた名前で、『MARIE』に関しては十七歳の女子高生ということしか明かされていない。
莉英はあれ以来、モデルとしての仕事を続けているが結果的に、森久保と保奈美の目は正しかった。
最初の頃は青柳の仕事のサポート的な仕事をしていたが、最近ではファッション雑誌『an-non』の専属モデルとなり、めきめきモデルとしての頭角を現している。
経歴がわからないこともあり、巷では専ら「この美少女は誰だ?!」という話で持ちきりで、莉英が表紙を飾り、特集が組まれる雑誌は売れに売れている。
しかし、莉英自身は自分が載っている雑誌を見ることもせず、普段のファッションは以前と変わらない地味さなので、一人でバスや電車に乗っても周りに『MARIE』であるということを気付かれることはほとんどない。
学校帰りの仕事には保奈美の下のサブマネージャーに送迎されているので、青柳と一緒の仕事をしていることを知られることもなかった。
そんな中、青柳拓斗ファンクラブの怜奈が今日も莉英に話しかけてきた。
「松本さん。今月号の『an-non』は読んだかしら?」
「ううん、読んでないけど……」
「ほーほっほっ、そうよねー! ファッションとは無縁の松本さんには関係ない雑誌だものねー!」
彼女とは青柳との一件以来、あまり仲が良くない。
良くないというよりは怜奈がちょっかいを出して莉英をからかうというのが日常となっていた。
青柳をとられた(と思い込んでる)分、他の部分で圧倒的優位に立ちたいのだ。
対する莉英は特に何とも思っていないが。
「あなたもMARIEのような子を見て少しは勉強なさい。髪型も制服の着こなしも何もかも地味すぎて青柳くんとは釣り合わなさすぎるわ」
「私、そういうのはあんまり……」
莉英の撮影の際は衣装もメイクも全て一流のプロのスタッフがついている。
最近ではメイクやヘアスタイル、私服のコーディネートなどヘアメイクアップアーティストやスタイリストから気軽にアドバイスをされたりするのだが、莉英自身はそれをどう素の自分に取り入れればいいのか、いまだにさっぱりわからない。
雑誌を見ないのもそのためで、自分が写っているページを見ると、自身のセンスのなさに絶望してしまうのである。
「あら、失礼。松本さんにはレベルの高い要求だったわね。勉強する対象相手がMARIEだなんて」
あざけるように笑う怜奈に、莉英の隣に座っていた青柳が口を挟んだ。
「木城さん、もうその辺でいいだろ?」
「あ、青柳くん……」
「僕は別にファッションやメイクで人を選びはしないよ。むしろ今の松本さんの自然な感じのほうが好きさ」
またもや青柳の大胆告白に怜奈はおののき、莉英は意識が飛びそうになった。
「な、なんてこと……。記憶を失う前まではこんな地味な子に興味も示さなかったのに……」
「そうかい? でも今の僕がそう思ってるってことは、以前の僕もそう思ってたのかもしれないよ?」
青柳に言われて怜奈はキッと莉英を睨んだ。
「くっ、松本さん。覚えてらっしゃい。この屈辱はいつか晴らさせてもらうわ」
(覚えてろも何も、私、何も言ってないんだけど……)
席に戻る怜奈を見送った莉英が隣を見ると、青柳は面白そうに笑ってウィンクをして見せたのだった。
◇◆◇
その日の放課後、莉英は珍しく青柳とともに保奈美の車に乗せられていた。
二人は今、いつもの撮影現場ではなく別の場所に連れていかれている。
「成田さん、どこに向かってるんですか?」
「ごめんなさいね、莉英さん。拓斗には伝えてたんだけど、今日は屋外で二人そろっての撮影なの」
「屋外?」
「外での撮影は初めてよね。街を歩くデート中のカップルをテーマにした撮影よ」
「で、でーと⁉」
「拓斗と普通にウィンドウショッピングしたり、カフェでお茶したりするだけよ。この際だから、思い切り拓斗との街中デートを楽しみなさい」
珍しく優しく保奈美が言った。
『仲のいい高校生カップル』が今回の雑誌のテーマで、大手クライアントから「拓斗とMARIEの二人で」という依頼があったのだ。
青柳は勿論、今や莉英も若手のトップモデル。青柳と莉英の気持ちは保奈美も気付いていて、スキャンダルにならないよう、いつもは二人同じ現場の仕事はさせない。
しかし、今回依頼された仕事は重要な案件で、二人のためにも今日一日だけは恋人同士のように思い切りデートを楽しませてやりたい。その方が良い撮影にもなるはずだと判断し、受けた仕事だった。
「で、でも。私が青柳くんとデートだなんて……」
莉英が自信なさげにオロオロと躊躇っていると莉英の隣に座っている青柳が、
「松本さん、せっかくだから美味しいモノ一緒に食べたり、お喋りしようよ。僕は楽しみだな」
「青柳くん……?!」
青柳の優しい言葉に莉英はもう何も言えず、この仕事を成功させようと大きく息を吸った。