1章「セーラ」
ある年の冬のことです。霧の立ち込めるロンドンの通りは、電気で輝いていました。
一台のリムジンはそんなロンドンの街を走ります。
そこに乗っているのは13歳のセーラ・クルーとお父さんのラルフ・クルー、運転しているのは執事のギルバートです。
「お父様、ここがロンドンなのね」
「ああ、とうとう来てしまった」
セーラはインドで育ちましたが、国籍がイギリスなのでイギリスの学校に通うことになっていました。
「たくさんの友達がいるんだよ」
「どんな人達かしら…いい人たちだといいな」
セーラとお父さんがロンドンについていろいろ話をしているうちに、レンガ造りの古き良き建物の前にリムジンが停まりました。
この建物にはこんな表札がかかげられていました。
「私立ミンチン学院」
「お嬢様、だんな様、もう着きましたよ」
ギルバートの言葉にセーラも言いました。
「お父様、もう着いちゃったんだからあきらめようね」
この言葉に、お父さんは大笑い。
セーラとお父さんがミンチン学院の応接室に入ると、一人の女の先生が笑顔で出迎えました。
きれいに束ねた紫色の髪。優しそうな緑色の瞳。清楚な青い服。まるで青い薔薇のような美しさです。
「私は学院長の父の代理を務めていますマリア・ミンチンと申します。まぁ、なんて美しくてかしこそうなお嬢様なんでしょう」
私は美しくなんかないのに…セーラは思いました。
でも、それはセーラが間違っていました。ほっそりとして背が高く、肩まである青い髪をツーサイドアップにしており、目はエメラルドを思わせる緑色です。
ミンチン先生はセーラのお父さんがお金持ちなので、ご機嫌です。
「メレディス夫人からお聞きしたところによると、フランス語がとても上手とか…。子供たちもお嬢さんの事を知ってるみたいです」
メレディス夫人はこの学院に2人の子供を預けていました。お姉さんのローズ・メレディスと、弟のマイク・メレディスです。
紹介が終わるとセーラは何日か、お父さんのホテルに泊まりました。
そして、お父さんはセーラにたくさんの物を買ってくれました。身の回りに必要な物や大好きな本はもちろん、人形のエミリーまで買ってくれました。
特に、エミリー探しは色々なロンドン市内のおもちゃ屋さんを回りました。
「話しかけたら、本当に聞いてくれるようじゃないと。人形の困ったところはね、お話を聞いていないように見えるところなの」
本当に、たくさんのおもちゃ売り場を回ったものです。
「お父様!ギルバート!見て!エミリーがいるわ!」
金髪が背中までこぼれていて、目は海のような青。まつ毛も本物が植えられてありました。
大きいものでしたが、これぐらいなら、どこへでも楽に抱いていくことができます。
でも、セーラは悲しくてたまりません。大好きなお父さんと5年間も離れて暮らさなければならないのですから。
お父さんとギルバートはインドに帰ってしまいました。その時、セーラの部屋には泣き声どころか、物音一つもしなかったのです。
「お姉様、あの子変よ。あの子はまぁ、鍵をかけて閉じこもっているのよ。音をさせずに」
アメリア先生は姉のミンチン先生に言いました。アメリア先生は小柄で、この年に先生になった女性です。
かわいらしい容姿ということもあって、先生だと気づかれないことが悩みです。
「ぎゃあぎゃあ暴れるより、よっぽどいいわ。あんなに甘やかされているから、家中がひっくりかえるような騒ぎをするかと、思っていたわ」
「あの子のトランクには大変なものが入っているよね。ファーを縫いつけたコートや、それに下着には本場のバランシエンヌ・レースがついているのよ」
「まったくばかげてるわ。でも、教会へ行く時、彼女を生徒の先頭にすると立派でいいんじゃないかしら」
まだセーラとエミリーが、リムジンの消えて行く町角を見つめていました。車の中のお父さんも、ふり返っては手を振っていました。