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獅子隊長の心仔猫知らず

 ケイティの幸せには、何が必要か。

 それは、彼女の面倒を見てやる立派な伴侶である。


 ――ブラッドがその結論に至るまで、そう長くはかからなかった。


 毎日懲りもせずに朝駆けを仕掛けてくるケイティを、最近のブラッドは少々持て余し気味だ。外見はまだまだ幼いが、そろそろいい年頃になってきた彼女にいつまでもあんなことをさせているわけにはいかない……ブラッド自身に彼女の行動を疎んじる気持ちがないから、なおさらだ。

 多分、彼が心底から拒否していないということが伝わっているから、ケイティもあんなふうに屈託なく寝台の上の男に近付いてしまうのだろう。


(彼女の為には、このままではいけない)


 ケイティには、申し分のない幸せを手に入れて欲しい。

 その一念で、折しもケイティの誕生日が近づきつつあることもあり、ブラッドは一つの案を打ち出したのだ。

 つまり、ケイティが他に目を向ける気になれないのなら、彼女にピッタリの相手を見つけてやればいい、という案を。


 それを実行すべく、ある晴れた日の朝、朝食を終えたところで、ブラッドは片づけを始めたケイティを呼び止めた。


「ケイティ、それが終わったら執務室に来てくれ」

 ブラッドが、彼の方からケイティに用を言いつけることは滅多にない。頼む前に彼女が動いてくれるからだ。

「お茶ですか?」

 そう問いかけながらケイティがその目に訝しげな色を浮かべているのは、いつも言われなくても持って行っているからだろう。


 軽く首をかしげた彼女の仕草は親猫を窺う仔猫にも似ていて、ブラッドはクソ可愛いなと思いつつかぶりを振る。

「茶も頼む。それ以外に話があるんだ」

「わかりました」

 こくりと頷いた彼女は、重ねた食器を手に軽い足音を立てながら厨房に入っていく。その背を見送りながら、ぞろぞろと食堂を出て行こうとしている隊員たちの群れに声をかけた。


「ティモシー、アレン」

「はい?」「何です?」

 応えて振り返った二人のうち、ティモシーは茶髪に榛色の目、アレンはこげ茶に近い黒髪黒目をしている。どちらも隊員の中では若手で、ティモシーは二十五歳、アレンは二十二歳だ。


「執務室に来い」

 重々しい声でそう伝えると、何故かブラッドの隣からため息が聞こえた。目を向けた先では、ルーカスが呆れたような眼差しをブラッドに向けている。

「何だ?」

「いえ、別に何でもないですよ」

 肩をすくめるその様子は『何でもない』ようには見えないが、有能な副隊長はだんまりを決め込んだらしい。


 何なんだと思いつつ、ブラッドは部下三人を従えて執務室に向かう。

 最後に部屋に入ったアレンが扉を閉めるのを待つ間、ブラッドは若手隊員たちをしげしげと観察した。

 どちらも、やる気溢れる、そして能力的にも人柄的にも申し分のない男たちだ。

 ティモシーはややおっとりしているが、他のがさつな連中にはない気配りができる。彼が相手なら、穏やかで安定した日々を送れるに違いない。

 一方のアレンはティモシーよりも若く、性格もお調子者だ。やや落ち着きには欠けるが、その分、ケイティを楽しませてくれるだろう。


 ブラッドは、姿勢を正して命を待つ彼らに、おもむろに用件を切り出した。

「二人とも、今日はケイティと出かけてきてくれ」


「はぁ?」

 頓狂な声を上げたのはアレンの方だ。その横で、ティモシーも彼と似たり寄ったりの顔をしている。つまり、ブラッドの発言の真意を疑う、顔だ。


 アレンはティモシーと視線を交わし、次いでルーカスをチラリと見てから、またブラッドに戻ってきた。

「えっと……いいんですか?」

「いい、とは、何がだ?」

 眉間にしわを寄せたブラッドに、アレンは眉を上げる。

「だって、隊長、自分らがケイティの三歩以内に近寄ると、すんごい顔して睨むじゃないですか」

「そんなことはしていない」

 ブラッドは即座に否定を返したが、ふと目を走らせたティモシーの顔に浮かぶものを見て、ムッと唇を引き結んだ。

(別に、そんなことはしていない、はずだ)

 チラリと、ルーカスを振り返る。


 若干、自信が揺らいだ。


 彼は小さく咳払いをして、続ける。そして胸元から金の入った小さな袋を取り出し、ティモシーに渡した。

「……とにかく、ケイティと買い物にでも行ってきてくれ。誕生日が近いから、何か買ってやって欲しい。オレからだとは、言わなくていいから」

「はぁ。まあ、いいですけど。ケイティ可愛いし、お許しさえもらえるならむしろ大歓迎です」

 ヘラッと笑ったアレンに、ブラッドは目を細めた。途端に若造はピシリと背筋を正す。


「出かけるだけだ。不必要な接触は避けろ――まだ」

 低い声でそう言い含めると、アレンではなくティモシーがつぶやきを漏らす。

「そんな感じの台詞、妹が付き合っている相手を家に連れてきたとき、うちの父が言っていたような気がします」

(父、だ?)

 常日頃自分自身でそう感じてはいても、他人から言われるとなんだか腹が立つ。

 睨んだブラッドにティモシーはやんわりとした笑みを返してきた。その眼差しの微妙な生温さが、やけにムカつく。

 が、返す言葉が見つからず、ブラッドが奥歯を噛み締めたところで、扉が三度叩かれた。


 トントン、トン、と、三回目が少しあく叩き方は、ケイティだ。


「入れ」

 お茶の支度を乗せた台車を押しながら姿を見せたケイティは、部屋の中に若手二人もいることに小首をかしげる。足を止めた彼女を、ブラッドは促した。

「構わない。来てくれ」

 彼女は執務机の横までくると、その上にお茶を置く。その仕草を終えるのを待って、ブラッドは話を切り出した。

「ケイティ、今日は休みをやるから、買い物のついでにこの二人と出かけてこい」


「……え?」

 白く滑らかな額に、皺が寄った。

 見上げてくる大きな緑色の目から気持ち視線を逸らして、ブラッドは付け足す。

「君は休みなく働いているだろう? たまには、少し羽を伸ばしてくるといい」


「……」


「ケイティ?」

「あたし、別にお休みなんて欲しくないですけど」

 返ってきたのは、何故か、むっつりとした声だ。どうしてそんな声なのだと内心で首を傾げつつも、ブラッドは続ける。

「休んだり楽しんだりすることは、必要だ」

「だんな様のお世話をするのが、好きなんです」

「だが、お前も年ごろの娘だろうが。少しくらい遊ぶことを覚えても――」

「この、『若い人たち』と、ですか?」

 ブラッドの説得を遮るように発せられた呟きめいた問いかけは、明らかに怒気を含んでいる。


(何故、怒る?)

 正直、困惑しきりだが、それを胸の奥に押し込めて彼は頷く。

「ああ。きっと、気が合う」

「そうですか」


 低い、声だった。

 ケイティはそれだけ言うと、大股に部下二人に歩み寄り、サッと伸ばした手で彼らの腕を捕らえ、それを抱え込む。


「あ」

 その距離の近さに思わず声を漏らしたブラッドを、彼女が肩越しに振り返ってニッコリと笑った。

 ――多分、笑ったのだと思う。

 いやに鬼気迫るものがあったが。


 その妙な迫力に、ブラッドは、喉から出かけた言葉――それがどんなものだったか彼にも判らなかったが――を呑み下す。そんな彼をケイティは目を細めて見つめ、そしてボソリと言った。

「いってきます」

「あ、ああ」

 頷いたブラッドに、ケイティは小さな鼻を膨らませて息を吸い込んだ。それは毛を逆立てる仔猫を思わせて。

 何か言うのかとブラッドは身構えたが、結局ケイティは無言のまま扉に向かって歩き出す。部下たちは後ろ向きのままで彼女に引っ張られながら、各々空いている方の手で敬礼を投げてよこした。


 ブラッドが呆気に取られている間に三人は姿を消し、少々荒々しく扉が閉ざされる。

 もしかして、ケイティがまた戻ってくるのではないかと根拠もなく思われ、ブラッドはマジマジとその扉を見つめてしまった。が、それはピクリとも動かない。


「……彼女は、怒っていなかったか?」

「あ、そこは気付くんですね」

 扉に目を向けたまま呟いたブラッドに、ルーカスが呑気な声で返してきた。微妙にバカにされているような気がしたが、そちらに目を向けてみると彼は至極真面目な顔をしていた。


「何で怒ったんだ?」

「さぁ? ああ、そうですね、隊長があまりに唐変木だからでは?」

 サラッと吐かれた失礼な一言に、ブラッドはムッと唇を曲げる。

「唐変木とはどういう意味だ」

「言葉通りですよ。あんなにあなたのことを好きだ好きだと言っている女性に、他の男をあてがったわけでしょう。唐変木以外の何ものでもないと思いますが」

 ルーカスが肩をすくめてかぶりを振る。いかにも、「やれやれ」と言わんばかりに。


「オレはケイティのことを考えて奴らを選んだんだ。オレは、アイツには年を食い過ぎている」

 自他相手にもう何度も繰り返してきた台詞を、ブラッドはブスリと口にした。彼にとってはどうにも揺るがしようのない致命的な現実だが、返ってきたのは呆れを含んだため息だ。

「あなたはいつもそうおっしゃいますがね、そう目くじら立てるほどのものじゃないと思いますけど。まあ、仮にそうだとしても、誰が誰を想うか、誰が誰を幸せにできるかは、何年生きているかとは関係のない話だと思いますが。実際、あなただって彼女のことは大事に想っているんでしょう?」

 そう言って口をつぐんだルーカスは、ブラッドの答えを待つように彼を見つめている。


「それは……」

 答えかけ、やめる。

 あれだけ真っ直ぐに慕われて何も感じずにいるなど、石ででもできていなければ無理というものだ。

 ケイティが大きな目で屈託なく見上げてくるたび、朗らかな笑い声を響かせるたび、ブラッドは胸の奥に残ったままの傷が少しずつ癒されていくような心地がした。失われたものを取り戻せるような、気が。


 だが。


(それは、まやかしだ)


 過去は消えない。

 過去の過ちは、けっして贖えない。

 失くしたものは、二度と取り戻すことができないのだ。


 ブラッドは無言のまま机を回って椅子に腰を下ろす。

「隊長?」

「仕事だ」

 訝しげに呼びかけてきたルーカスに短くそれだけ返すと、彼はしばしブラッドを見つめ、そして聞こえるかどうかというほどの小さなため息をついた後、卓上の書類を手に取った。


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