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SS:お互いに

 そろそろ、ケリを着けようと思う。

 否、ケリを着けなければならないと思う。


 その日目覚めた時、ブラッドは開眼一番そう己に言い聞かせた。

 ――同じようなことを、かれこれ三日ほど、繰り返してはいるのだが。


 フランジナへ行っていたフィオナがこの警邏隊詰所に帰ってきてから、かれこれ十日ほどになる。

 可愛がっていた少女が無事に戻ってきたことで、ケイティは再び元の明るさを取り戻した。


 それは良い。

 それは大変に良いことなのだが、久方ぶりに振り撒かれるその屈託のない笑顔の愛らしさが、もう半端ないのだ。破壊的と言ってもいい。


 ブラッドは立てた膝の上に肘を置き、脚の間に深々と吐息を放つ。

 フィオナが戻れば、原状に回復するだけだと思っていたのだ。落ち込んでいるケイティが元気を取り戻すだけだと。


 だが、しかし。


 ようやく日常的に見られるようになったケイティの全開の笑顔が視界の片隅に入るたび、ブラッドの眼はそこに固定されてしまう。いや、見てしまうだけならまだしも、更に、その上、時々、ふらりと彼女に手が伸びてしまいそうになるのがまずいのだ。

 ブラッドとケイティの関係はある意味、上司と部下、雇い人と雇われ人で、そんな彼女にうかつに触れてしまっては、風紀的によろしくない。実に、不適切だ。

 さりとて、このまま保護者よろしく達観した気持ちで眺めているだけでいられる自信もない。


 ――だから、ケリを着けるのだ。


 そう決意したブラッドは、夕食の席で片づけを終えたら執務室へ来るようにとケイティに伝えた。

 基本的に、ブラッドが夜にケイティやフィオナを一人で呼ぶことはない。そこは年頃の娘を預かる身として配慮するよう心掛けている。だから、彼女は彼の言葉に訝しそうにしつつ、頷いた。


 執務室で待つことしばし。

 欲求不満の犬よろしくウロウロと室内を歩き回るブラッドは、控えめに扉を叩く音にハッと振り返る。


「入ってくれ」

 そう返すと扉が開き、そろりと新緑の色の瞳が覗き込んでくる。

「失礼します」

 ケイティはひと声かけて中に入り、ブラッドの前までやってきた。そうして軽く首をかしげて大きな瞳を気持ち丸くして見上げてくる。


 仔猫さながらのその仕草。

 小柄なケイティは頭の天辺がブラッドのみぞおちほどまでしかなく、そんなふうにされると、天を仰いで叫びたくなるというか、なんというか――身悶えしたくなる。


(いや、落ち着け)

 ブラッドは自分自身に言い聞かせた。

 ケイティが愛らしいのは今始まったことではない。


 咳払いを一つ。

 そしてブラッドは、呼び出された理由を待つケイティに単刀直入に切り出した。


「君の実家に行こうと思う」


 短い台詞がすぐさま頭の中には浸透しなかったように、しばしの間があってからケイティが口を開く。

「えっと……何のご用で、ですか?」


 おずおずとためらいがちな笑みと共に投げかけられた問いかけに、ブラッドは一度奥歯を噛み締め、答える。

「君の両親に君との結婚の許可を願いに」


 ケイティはぱちくりと瞬きをした後にその目をスッと細めた。

「それ、あたしは聞いてませんけど?」

 微妙に不機嫌そうだなと思いつつ、ブラッドは頷く。

「突然で済まない。だが、すぐではなくていい。いや、できたらひと月以内がいいが、ご両親の都合も――」

「そこじゃなくて! うちに行くってところじゃなくて、結婚、のところです! いいですか? あたしは立派な大人なんです。結婚に父さんと母さんの許可なんていらなくて、結婚するよ、わかった、でいいんです! 『許可』なんて必要じゃなくて、『報告』すればいいんです!」

 ケイティは両手を腰に置き、ふんと鼻息を荒くしたが、そんな様も可愛らしいばかりだ。

 明らかに怒っている彼女に対して可愛らしいなどと思ってしまっては余計に怒らせることになるのだろうが、可愛いものは可愛い。


 今の状況が頭の中から吹っ飛び、思わずフワフワな赤毛に手を伸ばしそうになったところで呆れ混じりの声が届き、ブラッドは我に返る。

「まったくもう! まずはあたし、でしょう。じゃあ、父さんたちが承諾したとして、その後、あたしに言うつもりだったんですか? 両親の許可は取ったから結婚してくれって?」

「ああ」

 肯定しながらもブラッドは眉をひそめた。

 通常、そういう流れではないのだろうか。


 ブラッドの幼い妹は死んでしまったが、生きていればケイティと同い年だ。

 もしも彼女が生きていて、誰かと結婚したいと言ってきたら、まず、彼が相手を見定める。確実に妹を幸せにしてくれる男でなければ、断固として許さなかっただろう。

 ケイティの両親も同じ気持ちのはずで、ブラッドがどういう人物なのか、知りたいと思うはず。


 いたって真面目な顔で頷いたブラッドに、ケイティが唇を尖らせた。


「じゃあ、うちの親がいいよって言ったとして、あたしがイヤだって言ったら、どうするんです?」


 思いも寄らないケイティの台詞に、ブラッドは両手をだらりと落とす。

 確かに、これまではっきりと彼女の思いや意向を確認したことはなかった。

 なかったが、ブラッドが手を伸ばせば、ケイティは喜んで彼の庇護のもとに納まってくれるだろうということを、これまで欠片も疑ったことがなかったのだ。


「……いや、なのか……?」

 頭の中が真っ白で、どう返したらいいのか判らない。


 二の句を継げずに立ち尽くすブラッドをしげしげと見つめた後、ケイティがため息を一つこぼした。

「イヤ、じゃ、ありませんよ」

 合間にまったくもう、と呟いて。

「順番が違うって言っているんです」


 ケイティは鮮やかな緑色の瞳で、瞬きもせずブラッドを見つめてくる。

「あたしは、だんな様にとって、どんな存在なんですか?」

「どんな?」

「守って養ってあげるもの、ですか? あたしはだんな様におんぶにだっこ、してもらうだけですか?」

「いや」

 少し考え、ブラッドはかぶりを振った。

 確かに彼はケイティを守って養ってやりたいと思っているし、おんぶにだっこさせてくれるならばいくらでもしてやりたいと思っている。

 だが、ケイティは決してそうさせてはくれない。そしてむしろ、彼女の方がブラッドの支えになっていると言っていい。

 物理的にはブラッドの方が守れるし養えるだろう。しかしそれは、守りたい、養いたいとケイティが彼に思わせるからだ。彼女を前にすると、そうしたい――そうしないではいられない気分になった。

 だからこそ、日々にやる気が出てくる。

 ケイティは存在するだけでブラッドに活力を与えてくれているのだ。


 黙り込んだブラッドに、その沈黙をどう受け取ったのか、ケイティが笑う。

「それこそ、あたしはそんなの『イヤ』です。確かに見てくれは頼りないかもしれませんが、あたしだってだんな様に頼りにして欲しいし、お力になりたいんです。一方通行ではなくて、だんな様がくださる分だけ、いいえ、それ以上に、だんな様にお返ししたい」

 その笑顔がブラッドにどんな効果をもたらしてくれるのか、彼女は判っているのだろうか。

「……君は、オレが生きていく上でなくてはならない『支え』だ。妹を喪って、生きる意味も目的も失って――君と逢うまで、オレを動かしていたのは『義務感』だった。とにかく日々をこなしていけばいいと、それだけで時間が過ぎていっていた」

 ブラッドの言葉に、ケイティは瞬き一つせずに聴き入っている。


 彼は彼女の丸い頬を手のひらで包み込んだ。

「君が笑っていてくれるだけで、オレは力がみなぎってくる。君が笑えば、オレも嬉しい。君の幸せはオレの幸せだ。君が幸せに笑っていてくれるためなら、五年は休まず働ける気になる」

「そこはちゃんと休んでくださいね」

 眉根を寄せてそう釘を刺してから、ケイティはにっこり笑ってブラッドに抱き付いてくる。

「あたしも、ずっとだんな様のお傍にいて、だんな様を幸せにしたいです。だから、あたしの『だんな様』になってください」


 丸い頭がみぞおちにこすりつけられて、くすぐったい。

 ブラッドは華奢な背中に手を回し、束の間腕の中に包み込んでから片腕に座らせるようにして彼女を抱き上げた。そうして少し彼よりも高くなったケイティの瞳を見つめ、告げる。

「この先のお前を、全てオレにくれ。オレの傍で、他の誰よりもオレの近くで、オレを支え続けてくれ」


 ケイティは一度大きく瞬きをし、ふわりと笑う。

 それは、ブラッドが今まで見てきた彼女の笑顔の中で一番の、輝きに溢れた美しいものだった。


あと一本、お宅訪問を書こうかどうしようか。

ここまでの方が区切りが良いような気もしてきました。

需要、ありますかね……?

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