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仔猫は奥の手に打って出る

 ケイティがベティの死を知らされてから、三日が過ぎた。そして彼女が警邏隊詰め所に閉じ込められている日々も、三日間になる。


「デリック・スパークは君を狙っている」

 ――だから、この建物から一歩も出るな。


 泣き疲れて眠り込んでしまった翌日、ブラッドに呼び出されたケイティとフィオナは厳しくそう言いつけられた。事態の深刻さとブラッドの懸念は重々承知していたから、そう言われたケイティは、すでにルーカスから事情を聞かされていたフィオナと一緒に、頷くことしかできなかったのだ。


 そうして、それから三日が経って。


 今もまだ、デリック・スパークは捕まっていない。

 警邏隊はウィリスサイドの隅々まで熟知しているはずだけれども、いったいどこに潜り込んだというのか尻尾の先すらつかめていないらしい。

 デリック・スパークがこの国を出て行ったという確証はなく、むしろ、そうするはずがないというというのが関係者全員の一致した意見だった。あの男がどこにいるのかも、どれだけの手下を従えているのかも判らない状況では、最大限に警戒するのも当然だ。

 常にピリピリとした空気が詰め所内に満ちていて、その筆頭がブラッドだった。


 どんな時でも泰然としていた彼から滲み出る苛立ちと焦燥に、隊員たちも微妙に距離を取りぎみだ。理不尽に手を出す人ではないということは判っていても、あれだけ怖い顔をしていられたら傍で寛いでいられるものではないのだろう。

 ルーカスは変わらぬ様子でブラッドに接していたけれども、それでも、どんな時でも欠けることがなかった柔和な笑みが口元から消えがちで、ケイティやフィオナの視線に気づいて取り繕うような微笑みを浮かべることが時々あった。


(ちゃんとお休みしてるのかな)

 昼下がり、日課の午後のお茶を執務室へと運びながら、ケイティは眉をひそめる。

 外見にあからさまな疲労は出ていなくても、責任感の塊の彼のことだから不眠不休で動いているのは充分あり得ることだ。

 現に、こうやって定時でお茶を運んでも、この三日というもの、冷たいまま一口分も減らずに残されていることがほとんどだ。食事だってガツガツと詰め込んで、単なる栄養補給にしか過ぎないと言わんばかりだ。ルーカスからの情報では、夜も禄に横になっていないらしい。


(今まで、こんなことなかったのに)

 胸の中で呟き、ケイティは唇を噛んだ。

 たとえどんなに忙しい時でも、彼女が供するものはいつだってちゃんと味わってくれていたのに。

 それだけ事態がひっ迫しているのだということは判っていても、彼女はブラッドのことが心配でならなかった――身体のこともそうだけれど、身体以外のことも。


 元々ブラッドは仕事熱心な人だったけれど、今のブラッドは何かに駆り立てられているかのようだ。それはまるで、動き続けていなければその何かに食われてしまうのだと言わんばかりの猛進ぶりで。


(でも、いったい何に?)


 何が、ブラッドをそんなに追い詰めているのだろう。

 職務に対する責任感か、それとも、別の何かなのか。


 物思いにふけっている間に執務室に着いていて、足を止めたケイティはそっと戸を叩く。


 ――返事が、ない。


 少しためらってから彼女は音を立てないように細心の注意を払って薄っすらと扉を開き、顔だけ中に入れて室内を見渡してみた。


 しんと静まり返った部屋の中に、ケイティは小首をかしげる。


(いない?)

 ――と思ったら、いた。


 ブラッドは執務室の椅子に背を預け、うつむきがちに机の上に目を落としている。

 なんだか、不自然な姿勢だ。


「だんな様?」

 控えめな声で呼びかけてみても、反応がない。


 ケイティはお茶がのった台車を部屋の外に置き去りにして、細く開けた扉の隙間から部屋の中に滑り込んだ。忍び足でブラッドのもとに行き、彼の顔を覗き込む。


 寝ている。

 

 けれど。


(スゴイ眉間のしわ)

 眠っているとは思えないその険しい顔に、ケイティは目をしばたたかせた。顎の筋が浮いているところを見ると、どうやら、歯も食いしばっているらしい。歯ぎしりが聞こえてこないのが不思議なくらいだ。


(前に酔っ払ったときに見せてくれた寝顔は、さすがにこれよりは寛いでいたわよね)

 そんなふうに思いながら、ケイティはしげしげとブラッドを見つめた。


 取り敢えず、どうせ寝るならちゃんと横になった方が良いのではなかろうか。


「だんな様、寝台に行かれた方がいいですよ?」

 そう声をかけてみたけれど、起きない。

 しばし迷ってから、ケイティは自分の三倍の厚みがあるに違いないブラッドの肩にそっと手を置いた。

 刹那、パッと彼の目が開く。

 そこに浮かんでいたのは、怯えと困惑が入り混じった色だ。

「……ケイティ?」

 彼女だと認めた瞬間、安堵の光がそれらに取って代わる。


「少し休まれた方がいいですよ? ルーカスさんも、だんな様がちっとも寝ようとしないって心配してました」

 眉をひそめてそう言ったケイティにはこれっぽっちも取り合わず、完全に眠気を振り払ってしまったらしいブラッドは机の上の書類に手を伸ばした。

「ん? ああ、大丈夫だ。茶を持ってきてくれたのか? もらおう」

 たった今まで居眠りをしていたことなどなかったふうに、彼は平然とそんなことを言ってくる。


 ケイティはムゥッと唇を尖らせた。

「ケイティ?」

 いぶかしげに見上げてくるブラッドの手から無言でペンをもぎ取り、両手で彼の手を掴んで引っ張る。

「おい――」

 抗議の声を上げかけたブラッドを、ケイティは眼で制した。そして、パクリと口を閉じた彼に断固とした口調で説く。

「こういう時は、ちょっと寝た方が効率が上がるんです! ほら、立ってください!」

 もう一度ブラッドを椅子から引き上げようとしたけれど、彼女がどれほど渾身の力を籠めようが、彼が協力してくれないことにはビクともしない。

 どっしり腰を下ろしたままのブラッドを、ケイティは睨みつける。

「さっさと立ってください」

「だがな――」

「眠ると、頭の中が整理されるんですよ。今何か考えようとしても、絶対、ちゃんと頭が働いてませんって。起きたい時間にちゃんと起こして差し上げますから、ちょこっとだけでも昼寝してください」

 言いながら、グイグイと引っ張った。


 応じるまでは、何があっても放さない。

 そんなケイティの気迫が伝わったのか、諦めたようにブラッドが立ち上がる。そのまま彼女に手を引かれて執務室を出て、導かれるままに彼の寝室へとついてきた。


「さあ、寝てください」

 寝台の脇に立ち両手に腰を当て、頭を反らしてブラッドを見上げながらケイティがそう言うと、彼は彼女と布団の間で幾度か視線を行き来させる。

「ケイティ、オレは……」

 悪足掻きをするように口を開いたブラッドを、ケイティはひと睨みで黙らせた。

 ここまで連れて来たらさっさと去ると思っていたのなら、そうは問屋が卸さない。ケイティは、しっかり彼が眠りに落ちるまで見張る所存だ。


「寝てください」

 きっぱりと告げると、ブラッドがため息をこぼした。そうして、小さく首を振りながら寝台の上にのり横たわる。

「どうしました? 早く目を閉じてください」

「……見られていたら眠れない」

 ボソリとブラッドがこぼしたけれど、どうせ、ケイティが立ち去ったら起き出すつもりなのだろう。


 どうしたものかと思案して、ケイティは良い手を思いついた。


「ケイティ、何を……?」

 前掛けを取り、靴を脱ぐ彼女に、ブラッドが怪訝そうな眼差しを向ける。

 そうしてその無言の問いかけには答えずに、ケイティはおもむろに寝台に上がると、有無を言わさず彼の頭を抱き締めた。


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