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仔猫は故郷へ赴く

 ケイティの決意を聞いてからのブラッドの行動は、素早かった。

 彼女の故郷であるバルベリーはサウェル地方にある。王都ロンディウムの南西にあり、農業や牧畜が盛んな地域だ。ケイティの実家も、農業を営んでいる。

 駅馬車を使っても往復半月以上かかるから、その間フィオナ一人になっては大変だろうと、ブラッドはケイティの代わりとして通いの女性を一人手配してくれた。そして、ケイティ自身は一人で大丈夫だと言ったのに、ティモシーを警護として付けることを頑強に言い張った。そうでなければ行かせない、と。

 ロンディウムからサウェル地方に向けて出ている駅馬車は週に二度で、直近の便は、あの話をしてから三日後だった。ケイティとしては次の週の便でも良かったけれど、ブラッドは、決心が揺らいでしまってはいけないからと、さっさとその週の便の席を取ってしまった。


 そして出発当日。

 ルーカス、フィオナと共に駅馬車の停留所まで見送りに来てくれたブラッドは、ずいぶんと真剣な眼差しをティモシーに注ぎながら、彼の肩を大きな手で掴んでいた。


「お前のことは信頼している。信頼しているが、解かっているな?」

「それはもう、イヤというほど。なので、その手を外していただけますか? かなり痛いんですけど」

 何だか鬼気迫る顔のブラッドに対して、ティモシーはにこやかに応じている。

 ティモシーは若手ながらも腕が立つ。さして危険のない駅馬車の旅に、そんなに気合を入れなくてもいいだろうにと思いながら、ケイティは二人の様子を眺めていた。

(ホント、見かけによらず心配性っていうか……)

 きっと、肥大した庇護欲のなせる業に違いない。

 と、そんなことを考えていたケイティの隣で、彼女以上に呆れを含んだ声が。

「本当は、隊長が行きたいんですよねぇ」

 のんびりとした口調でそう言ったのは、ルーカスだ。ケイティが見上げると、彼はニッコリと笑顔を返してきた。

「だんな様が?」

「そう。でも、流石にあの人がここを留守にするわけにはいかないから」

 そう言って、彼はどこかケイティの表情を探るような顔で見下ろしてくる。


 ケイティはブラッドを見た。彼はまだ、ティモシーに対してくどくどと何か言っているようだ。

 ブラッドは、部下のことを信頼している。だから、ティモシーでは不安だという訳ではないだろう。


 ということは。


「だんな様、働き詰めですもんね。バルベリーはいいところですよ。のんびり骨休みするのにピッタリです」

「え?」

 ケイティの言葉に、ルーカスが眉をひそめた。

「だから、だんな様も旅をしたかったのにってお話でしょう?」

「ああ、なるほど。そう取ったか」

「違うんですか?」

 彼女が小首をかしげると、ルーカスは笑顔を返してきた。

 いったい、その笑みはどういう意味なのだろうと考えるケイティをよそに、彼はブラッドに声をかける。

「隊長、そろそろ時間ですよ。乗り遅れますから彼を解放してやってください」

「あ……ああ。じゃあ、ティモシー、くれぐれも、頼んだからな」

「だから、肩が砕けますってば。ちゃんと隊長の元に連れ帰りますから、お任せください。じゃ、行こうかケイティ」

 ケイティの方へとやってきたティモシーは、ルーカスから彼女の荷物を受け取った。彼は自分の荷物をかけているのと反対側の肩に、さっさとそれを背負ってしまう。


「あたしが……」

 ブラッドには及ばないけれど、ティモシーも長身だ。背伸びをして手を伸ばしたところで、並みより小柄なケイティに届く高さではない。

「長旅なんだから、できるだけ体力温存しないと。もしも体調崩して予定より長引きでもしたら、僕が隊長に殺されてしまうよ」

 ね? とティモシーが同意を求めたのは、ケイティではなくブラッドだった。彼は至極当然という風情で頷きを返してくる。

「そうだな」

「もう……」

 唇を尖らせたケイティを、フィオナがクスクスと笑いながらなだめる。

「まあまあ。でも、身体には気を付けて行ってきてね?」

「大丈夫よ、あたし、身体だけは頑丈だから」

 胸を張って応じると、すかさず重々しい声が降ってくる。

「油断は大敵だ。いいか、普段と違う生活というものは体力を消耗する。睡眠は充分にとり、多少食欲がなくても食える時に食っておけ。それと、絶対に知らない男には――」

「大丈夫です」

 ブラッドの訓戒を、ケイティはピシャリと遮った。そうして、満面に笑みを湛えて見送りにきてくれた人たちを見渡す。

「じゃあ、行ってきます。できるだけ早く帰りますから」

「気を付けて」

 ブラッドの深い声の裏に、「頑張れ」という言葉が隠されているようにケイティには感じられた。彼女は彼に頷き、そして皆に手を振る。

「行ってきます。じゃあ、行きましょう、ティモシーさん」

 そう残し、出発時間が迫りつつある駅馬車の荷台に乗り込んだ。


 十人ちょっとが乗れる荷台は満席で、馬が走り出すとじきに、知り合いなのか赤の他人なのか、乗客たちは左右向かいでのどかに会話を交わし始める。

 気配りの人であるティモシーもケイティを退屈させてはいけないと思ったのか、いつでも人を寛がせる柔らかな声で話しかけてきた。


「ケイティは、兄弟っているの?」

「いますよ。すぐ下の弟が十七歳、その下に十四歳と十歳の妹、それと、七歳の弟です」

「ずいぶんと子だくさんだね。ケイティは一番上のお姉さんか。でも、そんな感じだ」

「ふふ。両親は畑のことで忙しかったから、二人の妹と一番下の弟は、半分あたしが母親のようなものでした」

「へぇ、偉いな」

 感心したようにティモシーはそう言ったけれども、ケイティは曖昧な笑みで応えることしかできなかった。


 物心着いた頃から、ケイティは、大好きな両親の力になりたいと思っていた。小さな弟妹が増えるたび、あの子たちへの想いも加わって、とにかく、動いた。

 けれど、三年前のあの時は、どう頑張ってもケイティの力ではどうにもならなかったのだ。

 だから、良かれと思って、行商人だという男が持ってきた奉公の話に飛びついた。最初のうちは遠くへ娘をやることに渋っていた両親を説き伏せて、金を受け取ることにウンと言わせたのだ。


 ――それが、あんなことになって。


(もしも、だんな様があたしのこと受け入れてくれてなかったら、どうなっていたんだろう)


 両親の罪悪感が痛くて、辛くて、逃げ出して。

 狼に追いかけられた仔猫のように懐に飛び込んできたケイティを、ブラッドは何のためらいもなくその大きな胸で受け止めてくれた。


 でも、もしもあの時、親元へ帰れと言われていたら。


(あたしは、多分、帰れなかった)


 だとすれば、自力で居場所を探さなければならなかったけれど、何の後ろ盾もなく田舎から出てきた小娘のことなど、雇ってくれるところがあっただろうか。それこそ、春をひさぐしかなかったかもしれない。


 自分と引き換えに両親に渡った金額は、法外なものだった。いくらケイティがものを知らない田舎者でも、そう思うほど。だから、自分一人のことであれば、たとえ連れて行かれた先で突然言われたことであっても、娼館で働くことも承諾していただろう。

 あの時ケイティがブラッドに助けを求めたのは、あの場に囚われていた者が皆、年端もいかない少女ばかりだったからだ。妹とそう違わない年頃の彼女たちが餌食になることは、到底許容できるものではなかった。


 口をつぐんだケイティを、ティモシーがチラリと見る。その視線に、彼女は過去から今に戻った。

「皆、すごく良い子たちなんですよ」

 そう言って笑ったケイティに、彼も笑い返してくれる。ティモシーは彼女から何かを感じ取ったのか、それきり、話題は詰所でのありふれたことになった。


 駅馬車での旅は順調で、朝から夕まで駆け通し、サウェル地方の中枢都市であるコールスウェルには予定通りに五日で到着した。馬車ではそこまでで、ケイティの生家があるバルベリーまでは徒歩で丸一日かかる。

 その行程でも天候に恵まれて、途中野宿で一泊し、朝早くに出発した。


 晴れ渡った空の元、故郷が近づいてくるにつれケイティの心は縮こまっていく。

 次第に言葉数が減っていく彼女に、ティモシーは変わらぬ様子で接してくれた。けれど、変化には気付いていたはずだ。


「じゃあ、僕は村で宿を取るから」

 いつしか黙りこくったまま村の中心にある広場までやってきたケイティは、ティモシーからそう声を掛けられて我に返る。

「あ、はい」

 慌てて作った笑顔を、彼は微かに首をかしげて見つめてきた。

「家まで一緒に行こうか?」

「え、いえ、大丈夫です。ここからすぐですから」

「そう?」

「はい。三年前と同じなら、宿は西の通りにあります。美味しいパンを出してくれますよ」

 朗らかに案内したケイティを見るティモシーはまだ何か言いたそうにしていたけれども、結局柔らかな笑みを浮かべて返してきた。

「じゃ、明日、昼にここでね。もしも滞在を延ばしたかったら、二、三日いてもいいけど……」

「いえ、いいです。予定通り一泊で」

「了解」

 ティモシーのおどけた敬礼を最後に別れ、ケイティは懐かしい道を歩き出す。


 三年前まで彼女の世界の全てだった小さな村は、全然変わっていない。

 畑を耕し家畜を育てる生活は素朴で単純だ。確かに王都ロンディウムのような活気はないけれど、のどかで心地良い。


 変化のない光景を嬉しく思いながら、父と母の心はそうではないことを、ケイティは祈った。


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