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仔猫の中に残る棘

「最近、ご機嫌だね」

 鼻歌混じりで洗濯に精を出していたケイティに、同じく隣で隊員の服を洗濯板にこすりつけていたフィオナが言った。

 ケイティは彼女に笑顔を返す。

「色々踏ん切りがついたから、すっきりしたのよ」

「踏ん切り?」

「そう。なんだかんだ言ってあたしはあたしっていうか、あたしの気持ちはあたしのモノっていうか」

「ふぅん?」

 フィオナは解ったような解っていないような、曖昧な相槌を返してくる。そんな彼女にクスリと笑って、また洗濯物を手に取った。汚れ物はまだ半分近く残っているから急がなければと腕まくりをしたところに、今度は背後から声がかかる。


「ケイティ。手紙だよ」

 振り返ると隊員の一人が立っていた。彼は立ち上がったケイティに一通の封筒を差し出す。

「ありがとうございます」

 前掛けで手を拭い、彼女はそれを受け取った。隊員はフィオナにも笑いかけ、洗濯の労をねぎらってから去って行った。


「誰からだろう」

 ひっくり返して差出人をあらためたケイティは、ふと口をつぐんだ。

「ケイティ、どうしたの?」

 フィオナに心配そうに呼びかけられて、ケイティは我に返る。

「何でもないよ」

 軽く流そうと笑顔を作ってそう答えたけれども、フィオナの滑らかな額に微かにしわが寄ったところを見ると、あまり成功していなかったらしい。

「えっと、手紙、家からだった」

 言いながら、ケイティはそれを前掛けの隠しにねじ込む。家族からの大事な手紙に対するぞんざいな扱いに、フィオナが眉をひそめた。

「読まないの?」

「ああ、うん、後でね」

 答えて、ケイティはまた、洗濯物に手を伸ばした。


 しばらくは、水音だけが響く。

 山のような汚れ物が減っていき、最後の一枚を洗い済みの衣類を入れる盥に入れた時。


「ケイティって、ここに来てからお家に帰ったことないよね」

 ためらいを含んだ声で、フィオナがそう訊ねてきた。


 ほんの一呼吸分ほどの、間を置いて、ケイティは笑顔で彼女を振り返る。

「うん」

「帰らないの?」

「まあ、そのうちね。さ、干しちゃおうか」

 答えて、よいしょと立ち上がる。フィオナはまだ何か言いたそうだったけれども、言葉を見つけることができなかったのか、黙ったままケイティに続いて腰を上げた。

 二人して、大量の洗濯物を黙々と干していく。

 山盛りの衣類はみるみる減っていって、四半刻後には全てが初夏の爽やかな風にはためいてた。


「じゃ、部屋の掃除やっちゃおう」

 重ねた空の盥を抱え上げ、ケイティはフィオナに笑いかける。そうしてフィオナの横を通り過ぎたケイティを、彼女はパッと振り返った。

「あの!」

 フィオナらしからぬ少し強い声で呼び留められ、ケイティは彼女に向き直る。

「何?」

「あの……あの、わたくしは家族の記憶がないけど……自分の家族のことは全然判らないのだけど、ケイティのご家族はケイティに会いたいと思っていらっしゃるのでは?」

「フィオナ」

「何日間かなら、わたくし一人でも大丈夫です。隊員さんたちも、手伝ってくださると思うし……」


 だから、行ってきたらいい、フィオナはそう言いたいのだろう。

 けれど、ケイティが家に帰らない理由は、忙しさだけではない。


「フィオナ……うん、ちょっと考えてみるよ」

 ケイティは、今度は先ほどよりも自然なものになったはずの笑みを浮かべて頷いた。フィオナは口を開きかけ、引き結ぶ。

「いつでも言ってね」

「ありがとう。そうだね、その時はお願いするよ」

 多分、『その時』が来ることはないとフィオナにも判ったのだと思う。少し寂しげな微笑みを浮かべて、彼女は頷いた。


 盥を片付けた二人は、隊員たちの部屋を掃除すべく別々に動き出す。

 特に取り決めをしたわけではないけれど、ケイティは一番奥にブラッドの部屋がある東側、フィオナは反対の西側の端から順に片付けていくことになっていた。当然作業が早い方がより多くの部屋をこなすことになるから、最初のうちはほとんどケイティ一人でやっているようなものだった。それが今ではほぼ互角になっている。


「成長、したよね」

 ブラッドの部屋に入り、独りになったケイティは、ポソリと呟いた。

 掃除のことだけじゃない。料理だって、洗濯だって、そうだ。ここで世話になるようになってから、フィオナはたくさんのことができるようになった。ビクビクと気弱な感じもなくなって、朗らかな笑い声も響かせるようにもなった。出逢ったばかりの彼女だったら、ケイティに何か意見するなんて、考えもしなかっただろう。


 ケイティは、ほ、と息をつく。

「変わらないのは、あたしだけ、か」


 ――ケイティのご家族はケイティに会いたいと思っていらっしゃるのでは?

 多分、そう思ってくれている。ケイティの家族は、皆、彼女のことを愛してくれているから。

 もちろん、ケイティだって、皆のことを愛している。皆に逢いたいと、思う。


 けれど。


(だからこそ、逢えないんだよね)

 ケイティは胸元に手をやって、首にかけた鎖の先にあるものを引き出した。

 手のひらの上にあるのは、深紅の身体に緑色の目をした小さなガラス細工の猫だ。アレンとティモシーと出掛けた時に、買ってもらったもの。


 露店に並べられたそれに目を留めた時、アレンが「買ってあげようか」と言ってくれたのだ。

 当然、ケイティは断ったけれども、アレンとティモシーは視線を交わし、ニッとヒトの悪い笑みを彼女に向けた。そうして、内緒だけどな、と前置きしつつ。

「実は、出る前に隊長から金もらってたんだよ。今日はケイティの誕生日だから、何か買ってやれって。だからこれは、隊長からの誕生日の贈り物ってこと」

 それからまた、ティモシーは「内緒なんだからね」と念押ししてきた。「バレたら隊長照れちゃうから」と。


 ケイティは、その猫を手のひらの中に握り締める。


(あたしばっかりが、幸せだ)


 こんなに幸せでいいのだろうかと、思ってしまう。

 自分は、家族を苦しめている存在だというのに。


「でも、どうしたらいいか、判らないんだもん」

 握った拳を額に押し付け、ケイティは呟いた。と、不意に、部屋の扉が開かれる。


「ケイティ?」

 急すぎて、表情を取り繕うことができなかった。反射的に振り向いてしまったケイティの顔を見て、戸口に立つブラッドの眉間に深々と溝が刻まれる。


 ずかずかと大股で近寄ってきたブラッドは、顔をしかめたままケイティを見下ろしてきた。彼はほんの一瞬迷うような素振りを見せてから、伸ばしてきた大きな手を彼女の頬に添え、顔をそっと上向かせる。力なんてほとんど込められていなかったけれど、その触れ方があまりに優しくて、ケイティには抗うことなどできなかった。


「どうした?」

 ブラッドが、低く響く声で問いかけてくる。

 大きな手の温もりが、心地良い。

 気を抜けばそれに心ごと全てを預けてしまいそうで、ケイティは半歩後ずさった。


「何がです?」

 遅ればせながら笑みを浮かべてそう答えたケイティに、ブラッドは唇を引き結ぶ。すがめたその目は彼女の心の内を射抜かんばかりだったけれども、ケイティは笑顔でそれを跳ねのけた。


 束の間ケイティを見つめた後、ブラッドはまだ宙に浮いたままだった手を下ろし、小さな、本当に小さな息をつく。

 その吐息が苛立ちを含んでいるように思われて、ケイティは身をすくめた。

 再びブラッドの手が動き、思わず彼女は身構える。と、その手が頭の上にのせられて、次いで、グシャグシャと紅い巻き毛が掻き混ぜられた。


 あまりに雑な扱いに、それまでのモヤモヤもひと息に吹き飛ばされて、ケイティは抗議の声を上げる。

「ちょっと、だんな様!」

 ブラッドの腕を掴んでやめさせようとした彼女の手は、そうする前に彼に捕らえられた。

 ブラッドはケイティの手を、あるいは、それを包んでいる自分の手を、何だか奇妙な眼差しで見つめてから、放す。そうして、今度はポン、と軽く彼女の頭を叩いた。


「だんな様?」

 自分を見下ろす彼の眼の中にあるものは、何だろう。

 ケイティは、それにすっぽりと包み込まれてしまうような気がして、目をしばたたかせる。と、視線を逸らさぬままブラッドは惜しむように手を滑らせ、彼女の後ろ頭をその掌で包み込んだ。


 目をみはり、呼吸も忘れたケイティに、ブラッドの頬が微かに緩む。その所作に、彼女はハッと息を呑んだ。

(今、笑った……?)

 だとすれば、ケイティは、物凄く、貴重なものを目にしたことになる。


 まじまじとブラッドを見つめる彼女の頭をブラッドはもう一度クシャリと撫でて、浮かせた手をギュッと握り込む。そうして、もう一度ケイティをジッと見てから、何も言わずに部屋を出て行った。


 結局、ブラッドはここに姿を現しただけだ。


(何の用だったの?)

 訊ねる相手がいなくなってから、無意味だと判っていてもそんな疑問が胸に浮かんだ。


 一人残されたケイティは、静まり返った部屋の中で、はふ、と大きく息をつく。

 胸の中にわだかまるものは何一つ変わってはいないけれども、何かがほんの少しだけ軽くなったような気がして、彼女は掃除道具を手に取った。


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