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プロローグ

 ウィリスサイド警邏隊詰所。

 その、男所帯ならではの散らかり放題の食堂に、よく通るが淡々とした声が響く。

「ウィリスサイドは特に問題ありませんね。年の瀬が近いせいか多少酔漢たちが羽目を外していますが、まあ、大きないざこざはありません」

 報告を読み上げているのは、警邏隊副官のルーカス・アシュクロフトだ。彼はつい二ヶ月ほど前に同隊隊長となったブラッド・デッカーと共にその役に就いた。

 この王都ロンディウムは、貴族たちが居を構える中央のセントール地区、その東側の港町エイリスサイド地区、商業が主となる西側のウィリスサイド地区に分かれている。ブラッドとルーカスは、そのウィリスサイドの治安を守る警邏隊に属していた。


 ロンディウムでよく見かける茶髪に茶色の目、ごついガタイに加えて厳つい、強面と称される容貌のブラッドに対して、青みがかった銀髪に銀灰色の目をしたルーカスは、細身で優美だ。その見てくれに惹かれて女性たちは寄ってくるが、慇懃な態度の奥にある冷やかさで一線を越えさせない。

 下っ端からの叩き上げで二十代にして警邏隊隊長まできたブラッドと違い彼は貴族の三男坊で、別にこんな荒っぽい仕事に就かなくとも暮らしていけるにも拘らず、自らその道を選んだ男だ。


「まあ、死人が出なければ構わないだろう」

 ルーカスにそう返し、ブラッドは己の硬い髪を掻き上げた。

 エイリスサイドと比べてウィリスサイドは治安が良い。大きな揉め事がないのは住人の気質によるところも大きく、警邏隊のお陰というわけではないのだろう。

 そんなことを考えながら報告を耳に入れていたブラッドだが、続くルーカスの台詞で眉をひそめる。

「隊長が見回りに行くだけで、不心得者は路地裏に引っ込んでしまいますからね」

「別に脅しているつもりはないぞ」

 その厳つい外見からさぞかしけんかっ早い男なのだろうと誤解されがちだが、ブラッドは平和主義者だ。常々、警邏隊などごく潰しで構わないと思っている。


 心外そうな顔をしている上司に、ルーカスはニヤリと笑った。

「まあ、頻度は低いですが、たまにやる立ち回りで、色々噂が出回っていますし。ほら、いつだったか、一人で出かけた時、往来で喧嘩を始めた十人かそこらのチンピラを叩きのめしたことがあったでしょう。あれ、あの界隈では未だにいい語り草になっていますよ。まさに鬼のような戦いぶりだったって」

「あれは相手が弱すぎたんだ」

「先日は、暴れ出した荷馬車を力業でねじ伏せたでしょう」

「アレはそれなりにコツがあってだな。力任せという訳ではないぞ」

 まるで一事が万事、筋肉技で解決しているかのような言われようだ。

 ――多少はその傾向があるかもしれないが、恐らく、この体格と容貌がヒトの口を増長させているに違いない。


「まあ、いい。今日はもう休むか」

 ため息混じりにそう言って、ブラッドはカップの底に残っていた茶を飲み干し、立ち上がる。

「そうですね――」

 ルーカスも頷きブラッドに従おうとした時だった。


 かなり離れた場所から、ガタリと何かがぶつかる音がした。

「何だ?」

 眉をひそめたブラッドに、耳を澄ませる素振りをしてルーカスが答える。

「玄関、ですかね」

 彼の言葉を裏打ちするように、扉を叩く音が聞こえてきた。強い力ではないが、切羽詰まった叩き方に、ブラッドは大股に廊下を進み、玄関の扉に急いだ。

 音の主はほとんど戸にすがるようにしていたのか、ブラッドがそれを引き開けると同時に彼の腕の中に倒れ込んでくる。咄嗟に受け止めたものは、柔らかく、温かく――軽い。


(……子ども……?)

 見下ろせば、真っ先に目に入ってきたのは鮮やかな赤褐色の巻き毛だ。腕にかかる重さといい、感触といい、体格は成人とは程遠い。よほど急いできたのか、ブラッドに抱えられながらも大きく息を切らしている。

 外は暗く、大人ですらほとんどの者が家で安らいでいる時分だ。そんな時刻に子どもが走ってこなければならないとは、いったいどんな事態なのか。


「おい?」

 ブラッドは子どもの身体を抱え直し、顔が見えるようにする。うつむいていたそれが持ち上がり、大きな目が彼を見上げてきた。


 刹那、彼はハッと息を呑む。


 新緑の、色だ。

 初夏の、青々と茂る木の葉の色。

 赤毛もさることながら、その目の鮮やかさに、ブラッドは一瞬目を奪われる。

 愛らしい顔立ちは少女のものだ。年の頃は、十五には届いておるまい。


 ブラッドが緑瞳に見入ってしまったのはほんの一瞬のことで、相手が子どもであるということに思い至った瞬間現実に立ち返る。

「いったい、何事だ?」

 ただでさえ鋭い眦をさらに切れ上げさせ、ブラッドは腕の中の子どもに問うた。ヤサグレ者でさえビビらせるその眼差しに、しかし、幼気な少女はまるで怯んだ様子を見せず、両手で彼の服にしがみついてくる。


「お願い、みんなを、みんなを助けて――ッ!」

 見れば、彼女の手足は傷だらけだ。服はといえば、子どもには相応しくない露出の高さ。

「みんな? 少し、落ち着け――」

「紙、紙と、何か書くものをください!」

 少女の言葉に、ルーカスが卓上の白紙とペンを渡す。それを受け取ると、彼女はすぐさま何かを描き始めた。どうやら、地図のようだ。ウィリスサイドを知り尽くしたブラッドには、線が引かれるにつれ彼女が伝えたいことが判ってくる。


 仕上がった地図は簡潔だが充分に要点を捉えていて、少女はそれをブラッドの胸元に押し付けた。

「そこに、みんなが。早く……」

 唐突に、声が途切れる。

 と同時にクタクタと崩れ落ちた彼女を、ブラッドは抱き留めた。


「おい……?」

 呼びかけてはみたが応答はなく、仰向けさせた顔の中であの鮮やかな瞳は目蓋の奥に隠されてしまっていた。

「意識、飛んでしまったようですね」

 ブラッドの胸元を覗き込んできたルーカスが、つぶやいた。


「そのようだな」

 そう返し、ブラッドは少女を抱えたま立ち上がる。華奢な身体は片腕でも運べる軽さで、それだけに、傷ついた手足が痛々しかった。彼は眉間にしわを寄せながらしばし考え、遊戯室に向かう。隊員たちの休憩室で、ここもまた、食堂同様散らかり放題だ。その部屋の奥に置かれた長椅子まで彼女を運び、雑然と積まれた様々な物を足で蹴り落してそこに横たえる。

 部屋の中を見渡したが、あるものと言えばだれが使ったかもわからない古臭い毛布くらいだ。それを少女にかけるのはためらわれる。多少の足しにはなるだろうと、ブラッドは自分の上着を脱いでしっかりと彼女を包み込んだ。大柄な彼のものだから、肩から足まで覆えてしまえる。


 長椅子の脇に膝を突いたまま、ブラッドは束の間少女を見つめた。

 固く目を閉じた少女の顔は微かに蒼褪めていて、その様が、ブラッドの記憶の奥の扉を揺さぶる。彼は引きはがすようにして視線を逸らし、ルーカスを振り返った。


「……取り敢えず、彼女が描いた地図の場所へ行くぞ。皆を集めろ」


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