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絡繰騎士と害意種 〜Puppet knights and children〜 1



光が見えた。目はまだ開いてはいない。しかし、光は感じられる。


身体には力が入らないが、それでも休む事はできたようだ。昨晩から比べればだいぶマシになっていた。


うつ伏せに倒れ伏したまま寝たせいで首回りが悲鳴を上げている。いや身体中のそこかしこから悲鳴が上がっていた。考えてみれば当然だ。ここまでの悪路を思えば。


こうして穏やかな朝を迎え、身体を休ませている事自体が奇跡なのだろう。


仰向けに寝姿を正しながら天上を見やる。どうやら各ベッドに用意された幕を開いたまま寝てしまっていたらしい。店の主人のいう事が間違っていなければ、昨晩この宿に泊まっていたのは私だけであるので問題はない。


問題はないが、その不用心さに自らのことながら寒気がした。


節々に気を遣いながら身体を起こす。目がなかなか開かない。擦りながら背筋を伸ばしてみた。


体の力を抜いてリラックスすると同時に瞳が開く。日光が燦々と部屋の中を照らしていた。窓から光が差し込んでいる。


街から聞こえる音は穏やかだった。今日は休日なのかもしれない。カタカタと車輪の廻るような音が通り過ぎていく。


「体の具合はどうですか?」


声の方を見やると、カウンター席から声が聞こえた。昨晩は気がつかなかったが、どうやら二階に続く扉の前にカウンターがあり、そこが簡素ながらキッチンにもなっているようだった。


「あぁ、まぁ、大丈夫だ」


仰向けになったまま会話をする作法は持ち合わせていない。ベッドに座り込むように姿勢を正す。女主人はこちらを見やると続けた。


「大したものはございませんが、お食事を取られますか?」


そういえばすっかり食事を忘れていた。この街に辿り着く前にとった食事はいつだったか。思い出せないほど遠い過去のような気がする。


腹の虫は大きく泣いていた。


「頼む」


立ち上がり、カウンター席へ向かう。床が軽く軋んだ音を立てた。座席に座るとコップに入ったミルクとパンが差し出された。


それを受け取り、食事をとる。パンは固い。思っていたよりも強い歯応えに驚いた。しかし、それを表情に出すのは無礼というものだ。なんとか誤魔化しながらミルクを口に運ぶ。これも、薄い。正直にいえば美味いとは言えなかった。


女は食事を用意した後、私が使用した寝台の片付けを行なっていた。故に私の背面方向にいることになる。そのため私の顔色など窺い知れるはずはないのだが、


「ごめんなさいね。これでもこの街ではいい方なんですよ」


居た堪れず、何も口にする事ができない。たが、その空気に耐え切れなかった。女の言葉を否定するように、目の前の食事を胃の腑に押し込む作業を再開した。なんとなく見られているような気配がする。


寝台の片付けが終わったのだろう。彼女は敷いてあった布を手にカウンター席へ戻ってきた。質は良くはないが、清潔だったそれを考えるにきちんと洗濯しているようだ。


近くでよく見てみるとその女は疲れた顔をしていた。陽の光で際立ってしまったクマがよく目立つ。さりとて、顔立ちは美しかった。その美しさのせいで疲れがよく映えてしまう。もっと言えばどことなく孤独感が感じられる佇まいであった。


「あなたは仕事の当てはあるんですか?」

「...いや」


食事の終わった器を女が回収する。


「この街には来たばかりで、一体どうしたものかと思っていたんだ」


この街に来るまでの事は頭の中にあったが、目的に辿り着いてからは一体何をしたら良いのか何も考えていなかった。とにかく、生きていくためには路銀が必要だ。持ち合わせはあまり多くはない。そのため、仕事をしなければならないのだろう。


「何処か、仕事を貰えそうなところを知らないだろうか」

「...」


何か不思議なものを見るような目でこちらを覗き込む。その無遠慮な視線に少し腹が立った。しばらく、女が器を洗う音だけが響く。


「他国からの移民でしたら中央広場に行って見ることをオススメします」


器を片隅に伏せながら女は続ける。


「どうやら言葉は喋れるようですし、何かしら見つかるでしょう。字は書けますか?」

「あぁ」

「...なら、仕事で困る事はないと思います。どこに行っても真っ当な教育を受けた人は求められますよ。こんな時代ですから」

「そう大したものではないが...」

「...」


それ以降、特に話す事がなくなってしまった。なんとも言えない空気が場を満たした。先程とは少し毛色の違う空気。少しばかりの棘を感じる。無言の圧力。


「会計を頼む」

「はい、銅銭で二十になります」


仕方なしに一宿一飯の代金を払う。女の口からでた料金は宿にしては些か安すぎるような値段であり、困惑した。世慣れしていないのは自覚していたが、ここまで自分と社会との間に差があったのか。


「...すまない、銀銭しかないのだが」

「...わかりました。ちょっと大変ですが崩しておきます」

「...すまない」


扉の向こうに下がっていった。しばらくして女が袋を手に戻って来た。


「こちら、お釣りになります」

「あ、あぁ」


内心、またもや困惑する。銅銭など手に持った事がなかったのだ。これほどかさばる物だとは考えもしなかった。


そうして宿から出ようと背を向ける。


「あの、余計な心配だとは思うのですが」


外へと扉を開けようとした時に女が口を開いた。


「貴方のような方は、この街では目立ってしまうと思います。あまり目立たれないよう行動した方が宜しいかと」

「...ご忠告感謝します」


そう言い残して男は去っていった。







宿を後にして街路に出る。夜とは違い熱い風が世界を覆っていた。夜の世界でも威容を誇っていた教会が宿を出てから一番初めに目に付いた。一瞥し、反対の方向へ向けて歩き始める。


夜と違うのは人の流れだった。多くの人が行き交っている。街路を見やるとあちらこちらに店が開いている。


人の流れに乗りながらそれを見やる。野菜を売っている店。肉を売っている店。布を売っている店。店売りだったり、屋台を構えた商店であったり様々な様式で雑多な店が入り混じっている。


石畳の道を歩いていると、そこら中にこのような表記があるのに気がついた。


『ここは五番街』


話には聞いていた。時計街という都市は文字通り時計の円盤を基に設計された街であると。つまりここは時計の五に位置する場所にあるということか。


だが、想像と現実は違うようだ。先程からしばらく歩いてきているものの、街の表記が変わる事はなかった。つまり未だ五番街から抜け出てはいないのだ。時計の街などというから小さなイメージが私の頭にはあったのだが、それは思い違いのようであった。


ここから見える建物は恐らく全て五番街なのだろうな、と何となしに思う。遠くなり小さくなった教会を見やりながらぼんやりとしていた。


まだしばらく歩いていくうちに人通りが段々と少なってきていた。そういえば宿屋の女に中央広場なる場所に向かう事は案内されたが、その中央広場がどこにあるのかまでは聞いていないと思い出す。


時計の形をしているというのだから中央部分に行けば良いだけなのだろう。そう、問題はないと思っていた。だが、街の全景を想像するに不慣れな身で中心部を見つけるのは中々に骨が折れる作業だと思い直す。


しかし誰かに道を尋ねる気も起きずにまたしばらくと歩き続けた頃、だだっ広い壁が街を区画している場所に出た。


高い壁だ。だが、教会ほどではない。上を見やると兵士らしきもの達がいる。恐らくは物見だろう。


自分の目の前にはトンネルのような穴が空いている。壁を一通りみやると似たような穴がいくつか見受けられた。


そのトンネルの上部に、


『これより四番街』


と記されている。どうやら今自分がいる場所は時計の四と五の間のようである。これで何とか中央部分に向かう道がわかった。安堵と共に周りを見渡す。


さっきから気になってはいたのだ。人が少なくなってきたあたりから段々と寂れた雰囲気を感じてはいた。周囲の建物の様子がくたびれてきたり、道に使われている石材が粗雑になっていたり。


だが、この壁の前に立った事で今まで感じていたそれはまだ生易しいものであったのだと痛感させられた。


壁の穴から向こう側の世界が見える。遠くではあるがその輪郭は把握できる。


はっきりいってこちら側の世界、五番街とは別世界だった。


簡潔にいうと汚らしい。ぱっと見るだけで分かる。石畳で舗装された道などではなく吹き曝しの砂の地面が見える。


また、こちら側の壁にも落書きのような絵であったり、文字であったりが其処彼処に散見している。内容は口にするのも馬鹿馬鹿しいものや、特定の人種を貶めるものだ。


衛兵達の様子を見ても何となく気怠そうな雰囲気が感じられる。


とにかく、この壁の向こうには全く違う世界が広がっているのだということが理解できた。


そのような場所に用事も無い上に好んで向かう性質は持ち合わせていない。風化してボロボロになった煉瓦を踏みしめ、急いで大通りへ向けて戻り始めた。




大通りへ戻ってきてから、またしばらくの間先程確認できた中央広場の方角へ歩き始めた。


どうやらこの五番街は商店街の側面が強いようである。行く道行く道どこを眺めても必ず商いとすれ違う。


また、先程までは気がつかなかったが道を様々な身分を感じさせる人々が歩いていた。四番街の雰囲気を感じた後ではさっきまでとは街の風景が異なって目に映る。


自分はあまり派手な格好はしているつもりではない。丈夫ではあるが華美でない服装である。平民の中に混じって見ても特に遜色ない、と思う。


自分ではそう思うのだが、宿屋での会話を思うにあまり馴染めてはいないのであろう。それが原因で面倒が起こらなければよいのだけれど。


少しばかり思い悩みながら歩く。先程から中央広場に向かうにつれて人の数がどんどん増えてきているのを感じていた。


また、道の幅が少しずつ狭くなってきているようにも感じる。中心部に向かうにつれて街自体も小さくなってきているのだろう。


もはや人に飲まれながらなんとか前に歩く。これ程の人垣は祭りの中でしか見たことがない。それも当時は上から見下ろしただけだ。まさかこうして味わうことになるとは。


人にぶつかりながらもなんとか五番街から中央広場への壁へたどり着いた。身体は昨日までの疲れを引きずっているため、大した距離を歩いてはいないが疲れてしまっていた。


とりあえず、今日は中央広場の様子だけ見てみることにしよう。そう思いながら五番街からのトンネルを潜った。


門を潜り抜ける。ここでも他と壁と同様にトンネル状の通路であった。他と違うのは通り過ぎる人の多さである。ごった返している。


トンネルを潜り抜けるとだだっ広い空間が広がっていた。


自分の背後から左右に続いていく壁が広大な円形を描いている。とてもではないがこれが円形に繋がっているとは信じられない。


中央広場を見やると様々な人垣があちらこちらに広がっていた。此処から見るにそれは商売人であったり、芝居小屋であったり多種多様である。


今までの区画された道は無く、ただ広い空間がそこにあるだけだ。そこで人々がめいめいに好きな事をしている。


あまりに、あっけからんとした光景に一瞬、言葉を失い立ち止まってしまう。


「...これが、時計街」


気を持ち直しながら歩き始める。何処へというわけでもなく、なんとなく。


そもそもが目的などはないのだから何をする必要もないのである。そういえば先程までは中央広場を確認してみるという目的があったか。こうして達してしまうと大したものではなかったようだ。


さて、ここの様子にすっかり帰る気もなくなってしまった。それなりに目を楽しませてくれる場所である。目の向くまま、足の向くまま、さっきまでの疲れはどこに行ったのか好き放題に歩き散らす。


それにしてもこの街には様々な人種があるらしい。五番街で感じた事とはまた趣きの違うそれに気が付いた。


あの時は金の持ちようや身なりからくる身分の格差を感じたが、ここではそれよりも多様な異文化というものを感じ取った。


右をみれば皇国の旅劇団の一座が何やら準備をしている。団員の中には明らかに黒の一族の姿も見えた。皇国本国では彼らのような移民は差別され居住範囲、店、文化など、あらゆる場所、面において不当に扱われる。


一面的ではあるが、しかし、この広場において彼らが下に見られているような様子はなかった。軽い衝撃を受けると共にこんな時代だが悪い事だけではないのだなと嘲う。


左を見てみると、何処の国の言葉なのかわからない言葉を使って話している男達もいる。商人のようだ。共通語を使える仲間が店売りをし、そうでないものが裏方をしているのだろうか。客を前にして何事か相談している。


また、ちらほらと帝国の人間もみる。帝国陥落はまだ記憶に新しい。ほとんどの帝国民は害意種に飲み込まれてしまったと聞き及んでいたため驚いた。彼らは贅沢な装いの者は少なかった。いたとしても、どうも野暮ったく見える。心象から目にそう映るのか、それとも実際に彼らの生活が困窮しているのか。


ふと鼻に付く匂いに気が付いた。それに釣られてフラフラと一人の商人に近づく。


「これは...」


商人は浅黒い肌をしていた。やけに軽快な感じを受ける早口な共通語を使いながら話しかけてきた。頭に奇妙な巻き方で巻きつけられた布が特徴的だ。


「何にシマショ?」

「これは...香辛料!?どうしてこんなところに、...それにあなたは、東国人か?」

「ソウですよ?あーーー、もしかしてオニイサン最近、時計街に訪れマシタ???」


肯定しつつ驚く。あれほど入手困難だと言われた香辛料が目の前に広がっている。それにどうも話を聞いていると茶も並んでいるという。


「この街、時計街ネ?ここはナンでも集まってくるんだヨ!何せもうココくらいしかないからね!マトモナトコロ!!」


やや話しづらさを感じながらもそこそこに会話を交わす。ついでに少しばかり茶を買っておいた。あまり目利きは良くないが、そう悪いものには見えない。久しぶりに楽しみができた。


「ハイちょうど頂くよ!アリガトネ!」


その声を背に聞きながら店を離れる。どうやら思っていたよりもこの街は面白い場所のようだ。こんな時代だからこそ満喫できることもあるのか。


そう思い直しながら歩いていると面白そうな本の市を見つけた。座り込みながら何か食指が動くものを探す。


絨毯の上に広げられた本を漁っているのは私だけではなかった。一人の先客が私と同じようにすわりこんで本を物色している。全身ローブで隠れており見えているのは顔だけである。


どうやら何か気に入りの本が見つかったようだ。一冊の本を掴み取り店のオヤジに話しかける。


「これ」

「はい、20ね」

「...」


ローブの男はよく聞こえなかったのだろう。懐から10銅銭を取り出すとオヤジに渡す。


「...おい、あんちゃん。これじゃあ足りねえよ」

「...」


オヤジさんの言葉に男は答えない。険悪な雰囲気になりつつある事を感じる。巻き込まれる前に退散するとしよう。


そうして私が立ち上がった時にローブは口をきいた。


「...嘘」


そう一言だけ口にした。そうするとオヤジに突き出した本を元の位置に戻すと立ち上がった。


店のオヤジは鳩が豆鉄砲食らったような顔で何とも味のある顔をしていた。私とて何ともいえない。


微妙な空気の中、ローブ男だけがスタスタと立ち去っていった。


「...なんでぇ、気味のわりぃ」


本を確認したオヤジが一人愚痴る。私も興が削がれてしまった。他の慰み事を探しに歩いていった。




疲れた。歩き疲れた。


あの後、しばらく同じように中央広場の様々な市を冷やかして回った。どうやら中央広場にも近くの番街ごとに特色が出ているらしい。ここ五番街前には市で溢れている。


一つの番街の門周辺を歩き回っただけだが、けっこうな時間は潰れた。時計は三周ほど回ったのではないだろうか。


懐から時計を取り出して確かめてみる。およそ二周と半分強といったところか。冷やかしで使うには十分な時間だ。誰かに見られないようにそっと元の位置に仕舞いこむ。


今は疲れを癒すため、その辺の壁に座り込み背をもたれさせているところだ。その辺りで誰でもやっている事なので多少無作法ではあるが、そう目立つ事もない。


少し身体を休めたらどうしようか。またあの宿にでも世話になるか。それとももう少しまともな宿を探してみようか。


考えつつ空を見上げる。空が青い。


この街の壁の中では空がいつも青く見える。奇妙なことに砂漠の中にある街であるのに中では砂の匂いを感じることはない。


風は吹きすさんでいるのに街の中まで砂が飛んで来ることはないのだ。


「誰か!そいつを捕まえてくれ!!」


物思いに耽った頭に怒鳴り声が差し込まれた。その方向を見やると商人の一人が怒鳴っている。


その先にはボロボロの布切れのようになった服を着た影。大きさからみるに子供だ。必死に逃げようとしているが、すぐに捕まるだろう。


この広場には治安維持のためか、ちょくちょく衛兵が歩いているのだ。市を歩いていた時に何度か目にした。


案の定、何人かの男が盗人を囲い込むことに成功した。子供は行く手を阻まれ、向きを変え走り続ける。


何度かそれを繰り返していくうちに、段々と私のいる壁付近まで騒動が近寄ってきてしまっていた。


「おい!そっちだ!クソ!!ちょろちょろするんじゃない!!」

「誰か!おいそこのあんた手伝ってくれ!この!」


どうやら有志の輩まで飛び出して大人数での捕物になった様子だった。子供一人相手に面白いことになったものであると、内心ほくそ笑む。


そこからまた数手ほど泥棒と官吏のやり取りが過ぎ、


「やっと捕まえたぞこの野郎!!」


とうとう終いとなった。


「ううぅうう」


この捕物の終着点は私が座り込んでいた場所の真横と言ってもいい程で。お陰で見たくもないものを見せられることになる。


「こら!!早くとったものを返すんだ!」

「ううううぅぅうぅう」


子供は言葉を発しない。ただただ、狂ったように唸るだけである。会話にならず、盗んだ商品も返さず、衛兵の温度は自然と上がらざるを得ない。


「仕方ねぇ、俺がやりますよ」


騒動の中で男が一人、周囲の者に声をかけた。苦虫を噛み潰したような顔だ。その顔でなんとなく、これから起こることに察しがついた。


「...っらぁ!!」


一撃。蹴りが盗人に叩き込まれる。商品を抱えたまま地面に蹲っていた人間の顔面部分を綺麗に捉えた。


「うぅ...!」


さっきまで元気だった呻き声が苦悶に滲む。


「おい、小僧さっさと盗んだもんを返すんだ。分かっただろう。これ以上怪我したくなけりゃあ早く返すんだよ」

「...」


子供は何も答えない。


はぁ、というため息の後。容赦のない打撃音が続いた。一、二、三、四、五。


男の諦めきった表情が私には印象的だった。何処にでもこの手の光景はあるのだなと妙に達観した思いが脳を満たす。


こういう光景に対して誰もいい気分はしないのだろう。子供はもう呻き声をあげる事も出来なくなっていた。身体のあちらこちらについた痣が痛々しい。


だが、これが彼の咎なのだ。いや、違うか。


彼は単に、単純に負けたのだ。生きる為の戦い。その糧を得る為に彼は他人から盗むという戦い方を選んだ。そして失敗し今その弱さの代償を受けている。


そうだ、弱さは罪だ。生きるといる目的において弱いという事は罪過以外の何物でもない。弱いから負けるのだ、負けるから不幸になるのだ。だから、


「そこまでにしてあげて、くれませんか」


憂鬱な思考を断ち切るように男の声が耳に入った。その擦れたような音に先程まで逸らしていた顔を向ける。


男が一人いた。旅人という言葉がよく似合う風貌。皮でできた服に身を包んだ男が。


この騒動の中、いつの間にここに現れたのか。盗人への罰を与える男と子供の間に彼は立っていた。


「この子が盗った物の料金なら僕が払います。商人の方はいますか?」


衛兵が何かいう前に先んじて言葉を口にする。周りで野次馬になっていた男が一人、前に出る。


「俺だ。払ってくれるのはいいが、なんだってあんた」

「おいくらですか?」


断ち切るように言葉を放つ男に商人は押し黙る。


「...50」


そして盗まれた商品の価格を口にする。それはどう考えても適正な料金とは言えなかった。私の金銭感覚は市井のそれではないが、その程度は分かった。


「...」


男は何も答えず、懐を探り出す。


「どうぞ」


そして言われた価格を取り出し商人に渡す。


「...まいど」


そうしてこの騒動は幕を閉じた。野次馬はこの意味不明な幕切れに首を傾げながら散っていく。衛兵達もまた警備に戻る。


突然現れた男に対する視線は奇異。去りながらおかしなモノを見つめる。


その場に残ったのは男と子供と私だけだった。


「大丈夫かい?」


座り込みながら男が声をかける。少年は答えを返さない。こちらも奇妙な目を男へ送る。きっと何故助けられたのか分からないのだろう。そのためその目は疑心暗鬼に濁っている。


「...」


当然だ。こんな世界の終わりの中でどうして見ず知らずの盗人を何の下心も無しに助ける人間がいるのだと信じられる?


少年は立ち上がった。その時に手に持っていた物が見えた。


パン。それも大した量じゃない。大した額じゃない。そんなもののためにあれだけの暴力に晒されたのだ。


男が手を持ち上げる。それに反応して距離を取る子供。


「何なんだよあんた」

「...誰かを助けるのに理由がいるかい?」


口元に微笑を湛えながら男は嘯いた。


「...気持ちわりい...」


盗人はそう吐き捨てて走り去っていく。残された男はただ呆然とそこに佇んでいる。


...何故か、この男と少し話をしてみたくなった。


「おい」


背を向けて歩き出そうとした男に向けて声をかける。男は驚いたようにこちらを向いた。


「どうしてあんな無駄なことをしたんだ?」


この質問に対して男は少し言葉を選んだ。そして、まず近づいてきて、それから


「誰かを助けるのって悪いことですかね?」


また、さっきと同じ笑みを浮かべて答えた。


「...」


沈黙が支配する。目の前に立つこの男は本気でそんなことを思っているのだろうか。


「あれで。あれで助けたことになるのなら。きっとこの世の中はもっとずっと上手く回ってただろうさ」

「...確かに、そうかもしれませんね」

「誰かを救いたいなら、英雄でも目指してみた方が良いんじゃないのか......この街なら、事足りるだろ?」


自分らしくない。何故かこの男の返答が気に入らなかった。普段は使わない皮肉を投げかけてしまう。だが、男はこの言葉に対しまた笑顔で答えた。


「ええ、そのためにここにきたんです」

「...」

「あの、ご存知じゃないですか?騎士団のある番街。ちょうど先日この街にやっと辿り着いたものでして」

「奇遇だな。私もそうだ。だからすまないがどこにあるのかは分からない」


人類最後の戦争機能。時計街の対害意種殲滅部隊。騎士団。私は意図的にその情報を避けていた。


ここに来る人間は大抵二つだ。逃げてきたか、戦いに来たか。彼は後者なのだろう。


「そうですか、それでは」

「待て」


私は何故かその男に対し無性に腹が立った。何故かは分からない。それでもこのままコイツを行かせてはならない気がした。


「分からないが一緒に探すことは出来る」


男が得心を得ない顔で見つめている。歳の割に幼い表情だ。それが更に私の気に障った。今迄、こんな想いを抱いたことはなかった。これ程、理不尽に他人を蔑んでいる自分に驚く。その感情を言葉に込めつつ、私は続けた。


「私もお前と同じ目的だと言うことだ」

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