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やがてあなたが廻る場所



吹き荒ぶ風が体を焚き付ける。早く逃げるのだと。もっと早くその足を動かせと。


心の鼓動を聞きつけた耳は砂の大地に走る小さな、小さな音さえ見落とさないように過敏になってしまっている。前に進んでいるのだというのに、その注意は常に自分の背後。足跡を辿るかのようだ。


砂の嵐は止むことなくこの世界に降り続いている。悪魔達の鳴き声なのだ。彼等が消えさらなければその声が聞こえなくなることはないだろう。ただ、彼等が消えたからと言って消えるという保証もない。


外套を強く身体に巻き付ける。砂は既にあちこちに入り込んできてしまっている。ザラザラと身体に纏わりつく。まるで、過去の記憶のようだ。


真っ直ぐ、真っ直ぐにひたと歩く。彼等に教えてもらった道筋はそれだけなのだ。真っ直ぐに真っ直ぐにただ、ひたすらにあの街へ進んでくれ。それが彼等の最後のねがい。祈り。


まだ、音に聞く時計塔は見えてこない。




それから幾許か、心も身体も折れ、地面に倒れこんだ。そしてまた立ち上がる。生きる意味など最初からなかった。それでも生きてきた。ならば、もう少し、あと少しくらい。この身体がその役目を果たし、動けなくなるまでは。誰かの想いに従い動かす。


先程から風の音が変わってきていた。遠く遠く、誤魔化されるように袖にされるように何物にも相手にされなかった風の声は、今では何事かにあたり、弾けるような音になった。


気のせいなのかもしれない。それでも、変化の兆しに心は息を取り戻す。変わるために生きるのか。変わるために求めるのか。では、変わってしまったのなら、その後はまた変わるために壊すのか。繰り返すのだろうか。


...ゴトンガタン。


何かの音。砂に紛れて聞こえた。だが、確かな音。先程から俯き続けた顔を上げる。


看板だった。木で出来た看板。摩耗しきってその四肢をもがれている。


だが、それでもその存在理由は失っていなかった。その身に悪戯な辱めを受けてはいるが、その仕事はきちんと果たしている。



『時計街へようこそ』(ここが人類最終線)『皇国(反対側矢印)』(※見るに耐えない罵詈雑言)



その木屑に意識を半ば取り戻し、視線をさらに先へとやる。そこには時計街と呼ばれる街の、その門があった。


息も絶え絶えになりながら、もうここで倒れてもいいのではないか、と思う。そうして倒れこもうとした先に、何者かの視線を感じ思い直す。


それはその門から。衛兵じみた男から発せられるものであった。


男は何をいうでもなく、ただただこちらを見やる。ここで私が死のうが何をしようが興味はないとでもいうように。


有り触れた悲劇などは既にやり尽くしたのだと。言外にそんなことを言われているような。そんな錯覚を催した。


それに少しばかりの反骨心を呼び覚まされた。まだ歩ける。


ならば、もう少し歩こうではないか。あの剣呑な視線の男が何を言うのか。それくらいは聞いてみてもいいのではないか。


身体を引きずり門へと向かう。それは開け放しになっており、男と共にある灯りが疲弊した姿を映し出していた。


その男の横を通り過ぎようとする。通り過ぎようとした。その時、


「まちな」


突然、目覚めたかのように男が声を発した。しわがれた声、砂にやられたのだろうか、それとも酒か。顔の割にはくたびれた声だ。


暗い中では格好もよく見えなかった。制服のような統率性の感じられる衣服、くたびれたそれを着崩して着ている。顔立ち自体は若く見えるが、声とその目を見るに若々しさは感じなかった。むしろ老成しているように感じる。


「...名前、名乗ってきな」


それだけだ。それだけ口にすると男はこちらをひたと見据えたまま何も言わない。よく観察すると手元には書き物を持っている。恐らくは記帳して街の人間を管理しているのだろう。だが、名前だけで一体何がわかるのだと言うのか。


「アレン」


「...せいぜい生き延びな」


それだけだ。もはや私に興味はないのだろう。記帳するだけすると、こちらを見ることもやめてしまった。


思い直し、歩き始める。長い門を抜けていく。大層な壁に掘られたトンネル。コツコツと煉瓦が音を立てる。反響した音が耳に心地よい夜の匂いを感じさせる。門の途中で、闇を照らす提灯がカチカチと小さな駆動音を上げていた。針の音だ。カラクリ仕掛けの街。その全てが歯車式技術の粋。


門を抜けて街へ。チラホラと見える灯りたち。どこへ向かえばいいのだろうか。


少しばかり真っ直ぐに歩く。ここまでそうしてきたのだ、何と無しに歩いてしまう。十字路が見えた。街は柵で区画されている。その十字の右は猫が管を巻いていた。何十匹と集まっている。その反対では人相の悪い男が道を塞いでいた。酔いつぶれでもしたのだろう、通路に横たわりながら何事か喚き散らしている。


足はまだ真っ直ぐと進むことを選んだ。その先を遠く見やれば登り階段がある。そして、その先を更に見やればそこには。


長い階段を登り続ける。何故、私はこんなことしているのか。理由もなく登り続ける。


そして、気がつくと私は高台に登り着いていた。


どれほどの高さがあるのだろうか。夜の闇の中では詳しいことは分からない。それなりの高さで、それなりの広さのある広場。そんな場所にたどり着いていた。見上げると、大きな月が私を照らした。今、広場には誰もいない。私以外には誰も。


皇国での日々を思い出した。夜の静寂が音楽のように染み渡っていく。




「月が綺麗ですね」


その静けさの中に水を打つように誰かの声が聞こえた。後ろを見やると給仕姿の女が一人、立っていた。


髪は黒く、後ろに束ねている。服も黒と白。闇の中で溶け入りそうでもあり、浮き上がってもいる。


私は振り返ると、月光を受けた女を眇めた。先ほどまではここにはいなかった、はずだ。相手に気が付かれぬ様に腰の剣に手を回す。


しばしの静寂が私たちを包んだ。


「すみません、不躾でしたね」


沈黙に耐えきれずに女が口を開いた。よく見るとまだ少女のようである。


「...」


私は警戒を解かずに無言でいることを選んだ。彼女は困ったような顔を浮かべながら自分が歓迎されていないことを察したらしい。このような夜更けに見知らぬ人間の背後から不意を打って声をかけるのは褒められた事ではない。


「...また、」


それだけ言い残すと少女はそのまま去っていった。私は何とも言えなかった。彼女が私の命を狙うものでなかったことに安堵していた。




少女との邂逅の後、しばらく月を眺めていた。なぜと言われると、月が美しかったからだ。何度も何度も見上げたはずだ。もっと高い場所だったはずだ。しかし、これほどまでに月を近くに感じたことはなかった。美しいと感じたことはなかった。


冷たい風が身体を舐る。砂漠の夜は厳しい。いくら時計街の中だと言ってもそれは変わらない。思い出した様に寒さに身体が凍え出す。


先ほど来た階段を一歩一歩踏みしめて降りて行く。月光をその背に感じながら。


先ほど通り過ぎた十字路まで戻って来た。猫の集会は既に御開きとなっていたが、しかし管を巻いた悪漢はまだそこにいた。眺める様に歩いていると目が合ってしまう。


「お前のせいだ!!」


身に覚えのない言葉。あぁ、身に覚えのない、言葉だ。


男はそれだけを強く強く、冷たい瞳で私に叩きつけた。私は目をそらす。男はそれ以降、私に興味を失ったようだった。宙空に向かって呪いの言葉を吐き出していた。私の足はその反対方向へと向かって歩いていく。


しばらくそうしてフラフラと歩き続けた。夜の街には時折、物音が響く。人が蠢く息遣いだ。時折すれ違う街灯が放つ小さな音が神経を落ち着かせてくれた。


そうして幾許か歩き続けると大きな建物が目に入った。はじめ、それは石を高く積み上げた無骨なものに見えた。高く高く。天にも届くかのような圧力。近づいていくにつれてその形がはっきりとしてきた。


教会だ。


絡繰の街にもメサイア教の権威は降り注いでいた。その社は高く高く積み重なり人々を見下ろしている。


天使や悪魔、聖人の類の石像が建物には纏わり付いていた。聖典の供述に従った神話の再現である。教会には多かれ少なかれこのような装飾が施されている。この街の教会は些か華美な飾りを纏っていた。


夜の闇の中で怪しくギラめく石像たちはその眼下を通り過ぎる人間をにらめ付けているかのようである。街灯がその姿を照らすことで怪しさは更に際立っている。


私は何となしに教会の上を見上げた。頂点は尖った塔になっており、首を垂直に持ち上げて、やっと視界に入るかというところだ。これほど高い教会建築にはついぞ会ったことがなかった。闇を切り裂く街灯の光も流石に登頂部分までは照らしきれていない。じっと見ていると何か見えなくていいものまで見えてしまいそうだ。


一瞬、笑い声の様な甲高い音がした。いや、気のせいだったのかもしれない。もしかしたら、虫が自分の耳の近くを通り過ぎたのかもしれない。遠くで誰かが笑っただけなのかもしれない。


しかし、目の前で怪しく笑う石像達に見つめられては、そう楽観することは難しかった。人知に及ばぬ何者かが私を笑ったのかもしれないのだから。


そんな戯言をかき消す様に留めていた足を急いで進める。視界の先には灯り。その側には看板。その内容は簡素。宿である。教会からそう遠くない街道沿いでランタンがブラブラと風を受けながら揺れていた。それに魅入られながら近づいていく。


その宿は外壁にこべりつく様な位置にあった。建物が壁に飲み込まれた様な、壁自体が建物のような、壁から飛び出たような。少し妙な位置にあった。そのため出入り口は宿の看板とは真逆で非常に分かりにくい位置にあった。


外壁部に沿うような、街路からは非常に見えにくい位置だ。看板自体は道に沿って出ているから少し顔を上げれば目につく。


私は一瞬、建物の入り口がどこにあるのか困惑しなければならなかった。


月は既に天上を周り切っており、夜も終わりが見え始めようかという頃。こんな時間でも空いている宿はそう多くはない。だが、その宿は確かにまだ人の気配を感じさせる灯りを放っていた。


感謝を感じながらその店の扉の前に辿り着く。


「コンコン」


出来るだけ穏やかに扉を叩く。しばらく待ってみたが返事は返ってこない。やはり誰も起きてはいないのだろうか、という不安が首をもたげてくる。外の灯りは単に家主が消し忘れてしまっただけだったのだろうか。


不安と共に再度、扉を叩く。


「コンコン」


先ほどよりも少し大きな音が出た。今度もしばらく待ってみる。


それでも誰も出てこない。やはり誰もいないのであろう。今日は石畳の街で野宿をするしかあるまい。そう覚悟を決めて、どこか眠り心地のいい場所を探そうと振り返った。


「お客様でしょうか?」


扉をゆっくりと開ける音と共に女性の声が聞こえた。


静かな声だった。夜の街に響くには相応しい何とも静けさを湛えた声。さりとて弱々しいわけではなく世の中を渡り歩いた知性と力強さを感じさせる声。


振り返り言葉を口にする。


「まだ枕は空いているだろうか」




招き入れてもらえた私は暖かいスープにありつくことができた。

宿の中は小綺麗だが別段、見るところも無く、とはいっても充分に安らぎを感じられる空間だった。


しかし宿とはいっても大きな一間しかなく、ベッドが何台も整然と整頓されて置かれている空間だった。


もちろんそれぞれのベッドごとに仕切りとなる幕が存在はするものの個室などとは到底口にできない。


そんな空間を横目で見ながら、少し離れた広い机の上で蝋燭を眺めながら暖をとった。静かな時間が流れる。


口にしたスープは柔らかな味がした。


ここまでの困難を否応無しに感じてしまう。そのため、睡魔が恐ろしい速さで追いついてきた。


「今日は他にお客様もいません。ですからお好きな場所でおやすみなさってください」


うつらうつらとやっていたのだろう。私の様子に気がつくと店の主人は部屋についていた灯りを消しながら私に言った。


蝋燭の灯りが一つ消えるたびに自分の中の眠気が強まっていくのを感じる。


一つ、二つ、三つ。女は一つ一つゆっくりと蝋燭を消していった。


そうして残った灯りが女の手に持った蝋燭だけになる。


「明日の事は、今はお考えにならずとも大丈夫です」


空になった器を薄ぼんやりと見やりながらその声を聞く。


「今はお休みなさいませ」


その言葉を最後に女は二階へと続く扉を開けて出ていった。沈黙と暗闇が部屋を支配しようと強まる。


さりとて月光か窓の隅から部屋を薄く照らしていた。私はその光を頼りにしながら手近な床に倒れ込むように伏せった。


そして泥のように眠りに落ちていったのだ。

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