男性
あの日からどれぐらい経ったのだろうか
あの女性は、何故僕に突然質問をしてきたのだろう
道を尋ねるかのように、さらっと彼女の口から出てきた言葉は、一瞬僕の心と体の動きを停止させた
何を訊かれたのか?
しばらく、その言葉の意味を考えた
あ、そうか
ご自身のことを、客観的に見てどう思うか?
を知りたいのだな
どのぐらい間があってからそれを理解したのか、その時間は未だに思いだせない
彼女は、多分28、9歳ぐらいに見えた
もしかしたら27歳かもしれないし、僕と同い年かもしれないけれど
僕の目にはそのぐらいに映った
だから、30歳を前後3歳と表現したのだ
女性には間違いないと思ったけれど、世の中には男性でも女装を趣味にしている方もいるし、性転換をしていることも稀にはあるかもしれないけれど
100%女性だろう
あの華奢なスタイルで男性だとしたら、それは女性になることを選ぶだろうと思うぐらい女性にしか見えなかった
服装が、Tシャツにジーンズのラフなスタイルだったので、仕事をしているとしてもカタい仕事をしているようには見えなかったし、かと言って、休日であればそういう服装で街を歩くだろうし、なんとも言えないところだ
もしかしたら、休業中かもしれないし、とりあえず家庭を持っている主婦には見えなかった
それに、ふと左手に目を落とすと、そこに指輪がなかったからきっとそうではないか?と彼女に伝えたのだ
世の中には、結婚していても結婚指輪をしない人もいるだろうから、何とも言えないけれど
そして…
なんと表現してよいかわからなかったけれど、彼女から感じたものは、『穴』だった
どこかに『穴』が開いているような気がしてならなかったのだ
それを喩えようにも、どうにも言葉が見つからない
頭にたくさんの文字を並べたのだが、どれもこれもしっくり来るものはなく
例えば、一番最初に並べた文字は、
『哀しみ』
どこか、哀しそうにも見えたけれど、それも違った
哀しみでは、ない
『憂い』
いや、それも違う
『絶望』
そんなものじゃない
そうして、どんどん並べても、どれも彼女に当てはまるものはなかったのだ
とうとう僕の口から出た言葉が『穴』だった
それは、並べた文字の中にはなかったもので、ふいに口から出まかせのように出てきた言葉だった
彼女は傷ついてはいないだろうか?
僕自身、あの言葉を放っておいて、自分に驚いたぐらいだ
放ってしまえば、それはもう戻すことはできない
いや、もしかしたら、
「あ、すみません、間違えました」
と、言い直すこともできるかもしれない
けれど、彼女はそういう誤魔化しにはすぐに気づいてしまう人のような気がする
冷静になった今、そんなことを考える
そして、僕自身も勝手に出た言葉だとは言え、誤魔化すようなことはしたくはない
そのあと、彼女は涙を零すほど笑った
あんなに大きな声で、あんなにボロボロと涙を次から次から零す彼女が、僕をも笑いの渦に巻き込んだ
僕は、何がそんなに可笑しいのか、とにかく可笑しくて可笑しくて仕方がなかった
そんなに笑ったことが、この人生であっただろうか
きっと、この数年の生活で、忘れていたのかもしれない
彼女が滑稽だったわけではなかったけれど、とにかく可笑しかった
そして、彼女はとても美しかった
僕が、彼女の最後の質問に真剣に答えていると、またその後大きな口を開けて、ときどき空を仰いでは笑い、そうかと思うと
「お腹痛い」
と言って、腹を抱えて笑ったり、その動作が可笑しくて、僕もまた笑った
あれから…
僕は、ずっと彼女のことが気になって仕方がない
もう二度と会えることはないだろうけれど、あの場所に何度も足を運んでしまうのだ
あの日は、たまたま仕事で滅多に行かないあの街へ出かけていたのに、それほど近くもないあの場所へ
何度あの場所へ行き、しばらく路傍に座りこんだだろうか
僕は何をやっているんだ
それこそ、滑稽な姿ではないだろうか
などと、頭を過ることがなくもないが…
それよりも、彼女に会いたかった
そんな、ドラマのようなことが起きるわけがないのに
大体、会ってどうしようと言うのか
もしかしたら、彼女は結婚をしていているかもしれないし、結婚をしていなくてもそういう関係の男性がいるかもしれないのに
自分の心に保険をかけるようなことを頭に置いておきながら
それでも、彼女に会いたかった
それには、何の理由もなかった




