いつもの日常だが。
「環、またジャージ忘れたの?」
茶色い長い髪をくるくる巻いた女子が、呆れたような顔をしながら黒髪ストレートの少女、蒔田 環にジャージの入った袋を押し付けた。
「桂だって、しょっちゅう教科書借りに来るよな」
「教科書は同じようなのが多いから、うっかり間違えちゃうんだもん。でも、ジャージはあんまり忘れない物じゃない?」
毛先を指で弄びながら訝しげな視線を向ける親友・市場 桂に向かって、環は心の中で叫んだ。
(私は“うっかり”忘れてる訳じゃねぇよ!)
昨夜、彼女に遅れて帰宅した『相棒』に、環は紫色の血で汚れたジャージを洗ってもらった。だが、なかなか汚れは落ちず、結局それは廃棄して新しく買い直すこととなり、今ちょうど注文中なのである。
『相棒』は勿体ない、と不満タラタラだったが、うっすら紫色がついたジャージで平然と授業が受けられるほどの精神力はない、と環は一蹴した。
「そういや聞いた?今日、うちらの学年に転校生が来るらしいよ」
桂が話を振った。噂好きな友人が多い桂は、何事にも必ず最新の情報を押さえていた。
「え、そうなのか?珍しいな、この時期に」
「どのクラスに入るのかなぁ」
転校生に関する話は、予鈴が鳴り、環が自分の教室に戻るまで続いた。格好いいのか、背は高いのか、性格はよさそうか…………転校生が来る、という断片的な情報だけで盛り上がれるのが女子高生という生き物である。
環は教室に戻った後、自らの机に座って携帯を開いた。『相棒』からのメールが2通来ている。どうせ暇だとかそんな用事だろうから、と彼女は無視を決め込んだ。後で文句は言われるが、『相棒』が本気で怒ることは少ないと、環は知っていた。
ガララ、と閉じられていた教室の前側の扉が開いた音に気づき、環は携帯を机の中に仕舞った。眠たげな担任が出席簿を抱え、ドカッと教壇上の椅子に体を預けた。そのまま適当に出席を取る。ここまではいつもの朝の光景であった。
担任は大きく伸びをした後、思い出したように呟いた。
「そうそう、うちのクラスに転校生が来た」
教室にざわめきが広がる。うちのクラスだったんだ、だとか、男ですか女ですか!?とかいう声が聞こえる。
入れや、との担任の掛け声と同時に、扉が開いた。皆が机から身を乗り出して転校生を見ようとしたので環からは全貌は見えなかったが、人々の隙間からチラリとスラックスの裾が見えたから男子だ、と判断した。
「皆落ち着け、転校生がびっくりしてんだろ」
担任の鶴の一声に、皆が大人しく席につく。やっと環にも転校生の姿が見えた。
背はあまり高くなく、格好良いというわけではなかったが、彼は十分に美少年に見えた。
サラサラの直毛に、色白な肌。目元は涼やか。女顔で、日本人形のように整った造形をしている。
一部の女子は黄色い声をあげた。まさかの男子にも何人か見とれている者がいる。それくらい綺麗な顔をしていた。
「転校生、自己紹介」
担任が無愛想に言ったにも関わらず、転校生はにこやかに返事をし、黒板に自らの名前を書いた。
『黒崎 紅』
転校生は『くろさき こう』と名乗った。
「フランスから来ました、日本は初めてで不馴れですが、よろしくお願いします」
外国で暮らしていたにしては流暢な日本語で、転校生は自らについて軽く語った。どうやら彼は父がフランス人で母が日本人の、ハーフであるらしい。
自己紹介が終わると、転校生改め黒崎は空いている席に座るよう指示された。それは最も後ろの列の窓側、ちょうど環の隣の席であった。
周りの女子から羨ましい、との声が上がるが、環はそんな女子にも黒崎にも、反応することはなかった。黒崎は軽く彼女に会釈し、席についた。
(昨夜のは一体何だったのだろう)
環の頭は赤く光る瞳の『敵』のことでいっぱいだった。これまで幾度も強敵と戦ってきた彼女でも、恐れを感じるほどの威圧感と存在感があった。
後で教師役に電話して聞こうか。
彼女は教科書を開き、取り敢えず授業に集中しようとした。