夢幻伝説 後編
「夢美、あんたは許せない。 レミリアを陥れようとして、更に妖怪にまで堕ちたあんただけは……絶対。」
妖怪が、人に組することが有る。
それは、人に畏怖を与え、自らの糧とする『妖怪』という種の在り方、そのルールを破戒する行為といえる。
それは、種族の根底を否定することに他ならない。
人が、妖怪に堕ちることが有る。
人の持つ暗澹とした感情を抱えながら、強大な力を持つことになる。
それは、人に仇なす行為といえるだろう。
――そのどちらにせよ、歪な存在である事には変わりない。
そして、そのような曖昧な存在が増えることは、幻想郷の崩壊に直結する。
人が妖怪を恐れ、それを糧に、妖怪が存在する。幻想郷の調和を乱すことにつながるのだ。
なんとなれば、霊夢は人妖を嫌う。
いや、嫌っていた。
今までは。
「ねえ……霊夢、どうしてそんなに怒っているの?」
スペルを唱え終え、攻撃が止まると、夢美は問いかけた。
その態度に霊夢は憤りすら覚えて、声を荒げる。
「アンタが、幻想郷に仇成す存在だからだ!」
「そぉんなこと言ったら……レミリア達もじゃないの?」
「はあ!?」
ペースを崩す様な、いつもと変わらない口調の夢美に、霊夢は苛立ちを募らせ続ける。
「レミリアは、この幻想郷で異変を起こした。それがどんな理由であれ――仮に私がそそのかしたとして、貴女が肩入れする理由って何? カワイソウだから? それとも友情が芽生えた? いずれにせよ、博麗の巫女ってそんな有情な商売だった? ねえ、妖怪退治の――非常な巫女さん?」
自分の仕える神の正体すら知らぬ霊夢に対し、夢美は仏教用語でもって、痛烈な皮肉を浴びせる。
しかし、言いながら夢美は、自分の全身から冷や汗が噴き出ているのを感じていた。
「もう、知らん……今まで知らない仲じゃなかったし、人間だったから抵抗もあったけど、もう、アンタは妖怪だ……。何の躊躇いも無く退治するよ」
霊夢は宣言した。
つまりそれは、眼前の妖怪を殺すという事。
一切の躊躇なく、殺すと。
『岡崎夢美は、幻想郷には不要』と判断した、博麗の巫女としての宣言だった。
しかし、それでいい。
そうでなくてはいけない。
なぜなら、彼女が本気で来なければ、自分が此処にいる意味がない。
博麗霊夢がもつ、特別な力。それに今の自分が対抗することが出来るのか、証明することが出来ないからだ。
霊夢だけではない。
魔理沙もレミリアも、他にこの場に居る紅魔館の面子や、今まで関わってきた者たち、それ以外のまだ見ぬ、『幻想郷に居ることを許された魑魅魍魎たち』に、私は近づけたのだろうか、という疑問。
それを解きたい。
この幻想郷に確かに存在する『不思議』に、夢美は魅入られてしまった。
オカルトマニアであることと、比較物理学者であることは、夢美にとって矛盾しない。
たとえどれほど学会から笑殺されようと、狂人と罵られようと、夢美は気にも留めない。
だから、試す。
全身全霊をもって、挑む。
幻想郷に君臨し、いまだ不敗であり続けるこの『博麗の巫女』に、岡崎夢美は『彼女が忌むべき妖怪』として挑むのだ。
その実験が出来るのであれば、自分の命など惜しくはない。
いびつな使命感——覚悟が、夢美にその結論を導き出させる。
「——素敵ね」 そして夢美は、獰猛にわらいながら言った。
「なにがだ!! 『八方鬼縛陣』ッ——」
怒号とともに放たれた弾幕。
絢爛。美麗。
しかし、いちじるしく逃げ場の尠少な弾幕の配置とスピードが、夢美に死を思わせる。
夢美はあえて、妖怪としての『力』を使おうとはしなかった。
接近する弾幕。
夢美は、ぎりぎりまで動かない。
「夢美ぃ!!」
レミリアの悲鳴にも似た絶叫にも、夢美は全く動こうとはしなかった。
そして、一つの弾幕が――寸前で躱された。
否。
とある少女の悲鳴が響き渡った。
「霊夢っ、もういいでしょう、夢美さん当たっちゃったよ!!?」
その吸血鬼の少女——フランドールは泣きそうな顔で霊夢に懇願する。
そう、躱しきれていない。
肩口の肉は抉り取られ、骨すら外気に晒されている。
血液の色はマントの色に同化し、判りにくい。
しかしテラスの土瀝青に滴り落ちるその大量の赤が、その傷の深刻さを周囲に知らしめた。
だが霊夢は弾幕を――攻撃を止めない。
「そうこなくっちゃ……」
夢美は、そう言って笑った。
その目は、死んでいなかった。
むしろ、今の危機的状況にすら勝機を見いだして、瞳を、口を、獰猛に笑わせている。
そういう表情であった。
超高速の弾幕。
寸前で躱す。
止まらない。
そのまま躱す。
躱す。
夢美は、躱し続ける。
その動きは、さながら舞踏。
地を踏みしめることは決してない空中で、なぜかその言葉が、紅魔の者どもの頭をよぎった。
空中なのに、三次元にステップを踏むような、芸術性を彷彿とさせる運動。
そのステップはしかし、一定の心地いい律動を感じさせる。
その動きは、滅茶苦茶であるように見える。それなのに――
「なん、で……」
咲夜が声をもらす。
その恐怖にも似た驚愕は、他のものの代弁でもあった。
夢美と霊夢の激闘。
上空を見上げるように観戦する咲夜たちには、霊夢の放つスペルカード『八方鬼縛陣』の過激さが分かっている。
そのパノラマは、さながら万華鏡。
しかも、霊夢は明らかに夢美を殺すつもりで弾幕を放っている。
逃げ場などない。
あったとしても其処を見つけ出すのは、暗闇のなか針と糸を見つけ出し、穴に通すほどの確率だろう。
咲夜にはそう見えた。
現に、レミリアやフラン、この場に居る美鈴も、驚愕なのか感心なのか分からない表情で見守っている。
最初の被弾が嘘であるかのように、躱し続けている。
避ける事など、出来る訳が無い。
だが現に、夢美は躱している。
自分が霊夢と対峙して、あのような事ができるだろうか――そう考える事すら馬鹿らしくなるほどの、絶望的な弾幕。
寸前で、来る弾幕を見極めて躱している様に、咲夜には思えなかった。
舞踏をやるには、律動を刻まなければいけない。
それはすなわち、どう動くか、あらかたの算段を付けなければ不可能ということ。
まさか、夢美は、弾幕の法則性を一瞬でみきわめたのか。
霊夢は、札を持って仕上げに掛かりながら、
「まさか、まさかあんたも、空を飛んでッ……」
「何を……見れば判る、でしょう?」
会話はかみ合わない。
霊夢が言っているのは『程度の能力』について。
自分と同じ、『空を飛ぶ程度の能力』。それを使っているのかと問うた。
だが夢美は、ただ行為としての空を飛ぶという言葉だと思い、答えを返した。
しかし、
「ああ、なるほど……『空を飛ぶ』、それが霊夢の『不思議な力』というわけね! そんなに慌てふためいて、新鮮だわ!」
「ッ……」
霊夢は、心中で舌打ちした。
自分の何気ない言葉から、夢美は探り当てることが出来る。
数少ない情報をかき集め、答えを導き出せるのだ。
うかつなことは言えない。
自分は、誰よりもそのことを知っているのだから。
「楽しいわね、霊夢。本当に楽しい、これが夢なら、もうずっと醒めなくてもいいって思うわ」
「あんた、どこまで狂って……」
夢美は絶えず笑っている。
肩口から骨が見え、右腕がぷらあんと力を失くしている。
しかし、表情から激痛は感じられなかった。
まるでそんなこと忘れてしまっているかのように。
自分の重症を、認識していないかのように。
だが、夢美は自分の右肩をさめざめと眺め、
「こんな素敵な力を呉れた、あの子にも感謝しなければいけないわね。」
「!? 騙された……って感じじゃないわね。あんた、なんで妖怪になった」
「……わからない? 私がここに在る理由なんて、ずっと一緒だったじゃない――」
夢美は左手でマントを翻しながら、
「さあ、もうそろそろ実験も最終段階。移動船では負けちゃったけど、今回はそうはいかない。私と貴女、どちらが上なのか、はっきりさせましょっ」
息を切らせながら、気炎を放った。
霊夢は、胸の裡にもやを抱えた。
眼前の狂人、もとい比較物理学者は、並々ならぬ覚悟で自身に挑もうとしている。
肩から血を吹き出し、顔じゅうから滴らせる脂汗が、その意志を物語っていた。
だが、なぜ、死など覚悟しなければいけない?
霊夢の知る夢美は、少なくとも、これほどの重傷を負い、獰猛に笑うような存在では無かったのだ。
妖怪ですら、無かったのだ。
オカルトに魅入られた人間が、在ろうことか、誰かの力を借りて、妖怪のような妖気を纏っている。
夢美の言葉を真に受けるなら、能力すらあるのだろう。
――らしくない。
そう思わずにはいられなかった。
夢美は、霊夢を変わったといった。
だが霊夢は、ほんとうに変わってしまったのはアンタじゃないのかと、言いたくなって、
「夢美、あんたは、そんなこと、望んでるの」
「……望んでるわよ。そのためにここに居るのだもの」
「違う。それはあんたの意志じゃない。私が知る比較物理学者、『岡崎夢美』はそんな自己犠牲めいた人体実験、しなかった……」
「幻想郷の代表たる巫女が、『人体実験』だなんて言葉……合わないわね」
「茶化すな!」
霊夢は、夢美の瞳を見据えながら、怒りを抑えつつ言う。
夢美からは、今にも動き出して、ラストスペルを放ちそうな焦りを感じる。
だが、動かすわけにはいかない。
霊夢も焦っている。
だがそれは夢美の焦りとは別種のものだ。
霊夢は今、博麗の巫女としての使命と、対峙する親友の生命との間で、激しく揺れ動いていた。
ふと、よぎる。
魔理沙なら、如何しただろう。
今この場に居ない、『普通の魔法使い』、己が親友なら、きっと夢美を救おうと行動したはず。
普通の人間でありながら、妖怪とも、妖精とも、友になり、ひいては悪霊にすら心を許させた、あの親友なら。
わたしは、魔理沙に、憧れているわけでは無い。
けれど、アイツは、私を目標にしているらしい。
その私が、無様をさらすことなんて、どうして出来ようか!
「もう、いいわ」——夢美は、しびれを切らしたように嘆息し、「……言葉では、通じ合えない。意志は、互いに譲れない。だからこそ、この幻想郷では、命名決闘法が流行ったんでしょ」
そう言って、一枚のカードを掲げた。
赤いシンプルな十字架の絵が描かれた、ラストスペルたるそのカード。
妖気と、夢美が本来つかっている疑似魔力とがまじりあい、その放つ濃度は、混沌の様相を呈している。
博麗の巫女としての勘が告げている。
アレを、放たせるわけには、いかない。
アレを放たせてしまえば、私は、全力で退治をしなければいけなくなる。
全身全霊の『夢想封印』を見せなければ、抗うことが出来ない。きっとそれほどのスペルだ。
それだけは、絶対にいけない。
「夢美さん、ほんとうにだめ」
フランドールは、いやいやする子供のように、言う。
声はかすれ、叫びにもなっていない。
その場から、動くことすら出来ない。
身体が、動かない。
心が、怖気づいている。
それでも、フランドールだけは、声にもならぬ声を放ち続ける。
「私の事、助けてくれたじゃない。ここに送ってくれたじゃない。 なのに、霊夢に退治されるなんてやだよ。 お礼も、まだしてないっ」
夢美は、小さく笑った後、
――『夢幻伝説』……。
ラストスペルを宣言した。
霊夢は、全神経を集中させ、懐からお祓い棒を出し、夢想封印のカードとともに構え、
「ッ――があぁあっ!?」
とうとつに、尋常ならざる衝撃を正面から受け、吹き飛ばされた。
何も、見えない。
何も、起こっていない。
だが、霊夢は現に、吹き飛ばされている。
霊夢は混乱しそうになりながら、再び来るであろう攻撃に備えようとした、直後、
「——ッッ……」
ふたたび、異常な衝撃を背中に受け、意識が飛びそうになる。
思考している場合では無い。
動かなければ、死ぬ。
攻撃は、当たっている。
見えない、という次元ではない。
勘すらも、働かないのだ。
霊夢は、夢美が放っているであろう攻撃を、認識すらできないでいた。
これでは、正しく名の通り――
「——夢幻伝説、何なのですか、あの術は……」
美鈴が、畏怖まじりにレミリアへと質問した。
「……分からん」
レミリアは、首を振り、しかし堂々と言った後、この場に居る全員に呼び掛ける。
「皆も、動こうとはするな。口惜しいがアレは、『博麗の巫女』にしか対抗できん」
『……はいっ』
この場に居る紅魔の勢力、チルノ含めた全員が、レミリアに力づよく返答した。
恩人になにも出来ぬ己の口惜しさを、主の命にて上書きする様に。




