第3話 転生
転移の光が空間を包み込む。眩いほどの光はやがて収まり視界がクリアになる。
先ほどまで大勢の人がいた空間には今は二人しかいない。
この空間の主である女神と、女神によってここに留まった幸助だ。
『良かったのですか?』
気づかうような女神の問いに幸助は面倒臭そうに答える。
「それは、さっきも言っただろ。同じ事を何回も聞くなよ」
『それは、失礼しました』
「それより、質問したいのはこっちだ」
『何でしょう?』
「なんで俺がここにいる?」
幸助の質問は至極真っ当なものだ。だが、その言葉の持つ意味は他の者とは違った。
「俺は消滅するはず(・・・・・・)だったんだろ? なのに、なんでここにいる?」
『私があなたを気に入ったからです』
「どういう意味だ?」
『言葉通りの意味です』
女神の言葉に、幸助は少しだけ苛立つ。
「はぐらかすなよ。なんであんたが気に入ったからってここにいるんだよ」
『……ふふっ、それでは、説明しましょうか』
女神は悪戯が成功した子供のように笑うと語り出した。
遡ること数分前。加護を付与するのが幸助の番まで回ってきたときのことだ。
幸助は声を潜めて女神に話しかける。
「おい、女神」
『はい、何でしょう?』
不遜な態度の幸助に、女神は気を悪くした様子もなく平然と答える。
「美結には、加護を二つ受け入れられる器はあるか?」
幸助の問いに女神は若干怪訝な顔をする。勿論、周りの人に気づかれない程度だ。
『どうして、そのようなこと?』
「いいから答えろ。どうなんだ?」
『……少々お待ちください』
女神はそう言うと美結の方をちらりと見る。
美結は不安そうな表情で幸助を見ているので、女神が見ていると言うことに気が付いていない。
『……ありますが、それが?』
「なら、俺の加護を美結に渡せ」
『……よろしいのですか?私の加護が無ければあなたは世界に受け入れられずに消滅しますよ?』
「それでも構わない。これが、最善なんだ」
そう言った幸助の目を見て女神は確信した。幸助は、自暴自棄になって言っているのではない。全てを受け入れる覚悟があって言っているのだ。
女神は幸助の揺るぎない決心を感じ取ると承諾する。
『……分かりました。彼女にあなたの加護を譲渡します』
「すまない、恩に着る」
『ただし、カモフラージュの為に一連の動作だけは行います』
そう言うと女神は幸助の頭に手をかざす。
その工程のさなか、思う。珍しい、と。
女神の幸助への率直な評価はそれだった。
この空間に来た者で、加護を自分に多く渡せと言う者は飽きるほど見てきた。強欲で、利己的で、自己中心的。そんな者ほど、加護の許容量は少なく、ろくな才覚が発現されなかった。
才覚と言うのは己の意思の持ちようも関係してくる。その意思が希薄で弱い者であればあるほどに、才覚は弱く発現する。ましてや、一定以上の加護の力を注いでしまえば、その時点で力に耐えられずに消滅してしまう。
そんな、自分の器量も知らないで力だけを求める愚者など、女神は飽きるほど見てきた。
だが、幸助のように自分の身を犠牲にしてまで他人に加護を与えようとする者はいなかった。いや、もしかしたらそう思う者がいたのかもしれない。ただ、思うだけで最後まで踏ん切りがつかずに転移する。と言う者だったのかもしれない。
どちらにせよ、これまで加護を他人に譲渡するような人間はいなかった。なので、女神は幸助に興味があった。
なぜ、加護を譲渡したのか。なぜ、彼女なのか。
そして、一番は彼の目だ。彼の目には少なからず狂気が渦巻いていた。その狂気の正体を知りたかった。狂愛とも呼ぶべき感情。
気になりだしたら好奇心は止められなかった。何百年も昔から加護の付与を行っているが、此処まで女神を引きつけたものはなかった。
そのためここに残した。自分の好奇心を満たすために。
『とまあ、これが理由です』
「つまりはあれか……おまえの気まぐれの結果ってわけか」
『有り体に言えば、そうですね』
呆れたように言う幸助に、女神は悪びれた様子もなく答える。
「そんじゃあ、俺が美結の生死に執着する理由を話せばいいわけか?」
『はい、そうですね。……怒らないのですね』
「あ?」
『怒らないのですね、と言ったんです』
「ああ。別に、どうせ死ぬんだ。それが、遅いか早いかだろ。結果が変わらないなら途中が多少変わっても問題ねーよ」
どこか投げやりな態度で言うと、幸助は自分の過去と共に美結に執着する理由を話した。
女神は話を聞くと慈愛の眼差しを向けてきた。
『なる程……そんなことが……それなりに凄絶な過去ですね……』
「それなりに、か……」
『ええ、それなりにです。もっと酷い過去を持つ者とも出会いましたのでね』
「そうかい。まあ、何でも良いけどな。て言うか、最後の絶望に染まらないようにって、美結にたいしてだけだろ?」
『ええ、そうですよ』
「一個人にだけ言葉を送るのは、女神的にどうよ?」
『構いませんよ。だいたいの人に当てはまる言葉ですし』
しれっと答える女神に幸助は「そうかい」とだけ答える。
幸助の美結に対する執着は愛情故にだ。女神は、愛情と言う物を知らない。これまで様々な愛情を見たことがあるが、彼の狂気を孕んだ愛情により興味を引かれたのだろう。勿論、その愛情を向けられたら相手も興味の対象だ。
やがて女神は口を開く。
『私は、あなたの……あなたたちの行く末を見てみたい……』
「は? 行く末も何も、ここで終わり。ジ・エンドだ」
『いいえ、そうはなりません。あなたにも、メルリアに行ってもらいます』
女神のその台詞に幸助は目を見開いた。
「どうやって」
『加護はもうありません。ですが、手はあります』
女神は幸助に近づき頭に手をかざす。
『あなたの体はここでお終いです。ですが、魂だけはメルリアに送れます』
「魂だけ送っても器が無いだろ? どうやって」
『器なら有ります。メルリアには数百年に一度神が湖より生まれます』
「どういう原理だよ……」
ファンタジーだなおい、と心中でもらすが、今の状況も十分にファンタジーだ。湖から神が生まれるなどの原理は考えるだけ無駄だろう。
『ファンタジーに原理は無粋ですよ?』
「存在がファンタジーの奴が言うんじゃねえよ!」
つい突っ込んでしまった幸助に女神は笑う。
『話を戻しますが。あなたは、その神を器にしてメルリアに行ってもらいます』
「ちょっと待て。いいのかよそんなことしちまって?」
『いいんです。私、神ですから』
えっへんとそこまであるわけでもない胸を張る女神。
「キャラ崩れてんぞ……」
『あら失礼』
おほんと一回咳払いする。
『送り込む事に関しては問題ありません。神が生まれるのは不定期なので送り込んでも問題無いのです。神を送り込むのも私の気分次第なのです』
「雑だなおい。そんで職権乱用だな……」
『いつもは、それなりの危機が迫る前に送り込んだりしていました。私は、未来視の能力を持っていますので、未来におけるあらゆる可能性を見ることができます。そして、その可能性の中で未曽有の危機があれば女神を送り込んできました。タイミング的にもちょうどいい感じです』
「てことは、近いうちに、その未曽有の危機とやらが訪れる、と?」
『はい』
「責任重大じゃねえか……」
未曽有の危機を乗り越えるための存在。それが現界する女神。その責任は重大である。
『その時、それまであなたの身の回りのお世話をしてくれた人も死にます。それも、高い確率ではなく、確実に、です』
急な爆弾発言に驚きつつも聞く。
「……そいつは、誰なんだ?」
『ロズウェル・アドリエと言うものです』
「ロズウェル・アドリエ……」
思わずその名前を呟く。
その者が、今後幸助の世話をしてくれる人物。
『さて、時間切れのようですね。それでは、器を変えます』
「え、ちょ、いきな……り……」
段々と意識が遠のいていく。遠のいていく意識の中女神が言う。
『それでは、お願いします。…………あなたと彼が、もはや最後の希望……どうか、全てを乗り越えて、この世界を……』
物憂げな表情で幸助に言う女神。
「どう……いう……」
何とかそれだけ言うと、幸助の意識は完全に落ちた。
最後に口から出た声がやたら高かったのに違和感を覚えたが、落ちた意識では考えることは出来なかった。
『お救いください』
女神のその懇願するような言葉は、完全にメルリアへと旅立った幸助には聞こえていなかった。
女神は、一度瞳を閉じる。
『これが、最後のチャンス……』
閉じた目を開くと、女神は停滞の間に音もなく現れた椅子に腰かける。
女神が腰を掛けると同時に、これまた音もなく、今度はテーブルが現れる。
そのテーブルには鏡が置いてあった。しかし、その鏡は反射して物を見せているのではなく、こことは別の場所を映し出していた。
その映像には湖から上がる女の子にタオルを恭しく被せる青年が映し出されていた。
その光景を見ると女神は安堵の息を吐く。
『どうか……あの子を救ってあげてください……』
あの子とは誰なのか、その言葉に言及する者はいなかった。
その言葉に含まれた、懇願する思いだけが、虚しく広がった。
● ● ●
水の中を浮遊するような感覚に、意識がだんだんと覚醒に近づいていく。
この浮遊感には覚えがある。そう、夢から覚めるときとかはこんな感じだ。たゆたう意識が表面にゆっくりと押し出される感じだ。
(起きなきゃ学校に遅刻しちゃうな……)
そう思い、朝の空気を胸一杯に吸い込もうと大きく息をする。
「がぼっ!?」
大きく息を吸い込むと、肺に入ってきたのは空気ではなく、大量の水だった。
驚きで意識が完全に覚醒する。
水が大量に肺に入ったことに驚きバタバタともがく。が、暫くするとあることに気づく。
(……苦しくない?)
どういう原理かは知らないが全く苦しくないのだ。
水中なのに苦しくないことに驚きつつも、危険が無いことが分かり冷静さを取り戻すと、周りを見渡してみる。
(水の中……だよな?)
あたりを見渡すことで、段々と自身の置かれている状況を思い出してきた。
(水の中ってことは、ここが女神が言ってた湖ってことか?)
体に纏わりつく感覚から水の中だと判断し、ここが女神の言っていた神が生まれる湖だろうと当たりを付けた。
水はとても透き通っていて湖の端から端まで見ることが出来た。
水中が明るいので上を向いて見ると、湖面がキラキラと陽光を写していてとても幻想的ん光景であった。そして、陽光が差し込んでいることから、太陽が登っているのだろう事が分かる。
(ん? 何あれ?)
水面から目を離し、今度は湖の底を見ると、そこには石造りの大きな階段があることが分かる。階段の行く先を目で辿ってみると水面まで延びていた。どうやら地上まであるらしい。
(登れってことかね)
幸助は湖の底まで降りると階段を使って歩き始める。水中だと言うのに水の抵抗は無く、幸助の足はスムーズに動く。
別に、歩いていく必要もないのかもしれないが、あまりにも幻想的な光景に、歩いて行ってもいいだろうと思えたのだ。
水中を観察しながら黙々と歩き続ける幸助は、階段を上り遂に水面に顔をだした。
「ぷっはぁ!」
別段苦しかったわけでは無いのだが気分で空気を吸い込む。
顔にかかった水を手でゴシゴシ拭って落とそうとするが、手も濡れているので焼け石に水だった。
「――っ!?」
息を飲む声が聞こえ目の前に視線を向けると、そこには男が立っていた。
男は暫く固まっていたが我に返ると膝をついてハキハキした声で言った。
「お迎えに上がりました、アリア様。さあ、こちらへ」
アリア様と言われ、小首をかしげる。
(誰て?)
疑問に思いながら自身の後ろを見てみるが、そこには当然誰もいない。周りを見渡してみるも、幸助と膝をついて頭を垂れている男以外には誰もいない。
もしかしなくとも、アリアとは幸助のことだろう。
幸助は男の言葉に、なぜか不信感を抱くわけでもなく従う。
残り少ない階段を上がりその足で地面を踏みしめる。
陸に上がった幸助に男は大きなタオルを巻く。
「失礼します」
男は幸助を軽々と抱き上げるとお姫様だっこをした。
(おかしい……)
いや、男が男にお姫様抱っこをすることも十分おかしいことなのだが、それ以上におかしいと思うことがある。
幸助は、身長はそれなりにある。決して低いわけではない。そして、筋トレもしていたのでそれなりに体重もあるはずだ。
なのにだ。この男は軽々と、まるで猫を抱き上げるかのように幸助を抱き上げた。
それに、幸助よりも身長がかなり高かった。幸助が見上げなくてはならないほどにだ。それによく見ると周りの木々も湖の隣に立っている教会らしき建物も異様に大きい。
(おかしい……)
再びその一言が出てくる。
色々と疑問だらけだ。
だが、幸助の疑問は自身の体を見るとすぐに解消された。
(手が……小さい? それに足も……俺の体が小さくなってるのか?)
幸助の体は幸助の普段馴染んだ体よりもかなり小さかった。
(そうか……器が幼いのか……)
思い出してみれば、幸助はそのままの身体でこちらに来たわけではない。器に魂を移してこちらの世界に来たのだ。
そのことを思い出し、それに加え器が幼いのだと分かれば、周囲の物が異様に大きく感じるのも納得がいった。
そして、疑問が解消されると幸助が思うことは一つだった。
(野郎のお姫様だっこなんて嬉かねーなー……)
何が悲しくて男にお姫様だっこされているのかという事だ。幸助としてはさっさと下ろしてもらい自分で歩きたい。だが、幸助をお姫様だっこしている男は顔には出さないが嬉しそうなオーラを醸し出している。
(下ろしてくれなんて頼みずれーなぁ……)
すると、男は視線に気付いたのか幸助を見るとにっこりと微笑む。
「…………」
微笑みかけられて分かる。よく見ると、いや、よく見なくてもこの男がかなりのイケメンだということがだ。それもクラス一の美形男子、紫苑荘司以上にだ。
荘司が今時の高校生風なチャラチャラしたイケメンだとすると、この男は誠実で爽やかな感じのイケメンだ。
(こいつ、ぜってぇモテモテなんだろうな……)
リア充爆発しろ、と内心で思っていると男は教会に入っていく。
それにしても、大きい教会だった。背の高い男の歩幅でもそれなりに時間がかかったほどだ。敷地面積も広いのだろう。
(ほぉ~)
教会の中はとても綺麗で、豪華ではないが質の良いものばかりだということが目利きではない幸助にも一目で分かり、思わず内心で感嘆の声を上げる。
それに、教会だと思っていたのだが、どうも違うらしい。
見た目は教会のような外観であるが、内装は中世ヨーロッパの屋敷のような感じであった。
幸助も実物は見たことなく、アニメや写真などのイメージしかないのだが、それでも、そのイメージにそぐわない内装であった。
一度は入ってみたいと思っていた洋風なお屋敷に興味津々な幸助は、イケメンにお姫様抱っこされていると言う屈辱的な状況にもかかわらず、そのことを忘れキョロキョロとあたりを見渡す。
男は興味津々にキョロキョロと辺りを見る幸助を見て、微笑ましそうに目を細める。
幸助はそんなことも気付かず辺りをキョロキョロと見続けている。
男は少し歩調を緩めて歩いた。幸助のために歩調を緩めたのだ。
そんな男の配慮に気付かぬまま屋敷を見続ける幸助。男は、顔だけではなく対応もイケメンであった。
やがて、目的の場所に着いたのか男の足が止まる。
幸助が男を見ると、男は幸助を降ろした。
「まずは冷えた体を暖めて下さい」
どうやら、お風呂場の前まで運んできてくれたらしい。
冷えた体と言われたが別段寒くはない。だが、ここは好意に甘えてお風呂に入るろうと思う。今はちょっと現状を整理したいので一人になりたいのだ。
こくりと頷き扉に手をかけて中に入る。
「何かあれば遠慮なくお呼びください。扉の前で待機していますので」
男はそう言うと恭しく頭を下げた後、扉を閉めた。
内心では、お風呂の世話もされるのではとびくびくしていたのだが、杞憂だったようだ。
(男と一緒に風呂入っても嬉しかねえからなぁ……)
内心でそんなことを考えつつも、幸助はタオルを外して歩き始める。
歩いていてふと思う。
(それにしてもやけに長い髪の毛だな……水に濡れて背中にまでくっ付いて気持ち悪い……長い……髪……?)
幸助の髪は長いとはいえ背中にかかる程ではなかった。今のように腰まで届くと言うことなど有り得ない。
(え、あれ……?)
とある可能性が思い浮かぶと、さーっと血の気が引いていくのが分かった。
幸助は慌てて部屋の中を見回して鏡を探す。すると、部屋の角に大きな姿見があることに気が付いた。
姿見に走り寄り自身の顔を見る。
「――っ!!」
姿見を覗き込むと、幸助は思わず息を飲んだ。
幸助の覗き込んだ鏡には美少女が写っていたのだ。
その顔はビスクドールのように整っており、ルビーのような紅い目と、光を反射して眩い程の輝きを見せる銀髪はまるで先ほどまで会っていた女神を彷彿とさせる。
思わず息を飲んでしまうほどの美少女だ。年の頃は十二歳位だが、年相応の可愛らしさを持っていて見る者を魅了する程の魅力を持っている。
(誰だろう? ……うん、俺じゃん……)
そもそも鏡の前に立っているのだから自分以外が写ることはない。
「俺……」
とどのつまりは、
「女の子になってるぅぅぅぅぅぅぅ!?」
器が女の子だと言うこと。
崎三幸助、享年十七歳。この度、転生して女の子になりました。