第10話 ムスタフ伯爵
大変長らくお待たせいたしました。ボチボチ連載再開します。
「あ、あれが領主様の屋敷です」
気まずい空気の中ようやく見えてきた伯爵邸。
伯爵邸は、周囲の建物よりも大きく豪奢な見た目であった。しかし、想像していたよりも派手ではなく、むしろ貴族にしては地味な方だと幸助は感じた。
まあ、幸助は貴族の屋敷など、自分が今住んでいる屋敷しか知らない。それに、あの屋敷も派手ではない。むしろ、伯爵邸と似たようなものだ。
違いがあるとすれば、幸助の屋敷は静謐な印象で、ムスタフの屋敷は地味、といったところだろうか。
(地味な屋敷だな。まあ、派手すぎるよりは好感は持てるけど……)
そんなことを思いながらも歩を進める幸助。
「なあロズウェル。あの屋敷はこっちじゃ派手な方か?」
気まずい空気を払拭するべく、なるべく明るく元気よく訊ねてみる幸助。
「いいえ。伯爵の屋敷は他の貴族の方々に比べて質素な方です」
「領主様は、あまり豪勢なものを好まないらしいです。そのため、屋敷も質素な感じにしているそうですよ」
「へ~。それって、やっぱり貴族としては珍しいのか?」
「そうですね。貴族は持てる自分の富を誇示して、自分の領地が潤っていると示したがるものです。まあ、それも貴族の役目の内と言えばそうなのですが、伯爵のように最低限の誇示しかしていない方が珍しいです」
「ほんほん。なるほど」
どうやら、幸助の予想と食い違いはない様だ。
それに、
(空気は悪くない……かな?)
話題転換によって先ほどのような空気の悪さは無くなったように思えた。
そのことにほっと胸を撫で下ろす幸助。もちろん、表情には出さずにだ。
ともあれ、伯爵邸に到着する前に気まずい空気を払拭できたのは良かった。
そうして、話をしているうちに伯爵邸の門扉に到着した。
「これは、アドリエ様! 領主様に御用でしょうか?」
二人いるうちの一方の門番がロズウェルの顔を見て少し驚いたような顔をしたが、取り乱すことなく用件を聞く。
「はい、少しこの街に用事があったので寄らせていただきました。それで、用事を済ませる前に伯爵様にご挨拶をと思いまして」
「そうでしたか。……っと。失礼ですが、そちらの方は?」
門番はそう言うと幸助の方を見やり、手を向けて聞いてくる。
「アドリエ様のお子様ですか? あ、もしや、妹君ですか?」
ロズウェルに訊ねた門番とは違う方の門番が言う。大方、ロズウェルと手を繋いでいるのを見てそう思ったのだろう。
「いえ、この方は……」
そう言ってロズウェルは幸助を見る。その行為が、話しても良いか確認を取っていると言うことは幸助にも理解できた。
幸助がこくりと頷くと、ロズウェルは一つ礼をすると、「失礼します」と言って幸助の被っていたフードを少しだけ持ち上げた。
はらりと神秘的に光を反射する銀髪が垣間見える。
「このお方は、今代の女神、アリア・シークレット様です」
「……どうも」
ロズウェルの紹介に合わせて幸助もぺこりとお辞儀する。少しだけ不愛想になってしまったのは緊張によるものだ。
初対面のロズウェルとハイロにはフランクに接することができたが、それは二人と年齢がさほど離れていないからだ。目の前にいる門番は完全に大人であるために、少しばかり緊張してしまったのだ。
しかし、その幸助の緊張を門番は「アリアが不機嫌である」と捉えてしまった。そして、その不機嫌の理由が先ほどの自身の失言にあると勘違いした。
「も、申し訳ありませんでした!!」
顔を青くした門番が勢いよく頭を下げる。
「う、うえぇ!?」
急に謝罪され僅かに驚く幸助。
「神聖なるアリア様に対し、アドリエ様の妹君、果てはお子様などと言ってしまい、誠に申し訳ございませんでした!! 先ほどの失言を取り消し、この首を差し出すことを――」
「ちょ、ちょちょちょっと待った! ストップ! いったん落ち着こう冷静に!」
首を差し出すという物騒な発言に、幸助は慌てて待ったをかける。
「そんなことで怒ったりしないから! 首とかいらないから!」
「お許し、いただけるのですか……?」
「ああ。別に怒ってないし。それに、妹に間違われたくらいで怒ったりしない。そんなに心は狭くない」
「ありがとう、ございます」
幸助が許すと言いうと、心底安堵したといった表情でお礼を言う門番。
それを後ろから見ていたハイロは、自分もあんな感じだったのかなと場違いにも考えていた。
「とりあえず、中に入っていいなら入るよ?」
これ以上この場にいてまた同じようなことが起こると幸助も面倒だし、なにより門番二人がしんどいだろう。
「どうぞ、お入りください!」
そう言って門番が門を開く。
門が開いたので入ろうとしたが、そこでハイロのことを思い出す。
「なあ、あいつも中に入っていいか?」
「彼、ですか……?」
あいつとは、もちろんハイロのことである。
「彼とは、どういうご関係で?」
「関係……」
そう言われ、幸助はハイロを見る。
ハイロとの関係と問われれば、案内役と言ったところであろうか。今までの経緯から、その言葉が相応しいだろう。
しかし、そんな他人行儀な紹介をしたくはない。それに、ハイロとならこれからもいい関係を続けていける。なぜか、そう思えたのだ。
幸助は、その思いに従って言う。
「友人だ。さっきできたばかりの、な」
幸助がそう言うと、門番は驚いたような顔をする。が、その奥でハイロが更に驚いた顔をしていた。
その驚き様に、幸助は思わずクスリと笑ってしまう。
「なあ、いいか?」
笑みを見せ、幸助は門番に再度問う。
幸助の問いに、慌てて門番が答える。
「は、はい! あ、いえ! 領主様に確認をとって見なくては、私どもでは判断が……」
「よい。通したまえ」
慌てて言いつのる門番の言葉を遮り、許可が出される。
大方の予想をしつつ、幸助は声のした方を向く。
そこには、質のいい上品な服を着た壮年の男性が立っていた。傍らには執事らしき人物が控えている。
「領主様……」
その人物の姿を見ると、門番がそう言った。
(やっぱり)
幸助の予想通り、今目の前に立っている人物こそ、この街の領主、ムスタフ伯爵であった。
「ご友人なのだろう。一緒に入って貰いなさい」
「はっ!」
ムスタフの言葉に、門番は敬礼をする。
「それでは、どうぞ」
「うん」
幸助が門番に返事をし、先導して入る。その後ろにロズウェルが続き、ハイロが二人の動きで我に返り、慌てた様子で二人の後を追う。慌てながらも、本当に自分が入っても平気なのかと、びくびくしている。
伯爵の目の前まで来た幸助。その傍らにロズウェル。二人を盾にするようにしてその後ろにいるのがハイロ。
幸助はチラリとハイロを見やると、ハイロのそんな様子に「はあ」と小さくため息を吐く。
その溜息にすら、ハイロはびくりと身を震わせる。
(こいつ気が小さすぎるだろ……)
こんなので大丈夫なのかと心配になるが、今は後にしておくことにする。
「あーっと……えー……」
目の前のムスタフ伯爵にまずはごあいさつと思って口を開いた幸助。しかし、どう挨拶すればいいのか分からず、言葉にならない声を漏らすのみであった。
それを見かねたのか、はたまた初めから自分から挨拶するつもりだったのか定かではないが、ロズウェルが挨拶をする。
「お久しぶりです、ムスタフ伯爵。お変わりないようで何よりです」
「こちらこそ、久しぶりだね、ロズウェルくん。いやあ、また一段とたくましくなったね」
「ありがとうございます」
「それで、こちらが?」
「はい。当代の女神、アリア・シークレット様です」
名を言われ、ロズウェルに視線を向けられる。
その視線の意味を察した幸助は、一歩前に出る。
「崎三……じゃなかった。あ、アリア・シークレット? です。よろしくお願いします」
自分の名前が変わったことに、やはり違和感があり、言い間違えそうになってしまった幸助。それに、本当に自分がアリアで良いのか分からずに、名乗るとき疑問形になってしまった。
まだいろいろ違和感があり、慣れるのには時間がかかりそうだ。
そんな、幸助のたどたどしい自己紹介に、ムスタフは怪訝な顔ひとつせずに左胸に右手を添え、一礼をする。
「お初にお目にかかります。私の名は、ムスタフ・アルカンジェロと申します。どうぞ、ムスタフと気軽にお呼びください」
「う、え、はい……」
自分より何十歳も年上の人に、うやうやしく頭を下げられ、思わずたじろいでしまう幸助。
しかも、ムスタフは品の良い小父様と言った感じであるため、そのイメージ通りの所作をされてしまうと、逆にこちらが緊張してしまう。
それに、ただでさえ大人の丁寧な対応には慣れていないのだ。ムスタフのような紳士に丁寧な対応をされて緊張しないはずがない。
「ささ。立ち話もなんですから、どうぞ中へ。ウィル、準備の方は?」
「はい、すでに整っております」
そんなアリアの心境を知ってか知らずか。ムスタフが傍らの執事に声をかける。どうやら、執事の名前はウィルと言うらしい。
「そうか。では、お三方を案内してくれ。アリア様。私は一度部屋に寄ってから向かわせていただきたいのですが、よろしいですか?」
「え? ど、どうぞ……」
「ありがとうございます。それではウィル。粗相のないよう頼むぞ」
「畏まりました。それでは、皆様。私の後に着いてきてください」
「は、はい!」
ガチガチに緊張したまま返す幸助。
そんな幸助の様子に、ハイロは親近感を覚えたのか少しだけ嬉しそうに小声で話しかけてくる。
「アリア様でも緊張するんですね」
「当たり前だろっ! 俺はこういうの慣れてないのっ! どっちかっていうと今の心境はお前寄りなのっ!」
ハイロの言に幸助も小声で返す。
「え? そうなんですか? 俺はてっきりこういうのはもう慣れているものだと」
「慣れてなんかないよ! お偉いさんのお宅訪問なんて今日が初めてだし」
「意外です」
「意外なもんか。俺は昨日こっちに来たばかりなんだから」
「え!? そうなんですか?」
幸助の言葉に、ハイロは驚きの声を上げる。
「そうそう。昨日こっち来たばっかりだから、何も知らないわけ」
「そのため、アリア様はこの街にお勉強をしに来たのです」
「うぐっ……」
幸助の言葉に、ロズウェルが付け加える。
せっかく忘れていたことを思い出し、幸助は呻き声を出す。どうやら、この話題は藪蛇だったようだ。
「まさかアリア様。お忘れだったのですか?」
表情の無い顔――ロズウェルとしては、その顔がデフォルトなのだが――でロズウェルに問われ、幸助は冷汗を流しながら引きつった笑みを浮かべる。
「そ、そんなわけないじゃん! 大丈夫! 憶えてたよ、うん!」
「そうですか」
「は、はは……」
納得したような顔をするロズウェルに、幸助は乾いた笑みを浮かべる。
(怒ってんのか本当に納得したのか分かんねぇ……!)
ロズウェルは、あまり感情が顔に出ない。そのため、表情から感情が読み取りづらいのだ。
ハイロは、そんな二人の様子を見て、今度は今まで以上に声を潜めて幸助に言う。
「アリア様、今完全に忘れてましたね?」
「――っ! バカッ! 今言うな! ロズウェルに聞こえるだろう?」
「大丈夫ですよ。こんなに声を潜めてるんですから。流石に聞こえませんって」
「いや、ロズウェルならあり得る。なんか、簡単にやってのけそうで怖い」
「そうですかー?」
「よく考えてみろハイロ。あいつの強さは最早人間をやめている。小声の会話くらい聞き取ることなぞ造作もないはずだ」
幸助に言われ、ハイロも納得したような顔をする。
「うっ。確かに……」
「いいか、ハイロ。あいつを一般人と同じ尺度で考えてはいかん。常に、それよりも上であると考えるんだ」
「りょ、了解です!」
ハイロは頷くと、しゅびっと音がしそうなほどの勢いで敬礼をした。
冗談にそんな真面目に敬礼するハイロがなんだか可笑しくて、幸助はふふっと笑みを漏らす。ハイロも、つられて笑みを漏らす。
そんな楽しそうな様子の二人をロズウェルは後ろから見守っていた。
もちろん、幸助の危惧していた通り、二人の会話はダダ漏れであった。しかし、二人が楽しそうに話をしているのを止めるほど、ロズウェルは野暮ではない。
若干、人の感情に疎いところはあっても、それでも人とコミュニケーションは取れるのだ。壊滅的と言うほどでもない。二人の楽しそうな雰囲気ぐらいは察せる。
しかし、なんだか二人を見ていると胸の辺りが少しだけもやもやする。この屋敷に着くまではそんなことは無かった。この屋敷に着いてから、なぜかもやもやするのだ。
そんな、自分のもやもやの正体が分からず、気持ち悪い思いをしていると、ウィルが扉の前で止まり扉を開ける。
「皆様こちらになります。どうぞ」
「はい」
「し、失礼します」
「失礼いたします」
幸助を筆頭に、ハイロ、ロズウェルと続いて部屋に入って行く。しかし、ロズウェルが部屋に入ろうとすると、ウィルは少しだけ体をずらし、ロズウェルが通れないようにする。
「ロズウェル様。お客人であるロズウェル様にお頼みするのは大変申し訳ありませんが、ロズウェル様にお茶の用意を手伝ってほしいのですが」
どうやら、お茶の準備を頼みたかったようだ。
「私はアリア様の従者です。アリア様のお側を離れるなど――」
「いいよロズウェル。お茶の準備の手伝いくらい手伝って来いよ」
ウィルの頼みを断ろうとしたロズウェル。しかし、他ならぬ幸助から許可が下りてしまう。
「しかし……」
「そんなに長い時間離れるわけじゃないだろ?」
「ええ。ものの数分でございます」
「じゃあ大丈夫だろ。数分くらいなんともないさ。それに、ハイロもいるしさ」
「…………かしこまりました」
幸助からの許可が下りてしまえば、ロズウェルとしては従う他ない。
ロズウェルは幸助に一礼する。
「それでは、こちらです。アリア様。少々失礼いたします。何かあれば、そこの侍女に何なりとお申し付けください」
「はい」
この部屋にはもともと侍女が一人待機しており、ウィルが言っているのは、その侍女のことだ。
幸助に断りを入れ、先んじて部屋を出ていくウィル。
「アリア様、少しの間失礼いたします」
「うん。大丈夫」
ロズウェルは一礼すると、ウィルの後を追った。
「行ってら~」
そんなロズウェルに、幸助は手を振る。ハイロも、真似て小さくであるが手を振っている。
そんな二人の姿に、またも胸がもやもやする。
そのもやもやは扉を閉めて、二人の姿が見えなくなった後も続いた。
ウィルの後を着いて行き、目的地であろう厨房に到着した。
「申し訳ございません。わざわざロズウェル様にお手伝いを頼んでしまって」
「いえ。アリア様から許可は出ておりますので、お気になさらず」
二人は、準備を進めながら会話をする。
ロズウェルは、やはりと言うべきか、準備をそつなくこなしている。初めて入った厨房なので、物の場所はウィルに訊きながらではあるが、それでも文句のつけようがないほどの腕前を披露している。
ウィルも、丁寧ながらも素早い動作で準備を進めている。しかも、その動きは鮮麗されており、ある種の美しさを感じた。
そんなウィルの姿に、ロズウェルは感心する。明らかに自分よりも上の技量を持つウィルに敬意すら抱く。
そんなロズウェルの視線に気づいたウィルは、ふふっと微笑みを浮かべる。
「さしものロズウェル様と言えども、私、これだけは負けない自信がございます」
「はい。私も敵う気がまったくしません。やはり、学ぶことはまだまだ多いです」
「それでは、私からも遠慮なく技術を盗んでください」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
作業をしながらも、二人は会話をする。会話をしながらでも、二人の手は一切止まることは無い。
ロズウェルは少しばかり動作にムラができてしまうが、ウィルは完璧にこなす。そんなところすら感服してしまう。
しばらく、当たり障りのない会話が続いた。
準備ももうすぐ終わりそうになったころ、ウィルが少しばかり真面目な顔をした。
「僭越ながらロズウェル様。一つ、よろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
ウィルが作業の手を止め、ロズウェルに向き直る。
今までは、ウィルも作業をしながら話をしていたので、ロズウェルもそうしたが、ウィルが作業の手を止めたのであれば、ロズウェルも作業の手を止めないわけにはいかない。
ロズウェルも作業の手を止め、ウィルに向き直る。
「ロスウェル様は、アリア様の従者ですよね?」
「はい。そうですが……」
従者と言うのはウィルも元々知っているはずだ。アドリエ家が代々アリアの従者をしているのは誰もが知る事実だ。
当然ウィルも知っているはずだ。
それなのに、なぜそのような当たり前のことを訊いてくるのか、ロズウェルには理解できなかった。
しかし、ウィルの真剣な表情を見れば、その質問がロズウェルをからかってのことではないことが理解できる。
だからこそ、意図が理解できない。
そんなロスウェルの疑問を察したのか、ウィルは口を開く。
「それならば、僭越ながら言わせていただきます」
「はい」
「あなたは、もっと従者であることを自覚すべきです」
「――っ!」
ウィルにそう言われ、ロズウェルは息を詰まらせる。
そんなロズウェルを気にも留めずにウィルは続ける。
「今のあなたは、従者には相応しくない」




