夏休み
合コンのあの日。
『変わらないと』と意識したとはいえ、なかなか変われないのが人の性格。相変わらず誘われるまま、サークルの活動に参加したり、ヨッコちゃんたちと勉強会をしたりしながら、夏休みになった。
あの合コンの彼女たちとは、あれから口をきくこともなく。野島君たちも、話題に出さない。
私たちが通う大学の付近一帯の氏神様では、毎年八月に入ってすぐの頃に夏祭りが行われる。
帰省していない一年生で揃って行こう、という話になったのは、納涼会と称した七月下旬の飲み会の席だった。
誰かが『女子は、浴衣!』と言い出して、男子が妙に盛り上がって。
「木下たち、あんな事言うてたけど。電車で来るのに、浴衣は大変ちゃう?」
「ううん、大丈夫」
「そう?」
「母方の祖母が着物道楽で。私も子供の頃から、それなりには着慣れてるから」
「へぇ」
「野島君は、帰省しないの?」
「うーん。合宿が終わったら、そのまま帰ろかな」
納涼会の帰り道、そんな話を野島君としながら歩いた。
迎えた夏祭りの日。
着慣れてるとはいえ、さすがに歩くペースが落ちるのは分かっているから、いつもより時間に余裕を見て家を出た。
学園町の駅で、電車を降りて。サークルでいつも待ち合わせる大時計の根元へ。
あ、今日は一番乗り。
そう思って。
思った自分に首をかしげる。
『一番乗り』『今日は』?
「あー。負けてもた」
後ろから聞こえた声に、振り返る。振り返らなくっても分かる方言交じりの声。
「こんばんは。野島君」
「こんばんは」
挨拶を交わした野島君が、垂れ気味の目じりをもっと下げるようにして眺めるから、顔に血が上る。
「さすが。様になっとうなぁ」
「そう?」
「うん。似合う」
うんうん、と一人で頷いた野島君が、私の顔を覗き込んでくる。
「えっちゃん。いつから待っとった?」
「ええっと。さっき来たところ」
「そっか。うーん。電車の時間、読み間違うた」
野島君が、悔しそうな声を出す。
「あ」
「なに?」
もしかして。
「最近いつも、早めに待ち合わせに来てた?」
待ち合わせが苦手な私が不安にならないように、と。
「いや?」
……やっぱり、そんなわけ無い、よね。
待ち合わせが苦手なのは、私の”自業自得”。
「ここで、天気予報ー。今日はえっちゃんが勝ったから、明日は雨やで」
えぇ? キレイな夕焼け空なのに。
「雨、なの?」
「そ。明日天気になーれ、って、子供の頃に下駄飛ばし、やらんかった? あれと一緒で、えっちゃんより早く来れたら、晴れるねん。今まで、全部当たりやし」
そんな事を言って笑っていた野島君が、軽く睨んでくる。
「俺の楽しみやねんから。わざと早く来たりせんとってな?」
彼のその表情に、『お姉ちゃん、邪魔しないで』って、怒っていた小学生の弟の声が聞こえた気がした。
弟にお願いされたような錯覚を覚えながら頷いた私の後ろで、ヨッコちゃんと亜紀ちゃんの声がした。
ぞろぞろと向かった神社の縁日を端から覗いて。お参りをして。
ブラリブラリと歩いているうちに集団がばらけて、気がつくと野島君と二人っきりになっていた。
「えっちゃん、金魚すくいって得意?」
「ぜんぜん、だめ。小島君は?」
「俺も、アカンわぁ。金魚くらいやったら、アパートでも飼えそうやねんけど」
「動物、好きなんだ」
「うん。犬も、猫も好きやで」
ゴニョゴニョと、何か言ったように思ったけど。
気のせいだったのか。
「えっちゃん。りんご飴、買おう」
明るく言った野島君に引っ張られるようにして、りんご飴の屋台へ向かった。
お盆の少し前に、合宿が行われた。
西隣の県の少し山奥にあるペンションで、メインはテニスなのか、飲み会なのか分からないような二泊三日の時間を過ごす。
ゴールデンウィーク以来、二回ほど練習をしたおかげで、なんとなく私もラケットにボールが当たるようになってきて、亜紀ちゃんと二人でラリーの真似事ができるようになった。
男の子たちは、次から次へと試合をしている。
初心者、と言っていたはずの野島君も、大山さんと組んで二勝? 三勝だったっけ。とにかく勝っていた。
二日目の午後に、四年生の人たちが四人ほどで差し入れ、とジュースやお酒を持ってきてくれた。
「炭酸系と、お茶系と。あとは……果汁百パーって、誰が飲むんです?」
渡されたスーパーの袋を覗き込んだ佐々木さんが挙げる中身に、
「俺、炭酸。コーラ、コーラ」
「おい、これおまえが飲めよ」
「要らないわよ」
「こっちにあと二本、お茶ちょうだい」
皆でわいわい取り合ったり、押し付けあったり。
私が貰ったのは、『誰が飲むんだ?』って佐々木さんが言っていたオレンジジュース。
プルタブに指をかける。
これは……手ごわい、かも。
爪を伸ばしているつもりは無いのだけれど。時々、どうにもプルタブを起こせない缶がある。私の爪よりも、缶の固さのほうが強いのか、爪がたわむ感じがして……。
「えっちゃん? なにしとるん?」
カッツンカッツンと、空振っていると野島君に声をかけられた。
「なんや。開けられへんの?」
これ持って、と、飲みさしのスポーツ飲料の缶を渡されて、私の持っていた缶を取り上げられた。
「んっ」
野島君が、軽く力をこめただけで開く缶の口。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「お礼は、何してもらうのがええかなぁ?」
クスクス笑いながら、スポーツ飲料に口をつける。
飲み口を咥えるようにしながら、人差し指の爪で缶のボディーを叩く。
カカンカンカン、カンカカカン
「えっちゃん。そのジュース、一口ちょうだい」
「オレンジジュースが飲みたかったなら、全部あげようか?」
「一口で、ええって。味見したいだけやし」
俺のも飲んでええよ、と言う彼と缶を交換したけれど。
私が飲んだら、お礼じゃない、よね?
「ごちそうさん」
返された缶に、私も口をつけて。
「えっちゃんと、間接キスー」
「えぇっ!?」
いや、まぁ。そうなんだけど。
『いたずら成功』って顔で笑いながら、野島君は空き缶を捨てに行った。
それから、四年生の人たちも、軽くテニスをして。
毎年、この日は四年生も泊まるとかで。お風呂のあとは、ダイニングでの大宴会になった。
帰宅の心配がないからか、みんないつもよりピッチが早い。
佐々木さんが、赤鬼みたいな顔で大山さんと飲み比べをしていたり、坂口さんがゲラゲラといつになく大笑いしてたり。
そろそろ、私も回ってきたな、と思っているところに四年生の男性が正面にやってきた。
「一年生。飲んでるー?」
「はい、もう十分に」
空いていた隣の席に座られた木下君が、ビールの入ったグラスを掲げて見せる。
「お、そっちの女の子。グラス空いてるな」
目ざとく見つけられてしまった。
「特製の、おいしーいお代わりを作ってやる」
「いえ、もう……」
次は、お茶にしようと思っていたのに。
伸びてきた手に、グラスを取られる。
「桃は、すきか?」
「あ、はい」
「じゃぁなぁ」
右手に持ってきていた桃の絵の描いてある黒っぽい瓶から、甘い匂いのする液体がグラスに注がれる。
そして一度立ち上がると、部屋の隅に置いてあった昼間の差し入れの残りから、缶を一つを取ってきた。
うわぁ。スポーツ飲料で割るって。おいしいの? それ。本当に。
慄いている私の横で、呆れたような声がした。
「うわぁ。まっずそう。それ、罰ゲームちゃいますのん?」
「なにぃ?」
睨みつける四年生をものともせず、野島君が顔をしかめる。
「スポーツ飲料と他の飲みモン混ぜたら、飲めたもんやないですって。高校のときに、コーラと混ぜたら……人間の飲みモンや無かった」
「おまえ、馬鹿か」
野島君の思い出話に、木下君が突っ込む。
「『馬鹿』、言わんとって。俺、関西出身やから、傷つく」
胸を押さえて、野島君がうなだれる。
「おまえらぁ……」
四年生の顔が険悪にゆがむ。
これ、私が飲めば……この場は、丸く収まる?
「あの、」
小さな私の声を掻き消すように野島君の声がかぶさる。
「罰ゲームやったら……」
そう言って、野島君がビールを満たしたグラスを手に立ち上がる。
「野島、イッキやりまーす」
彼の宣言に部屋中の注目が集まり、イッキコールが沸く中で野島君がビールを飲み干す。
「これで、罰ゲームドリンク、この子に飲ますの許してやってください」
「いや、罰ゲームじゃねぇし……」
ブツブツと不満げな四年生の肩に、小振りの手が置かれた。
「こら。一年生相手に、クダまかないの」
「だって……」
黒目がちで子犬のような面立ちの女性に咎められて、居心地悪そうになった四年生は、口の中でなにやら言い訳めいたことをつぶやいている。
「だって、なに?」
覗き込んだ彼女から目を逸らすようにして男性は立ち上がると、根岸さんたち三年生のほうへと移動して行った。
その間に、”罰ゲームドリンク”をキッチンのほうへを下げに行って、新しいグラスを持ってきてくれたその女性は、
「お酒とイオン飲料、一緒に飲んじゃだめよ」
そう、私にだけ聞こえる声でささやくと、元の席へと戻って行った。
「あー。やばかった」
彼女を見送っている私の横で、野島君のつぶやく声がした。
「えっちゃん。あれは断らな」
「はぁ」
「酒とスポーツ飲料って、潰すときの定番やん」
あ、さっきの人が言ってたのは、これか。
「ホンマに、もう。分かっとう? 危なかってんで?」
肩を両手で掴んで、ゆすぶられる。
うわうわうわ。酔いが、回るから。
「野島君、ストップ」
野島君の胸に右手を当てるようにして、声を上げる。
「あ、ごめん」
手を下ろして、テーブルに向き直った野島君は、左手で頭を支えながら、なにやら考え出す。
右手の指先が踊る。
トントン、トトトト、トントトトン
トトント、トントト、トントントン
「えっちゃん、ちょっと」
手を引かれて立ち上がると、そのままドアを開けた野島君に、廊下へと連れ出された。
薄暗い廊下で、腕組みをする野島君に見下ろされる。
なんだか、職員室で叱られる子供になった気がする。
軽く伏せた視線の先で、トントンと動き続ける野島君の指先。
「えっちゃん。今、好きなやつとか、おる?」
は?
あまりにも思いもよらぬ言葉に、マジマジと彼の顔を見つめてしまう。
「居らんかったら、俺と付き合うて?」
「……はい」
「って。嫌やったら、ちゃんと言いよ?」
「嫌、じゃない。と思う」
酔いが回った頭で、考える。
うん、野島君といるのは居心地いいし。
好きか、嫌いかで言えば……好き。
ダイニングルームのガラス戸からもれてくる明かりで、野島君を見上げる。
「ほな、えっちゃん」
「はい」
「大学卒業するまでには、俺を振れるようになりな?」
振ること前提?
いやいや。私が野島君に振られることはあっても、逆は無いんじゃ……。
「振られんように、俺も努力するけど。嫌になったら、ちゃんと言えるようになり」
ポンポンと、頭を撫でる。
そのまま頭の上で、野島君の指が動く。
ポムポム、ポポ ポム
「あの、野島君?」
「あ、それ無し」
「それ?」
「うん。『野島君』は止めて? 『ユキ』って、呼んでぇな」
新歓の時に、『高校時代は”ユキ”と呼ばれてた』と言っていたっけ。
あの日、坂口さんは面白がって、『ユキちゃん』と呼んでいたけど。あの場で、だけだった。
「ユキ、ちゃん」
「うわぁ」
薄暗がりでも分かるほど、ユキちゃんの顔が赤くなる。
「めっちゃ、うれしい」
垂れ気味の目じりを、さらに下げるようにしてユキちゃんが笑う。
頭に乗っていた手が肩に降りてきて、抱き寄せられる。
初めて男の子と抱き合うことに、クラクラしている私の耳元でユキちゃんがささやく。
「えっちゃん。四年間なんかで、逃がさへんで。覚悟して、『嫌や』言う練習しときや」
未成年者の飲酒は、法律違反です。




