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一生の居場所

 六月。

 まだ、決心をつけられないまま、ゆりちゃんたちの結婚式に参列して。

 その帰り道、ユキちゃんがぽそっと言った。

「ゆりさん、きれいやったな」

「うん」

 背が高くてスタイルもいい ゆりちゃんのドレス姿は、すごくきれいで。そして、マサ君と二人並んで、とても幸せそうだった。

「えっちゃんもドレス、着たいと思わへん?」

「ええっと」

「あー、えっちゃんやったらドレスよりも、打ち掛けの方がええかなぁ?」

「……」

 遠まわしな、催促、だよね。

 どうしよう。

 経済的な心配は、ある意味、解消した。

 私と給与等級が同じ男性職員の中に、複数の既婚者が含まれることに、給与関係の事務作業をしていて気づいた。それも一人、二人の話ではないし、中には扶養家族が、”配偶者プラス二人以上の子供”なんて人も。彼らが生活出来ているのだから、ユキちゃんの仕事が不安定でも、なんとかなりそうと思えた。


 後は、私が心を決めるだけ。

 ただ一言、『はい』と言うだけなのに。

 あまりに長い間、悩みすぎて。その間に織音籠(オリオンケージ)は、飛び立ち始めてしまった。

 彼らのその姿を目にするにつけ、ユキちゃんは本当にこのままずっと私の隣にいてくれるのか不安で……決心がつけられない。

「ごめん、急かす気は無かってんで。出会ったときには、『ハイしか言わへん』て、言われとったえっちゃんが、これだけ頑張っとるねんから、急がへんって」

 付け下げを着ている私の背中、帯の上の辺りで手が跳ねる。

 タム  タム タタタム

「えっちゃんを待たすのは嫌やけど、待つのは慣れとるし」

「ごめんね」

「ええって。しっかり悩み」



 そのまま夏が終わろうとしていた頃の、あるライブの日のことだった。

 ステージが終わって、楽屋に通じる関係者通路へ向かおうと歩いていると、スタッフらしき若い男性に声をかけられた。 

 どこに行こうとしている、だの、誰の関係者だの、尋ねてくる。

 今日も、織音籠のワンマンライブなのに妙なことを訊く、と思っていると会話の風向きがおかしくなってきた。

「なぁ。この後、一緒に飲みに行かない?」

「私、飲めないので」

「じゃぁ、食事でも」

「あの、約束が……」

「いいじゃん。そんなの」

 良くない。

 早く、ユキちゃんのところへ行きたい。

 そう思って、会話を打ち切るつもりで男性から離れて、一歩踏み出した。


 左手首をつかまれて、それ以上進めなくなる。つかまれた手に、動けなくなる。

「なぁ、いいだろ?」

 良くないから。

「嫌です、離して!」

「そんな、つれないこと言うなよ」

「嫌!」

 視界に入る男性特有の大きな手。軽々と私の手首を握り締めるその大きさに、怖気が走る。

 ユキちゃん、助けて! ユキちゃん、ユキちゃん!

 助けを求めようと、息を吸い込んだところで手が自由になった。


「何をしている?」

 声をかけてきたのは確か……ここの責任者の岡田さん。

「あの、この人が迷っている風で……」

 男性がそんなことを言う。

 うそばっかり。私、迷ってなんかいない。

「でたらめを言うんじゃない。この女性は、おまえが採用されるよりも、ずっと前からの関係者だ」

「……」

 黙りこんだ男性の腕をつかんだ岡田さんが、私に顔を向けた。

「不愉快な思いをさせて、申し訳ありませんでした。二度とないように、指導しておきますので」

 そう言って頭を下げた岡田さんは、男性の腕をつかんだまま、楽屋とは反対方向へと廊下を歩いて行った。


 楽屋へと向かう前に、一度お手洗いに立ち寄る。つかまれた手首を石鹸で洗う。

 気持ち悪い。男の人に触れられたことが、とても気持ち悪い。

 ナマコに触わられるほうが、百倍もマシに思えるほど。


 手を拭いても、なんだか違和感が残る手首を摩りながら、楽屋のドアを開ける。

「えっちゃん」

 顔を見るなり、ユキちゃんが飛びつくようにやってきた。

「ユキちゃん」

「ちょっと、こっち来て?」

 と言った彼に廊下へと連れ出されて、壁を背にした状態で抱き込まれた。

 耳元で、声がする。

「なんか、あったやろ? 顔色わるいで?」

「スタッフの人に……」

 さっきのやり取りを話しているうちに、涙がこぼれてきた。

「怖かったな。もう大丈夫やから」

 ひとつ、頷いて。そして、頭を振る。

「どないしたん?」

「ユキちゃん。ユキちゃんじゃないと嫌」

「うん?」


 どうして、忘れていたのだろう。

 大学一年生のあの夜、思ったのに。『ユキちゃんじゃない人と、”こんなこと”をするのは、絶対に嫌』と。

 ユキちゃんと、結婚しなかったら。いったい私は誰と結婚するつもりだったというのだろう。


「ユキちゃん」

「うん。ここ居るで」

「私と一緒に、この街の子になって?」

「えっちゃん。ホンマ? ヤケクソ起こしてへん?」

「はい」

 ぎゅーっと改めて力がこめられた腕に抱きしめられる。

「ユキちゃん、と一緒、私、も、この街の子になる」

「うん」

 自分の働く、この街(楠姫城)の子に。

 この街が。この人の隣が。私の居場所になる。



 『ちょっと話つけてくる間、楽屋に居って?』と言ったユキちゃんに、楽屋に備え付けられていたパイプいすに座らされる。

 そのままユキちゃんは、手近にいたジン君になにやら耳打ちすると、部屋から出て行った。

 ひざの上で握り合わせた自分の手を見る。

 自覚が無かったけれど、細かく震えている。

 その左手の甲を、右手で軽く叩いてみる。ユキちゃんのリズムをまねて。

 トン  トン  ト   ト トン

「あの。お茶、飲めそうですか?」

 控えめな声に顔を上げると、黒目がちの女の子が紙コップを手にかがみこんでいた。

 目が合った瞬間に、視線が手元に落とされる。

「はい、ありがとう」

「いいえ。どういたしまして」

 紙コップを手渡す一瞬だけ私と目を合わせた彼女は静かに微笑むと、すっと体を起こして離れて行った。受け取った紙コップを手に眺めていると、ジン君となにやら話している。

 ああ、そうだ。ジン君の”お気に入り”の子だ。

 あの子も初めて楽屋に来たとき、こうやってジン君の手で、いすに座らされていた。あの時は、私がお茶を入れたっけ。

 そんな事をぼんやりと思い出しながら、貰ったお茶に口をつける。



 しばらくして戻ってきたユキちゃんは、『今日の打ち上げは出ぇへん』と言い出して、片づけが終わると同時に、二人で帰る。

 そのまま、駅まで歩きながら、彼が言うには。

 今日、私に声をかけてきた男性は、春頃からここで働き始めたアルバイトらしい。ただ、勤務態度に少々問題があって、今までも何度かお客で来ている女性にちょっかいをかけては、トラブルを起こしていたという。

「岡田さんが現行犯で注意したのが、これで三回目やねんて。イエローカード三枚で退場、らしいわ」

 顔の前で、指を三本立てて見せる。

「退場、って?」

「うん? クビ」

 そう、なんだ。常習犯、で。だから岡田さんが、彼の”言い訳”に聞く耳を持たなかったんだ。

「俺のえっちゃんに、コナかけるな、いうねん。俺の居場所は、えっちゃんの隣にしか無いのやから、譲るわけ無いやん、なぁ?」

「ユキちゃん……」


 私の居場所が、彼の隣で。彼の居場所は、私の隣。

 こんなに簡単で。そして大事なことを、私はいつの間にか忘れてしまっていた。

 

 『離れんとって』『そばに居って』

 何度も私に縋り付きながら、繰り返された言葉。

 彼は、あれほど全身で私を求めてくれていたというのに。

 私を守り続けてくれた彼の居場所を”守れる”のは、私しかいないというのに。


 ごめんね、ユキちゃん。あなたを信じることに怯える、幼いままの私で。

 ユキちゃんが守ってくれている間に、強くなれたはずだから。あなたに甘えてもらえる程度には、成長できたはずだから。

 これからは、お互いの”居場所”を守って行こうね?



 改めて抱いた決意を伝えるつもりで、彼の手をぎゅっと握る。

 それを、彼はどう受け取ったのか。

「ついでに、かるーく絞めといたから。逆恨み、とかは大丈夫やと思うし。心配せんでも、ええで?」

 ユキちゃんが、なんでもないことのように付け足した。

「絞めた、って……」

「暴力なんか振るわへんで。ちょっと口調をかえただけで」

 成人式で、室谷さんたちに対した時の彼の話し方を思い出す。

 アレをしたのかしら。

「ユキちゃん、口調が変わると怖いから……」

「そうらしいな。地元では、”チョイ悪”レベルの言葉やねんけど。映画やドラマのおかげで、危ないヤツに聞こえるらしいな」

 俺、めっちゃ人畜無害やのに、失礼な話や。

 そう嘯いた彼は、私の手を握った。



 互いの実家に挨拶をしたのが、それから一ヶ月ほどの間。


 ユキちゃんのほうのおうちでは、『これで四人全部が片付いた』と言われて、すんなりとお許しをもらえた。


 そして、私の実家では。


「やっと、か」

 腕組をした父が、唸る。

「はい、遅くなって、申し訳ありません」

 座布団をはずしたユキちゃんが、頭を下げる。

 今までに何度も家まで送ってきてくれていたユキちゃんとは、両親共に面識があった。それを考えると、確かに『やっと』だけれども。

 時間がかかった理由は、私だから。そんな風に言われたユキちゃんには、申し訳ない。

「野島君の仕事のこととか、色々言いたいことが無いわけではないが」

 言葉を切った父がお茶に口をつける。

「この十年……いやもっと、か。一度も、悦子を外泊をさせなかった君の”男気”に免じて、目をつぶることにする」

 うわぁ。あぶない。

 昔の”無断外泊”。ばれていたら、アウトだった。

 ユキちゃんと”お泊り”をしたのは、忘年会の夜、あの一回きりで。後は、かすかな後ろめたさを抱きながら、宵の口や、場合によっては日中に体を重ねていた。

 

「では?」

「悦子をよろしくね」

 母の言葉にホッとしながら、信じられない気もして。

「お母さん。本当にいいの?」

「だめ、って言ったらどうするの? やめる?」

「いいえ。駆け落ちしてでも、一緒になる」

「えっちゃん!」 

 慌てたようなユキちゃんの声に、母がおっとりと笑う。

「悦子、覚えている? 大学生の頃だったかな? あなた、浩介が嫌がっただけで、スキーに行くのをやめたでしょ?」

 ええっと。

「受験で、”身代わりに滑る”話、やな」

 思い出そうとしている私の横で、ユキちゃんが助け舟を出してくれる。

「ああ、はい」

「悦子って、”お姉ちゃん”になった途端に、急に扱いやすい子になったのね」

「はぁ」

 急に話が、昔話になった。

「姉弟ゲンカもしないし、親の言うこともよく聞くし。そのまま、反抗期も無く大人になっちゃって」

 これ、どう反応すればいいのかしら。

「我慢をして、他人に譲るばかりだった悦子に、『譲れない』と言わせた野島君なら、お母さんたちは、何も言わないわ」

「は、い」

 思いもよらない母の言葉に、鼻の奥がツーンとしてくる。

「と言うわけで、野島君」

「はい」

「悦子のこと、よろしくね」

「はい。ありがとうございます」

 そう言って頭を下げたユキちゃんは、起き上がると背中に手を伸ばしてきた。

 グスグスと洟をすすっている私の背中で、彼の手が跳ねる。

 タム タム タタ タム。



 式の準備を整えたりしながら迎えた、十二月。

 翌年二月に予定している結婚式よりも一足早く、私の誕生日に婚姻届を出しに行った。


「土曜日でも、届けが出せるんやな」

 感心したように言いながら、ユキちゃんが市役所の通用口を通る。

 通常の業務はお休みなので、今日は正面玄関がしまっている。休日に届け出に来る人のためだけに開けてある通用口は、私たち職員もめったに使わない。


 薄暗いロビーの中、唯一明かりが付いている窓口へと、二人で近づいて。

 うわぁ。今日の当直、同期だ。

「あら、灰島さん」

「こんにちは」

 うっすらと笑みを浮かべた同期が、カウンター越しに手を伸ばしてくる。

「婚姻?」

「あ、はい」

「そっかぁ。おめでとう」

「ありがとうございます」

 ユキちゃんから受け取った届け出用紙を、指差しながらチェックしている彼女を、なぜだかドキドキしながら見守る。

「はい、確かに」

 にっこりと微笑んだ彼女に釣られて、私も笑い返す。

「『野島さん』、か。明日から?」

「いえ、まだ上司に報告してないので、年明けくらいからと……あの、このことは……」

「黙っているに決まっているでしょ。守秘義務、あるんだから」

「はい」

 それはそうだ。

「この前、MASAも届けに来たし」

「あー」

 そうか。半年ほど前に、ゆりちゃんたちも……。 

「あの時は、思いっきり平日だったわね」

「そら、仕方ないやん。あそこは、お互いの仕事が不規則やから。休めんかったんと違う?」

 横から、ユキちゃんが口を挟む。

「それでも、騒ぎになったりしてないでしょ?」

「その節はどうも」

 MASAの分、と言いながら、ユキちゃんが頭を下げる。

「それ考えたら、ホンマに住みやすい街やな」

「でしょ? 灰島さん……じゃなくって、”野島さん”が、毎日がんばって支えている街なんだから」

 わざわざ、手元の用紙を見直して、言い直さなくってもいいのに。

 でも、そんな些細なことに、うれしそうに笑ったユキちゃんが相槌を打つ。


 再度繰り返された、窓口の彼女の祝福の言葉に会釈を返して。私たちは再び通用口へと向かった。



 役所から外に出て、ユキちゃんがぐーっと伸びをする。泣き黒子も、気持ちよさそうに見える。

「これで俺も、この街の子になった」

「そうね」

「一生、この街の子で、えっちゃんの隣に居るから」

 これからも、よろしく。

 そう言った彼の手が、背中で弾む。

 タム タタ タムタム タタタム タム



 『一生、この街の子に』

 彼の言葉を信じて、私は”一生の居場所”を手に入れた。


 誰にも換えがたい人。

 大好きなユキちゃんの隣に。


 END.

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